第二十二話:屍術師の脅威
……目的の場所は、思いの外すぐに辿り着いた。
少し前に来たばかりの、ブラックドラゴンの心臓があったはずの心室。
砕けた心臓の破片と、死せる竜結晶があるばかりだった空間。
そこは今や、屍術師が支配する冒涜的な儀式場へと変貌していた。
『――予想よりも随分と早い。
これは流石と賞賛するべきところかな?』
悍ましい、負の霊気が渦巻く中心。
奇怪な文字列が幾重にも刻まれた陣のど真ん中。
そこに、黒衣を纏った髑髏が佇んでいた。
外見も不気味だけれど、それ以上に放つ気配が尋常ではない。
ただ存在するだけで宇宙の法則を捻じ曲げる理不尽。
元々から「そうであった者」――例えばイヅナのような者とは根本的に異なる。
本来、自らがあるべき宇宙から自分の意思で「外れた」者。
それこそが屍術師。
最上級の不死者は、興味深げな視線を私に向ける。
完全に実験動物を見る眼差しだ。
ただ「見られた」というだけで、酷く不快感と嫌悪感が湧き上がってくる。
『ベロニカは――成る程、多少の足止めにしかならなかったか。
残念な話だが、予想の範疇ではある』
「……お前はそうなると分かっていて、部下を私にぶつけたのですか」
『無論、そこの彼女を信頼した上でのことだ。
どうしようもなく負ける事は、理屈の上では把握していたよ。
しかしベロニカほどの戦士なら、確率を覆して奇跡を起こすかもしれない。
それを期待していたのも事実だよ』
何の感情も見当たらない。
それこそ実験結果を淡々と読み上げるような口調。
暗いがらんどうの眼は、私の手元にあるベロニカの首を一瞬だけ掠めた。
掠めて――ただ、それだけだった。
最早牙の折れてしまった肉片など、僅かにも興味などないと言わんばかりに。
既に「終わったモノ」と、サタナキアは自分の部下を切り捨てていた。
……直接ボコボコにした私が、怒る義理はない。
怒る義理はないけれど、腹立たしく感じるのはどうしようもない。
ぶら下げていたベロニカの首が、微かに震えた。
「閣、下……っ、たす、け……!」
『いいや、もう無理だよベロニカ。
悲しいが、摂理を超越するには強靭な意志力が不可欠だ。
それを知っているからこそ、その姫君は君の心を徹底的に圧し折ったのだ』
「…………」
実際、その通りだから何も言うことはない。
サタナキアは規則正しく回る歯車のように、己の部下へ機械的に絶望を突き付ける。
『そこまで弱ってしまっては、二度と同じ高みには戻れない。
奈落に落ちたと表現しても良い。
故に諦めたまえよ、ベロニカ。
君との日々はかけがえのない過去として、この胸の奥に刻もうじゃないか』
……言ってる内容はご立派だけど。
語る言葉の中身は、どこまでも白々しい。
そもそも、サタナキアはもうベロニカを見ていなかった。
単に定められた常套句を諳んじているだけ。
恐らく、ベロニカ自身にもそれは伝わったのだろう。
指先に触れていた感触が消え去った。
ベロニカの首――首だったものは、もう完全に灰となっていた。
自分を助けてくれると、そう信じていた相手から切り捨てられてしまって。
どうしようもなく絶望したが故に、自らの存在を維持できなくなった。
不死であるはずの死霊騎士の、あまりに呆気ない最期だった。
『険しい顔をしているね、姫君。
出し物はお気に召さなかったかな?』
「ええ、それはもう。つまらない見世物過ぎて苦痛でしたね」
『心から謝罪しよう。
それと告白するなら、長い付き合いの部下が絶望して滅ぶ様はなかなか乙だった。
高位の不死者が死ぬ様など、そう滅多に見れるものではないからね。
実に昂ってしまったよ』
「反吐が出ますね、この糞野郎」
我ながら口汚いけど、言わずにはいられなかった。
そんな罵倒も、不死者の耳には冗句にでも聞こえたらしい。
髑髏をカタカタと鳴らして、サタナキアは笑っていた。
それは空虚で寒々しい、死人の哄笑だった。
『あぁ、なかなか笑わせて貰ったよ。
さて無駄話も良いが、いい加減に本題に入ろうじゃないか。
私としては、貴賓として貴女を迎えて――』
戯言など、これ以上聞きたくはない。
サタナキアが言い終わるより早く、私は全力で加速する。
足下に広がっている呪文式の陣だとか。
霧のように辺りを漂う大量の負の霊気だとか。
そんなものは、物理的に吹き飛ばして真っ直ぐに。
「砕けろ――!!」
怒りを咆哮に乗せて。
鋭く伸ばした爪の一撃は、佇む不死者へと叩き込まれる。
手応えは殆ど――いや、まったく無かった。
『乱暴だな。まぁ、それも致し方ない事か』
真正面から、全力を乗せた私の爪を受けたはずなのに。
サタナキアはまったくの無傷だった。
……いや、違う。
そもそもコイツには攻撃が当たっていないんだ!
