第十三話:遭遇戦
そして再び、私は灰色の大地を進んでいた。
ただし、最初と違って徒歩ではない。
静かな世界に重低音を響かせて、黒い機体が滑るように灰の上を走る。
船と呼ぶには小さく、けれど私たち四人を乗せるには十分なサイズの飛行機械。
翼を使わず風を切るのも、なかなかに心地が良い。
「これで灰が降ってなければ最高なんだけどね」
私の気持ちを代弁するように。
機体の先端で操縦桿を握るキャンディが呟いた。
向かう先は、灰の中に横たわる黒い山脈。
生きることも死ぬこともできず、数千年を過ごし続けたブラックドラゴン。
この星を灰で覆い尽くしてしまった根源。
「今からその灰を止めるのが、ワシらの仕事だろうよ」
「だねー。もしホントに達成できたら随分な偉業じゃない?」
黙々と武装の手入れをするクローム。
キャンディは変らず楽しそうに笑っていた。
ヴィーザルの方は、私の隣で注意深く周囲の様子を眺めている。
「何か見えますか?」
「灰ばかりだな。そちらは?」
「少なくとも、近くに動くものはありませんね」
「今はまだな」
一度手を止めて、クロームは顔を上げた。
「この灰塗れの星で、まともに生きてる動物はおらん。
が、ブラックドラゴンの傍は別だ。
あの辺りは小型のワイバーンが度々飛び回っておる」
「それはドラゴンの持つ防衛機能が、まだ生きてる証ですね。
予想した通り、あのブラックドラゴンはまだ死に切っていない」
ワイバーン、それはいわゆる亜竜と呼ばれるドラゴンの下位種族。
その実体はドラゴンの竜体から生成可能な疑似生命体だ。
特に巨大な竜体を持つブラックドラゴンは、亜竜の生体工場としての機能を持つ。
今もワイバーンを生み出しているなら、ブラックドラゴンは臨戦状態にあるのだろう。
……死を夢見ながら、その魂はまだ戦場の中に残されたままなのか。
そう考えると、ほんの少しだけ胸の奥が締め付けられる。
「じゃ、念の為もう一度やれることの確認しとこうか?」
操縦を継続しながら、キャンディがそう声を掛けて来た。
一応、その辺りは出発前にも確認していたけど。
「この面子で組むのは初じゃからな。
動きの把握はキチンとしておくべきだろう」
「異論はない。
まぁ、俺とアルヴェンはそう難しい事はやれないが」
「アハハハハ、アタシとクロームも似たようなもんさ。
役割分担は大事だねぇ」
愉快そうに笑って、キャンディは片手をひらりと振ってみせた。
「アタシは見ての通り、普段はチームの足がメインだね。
護身程度には白兵戦と、後はエルフだから魔法はちょっと使えるよ」
「ワシは銃火器と、後は機械の扱いには心得がある。
まぁ今回は、後者に関しちゃいらんだろうがな」
うん、やっぱり事前に確認した通り。
キャンディの主な役割は「運び屋」で、クロームは「機械技師」らしい。
魔法や銃器の心得もあるので、戦力としても決して低くはないとか。
「俺もアルヴェンも、大体は殴るのが専門だ。
前に出るのはこっちに任せてくれれば問題ないはずだ。
後はアルヴェンは勘が鋭い。
俺も斥候の真似事ぐらいなら出来るな」
「ええ、はい。頑張りますよ?」
こちらもまた、事前に確認した時と同じだ。
大体のことはヴィーザルが説明したので、私は余計な事だけは言わないように。
最初から詮索無用という話だからか、キャンディたちは深く突っ込んでは来なかった。
まぁ、多くは説明できずとも能力は実戦で証明すれば良い。
それで概ね問題はないはずだ。
「おしおし、じゃあ予定通り前衛はそっち二人。
後方支援はアタシら二人の仕事で良いね」
「何事もなく片付くのが一番だが、まぁ無理じゃろうなぁ」
一通りの手入れを終えて、クロームはその手に大筒を構える。
光学兵器ではなく、かなりの年季が入った携行サイズの榴弾砲。
私の知る時代ですら骨董品に近い代物だ。
しかしクロームの持つ得物は、古びてはいても手入れが行き届いている。
彼にとって愛用の品であるのは間違いなかった。
「ヴィーザル、お前さんは銃は使わんのか?」
「あぁ、弾切れが苦手なんだ。
得物は必要なだけ持ち歩いてる、だから問題はない」
「私も、装備に関しては大丈夫です」
ヴィーザルが用意してくれたポーチやリュック以外、ほぼ無手だけど。
後は戦闘に入った場合、どれぐらい私の手札を晒して良いか。
ちょっと、事前にちゃんと相談できてなかった気がする。
折を見てヴィーザルに聞いてみるべきか――と。
「――ん」
私の知覚範囲に引っ掛かるモノ。
高速で飛びながら翼を広げるソレが何か、考えるまでもなかった。
少し遅れて、ヴィーザルの方も察知したようで。
「ヴィーザル」
「あぁ、噂をすればだな」
「もしかして、早速来た感じー?」
バサリと。
灰の中で羽搏く音が、私たち全員の耳に届いた。
『GYAAAAAAAッ!!』
キャンディが上げた声に応えるように、甲高い鳴き声が響く。
見上げれば、灰の空を遮る黒い翼影。
先端に棘の生えた尾を揺らし、両腕の翼を広げる大型の爬虫類。
それは間違いなく、黒い鱗を纏ったワイバーンだった。
見た限り、数は全部で合わせて五匹。
一つの例外もなく敵意剥き出しで、煮え滾る溶岩にも似た眼差しをぶつけて来た。
「おいキャンディ! 目的地まであとどのぐらいじゃ!」
「まーだちょっと遠いなぁ!
