第三話:五千年後の宇宙
暗く、複雑に入り組んだ道。
人が通ることなんて、最初から想定されていない自然の洞窟。
ゴツゴツとした岩肌に、あちこちから突き出した鋭い結晶の先端。
そんな竜結晶の洞窟の中を、私はその男と二人で進んでいた。
「こちらだ」
「言われずとも分かっています」
低い男の声に、私はついつい反発してしまった。
我ながら、子供じみてるとは思うけど。
先ほど、意図せずに弱みを見せてしまったこと。
その事実が腹立たしくて、思わず感情的になってしまう。
――いけない、自制しないと。
統一帝国が、私の知らない遥かな過去に滅んでいるとしても。
この身は金鱗を纏う王たる竜なのだから。
最低限、保つべき「格」というものがある。
もっと落ち着いて、冷静にならねば。
「…………」
「……? なにか?」
などと考えていたら、視線を感じた。
相変わらず、表情も何も分からない黒のフルフェイス。
軍人のヴィーザルは、傍を走る私の顔を見ているようだった。
観察されるような眼差しで、少し居心地も悪い。
一体、私の何を見て――。
「どうやら、もうしょぼくれてはいないようだな。
このまま子供のお守りになるんじゃないかと、少し心配していたが」
「余計なお世話ですっ!」
果たして、これほど無神経な物言いが許されて良いのか。
即座に沸騰しかけた頭を、何とか叫び返す程度のラインで抑え込む。
落ち着いて、私。ええ、落ち着きなさい私。
デリカシーのないゴリラ男の発言に、そんなムキになっても仕方ない。
どの道、この洞窟を出るまでの間柄。
竜の王族として、哀れな生き物に寛大な心を持つべきでしょう。
ええ、何を言われたところで私は怒ったりなどしませんとも。
「……ところで」
「はい?」
「肌は隠さなくても良いのか?」
……自己暗示をした直後だというのに、本当にこの男は。
五千年が過ぎても、人類種の文明は「品性」という言葉を学ばなかったのか。
まぁ、それは兎も角。
「いきなりなんですか。
そんなもの、鱗があるから平気でしょう?」
「……いや、それは平気と言って良いのか?」
「ドラゴンたる私に、人間が着るような脆い布切れを身に付けろと?」
まったく、これだから学びの乏しい田舎者は。
確かに、人型である《心臓実体》の時には幾らかの恥じらいはある。
だからこそ、大事な部分はしっかり鱗を纏っているのです。
式典とか、人類種が関わる際には専用の礼服を身に付ける事もありますが。
やっぱりドラゴンとしては、自分の鱗こそが一番。
……まぁ、この脳みそまで筋肉が詰まってそうな奴も、男ではありますから?
私の美しい五体を、眩しく感じてしまっても仕方のない事。
今の発言も、寛大な心で許して――。
「まぁ、それなら構わんが。
こっちとしては、子供の裸を見てるみたいで罪悪感が」
反射的に殴ってしまったのは、不幸な事故だと明言しておきます。
そう、事故です事故。
爪ではなく、固めた拳で済ませたんですから。
声を上げる暇もなく、ヴィーザルは勢い良く吹っ飛んでいく。
……装甲越しとはいえ、思わず顔面をフルスイングしてしまったけど。
あれ、生きてますかね。
「……ご無事で?」
「自分で殴って言う台詞じゃないだろ……っ」
割と会心の手応えだったけれど。
案外平気そうに、ヴィーザルはめり込んだ岩壁から立ち上がった。
恐らく、殴られる直前に上手く衝撃を逃がしたか。
本当に腹立たしいが、こと戦いにおいてこの男は達人だ。
さっき不覚を取ったのは、油断した上での結果と思っていたけど。
仮に万全に戦ったとしても、私は勝っていたかどうか。
今となっては無意味な仮定を考えていると――。
「……今の発言は、少し無神経すぎたな。
種族が違えど、淑女に向けるような言葉じゃなかった。
謝罪する、すまなかった」
「…………」
殴られた頭を軽く振って。
ヴィーザルは、少しバツが悪そうにしながらそう言って来た。
……まさか、素直に謝るなんて。
予想外過ぎて、私の方が驚いてしまった。
ま、まぁ、寛大な心を持つべきだと思ったばかりですし?
「ええ、謝罪を受け入れましょう。
ただし、二度は無いですからそのつもりで」
「分かっている。慈悲深い竜の心に感謝する」
ええ、ええ。存分に感謝すると良いでしょう。
ちょっと気分が良くて、意識せずに尻尾を軽く振ってしまった。
そんな具合で少しドタバタしてしまったけど。
私達は改めて移動を再開する。
……洞窟の中は、ひどく静かだ。
元よりここは死せるドラゴンの墓所。
死に等しい静寂だけが、薄い大気を満たしている。
寒さなんて感じないはずなのに。
肌が凍えるような錯覚が、私の心をじわじわと蝕む。
「どうした?」
「……いえ、なんでも」
「そうか」
強がるための言葉に、ヴィーザルは短く応じる。
もしかして、私の変化を察して気を使ってくれたのか、と。
その可能性に思い至ると、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまった。
……いけない、これはあまり良くない。
何だか微妙な空気が、私と彼の間を流れるのを感じる。
こういう、ちょっと湿った雰囲気は苦手だ。
だからちょっと無理やりでも、新しい話題を振ることにした。
丁度、ヴィーザルに聞きたいこともある。
「ねぇ。確か貴方は、帝国が崩壊して五千年って言ってましたよね」
「おおよそな。正確なところは分からん」
「それはまたどうして?」
「そもそも、何故帝国が崩壊したのか。その理由も定かじゃなくてな」
「??」
意味が分からず、私は首を傾げてしまった。
既知宙域に広がる十五の星系。
その全てを等しく同じ御旗の下に置いていた、偉大なる統一帝国。
それが滅び去ったというのに、その理由が分からない?