「幻覚か!」
『臆病者でね、備えは万全にしておきたいタチなんだ』
言っている傍から、サタナキアの姿がぐにゃりと歪んだ。
撓み、曲がり、いつの間にか無数の髑髏が陽炎の如くに揺れている。
私の知覚は、そのどれもが本物のように感じ取っていた。
室内を満たす負の霊気のせいで、気配を探るのも難しい状態だ。
「《鏡像分身》。
小手先の業ではあるが、便利であることに違いはない』
嘲る声もまた、あちこちから重なって聞こえる。
視覚だけでなく、あらゆる感覚が惑わされてしまっていた。
「ッ……!?」
衝撃。
背中を焼かれる痛みに声が出そうになる。
見れば、周囲に展開した髑髏どもの手に黒い炎が揺れていた。
『生半可な攻撃では金鱗を貫けない。
それは魔法も同じであるし、当然理解している。
だが、これならばどうかな?』
言葉と共に、サタナキアは手のひらから問題の黒炎を放つ。
いや、それは炎なんかじゃない。
サタナキアが纏う負の霊気を凝縮したものだ。
強いマイナスのエネルギーは、あらゆる物質をボロボロに蝕む。
それはドラゴンの鱗すら例外ではない。
私の纏う金鱗だからこそ、ある程度は耐えることができるけど。
「この……っ!」
それでも、まともに受け続ければ厳しい。
傷口に負の霊気が残留すれば、再生も阻害されてしまう。
ドラゴンは間違っても不死ではない。
「ガッ――――!!」
『無駄だよ。ドラゴンの知覚でも、今の私は捉えられない』
咆哮と共に放つ《吐息》。
閃光が室内を薙ぎ払い、複数の髑髏を巻き込む。
けれど、やはり手応えはない。
鏡写しの髑髏の群れは、カタカタと骨の音で嘲笑う。
『君は金鱗、失われたはずの最古の竜の血統。
その力は凄まじく、その存在はこの宙域に二つとない。
だからこそ、私も必要以上に君を傷つけたいとは思っていない。
どれだけドラゴンが死ににくいと言っても、限度はあるだろう?』
「その卑しい口を閉じなさい……!」
こちらの攻撃は当たらない。
逆に屍術師の霊気弾は確実に私の身体を削る。
致命傷には遠い。
けど、塞げない傷が増えればそれだけ消耗は重なって行く。
腹立たしいけど強い……!
