姉の代わりでしかない私
私は彼の子供が欲しい。
「ローズ」
夫は私をそう呼ぶ。それは亡き姉の名前だ。私はリリアーヌなのに、彼はそう呼んではくれない。だから、私も夫の名前を呼ぶことはない。
「旦那様、どうされました?」
「君の好きな赤いバラの花束を持ってきました。喜んでくれますか?」
「…もちろんです」
バラが好きなのは姉。私が好きなのは百合。それは誰よりも貴方が良く知っているはずなのに。
「ローズ、今日も星が綺麗ですよ。君と一緒に見に行きたい」
「私も行きたいです」
「そうですね。でも、身重の君を連れ回すのも酷ですから。早く生まれてきて欲しいですね」
「…そうですね」
身重だったのは姉。その姉はお腹の子と共に流行り病で。けれど、夫は生まれてこない我が子を待つ。だから『身重のはずの』私を抱いたりしない。結果、当然新しい命は生まれてこない。
「ごめんなさいね、リリアーヌさん、うちの息子がごめんなさい!」
姉が亡くなった後、夫は私を望んだ。私は婚約者もまだ決まっていなくて、家も兄が継いでいて、何より夫に憧れていたので、姉には罪悪感を抱えつつも嫁いだ。結果はこれだ。私は姉の代替品だった。
幸い義父母はそんな私を大切にしてくれる。かたや公爵家の跡取り息子、かたや伯爵家の娘なのに謝ってすらくれる。しかし跡取りは必要だ。
「このままだと跡取りが出来ない。残酷な選択肢しかないが、選んでくれないか」
義父の提案。残酷な選択肢というに相応しいそれは。
夫への気持ちを捨て離婚するか、
夫に愛人を作らせて子供を取り上げるか、
あるいは。
「夫の病気の定期検査のためと偽って精液を採取する?」
「もしリリアーヌさんがどうしても愚息との子が欲しいのであれば、それを上手く使って妊娠する他あるまい。我々も、出来ればリリアーヌさんのような献身的な嫁にはずっといて欲しい」
「アナタ!この馬鹿!ごめんなさいね、リリアーヌさん。離婚しちゃっていいのよ。それか、あの馬鹿息子の髪の毛でも使って魔法で子供を作っちゃうとか」
「お義母様、それ禁じ手です。バレたら没落どころじゃ済みませんよ。…お義父様。私は夫と離婚する気はありません。愛なのか、情なのか、意地なのか、憎しみなのか、恨みなのかもうわからないけれど。私にはあの人だけです」
私がそう言えば、お二人は悲しそうな顔をした。
「…子供が欲しいです。あの人と私の子が」
「…では、そうしよう」
こうして、私はやっと本当に夫の子を宿した。
「ローズ!元気な男の子が生まれましたよ!君は本当によく頑張りましたね!名前はなんと名付けましょうか」
「ナタナエルにします」
「ナタナエル…良い名前です。さすがローズ」
優しく髪を撫でられて、虚しくなる。結局彼の目に映るのは姉だけなのだ。でも、いい。この人との子供は、こんなにも可愛く愛おしいのだから。伯爵家の娘が、公爵家に嫁いで。こんなにも恵まれた何不自由ない生活も約束されて。だから、私は十分幸せだから、夫には甘い夢を見せてあげよう。
その後は、私の体調が整うまで夫は待ってくれてその後抱かれた。本当の本当に甘やかされて大事に抱かれた。夢の中みたいに幸せだった。結果、息子の下に女の子が五人もできた。男の子は最初に生まれた息子だけだけど、健康で優秀な子なので大丈夫そうだ。大事な跡取り息子として義父母にも大切にされているし、義父母はとにかく私を褒めてくれて幸せだ。もちろん女の子達も義父母に可愛がられている。
「ローズ、君のおかげで子供達にも恵まれて幸せです。ありがとう」
「旦那様のおかげですよ」
「今日も君の好きなルビーの指輪を買ってみたんです。着けているところを見せてくれますか?」
その時だった。
「父上、違いますよ」
「ナタナエル?どうしました?」
「母上の名前はローズではなくリリアーヌです。母上が好きなのはバラより百合で、母上が好むのはルビーよりダイヤモンドです」
ナタナエルが、夫の夢想を全否定した。
「な、ナタナエル…!ダメよ、それ以上言っちゃダメ!」
「…で、ではローズは?ローズはどこです?」
「父上。亡くなった方を愛するのはいい。でも、僕の大好きな母上を代替品にするのだけはやめてください」
「亡くなった…?あ、ああ、あぁああああああっ!!!」
あーあ。壊れてしまった。
