8月9日(月)
8月9日(月)
今朝8時きっかりに龍太が迎えに来てくれた。
昨日お母さんがあんなこと言ったから、顔合わせ辛い。
「おはよう」
「……はよ」
「えっと。じゃあ、行く?」
「……ああ」
すっごく眠そうな顔の龍太。
ごめんね。
だけど、あたし、少しでも早く龍太に会いたかったんだ。
親はもう出勤してしまってるので、ドアに鍵をかけ、駅に向かいながら謝った。
「昨日、うちのお母さんが急に電話したりしてごめんね。びっくりしたでしょ?」
「ああ、面白い人だな。そう言えば、親父が責任持ってお預かりしますから、ご心配なくって伝えとけっつってたぞ」
「え?」
「だから、14日と15日はバイト終わったら俺んち来いよ」
「ええー?!!!」
何で龍太があたしの家に泊まるんじゃなくて、あたしが龍太の家に泊まることになってるの?
「何、驚いてんだよ?」
「だ、だって、お母さんはそんなこと何も」
「花が二晩一人で心配だから、面倒見てやって欲しいって。そういうことじゃねえのかよ?」
「だ、だけど、そんなこと、龍太のお家の人に悪いじゃない?」
「そんなことねえだろ。親父もお袋もOKしてるし」
何か変なことになっちゃったけど。
ちょっと怖いけど、龍太の家族に会うの楽しみだったりして。
「よろしくお願いします」
頭を下げた。
あたしは朝食を取ってなかったので、コンビニでサンドイッチと紅茶を買い、バイトの近くの公園に行った。
龍太は自分は食ってきたから何もいらないって言うので、コーヒーを買ってあげた。
月曜日の朝の公園は誰もいない。
龍太はあたしが食べている間、ずっと黙っていたが、食べ終わるとあたしの方を向いて言った。
「あのな、花」
「うん?」
「この間、待ってくれって言った話、今話してもいいか?」
龍太の中学時代の話。
聞くのが怖い。
だけど、聞きたい。
龍太の過去が知りたい。
「……うん」
でも、龍太はすぐに話し出さなかった。
黙ってコーヒーを飲んでいる。
あたしが、話し辛いんだったら今度でいいよ、と言おうとした時、龍太が口を開いた。
「中3の頃、付き合ってた女がいたんだ」
知ってたよ。
「相手は高3で。ガキだった俺は始めての恋に夢中になった」
知ってたよ。
龍太は何も言わなかったけど、好きな人がいたってこと。
「そんで、相手も同じ気持ちだと勘違いしてた」
龍太はじっと前を見たまま話し続ける。
「半年間付き合って、ある日、急に別れを告げられた」
どうして?
「最初は理由を言おうとしなかったんだが、問い詰めると白状しやがった。女には、2年前から付き合っている恋人がいたんだ。高校の先輩だったらしい。そん時、社会人一年生だった彼は仕事で手一杯で、女をかまってやる暇がなかった。不安で寂しくて欲求不満になった女は浮気をした。だけど、恋人が仕事に一生懸命だったのは女のためで。それが分かって、高校卒業したら結婚しようと恋人に言われた女に、俺は必要ではなくなった」
……それって、ひどいじゃん。
「中学生のガキと社会人じゃ勝ち目なんかありっこねえだろ」
龍太が可哀想で涙が浮かんだ。
「……自分が彼女を幸せにするって思い込んでた。3年後、高校卒業したら就職するとかマジで考えてた。馬鹿みてえだろ。毎日会いに行って、自分の小遣い全部デート代につぎ込んで、部活さぼって年隠してバイトして、誕生日のプレゼント買ったりして。騙されてるとも知らねえで。みっともねえよな」
龍太を傷付けた女が憎い。
「そんなことない!!!」
大声を出したあたしを龍太は驚いた顔をして見た。
「何で花が泣くんだよ?」
「みっともなくない。龍太は全然みっともなくなんかない。だって、その人のこと好きだったんでしょ? 本気だったんでしょ? 本気だったら一生懸命になるのは当たり前じゃない!!!」
龍太は手を伸ばして、あたしの頭を撫でてくれた。
「…俺は面と向かって女を罵ることができなかった。代わりに、後をつけて相手の男を捜し出した。どんな奴か見たくて。でも、そいつを見た時、ついカッとなっちまって、あの女に自分が何をされたか全部バラしちまった。そいつを怒らせる様なことをわざと言って。そんで、そいつが殴りかかってきたので、ぶちのめしてやった」
そんなことされても、まだその人が好きだったんだね。
「俺はそいつにあの女に対して感じている怒りを全部ぶつけちまったんだ。最低だよな。そいつは俺に肋骨を2本も折られて病院に運ばれた。俺の怪我は大したことなかったから警察に連行されて」
馬鹿なことしてるって分かっていても、自分を止められなかったんだね。
