第二話:敗北と契約
加速は激しく、私の足は地面を踏み砕く。
ドラゴンとしての最高速度を考えたら、欠伸が出るぐらいには遅い。
けど、ここは広大な宙ではなく洞窟の奥底。
広さはそれなりだけど、翼を開くには狭すぎる。
だから私は《加速》を重ね、両足で出せる一番の速度を実現する。
男の動きは、倍化した知覚の中では酷く緩やかで。
いっそ哀れなぐらいに遅い。
「死ね――!!」
加減はしない。
指の先を変化させ、引き裂くための爪を伸ばす。
男は剣を構え、その場で重心を低くする。
迎え撃つ気だとしたら、哀れ過ぎて言葉も出ない。
仮に剣で爪を受けるつもりなら、人間の非力さを思い知らせよう。
万が一でも避けられたとしても、速度は文字通りの天と地の差。
どう足掻こうとも結果は変わらない。
だから私は、躊躇うことなく頭上から爪を振り下ろし――。
「えっ?」
視界が回った。
何が起こったのか。
私は確かに、それを見ていた。
頭から断ち割るつもりで叩き込んだ、爪の一撃。
男は、それに対してほんの少しだけ後ろに下がった。
下がりながら、構えた剣を鋭く振り抜く。
その切っ先は、私の爪を斜め上辺りから叩いた。
私の力と、男が剣に込めた力。
その二つが爪の先端に重なって、そのままバランスを崩しかける。
当然の流れとして、私は足で踏ん張ろうとした。
意識せず、殆ど反射的に。
その軸足を、男の剣が素早く払ってきた。
そうなればもう、抗う手段はなかった。
《加速》で速度が乗り過ぎたのも、逆に仇となってしまう。
「ぎっ……!?」
背中を打つ衝撃。
ダメージはないけれど、思わず息が詰まる。
そのせいで、私はほんの一瞬だけ動きを止めてしまった。
《加速》した知覚の中で、男の緩やかな動きだけが止まらない。
剣の一突きが、真っ直ぐ私目掛けて落ちてくる。
「っ、ぁ……!?」
「…………」
男は口を閉ざしたまま。
戦意を高揚させる叫びも上げず、淡々と私の胸に刃を突き立てた。
竜体でなくとも、私の身体は金鱗に守られている。
エネルギーの大半を遮断し、この世の何よりも強靭であるはずの鱗。
それを男の剣は容易く斬り裂いていた。
間近で見て初めて、それが単なる金属の棒じゃないと気付く。
煌めく星明りを宿した刀身。
間違いなく、星辰合金製の剣。
ドラゴンの鱗すら切断する、人が星屑から鍛えた稀少な鋼。
――油断した!
まさか、そんなモノを持ってたなんて……!
後悔は、今さらしたところで手遅れだった。
足掻こうにも、手足に力が入らない。
男の剣は、驚くほど正確に私の急所を貫いていた。
「――俺に、お前を殺す手段はない」
無機質なフルフェイスの兜。
表情のない装甲の向こうから、低い男の声が響いて来た。
年齢は、良く分からない。
若いようにも、それなりに年月を重ねたようにも聞こえる。
「竜体になったドラゴンであれば、急所は心臓以外にない。
しかし、今のお前は竜体ではなく人型だ。
つまりは本体――心臓が人型の実体を取ってる状態のはずだ」
「…………」
意図が分からない男の言葉を、私は黙って聞くしかない。
男の言う通り、今の私は《心臓実体》。
人間に近い形は、そういう形態に化けているというわけではない。
ドラゴンの魂は心臓に宿る。
故にドラゴンは、心臓を人に近い形態に変えて活動することができる。
この身に竜体を纏うことで、ドラゴンは最強の戦闘生物となる。
つまり、逆を言えば――。
「《心臓実体》は、竜体に比べれば戦闘力は落ちる。
しかし、永久機関たる竜の心臓が生み出す莫大な力を生命維持に割り振れる。
故に多少の傷――どころか、致命傷すら瞬く間に治癒してしまう」
「……随分とまぁ、詳しいのですね?」
「専門家だからな」
冗談でも皮肉でもなく、至極真面目な声だった。
話している間も、隙は欠片も見当たらない。
そもそも手足が萎えてしまっていて、まともに抵抗するのは不可能に近い。
「今の俺に、《心臓実体》であるお前を殺す手段はない。
だがこの剣は、お前の内燃機関の要を捉えている」
「…………」
「殺せないが、このまま動きを封じることはできる。
ここまでは理解したか?」
「前置きが長くありませんか?」
「物分かりが悪そうだったからな。
こうして言って聞かせるのは必要な工程と判断した」
「手足が動くなら、すぐにでもその頭を握り潰してやるのに……」
本当に腹立たしい。
男の言う通り、剣は体内にある内燃機関の隙間を的確に貫いている。
ここを抑えられては、まともに力が入らない。
完全に動きを封じられた。
事実は事実として認めるしかない。
その上で……。
「それで、この状況で貴方はどうするつもりで?」
「俺が要求するのは一つだけだ」
要求、と。
男はハッキリと口にした。
一体、何を言い出すつもりなのかと。
「負けを認めるか?」
「……はい?」
身構えた直後に、この一言。
理解が追いつかない私に、男は淡々と。
「負けを認めるか、ドラゴン」
同じ言葉を繰り返した。
……これは、降伏勧告と取れば良いのかしら。
二度以上は言うつもりもないらしく。
男は再び黙るけど、剣を持つ手は緩めない。
……本当に。
本当に、心底癪ではあるけれど。
この状況は、どう見ても私の負けだろう。
人間相手に手も足も出なくなってしまっている。
屈辱としか言いようがない。
「……分かりました」
「何がだ?」
「認めます」
「だから、何がだ」
「負けを認めると言ってるんですよ!」
「そうか」
腹が立つ……!