アタシは運転忙しいから、そっちの相手は任せた!」
「おい、来るぞ。備えろ」
『GYAAAAAA――――ッ!!』
言葉を交わす三人と、そこに割り込むワイバーンの咆哮。
牽制とばかりに、先ず二匹がその口から炎の塊を吐き出した。
ドラゴンの《吐息》と比べれば、格段に威力は落ちる。
それでも機体に直撃すれば一発で大破しかねない。
私の方で防ぐべきかと、考えた矢先。
「よいしゃぁ!!」
不可思議なかけ声と共に、キャンディが操縦桿を大きく操る。
機体が描くのは、緩急を付けた複雑な軌道。
さながらダンスでも踊るように、飛行機械はワイバーンの炎弾を回避する。
『GYAAAAAAA!!』
けれど、避けた瞬間をワイバーンの群れは狙い撃つ。
回避運動でこっちの自由が利かない一瞬、他のワイバーンも一斉に炎弾を放った。
ワイバーンどもの知能は決して高くはない。
だけど、刻まれた戦闘の本能は決して侮れない代物だ。
避けるのは困難なタイミングで、襲い掛かる複数の炎弾。
その隙をカバーしたのはクロームだった。
「狙いが見え見えじゃわい!」
構えた大筒が、凄まじい轟音を響かせる。
弧を描く榴弾の弾道は、精密に計算されたある種の芸術だった。
吸い込まれるように、炎弾の中心に弾が飛び込む。
爆発と、炸裂する衝撃。
ただ一撃だけ撃ち込まれた榴弾が、ワイバーンの炎を纏めて吹き散らした。
熱風を全身に浴びて、私は少しだけ目を細める。
「ハハハッ! 流石だねクローム!」
「前見とけよキャンディ!
しかし、いきなり五匹は流石に多すぎじゃろがい……!」
「普段はもっと少ないのですか?」
「多くても二匹か三匹程度じゃな!」
その原因は――やっぱり、私だろうか。
金鱗の存在が、まだ稼働しているブラックドラゴンの防衛本能を刺激したのかも。
なんにせよ、推測は推測に過ぎないのだから。
今は目の前の事態に対処しなければ。
「……確かワイバーンは、一度火を吹いたら次弾の装填には時間がかかるらしいな」
「流石、詳しいですね」
確認めいたヴィーザルの言葉に、私は笑って頷いた。
炎弾が外れ、ブラックドラゴンの身体に私たちが到達するまであと少し。
ならば、ワイバーンが次に行うのは――。
『GYAAAAAA――――!!』
耳障りな咆哮が、幾つもその場で重なった。
足に備わった鋭い爪と、毒に濡れた尻尾の棘。
外敵を直接排除するために、ワイバーンの群れは急降下で向かって来る。
飛行機械は決して遅くないけど、それ以上にワイバーンの方が速い。
だけど。
「好都合だな」
あちらから、わざわざこっちの間合いに飛び込んで来てくれた。
動き出したヴィーザルの速度は、ワイバーンの加速すら容易く上回る。
抜き放たれたのはダマスカスの刃。
最初の一匹目は尾を断ち斬り、頭の上から落ちてくる爪も切り飛ばす。
続いて、彼は迷い無く跳躍する。
そしてそのまま、ワイバーンの身体を踏み台に駆け上がった。
一体、何が起こったのか。
首を断たれた方は、きっと認識すらできなかったろう。
――で、もちろん。
私もただ黙って見てるだけじゃない。
「……貴方たちに、何も思うことはないけど」
私のそれは、跳躍というよりも飛翔。
翼なしに宙を飛んで、そのまま一匹のワイバーンへと肉迫する。
抵抗の一切を許さない。
目立たない程度に伸ばした爪でも、亜竜の鱗を裂くぐらいは簡単だ。
尾を引き裂き、翼を千切り取ればそれで終わりだ。
「邪魔をするなら蹴散らす。それだけの事です」
『GYAAAAAA――――ッ!?』
私とヴィーザルの二人で、一瞬で二匹のワイバーンが屠られた。
