第十五話:逆鱗
――逆鱗とは、通常はドラゴンの「急所」とされている箇所。
今の時代での認識は分からないけど。
ドラゴンの竜体を仕留めるには、永久機関である心臓を破壊するしかない。
けれど強固な鱗と強靭な肉体を持つドラゴン相手に、それは決して容易な事じゃない。
そこで「狙うべき急所」とされるのが逆鱗だ。
これは竜体の心臓部分と繋がる形で存在している空間。
位置はドラゴンごとに異なるけど、心臓と接続しているのは共通している。
逆鱗も竜体の一部である以上、鱗に覆われてはいる。
それでも、分厚い肉まで貫いて心臓を狙うよりかは効率が良い。
何せ鱗さえ抜く事ができれば、無防備な心臓を直接破壊できるのだから。
……もちろん、その事実をドラゴンもまた認識している。
だからドラゴンの社会では、竜体の逆鱗について触れるのは禁忌とされた。
「竜の逆鱗を探る」なんて言葉もあるぐらいだ。
「逆鱗、って言うと……」
「ドラゴンの心臓部に接続した空間だな。
竜体の急所とされている」
首を捻るキャンディに、ヴィーザルは簡潔に説明する。
やっぱり、その辺りの認識は今も昔も変わらないらしい。
「行きましょう。
恐らく中はまだ生きてますから、注意してください」
「生きてる、と来たか。一体どうなってんだ?」
恐らく、こんな場所があるなんて想像すらしなかったのだろう。
困惑するクロームの声と表情には、ほんの少しの畏怖も含まれていた。
他の三人を先導する意味で、私が最初に開いた床の穴へと身を躍らせた。
一瞬だけの浮遊感。
すぐに両足で着地して、広がる空間に目を向けた。
――大きくは、さっきの心室と変わらない。
灰褐色の床と壁に、幾つも突き出した紫色の竜結晶。
それらはまるで、折れた柱みたいに規則正しく並び立っていた。
そして、その中心で脈打つのは……。
「……これは、心臓か?」
呟くヴィーザルに声は、驚愕のあまり僅かに震えていた。
視線の先にあるのは、この空間の三割近くを占有する大きな物質。
見た目は赤黒く、僅かに床から浮かび上がった結晶体。
暗闇のはずの内部は、それが脈打つ光で照らし出されていた。
心臓――そう、これは竜の心臓だ。
このブラックドラゴンを、生と死の境で繋ぎ止めている原因。
キャンディとクロームも絶句し、ただ驚きに満ちた目でそれを見ていた。
私は早速、その心臓に近付こうとして。
「っ、おい。アルヴェン!」
「勿論、分かっています」
警告を発したヴィーザルに、私は足を止めて頷く。
心臓を取り囲む、紫色の竜結晶。
私が接近するののに合わせて、それらが強い輝きを放つ。
結晶から湧き出るように生成されるのは、翼を持たない亜竜の群れ。
体格はワイバーンより小振りだけど、それでも平均的な人類種よりは大きい。
四肢には鋭い爪が並び、牙をガチガチと打ち鳴らす。
侵入者を排除するという敵意だけが、虚ろな眼窩に赤黒い炎を燃え上がらせる。
「蹴散らします。アレを――あの心臓を破壊すれば、それで終わりですから」
「了解した」
疑問は口にせず、ヴィーザルは即座に剣を構えた。
クロームとキャンディも、それぞれ戦闘に備えて動き出す。
「とりあえず戦えばいいのよね!?」
「まったく、出来れば事前に説明して欲しかったわい……!」
キャンディは笑いながらステップを踏み、クロームは背負った大筒を構える。
間を置かず、亜竜達は耳障りな声を上げた。
それは最早本能ですらない。
狂乱した状態で、侵入者である私たち目掛けて亜竜の群れが飛び掛かる。
一匹一匹は、ハッキリ言って雑魚の部類だ。