怒りに任せて暴れたい衝動が胸を焼く。
けれど、物理的に不可能だし、何より私は敗者の身。
ここで醜く足掻くのは、あまりに美しくない。
そんな無様を晒すことだけは、決して許せなかった。
「…………」
「……なに?」
「いや」
表情を隠す黒い装甲。
その隙間から感じる、私を観察するような視線。
思わず抗議の声を上げると、男は小さく首を横に振った。
そうしてから、男は呆気なく私の身体から剣を引き抜いた。
本当にあっさりと。
こっちが驚いてしまうぐらいに。
「頼みがある」
「え――はっ? た、頼み?」
「あぁ、協力してくれ」
戸惑う私のことなんてまるで気にせずに。
男は言いたいことだけを一方的に口にしてくる。
胸に刻まれた傷は、刃さえ抜ければすぐに塞がった。
少し熱を持った肌を指先で触れて確認する。
ゆっくりと身を起こしても、男は剣を構えることはしなかった。
警戒を解いている……という、わけではない。
ただ、私が襲って来ないのは確信してる様子だった。
「協力って……具体的に、何を?」
「つい先ほど、お前が薙ぎ払った連中。
コイツらは先遣隊だ。恐らく、まだ本隊が控えている」
「それが?」
「……俺はコイツらとは、現状では敵対関係だ。
総数も不明な相手に、一人で渡り合えるなんて自惚れてはいない」
「だから、私に協力して欲しいと?」
「あぁ。気に入らなければ、この洞窟の外に出るまででも構わない」
「…………」
男の言葉に、私はちょっとだけ考え込んだ。
……気に入らない、と言えば、気に入らないのは間違いない。
ただ、それは不覚を取った私自身に対するモノ。
この男の生き死に自体は、正直どうだっていいと思っている。
いえ、男の物言いとかは思うことが無いではないですけど。
思考に費やした時間は十秒ほど。
私はわざとらしいぐらいに、大きく息を吐き出してみせた。
「……分かりました、協力しましょう」
「そうか。感謝する」
「ただ、幾つか条件があります」
「聞こう」
突っぱねられるかとも思ったけど。
存外素直に、男は私の言葉に頷いてみせた。
ずっとそういう態度なら、こっちもイライラしなくて済みそうなのに。
「戦力として同行するのは構いません。
道を阻む敵がいるなら、この爪で微塵に粉砕しましょう。
ただ、私の役目は戦う事であって貴方を積極的に守る事じゃない。
そこは宜しい?」
「問題ない。他は?」
「……これは、あくまで私の事情ですから。
最悪、断ってくれて構いませんけど」
そう前置きした上で。
私は、私自身の現状について男に伝えた。
休眠していた前後の記憶が曖昧であること。
だから、私が眠って今はどれぐらいが経過したのか。
他に何か知っていることがあれば、教えて欲しい――と。
「…………」
掻い摘んで伝えた結果、何故か男は難しい顔をしたようだった。
フルフェイスで見えないから、雰囲気でそう感じる。
そんなに問題があることを言ったつもりはないのだけど……。
「……何年だ?」
「はい?」
「休眠に入った時が曖昧でも、目覚めていた頃の星歴ぐらいは分かるだろう」
「そもそも、星歴とは何ですか。統一歴ではなく?」
偉大なる竜の帝国が、この既知宙域を統一した証。
その暦であれば――あれ、眠る前は統一歴何年でしたっけ……?
私が首を傾げていると、男は自分の頭を軽く叩いた。
「クソっ、ボケてたのか俺は。
金鱗だぞ、この時代じゃあり得んだろ」
「? 待って、何の話を……」
「五千年だ」
「え?」
何の脈絡もなく飛び出した、「五千年」という単語。
そのどこか不吉な響きに、私は冷たいものを感じてしまう。
どうして、今の話の流れで、そんな言葉が……。
私の表情に滲んだ不安を察した上で。
男は、噛んで含めるように言葉を続けた。
「統一帝国が崩壊したのは、今からおよそ五千年前と言われてる。
この宙を支配していた巨大な竜の帝国。
色付きの鱗を持つ古老どもですら、もう正確には覚えちゃいないだろう。
……ついでに言えば、その時に金鱗の竜は滅びているはずだ」
崩壊。滅びている?
言われた言葉の意味が、まるで分からない。
それなら――それならば、私は、どうして……?
思考が纏まらず、思わず茫然としてしまう。
「……チッ」
そんな私を見ながら、男は装甲の下で小さく舌打ちをした。
ぐいっと、強い力が私の手を引く。
いつの間にか、男は腕を伸ばして私の手を掴んでいた。
「長話が過ぎた。さっきも言った通り、敵の本隊がまだいる。
袋小路で囲まれるのだけは避けたい。
……協力すると、お前は言った。
俺も、お前の出した条件に文句はない。
聞きたいことがあるなら、俺が答えられる範囲で答える。
それで構わんな?」
強く、私の心に言い聞かせるような言葉だった。
……まだ、とても落ち着いたとは言えない状態だけど。
いえ、だからこそ。
気付けば、私は男の強い言葉に頷いていた。
それを見て、男の方も小さく頷き返し。
「ヴィーザル、軍人だ。短い付き合いかもしれんが、宜しく頼む」
改めて、自らの名前を口にした。