恐怖が混じる咆哮を上げた個体に、私は素早く蹴りを打ち込んだ。
頭骨を砕く感触を爪先に感じる……けど。
そこは腐っても亜竜、豊富な生命力はその程度では即死しない。
トドメのために追撃を仕掛けようと――したところで。
「問題ない」
仕留めたワイバーンを、空中の足場にして。
更に跳躍したヴィーザルの剣が、三匹目の喉笛を切り裂いた。
「ちょっと、空も自力で飛べないのに無茶し過ぎですよ!?」
「なに、フォローはそっちでしてくれるだろ?」
「いきなり何を言い出すやら……!」
悪態を吐きつつ、落下する寸前のヴィーザルを捕まえておく。
腕を掴んで、決して離さぬように。
――とりあえず、残ったワイバーンはこれで二匹。
その二匹はすっかり戦意が折れたか、どっちも慌てて逃げ出そうとする。
今さら逃げようなんて、こっちは許す気が毛頭ない。
しかし、彼我の距離はかなり離れている。
《吐息》を放てば十分届くけど、他に手段は――。
「アルヴェン、構わないから投げろ」
「……確かに考えましたけど、幾ら何でも躊躇いなさ過ぎでしょう……!」
本人の方から言い出したのなら、私も躊躇する理由はなかった。
全身の力を燃やし、それをヴィーザルを掴んでいる方の腕に束ねる。
そのまま、敵を打ち砕く時と同じ力加減で。
私は一気に、彼をワイバーン目掛けて投擲した。
普通に考えたなら、そんな無茶に人間の身体は耐え切れない。
けれどヴィーザルは、平然と曲芸じみた動きで対応してのける。
「一つ」
逃げようとしたワイバーンの首を、一閃。
振り抜いた剣が、肉と骨を断つ時に生じる反動。
それは真っ直ぐ吹き飛ぼうとする慣性に、僅かに歯止めをかける。
刹那の一瞬で、ヴィーザルは仕留めたワイバーンの肉体を再び足場にした。
猿よりもずっとアクロバティックな動きで、最後の一匹へ向かう。
「二つ――いや、これで最後か?」
ほんの僅かな抵抗すら、彼は許さなかった。
容赦なく振り下ろされた剣が、残ったワイバーンの頭を叩き割る。
脳まで潰されたなら、流石に亜竜でも即死だ。
後は落下するだけの彼を、私は急いで回収に走った。
無抵抗の身体を腕で受け止める感触に、思わずほっと息を漏らしてしまった。
「……で、何か言うことはありますか?」
「あぁ。意外と俺たちは息が合うかもしれんな、今の感じなら」
「そうではなくて……!!」
いや、私もちょっとだけ思いましたけど。
本当にちょっとだけです、ええ本当にちょっとだけ……!
「助かった。……ただ、少し派手にやり過ぎたな」
「……あ」
言われて、今さらながら気が付いた。
恐る恐る下に目を向ければ、眼下には足を止めている飛行機械の姿が見える。
ワイバーンは全滅したので、現状は物理的な危険は存在しない。
ただ、うん。
「……完全に目を丸くしてますね」
「そりゃそうだろうな」
私たちを見上げているキャンディとクローム。
そのどっちも、驚きの感情以外は抜け落ちてるような状態だ。
……流石に、今のは派手にやり過ぎてしまったか。
後悔するには余りに遅いタイミングだった。
これは、お二人にどう説明するべきか。
「そう難しく考える必要はないだろう」
「……ヴィーザル?」
はて、彼には何か上手いこと話しを纏める案があるのか。
などと、ちょっとだけ期待したのですが……。
「向こうも、ワケありと知って受けた話だ。
必要な分だけ聞かせれば、それ以上は詮索しないだろう」
「ホント、簡単に言いますね……」
果たして、そんな軽い考えで良いのか。
答えは不明のまま、私はヴィーザルをぶら下げてキャンディたちの方に戻った。