それでもこの数と、発狂じみた暴走は極めて脅威だ。
凄まじい圧力を伴う大暴走。
それに対して――。
「はぁッ!!」
ヴィーザルは一歩も退かなかった。
いや退くどころか、自分から敢えて前へと踏み込む。
大上段に構えたダマスカスの剣。
凄まじい速度で振り抜かれた刃は、亜竜の首をあっさりと斬り飛ばす。
しかも一匹ではなく、三匹纏めてだ。
「無茶苦茶やりおるなぁ!」
呆れ混じりの声でクロームは笑っていた。
鋭い一刀に切り裂かれる形で、亜竜の群れに一瞬隙間が生じる。
直後には閉じてしまう程度の僅かな間隙。
そこを狙いすまして、放たれた榴弾が鮮やかに滑り込んだ。
爆発と、撒き散らされる衝撃。
群れの中心で炸裂した破壊力は、無駄なく亜竜たちを吹き飛ばす。
ただ、ヴィーザルは爆心地との距離が少し近い。
私は平気だけど、彼は巻き込まれてしまうのでは――と。
そう思った直後。
「今のはちょっと危なくない??」
文句をつけながら、キャンディが魔法を行使していた。
ヴィーザルを含めた全員の身体に、微かに光る膜のような物が覆う。
恐らくは防御魔法。
呪文はなく、簡単な動作だけで発動したようだ。
纏った力場の膜は、榴弾による爆発の余波を完全に防いでいた。
「今のタイミングなら十分に間に合うじゃろ。
実際に間に合ったしな」
「やるなら言ってくださーい。
呪文の短縮は結構疲れるんだからね!」
「とりあえず、助かった」
二人の会話に短く礼を挟み、ヴィーザルは動き出す。
と言っても、彼のやることは大きくは変わらない。
ただ前に出て、剣を振るって敵を薙ぎ払う。
それだけ。ただそれだけの事を、彼は誰よりも完璧に実践する。
私の方も、眺めてばかりではいられない。
切り込む彼に続く形で、私も亜竜の群れへと挑む。
「邪魔――!!」
鋭く叫び、両手の指先から爪を伸ばす。
一つ、二つと、片っ端から鱗と血肉を引き裂いて投げ捨てる。
ヴィーザルも負けじと剣を振るい、亜竜の首や四肢を次々ともぎ取って行く。
「アレ、もう任せて大丈夫じゃない?」
「馬鹿言っとらんで、寄って来る奴を叩かんと死ぬぞ!」
気楽に笑うキャンディと、長銃に得物を取り替えるクローム。
流石に私とヴィーザルの二人だけで、全ての亜竜を叩くのは難しい。
取りこぼして向かって来る分は、クロームたちが的確に削ってくれている。
これなら、こっちは心臓狙いに専念してもよさそうだ。
「《吐息》はやはりダメか」
「アレも竜体の一部ですから、《吐息》は効果が薄いかと」
「だったら、直接砕くしかないか」
あと少しで届く距離。
《吐息》による砲撃で片付いたら楽だったけど。
亜竜たちの抵抗も必死で、そう簡単には前へと進めない。
絶対に近付かせてなるものかという、強烈過ぎる敵意と憤怒。
……もう、ロクに自我も残っていないでしょうに。
微かな憐憫を抱く私とは逆に、傍らで戦う彼は冷静に口を開いた。
「フォロー頼めるか?」
「どうすれば?」
「少し周りを静かにしてくれ」
「それならお安い御用です」
何をするつもりかは聞かない。
私のするべき事が明確であれば、それで十分。
ヴィーザルが足を止めるのと同時に、私は思い切り床を蹴った。
《加速》を発動。
並列して、四肢を強化する《巨人の力》。
爪に加えて尾も最大限に伸ばし、亜竜の群れへと突撃する。
視界内の動きは全て緩やかで、その中で私だけが加速していた。
「ふっ――!!」
息を鋭く吐き出して、爪と尾を同時に振り回す。
私のことを見えてすらいない亜竜たち。
当然のように抵抗の余地などなく、束で纏めて薙ぎ払う。
