10月2日(土)(後)
「腹減ったから、ラーメンでも食べに行くか?」
ヒロさんがドラムを片付けながら、残りの皆に声をかけた。
「おー、いいねえ」
ヒデが嬉しそうに答えた。
「行くか?」
と龍太があたしに聞く。
「香代はラーメン食べに行きたい?」
「うん、行きたい!!!」
「じゃあ、家に電話して聞いてみるね」
家に電話するとお母さんが出た。
「行ってもいいって。8時までに帰るようにって」
香代はすっごく嬉しそうにあたしの周りをぴょんぴょん跳ねてるので笑ってしまった。
皆で連れ立って外に出る。
龍太があたしの楽器ケースを持ってくれた。
龍太はいつもの色褪せたジーンズ姿だが、上に古着っぽい胴体が紺色で袖がベージュのスタジャンを羽織っている。
「駅前に安くて美味いラーメン屋があるんだ」
と、ヒロさんが言った。
初めは香代は大人しくあたしの隣を歩いていたが、ヒデが側に来て色々話しかけるので、いつもの様におしゃべりするようになった。
ヒデは中1の妹がいるそうだ。
今度、香代が来る時に妹を連れてくると言った。
香代はヒデにからかわれてキャーキャー騒いでいるが、とても楽しそうだ。
結局、香代とヒデ、龍太とヒロさん、雄二君とあたしが一緒に歩いた。
男達が目立つので、道を歩く人にジロジロ見られて、ちょっと恥ずかしかった。
「誘ってくれてありがとね。とっても楽しかった」
あたしがそう言うと、雄二君は嬉しそうに笑った。
「サクソフォーンっていいね。以前トランペットやってる人と何度か共演したことあるけど、僕はサクソフォーンの方が好きだな」
「トランペット、あたしもやったことあるよ。前習ってた先生がトランペットも持っていて、試しに吹いてみたけど面白かった。でも、あたしも音はやっぱりサックスの方が好き」
「いつから習ってるの?」
「小学校5年生の時始めたの。ずっと教わってた先生が引っ越しちゃって去年から休んでたんだけど、9月から新しい先生についてまた始めたんだ」
「兄貴にジャズやってるって聞いたけど」
「うん、前はそうだったんだけど。今度の先生とはクラシックやってる」
「ふーん」
昨日から新しい曲をやっている。
アルトサックスとピアノ用にアレンジされたバッハの『G線上のアリア』。
多分聞いたら皆知っている有名な曲だ。
ずっと高い音出さなくちゃなんなくて、トレモロとか沢山あって結構難しい。
「雄二君はどうしてエレキギター始めたの?」
「最初は僕が小1ん時、兄貴がギター習い始めて、僕も真似して始めたの」
「そうなんだ」
「兄貴は中学入ったら止めちゃったんだけど、僕は去年まで習ってた。それからバンドに誘われて、エレキギター始めたんだ」
「習ってたのってクラシック?」
「うん」
「もうやらないの?」
「ソルフェージュとか超苦手でさあ」
「まあ、あたしもあまり好きじゃないけど。楽譜読めた方がいいから一応やってるよ。雄二君は楽譜読めるの?」
「あんまり難しくないのだったら」
ラーメン屋に着いた。
カラカラと戸を開け暖簾を潜って店に入ると、威勢のいい声に迎えられる。
「いらっしゃいませー!!!」
まだ早いので空いていた。
奥のテーブルに陣取る。
「ラーメンはどれも美味いけど、お勧めはチャーシュー麺かな。あとチャーハンとか野菜炒めもあるよ」
ヒロさんが言った。
皆は何度も来たことある様で、食べたい物は決まってるみたい。
「香代は何食べる?」
「じゃあ、チャーシュー麺にする。餃子はあるの?」
「うん、あるよ。1皿取って半分こにしない? あたしもチャーシュー麺にしよう」
ヒロさんがおばさんを呼ぶ。
「お願いしまーす!! チャーシュー麺4つ、味噌1つに坦々麺1つ、チャーハン4つにギョーザ3つ。あー、あと野菜炒め2つ」
えーっ、皆そんなに食べるの?!!