力押ししか能がなかったベロニカとは、やはり格が違う。
幻像を砕いてくも、サタナキアは次々と新たな幻像を増やしていく。
これではまったくキリがない。
『我らが偉大なる皇帝陛下が、私に君を捕らえるよう命ぜられた。
何を目的としているのか、それについては語って下さらなかったが。
しかし、ある程度の想像はつく』
「一体、何の話を……」
『この宇宙の話さ』
僅かに、ほんの僅かにだけど。
サタナキアの声が熱を帯びていくのを感じる。
高揚しているのか、この男は。
『合わせて十五の星系からなるこの既知宙域。
君も当然知っていることだろう。
それが現在、我々の認識できている宇宙の全てだ。
――あまりにも狭いと、そう考えた事はないかな?』
「…………」
『答えないのか、それとも答えたくないのか。
まぁどちらでも構わない。
この既知宙域の外側を、人は「空白の海」と呼んだ。
其処を目指した者は誰も帰らない。
既知宙域の外側にあるのは、完全な未踏領域だ』
知っている。
私も、「空白の海」に何があるかは知らない。
けれどその危険については良く知っている。
行けば戻れぬ不帰の宙。
故に統一帝国が隆盛を極めた時代から、「空白の海」の探索は禁じられていた。
どうやら、この時代でもそれは変わらないらしい。
『誰もがこの狭い宇宙で争う事を良しとした。
しかしただ一人、遠大なる野望を抱かれた方がいる。
それこそがシリウス皇帝陛下だ。
あの方が極星国という軍事国家を築いたのも、全て来るべき夢のため。
「空白の海」を、その極星の輝きの下に明らかにすること。
それこそが、我らの偉大なる使命に他ならない!』
サタナキアは高らかに己の理想を歌い上げる。
死体の分際で、随分と熱のこもった演説だ。
それで油断してくれれば良いのに、攻撃の手は緩む気配がない。
「それで、今の話が私に何の関係が?」
『ドラゴンの翼は、人の作る如何なる船よりも優れている。
特に金鱗を持つドラゴンともなれば、どんな星の海でも飛んでみせると聞く。
ハッキリとそう命ぜられたわけではない。
しかし皇帝陛下が、いずれ訪れる大事業のために君を必要としているのは明白だ』
なるほど、と。
そこまで聞いて、私は自分が狙われた理由にある程度の理解を得た。
サタナキアの言う通り、金鱗の翼は既知宙域のどんな場所であれ自由に飛べる。
そしてその気になれば――恐らく、その「外側」も。
試した事などないので絶対に、とは言いがたいけれど。
『――此方の望むところは、概ね分かって貰えただろう。
後は私個人としても、失われた金鱗について学術的な興味もある。
これ以上、手荒な真似をするのは本意ではない。
大人しく従って貰えるのなら、貴賓としての待遇を』
「お断りします。
というか、最初っからお前たちの言うことなんて聞く気はないですから」
まだ戯言を続けようとするサタナキアに、私はハッキリと宣言する。
饒舌だった髑髏の舌が、一瞬だけ動きを止めた。
『……状況を理解できているかね?
君は私には勝てないし、救援を期待しているのなら無駄なことだ。
外にいる冒険家たちの活躍は確かに目覚ましい。
或いは、誰かがこの場に辿り着く可能性もあるかもしれない。
だがそんなもの、私にとっては何の脅威でもない』
「ええ、それはその通りでしょうね」
サタナキアは強い。
少なくとも現状では、私でも勝利するのは難しい。
当然それも理解している。
それでも諦める気がない私に、サタナキアは怪訝そうな声を漏らす。
『そこまで分かっていて、何故』
「強い者に、弱い者は唯々諾々と従うだけ。
魔法使いの先生は、まぁ随分と単純な世界で生きているようですね」
不可解だと言わんばかりの屍術師に、私は笑って応えてやる。
どれだけ賢いかは知らないけど、こんな簡単なことも分からないなんて。
「私がお前に従わない理由なんて、一つだけですよ。
どれだけ合理的に考えたところで意味はありません」
『参考までに聞かせて貰っても?』
「ええ、勿論」
話している間にも、サタナキアは淀みなく動いている。
幻像は一秒ごとにその立ち位置を変えて、負の霊気は強さを増していく。
――従わないのなら、無理やりにでも屈服させる。
そんな敵意が心室の空気を満たす。
私は、それに対して敢えて何もしなかった。
耐える分には耐えられるし、此方から下手に動いても相手の思うツボだ。
だから。
「――お前の何もかもが気に入らない。
舐めるのも大概にしろと、そう言ってるんですよ空っぽ頭め」
『…………』
吐き捨ててやった本音に、髑髏は一瞬沈黙する。
それから嘆くような吐息を漏らして。
『どうやら、金鱗の血は私が思った以上に愚かであったらしい。
――であれば、こちらも礼儀を守る必要もないか』
「慇懃無礼って知ってますか?」
頭の良い馬鹿はこれだから困る。
睨みつける私に、サタナキアは仕掛けようとして――。
突然の轟音が、その動きを中断させた。
響いたのはすぐ近く、心室の壁が突然吹き飛んだのだ。
『何……!?』
「…………」
何が起こったのか、サタナキアはすぐには理解できなかったようだ。
けど、私には分かる。
分かっているから、思わず笑みをこぼして。
「随分と遅い到着ですね」
「あぁ、悪いな。ちょっと道が混んでたんだ」
壁を無理やりぶち抜いて来た相手。
ボロボロで傷だらけの恰好に、剣だけを携えた男。
ヴィーザルに、私は安堵の笑みを向けた。