心臓を守る亜竜の数はまだ多い。
けれどこの瞬間だけは、ヴィーザルの周りに敵の姿は消えていた。
「さぁ、これで注文通りでしょう!」
「あぁ、良くやった!!」
力を込めた雄叫び。
足を止めていたヴィーザルは、その場で大きく振り被る。
手にした剣を、そのまま何の躊躇いもなく。
「砕けろ――!!」
投げ放った。
凄まじい速度と力。
刃は亜竜の頭上を貫いて、真っ直ぐに赤く脈打つ心臓へと。
竜結晶と大差のない強度を持つその塊に、星の剣が突き刺さった。
表面に大きく罅が入るが――まだ、砕けない。
けれど心臓に受けたダメージは、そのまま亜竜の群れにも影響する。
「! 動きが止まった……!?」
キャンディの言葉が示す通り。
周りに犇めく亜竜たちの動きが、一瞬凍り付く。
その一瞬で決着を付けるため、私は宙を駆けた。
翼を広げ、先ほどの剣が描いた軌跡をなぞるように。
躊躇いはなかった。
「――せめて、安らかに」
突き刺さった剣の柄に、私は蹴りを叩き込んだ。
殆ど全力の一撃を容赦なく。
半ばまで潜り込んでいた刃は、更に根元近くまで深々と突き刺さる。
表面に走っていた罅はより深く広がり――そして。
「――――」
砕けた。
強固であるはずの結晶は、脆い硝子のようにバラバラに散る。
それと殆ど同時に、亜竜の群れも灰となって崩れ去った。
……決着は、実に静かなもので。
断末魔の声もなく、ただ「死」という結果だけがそこにあった。
砕け散った欠片の上に、私は降り立つ。
そこにはもう何もない。
ブラックドラゴンが、かろうじて繋ぎ止めていた命脈。
私はそれを、完全に断ち切ったのだ。
「……終わったのか?」
「ええ、間違いなく」
背後から掛けられた問いかけに、私は感情を抑えた声で応じる。
そうしてから、足下に落ちていた剣を拾いあげた。
「助かりました」
「お互い、自分の仕事を果たしたまでだ。違うか?」
「……ええ、その通りですね」
剣を返すと、ヴィーザルはそれを素早く鞘に納めた。
言葉を交わしながら、彼の視線もまた砕けた心臓の破片を見ていた。
ほんの少しだけ、考え込むような仕草をして。
「……一つ、聞いて良いか?」
「何ですか?」
「これは、本当に心臓だったのか?」
「…………」
永久機関である、ドラゴンの心臓。
それが二つ――しかも、逆鱗の箇所にあるなんて。
恐らく、ヴィーザルの持つ知識ではそれはあり得ないのだろう。
ドラゴンである私は知っている。
知っていて……けど、それは軽々しく口にできる話ではなかった。
「間違いなく、心臓ですよ。
ドラゴンにとって、二つとない。
……死ぬだけの血肉を、無理やり生かし続けて。
それでも守りたかった、大事な心臓です」
「……そうか」
それ以上、彼も追及はして来なかった。
気遣われている。
肌で感じながら、私は暫し口を閉ざした。
少し遠くで、勝利に沸き上がるキャンディの声が聞こえる。
「……竜騎士」
「うん?」
「聞いた事は?」
「……いや、初めて聞くな」
やはり、この時代ではもう失伝してしまった知識らしい。
竜騎士――それは竜である私にとって、これ以上なく神聖な言葉。
その真実の意味を知る者は、果たしてどれだけいるだろう。
「どういう意味の言葉なんだ?」
「……いえ、どうか忘れて下さい。
軽々に口にして良い事ではありませんでした。
何より、今の私たちには関係のない言葉ですから」
「……そうか」
それが今、私に答える事のできる最大限の言葉だった。
ヴィーザルは何も言わなかった。
何も言わず、心臓の破片へと僅かに祈るような仕草をしてみせた。