ヒーローが戦う意味
ヒーローは、弱き人々を守るために戦うものだ。
少なくとも私は、戦隊加入前の研修でそう習った。この世界には様々な「悪の組織」が存在する。彼らの目的は多種多様だ、一枚岩ではないし組織同士で敵対することだってありうる。だが、「その活動によって被害を受けるのは常に弱者」であるという事実は変わらない。
市井の人々の穏やかな日常を崩す、それは「悪」。平和な状況を打ち壊し秩序ある社会を乱す、それもまた「悪」。そんな悪しき存在に立ち向かうのが、ヒーローの仕事であるはずだ。だから強化した戦闘力が必要になるし、強力な武器を持って戦うことになる……戦いはあくまで、人々を守るための「手段」でしかない。誰かを守ることが最優先、無用な争いは避けるべき。それこそが「ヒーロー」というものだろう。
だから私は戦って敵を倒すこと「だけ」を重要視すること、倒した敵の数を「工数」として評価しその成績に一喜一憂することに疑問を感じている。
ヒーローの根底にあるのは弱者救済の精神であるはず。極端な話になるが、話し合いや説得で解決できるのなら、それに越したことはない。ヒーローが戦わなくて済むなら、それが一番平和で良いことのはずなのだ。
なのに、私が一般人の避難や看護を優先するのは、「悪いこと」として扱われるのだろうか。敵の戦闘員を倒すことばかり考え、それ以外は事務的に淡々と処理してしまうのが「良いこと」なのだろうか。
――桜子や蒼汰に、そう言い返したことがある。だが二人の反応は、だいたい似たようなものだった。
「言い訳するな」
お前の話を聞くつもりはない、という明確な意思を突きつけられ私は言葉を失った。
結局、その日の戦闘報告は事実上イエローである私の吊し上げ大会で終わってしまった。
「もっと頑張れ」
「ちゃんと考えて戦ってよ」
「いい加減、まともに戦えるようになれよ」
集中砲火を受ける私に、もはや言い返す気力はなく……ただじっと耐え忍ぶことしかできなかった。