「ちっと考えりゃ、そいつも被害者だと分かったのによ。俺はそいつが何も知らずにあの女と幸せになることを許せなかったんだ」
龍太は、その男の人を傷つけたことで、更に自分自身も傷ついたんだろう。
2年間ずっと後悔してたんだね。
「親が呼び出されて、学校ともごたごたして。だけど、あの場にいた通行人が、偶々俺に有利な証言をしてくれたんだ。先に手を出したのは俺じゃなかったって。後、俺は中学生で相手は社会人だったこと、相手が訴訟をおこさなかったこと、俺が今まで問題を起こしてなかったということもあって、少年院に送られるのは免れた」
もう、涙が止まんないよ。
我慢できなくなって、ベンチに膝をついて、龍太の体を抱き締めた。
「俺は受験勉強があったし、部活にも真面目に行くようになって、表面的には全て丸く治まったかの様に見えた。そんな時に母親の浮気が発覚したんだ。一時期、離婚って話にもなったんだが、何故か親父はお袋が家に戻ってくることを許した」
もう、いいよ。
龍太はあたしの腕の中で話し続ける。
「お袋の相手は、病院で看護師と患者として知り合った12歳も年下の会社員だったそうだ。俺が荒れて、あの女が家に帰ってくるなら自分が家を出るって騒いだ時に、親父が話してくれた。初めてだったよ。俺は親父とはガキの頃から殆ど話したことがなかったんだ。親父は外科医で夜勤もあるし、手術だ、学会だと仕事を理由に殆ど家にいねえ。お袋も勤めていたが、子供がいるっていう理由で夜勤はしてなかった。そんで、家のことは全部お袋がしてたんだ。俺が面倒起こしたときも、怪我させた相手に対しても、警察や学校に対しても、お袋が仕事を休んで全部処理した。親父は金だけ出すと、後はお袋に全てを任せて仕事していた。親父はその時にお袋ん中で何かが壊れたんだろうと言っていた。親父は後悔していた。自分は医者なのに、そうなるまで気付いてやれなかったと。だから、お袋が他の男に温もりを求めたとしても攻められないと。それに、自分自身も過去に何度か過ちを犯したことがあるとも」
もう、いいから。
龍太の腕があたしの腰に回される。
「中3のガキにとって、その話はかなりショックだった。その12歳年下の男が、その後どうなったのかは知らねえ。お袋のこと本当に好きだったのかどうかも。でも、そいつが俺の様に本気だったとしたら?そいつの気持ちはどうなるんだ?もう、誰も信用できねえと思った。恋だの愛だのは全てうわべばかりで、そんなことに本気になる奴は馬鹿だと思った」
龍太があたしをきつく抱き締める。
「高校に入って、言い寄ってくる女と適当に付き合ってた。花と出会うまで」
暫く黙って抱き締めあっていた。
龍太はあたしを抱いていた腕を解くと、あたしの肩を持って体を離した。
「もう、2度と恋なんかしねえと思ってた。だけど、花と付き合うようになって、気が付いたら花のことばかり考えていた。やべえと思ったけど、もうマジになっちまっていて」
龍太はあたしの肩を離すと、あたしの目をじっと見つめる。
「本気で花が好きだ。ずっと大事にするから。こんな俺でも一緒にいてくれるか?」
「うん」
涙で目が霞んで、龍太がよく見えない。
もう一度きつく抱き締められた龍太の腕の中で囁いた。
「龍太が好き。ずっと、ずっと側にいたい」
あたしは龍太を絶対に、絶対に傷つけない。
そして、龍太を傷つける人から龍太を守る。
「俺、花のこと泣かせてばっかだな」
龍太があたしの涙を唇と指先で拭いながら言った。
「でも、あたし、龍太といて幸せだよ」
にっこり笑ってそう言うあたしを見て、龍太は目を細める。
「花はいい子だな」
「プッ。何よそれ」
そろそろバイトに行く時間だったので、龍太と手を繋いでお店に向かった。
「ねえ。あたし、龍太の家にお邪魔しても大丈夫なの?」
「ああ」
「でも」
「あれから、皮肉なことに親父との関係は前より良くなった様な気もするし。お袋とも普通に口きいてるよ」
「そう」
「結局、お袋の浮気の原因は一部俺にあるんだし」
「……」
「だけど、花んちって皆仲いいだろ。前に一緒に食事した時、羨ましいって思った」
確かにうちの親は仲がいい。
そして、二人共仕事している分、香代とあたしのことを心配してくれて、ちゃんと見てくれる。
だから、愛されてるって感じるんだ。
そのお蔭かどうか知らないけど、あたしはグレることもなくここまで来てしまった。
香代とあたしも時々喧嘩はするけど、仲はいい方だと思う。
仲のいい家庭か。
いつか、あたしもそう思われる家庭を作りたいと思う。
そして、もし、龍太とだったらいいな、なんて。