ヒデがあたしに尋ねた。
「花ちゃんて何年ぐらいサクソフォーンやってるの?」
「5年とちょっと」
「やっぱ、その位やれば上手くなるんだよなあ」
「ヒデさんは楽器はやらないの?」
香代が尋ねた。
「ガキの頃ピアノ習ってたけど。レッスン行くのが嫌で嫌で、親に嘘ついてサボってばかりいた」
「あーあ。お母さんに叱られたでしょ」
「うん。バレた時、滅茶苦茶怒られた。俺、小学生だったのに、パンツ脱がされてお尻ペチンペチンだぜ。あー、分かった!! 俺、それがトラウマで楽器できねえんだ」
「キャハハハ!!! そんなの習ってなかったら、できる訳ないじゃん」
「ちょっと香代。あんた、はしゃぎ過ぎ」
「はーい、お姉さま」
「もう、生意気なんだから。ヒデの妹もこんな感じ?」
「いや、もっと酷いぜー。俺、妹の下僕よ、下僕」
「へえー、優しいお兄ちゃんなんだ」
あたしがそう言うと、ヒロさんもヒデのことをからかった。
「こいつ、こんな髪してつっぱった振りしてるけど、女性には滅茶苦茶甘いんだぜ」
「俺、フェミニストだから」
「その割にはしょっちゅう振られてねえか?」
龍太が意地悪いことを言う。
「おまえこそって言いたいとこだけど。悔しいけど、花ちゃんとはラブラブなんだってな」
「そうなの?」
あたしが龍太に聞くと、ヒデがあたしに言った。
「花ちゃん、こんな無愛想な奴止めて俺にしない?」
「うーん、どうしようかな?」
龍太を横目で見ながらあたしがそう答えると、ヒロさんがゲラゲラ笑いながら龍太に言った。
「おい、リュウいいのかよ。彼女、あんなこと言ってるぞ」
「ああ。そいつ、口だけだから」
「おー、余裕じゃん」
「何だよ、その自信は」
「あんな悩ましい顔して俺の全部が好きとか言われちゃあなぁ」
「ちょっと、龍太!!! 変なこと言わないでよ」
「あーあ。顔、真っ赤だぞ」
「もう、馬鹿」
墓穴掘った。
悔しいけど龍太はあたしより一枚上手だ。
「ちぇっ。やっぱ、ラブラブなんじゃん」
とヒデが面白くなさそうに言った。
いい具合に丁度その時、おばさんがラーメンを運んで来た。
ヒロさんの言った様にチャーシュー麺はとても美味しかった。
男4人は注文したラーメンとチャーハンとギョーザと野菜炒めをぺロッと食べた。
食べながらも4人でワイワイふざけて、からかい合って微笑ましかった。
仲いいんだなー。
男の子同士の関係って何かいいな。
食べ終わった香代が何だかモジモジとあたしの方に屈みこんでくる。
「どうしたの? トイレ?」
「お姉ちゃん!!! 大きな声で言わないでよ。恥ずかしいじゃない」
一丁前に恥ずかしがっちゃって。
「一緒に行ってあげようか?」
香代と一緒にトイレに行った。
鏡の前で歯に葱とか挟まってないか確認する。
よし、OK。
席に戻ると男達が立ち上がった。
「行くか?」
「あれ、お会計は?」
「済んだ」
「えっ、あたし達の分」
「俺達の奢り」
「えっ、でも」
「女の子は黙って奢られなさい」
「だって悪いよ」
「いいって、いいって」
「いいよ、このくらい」
そんな訳で奢られてしまった。
「ありがとう、ご馳走様。ほらっ、香代もお礼」
「ご馳走様でした。とっても美味しかった」
香代の言葉に皆ニコニコする。
いい人達だなあ。
よし、演奏頑張るぞ!