「ナタナエル。どうするの?」
「どうするも何も、ここから離れた療養に適した別荘にお連れします。母上は、僕らと一緒にいてくださいますよね?」
「…ここまでさせてごめんなさいね。私達が貴方を傷つけたのよね。わかったわ。私は貴方達が全員成人するまでは屋敷に残ります。その間に貴方はお義父様から公爵家を継ぐため必要な知識を得なさい。その後は私も夫の側で療養を見守りますけど」
「もちろんです」
笑顔で夫から姉の夢想を全否定した息子を見て、私と夫の子だなぁ…としか思わない私は、やっぱりどこか壊れていたのかもしれない。
結果的に。息子のしたことは、多分正解だった。
息子は義父に直談判して壊れた夫を療養させ、自分は夫を飛び越して公爵位を継ぐため努力した。結果的にその努力は実り、成人してすぐに公爵位を継承した。領地経営までばっちりである。義父母は夫の件は悲しんだが、仕方がなかったと諦めて私達を責めなかった。そして、息子が成人するまで頑張ってくださった。今は隠居生活をエンジョイしている。いつまでも元気なお爺ちゃんお婆ちゃんである。
「ナタナエル、よく頑張りました。偉い偉い」
「母上に褒められるのは、いつだって嬉しいですね。でも成人してますので褒め方は考えてください」
「ふふ、はいはい。でも、私にとってはいつまでも可愛い子だわ」
「…母上には敵いませんね」
娘達も全員成人と共に良家に嫁ぎ、見たところ全員幸せそう。少なくとも私のような思いはしている様子がない。ほっとした。
「母上はもう、趣味の孤児院への慰問もされないのですか?」
「もう隠居するわ。貴方が公爵位を継いで、可愛い可愛いお嫁さんも来てくれて、孫の顔まで見られたもの。夫の側に行きたいの」
「父上は、そろそろ現実に戻って来れたでしょうか?」
「さあ?ただ、私は貴方達のおかげでだいぶメンタルも回復したから大丈夫よ。あの頃の私、やっぱりおかしかったのだわ。今の私ならまたローズと呼ばれても、夫の頬を引っ叩いて正気に戻せる」
「ふふ。母上がメンタル回復したおかげで妹達は愛情満点に育ち幸せに過ごしていますし、僕もそれなりに楽しい子供時代になりました。とはいえ子供時代も前半はまあ、この夫婦おかしいと引き気味でしたけど」
ぐさりと刺さる。子供に言わせることじゃない。
「その節は申し訳ございませんでした」
「表向き普通におしどり夫婦でしたし、妹達は何も知らないままでしたし、僕は僕で今幸せなので謝って頂かなくて結構です。そのかわり、僕がぶっ壊したあの人をよろしくお願いしますね?」
「もちろんよ」
ツケが長男に回ったのはとてもとても申し訳ないが、今や長男はお嫁さんとものすごく良好で既に跡取り息子や娘もいる。私に出来るのはもう、あの人を支えることくらい。
「じゃあ、荷物も纏めたし行ってくるわ!多分一生別荘で夫と暮らすと思うけど、たまに遊びにくるかもしれないから元気でね!」
「こちらもたまには妻や子供達を連れて、親孝行にも行きます。もちろん祖父母孝行もあるのでそんな頻繁には無理ですが」
「わかってるわ。またね!」
「はい。また」
手を小さく振ってくれる息子や、見送ってくれる可愛いお嫁さん、小さな孫達に手を大きく振って、夫の元へ。
「…リリアーヌ。来てくれたのですね」
「あら、正常になってる」
驚いたことに、久しぶりに会った夫は真人間に戻っていた。どうした?
「君に…子供達にも残酷なことをしました。君からの手紙で、子供達が全員幸せになってくれたと知れてよかった」
「そのうち長男も孫の顔を見せに来てくれますよ」
「それは楽しみだ。…リリアーヌ、本当にすみませんでした」
「別にもう構いません」
本当に、もういい。この人もここまで落ち着くまで、辛かっただろう。
「…リリアーヌ、僕は君と夫婦としてやり直したい。愛しているのはローズですが、君にも情があるのです」
「最低な言い回し…まあ、回りくどいよりいいですけど。とりあえず、手でも繋いで星でも見ます?」
「見ます。今夜早速やりましょう。とりあえず今は、一緒にアフタヌーンティーでもどうです?」
「いいですよ」
お互い色々、思うところはあるけれど。距離を置いたことで、冷静になれたのだろう。今はこんなに穏やかだ。また歪んでしまわないよう、今度こそ大事に大事に関係を築き直したい。