そんな事があり得るの?
「戦争だよ、お姫様。
帝国という支配を失った宇宙は、あっという間に無法地帯になったそうだ。
主に崩壊の巻き添えを回避した『色付き』連中のせいでな」
「……なるほど」
色付き、という単語の意味は分かる。
その言葉通り、鱗に特定の色を持つドラゴン達の総称だ。
この場合は王族である金や銀ではなく、それに次ぐ「三原色」の貴族階級を差す。
元より、ドラゴンは傲慢で凶暴なのが生来の性。
抑えつける蓋がなくなれば、さぞや好き勝手暴れたことでしょうね。
「同じ戦いが長々と続いてるワケじゃない。
ただ、帝国が滅んだ後の既知宙域は基本的に戦争ばかりだ。
戦う者も、戦う理由も場所も変えながらな。
今は大体五つぐらいの勢力に分かれての殴り合いだな」
「それが、五千年もの間?」
「その数字すら、『大体このぐらい』ってだけで正しいのか誰も知らんぐらいだ」
「…………」
ヴィーザルが語った事実に対し、私は何を言うべきか。
私の知る帝国は、少なくともそこまで大きな争いはなかった。
属するドラゴン達の諍いぐらいは、まぁしょっちゅうでしたけど。
……五千年。
言葉にすれば一言で、実際の年月としては途方もない。
長く生きるドラゴンの身でも、決して短くはない時間だ。
それだけあれば、余裕で成竜(アダルト)から老竜に成長できてしまう。
小さな惑星国家ぐらいなら単独で焼き払えるレベルだ。
五千年は、決して短くはない。
そんな時間を、誰も彼もが誰かとの争いに費やしたのか。
「愚かって、笑えば良いのかしら」
「お前の立場で言われると、なかなか反応に困るな」
「冗談です、真に受けられても困りますから」
真面目極まりない声に、私は肩を竦める。
愚か者の歴史と、そう言ってしまうのは簡単だ。
だけど私は、その流れについて何も知らない。
帝国が失われた理由さえ、何一つ覚えていないのだ。
簡単な言葉で済ませてしまえるほど、五千年は軽くはない。
……だから、そう。
「ヴィーザル、私は……」
今、この五千年先の宇宙の事を知りたいと。
そう言いかけた時。
「――ヴィーザル!」
私の知覚に引っ掛かるものがあった。
目には見えていないが、進行方向の先に「何か」がいる。
咄嗟に男の名を呼びながら、《加速》を体内で発動させる。
こちらが呼びかけるのとほぼ同時に、ヴィーザル自身も動いていた。
気付いた理由は勘か、それ以外なのかは分からないけど。
「チッ……!」
舌打ちをこぼすヴィーザルに、無数の熱線が襲い掛かった。
抜き放った剣と、身に纏った装甲。
それから割り込んだ私の身体が、その大半を弾き落とす。
……しまった。
「積極的に守るつもりはない」とか。
自分でそんなことを言ってたのに、咄嗟に庇ってしまった。
「悪い、助かった」
「い、いえ。このぐらいは別に」
素直に礼を言われるのは、悪い気はしない。
だから気にしないでおこう。ウン。
「……まさか、ドラゴンと行動を共にしているとは。
極星国でも随一の英雄と呼ばれた名が泣きますよ?」
聞こえて来たのは、酷く神経質そうな男の声。
見れば、熱線が飛んで来た辺りの空間が陽炎のように揺らめく。
光学迷彩。やっぱり、視覚的に消えて隠れていたか。
姿を現したのは、さっき洞窟の奥で見たのと同じような兵士達。
黒塗りの装甲服が十数人。
手には例外なく、光熱銃とかいう長銃が握られていた。
あんな玩具、どれだけ揃えても無駄だけど。
「誰だ?」
「誰だ、とはまたご挨拶ですね。ヴィーザル君」
訝しげに問うヴィーザルに、一人の装甲服の男が応える。
やっぱり全身をガッチリ固めていて、顔とかは見えないけれど。
装備の質とか、細かなデザインとか。
そういう部分は、他の兵士達とは少し違っていた。
「私はグンター、グンター・レギウス」
その男は、いちいち芝居がかった仕草で自らの名を明かす。
……このまま殴って良いのではないか、と。
ほんのちょっとだけ考えてしまった。
でも、流石に前口上ぐらいは聞いて上げるべきか。
攻撃して来た以上は敵だから、どうあれ殴り殺すのは間違いないし。
などと考えている内に、男――グンターは言葉を続ける。
「シリウス極星国、秘蹟回収部隊『ロンデルの過ち』の部隊長を務めております。
――さぁ、ヴィーザル君。君も私と同じ極星国の軍人。
大人しくこちらの命令に従うといい。
栄えある竜撃降下兵の君が、ドラゴンと行動を共にするなど。
そもそもおかしいとは思わないのかね?」
ねっとりと絡みつく、気色の悪い蛇みたいに。
グンターの声は、私の耳の奥へとダイレクトに不快感を与えて来た。