駅でヒロさんとヒデと別れた。
香代はヒデと文化祭に行く約束をしていた。
そうだね。
お母さん、夜はライブ行っちゃ駄目って言ってたけど、文化祭だったら許すかもね。
帰りの電車は結構混んでいて、龍太達は空いた席に香代とあたしを座らせてくれた。
家までの道を、香代と雄二君の後ろを龍太と歩く。
あたしが龍太の手を取ろうとした時に手を握られ、顔を見合わせて笑った。
お腹いっぱいだし、練習楽しかったし、隣には大好きな人がいて、とっても幸せ。
「あっ、そうだ。龍太ってピアノ弾ける?」
「……弾けねえよ。何だよ、急に」
「だって、あの曲キーボードが入るってヒロさんが言ってたから」
「別にオリジナルと同じじゃなくてもいんじゃねえ?」
「うん、そうだね」
頭の中に音楽が残ってる。
「龍太の好きな音楽ってああいうの?」
「嫌いじゃないけど。ちょっと違う」
「今度、聞かせてね」
「うん」
前みたいに焦らないで、龍太のことゆっくり知っていきたい。
「龍太もH高の文化祭行くでしょ?」
「……ああ」
「一緒に行こうね」
「うん」
線路脇の道を通って、香代と雄二君が角を曲がったところで、龍太に握られた手を後ろに引かれた。
「なっ、何?」
あたしの頬を両手で挟み、屈んでくる龍太にゆっくりと目を閉じた。
唇を食べる様なキスを3回された。
やだっ、体が反応しちゃうよ。
頭をギュッと抱き締められ、胸に押し付けられる。
赤くなった顔を龍太の胸に埋めて、ほーっと息を吐く。
トクン、トクン、トクン……
龍太の心臓の音。
すっごく安心する音。
ずっと、こうされていたい。
あたしを離した龍太はチュッと触れるだけのキスをもう一度すると、あたしの手を握って歩き出した。
角を曲がって街灯の下であたし達を待っていた香代と雄二君に追いつく。
恥ずかしくて二人の顔が見れないよ。
二人が何も尋ねてこなかったのでほっとした。
雄二君はあたし達が何をしていたのか見当ついてるんだろうけど。
龍太と雄二君は家の前まで送ってくれた。
「ただいまー」
「お帰りなさい。楽しかった?」
リビングで仲良くテレビを観ていたお母さんとお父さんが振り向いた。
「うん」
「お兄ちゃんがいっぱいできたみたいで、すっごく楽しかった。ねえ、H高の文化祭行ってもいい?」
香代が大きな声で聞いたので、お母さんにH高の文化祭のライブに出ることになったことを話した。
「へえ。お母さん達も観に行こうかしら」
「いつなんだい?」
「えーと、11月13日だっけ? 確かうちの高校と1週間違いだった」
部屋にサックスを置きに行き、手を洗ってからリビングに戻る。
お母さんに聞かれてK3C1のことを話した。
毎週土曜日に練習しに行くことになったと話すと、いいんじゃないと言われた。
練習している曲のことを話すと、何とお母さんはマッドネスを知っていた。
お母さん達が中学生の頃に流行っていたイギリスのバンドらしい。
「あんな田舎でよくそんな音楽知っていたね」
とあたしが驚くと、お母さんは笑いながら言った。
「田舎で何もすることなかったから、ラジオをよく聞いていたのよ。深夜放送とか。あの頃はレコードなんて手に入らなかったから、ラジオからカセットテープに録音してたわ」
「へえー。何か凄いね」
「マッドネスと同じ様なイギリスのバンドでスペシャルズっていうのがあってね。メンバーは白人と黒人がいるんだけど。そっちの方が私は好きだったわ」
「ふーん。来週、そのバンド知ってるか皆に聞いてみるよ」