【7-11】改めて思う
夜になり、執務を終えたキサラギはライオネルのいる座敷へと向かった。
「冷えるな……今日は」
羽織を引き寄せ、手に息を吐きながら冷たい廊下を歩いていると、前からマコトがやって来る。
「マコト? 来てたのか」
「ああ。たまたまセンリュウ様に用があってな。それよりも、さっき雪知さんに聞いたんだが……」
「ライオネルの事だろ。俺も今から様子を見に行こうと思っていた所だ」
話は大方聞いている。聞いてはいるが、怪我した理由があまりにも何とも言えない呆れたものであった。
「説明がなかったからとはいえ、刃を身体にあてがうだけでいいものを、あろう事か自分の腹に突き立てるなんてな」
「えっ」
キサラギからの話に、マコトは絶句する。
普段の傷ならば神の力もあってすぐに癒えるが、対神器で受けた傷はそういう力すら無効化する為、人並みに癒えるのが遅くなる。
刺す前におかしいと気付かなかったのかと訊ねたが、当時の本人は何も思わなかったようだから、その時は相当切羽詰まっていたのだろう。
そっと障子を開き、部屋に入るとライオネルは横たわり眠っていた。微かに魘されているのは恐らく熱が出ているせいだとキサラギは思った。
膝をつきキサラギが様子を確かめると、気配を感じたのか赤と紫の瞳が姿を現し、口を開いた。
「キサラギ? ……あ、マコトちゃんも」
「だ、大丈夫ですか?」
「うん……ごめん。心配かけたね」
謝りながら身体を起こそうとするが、痛みで顔を顰めうずくまる。それを見てキサラギはため息混じりにライオネルを支える。
細くも鍛えられた上半身には厚く包帯が巻かれ、傷のある左脇腹からは血が滲んでいるが、止血は出来ているようだ。
「呪いの方は大丈夫か?」
「そっちは何とも。手に入れるまでに進行しちゃって何度か血吐いたけど、対神器で解かれたみたいでね」
「……そうか」
医者に「生きていたのが不思議な位」と言われる程、出血が酷かったらしい。
人では死に至る量でも、神であればそう簡単には死なないのかもしれないが、医者から面と向かってそう言われるとかなり心配になった。
「明日、キュウに頼んで桜宮にお前の事伝えてもらうが、お前はここで大人しく寝とけよ」
「うん、分かった」
「寝かせてもらって申し訳ないからとか言って、手伝わなくていいからな」
「……分かった」
頷くライオネル。返答に若干不安がありつつも、顔色が昼見た時よりも良くなっている事もあり、キサラギはライオネルを寝かせ、立ち上がる。
「さっき雪知が粥を作っていたから、それまで寝てろよ。俺は今からマコトと話があるからよ」
「話?」
マコトが疑問符を浮かべるが、キサラギが言いにくそうに「婚儀」と言うと二人の表情が変わる。
「えっ。あ、け、結婚するの⁉︎」
「ああ……今日正式にマコトの家からも認められたからな」
「へ、へぇ……⁉︎ いつの間に」
ライオネルからしてみれば、夏の時点でとっくに二人の仲には気付いてはいたものの、まさか結婚の話まで進んでいるとは思ってもいなかった。
傷なんか忘れて起き上がり「おめでとう」と言うと、「ありがとよ」とキサラギに言われながら、すぐに寝かされる。
「絶対安静だって言われてるだろうが。急に起き上がるな」
「ハイ……」
漫才のような二人の会話に、マコトは顔を赤らめながらも小さく笑う。
その笑い声を聞いたキサラギとライオネルは振り向くと、不思議そうにマコトを見つめた。
「どうしたマコト」
「何か変な事言ったかな?」
「ふふ……いえ、仲が良いなと思って」
つい半年前まではギクシャクしていた二人の関係も、信頼し合う大事な仲間であり、友人のような関係へと変わっていった。
それがまさにひと目で分かるような、そんな様子にマコトは安心して嬉しく思えた。
言われた二人は互いに見つめ合うと、ライオネルが苦笑いして「そう見えるんだ」と呟いた。
「腐れ縁ではあるな」
「そうだね。それが近いかも」
本人達にとっては特に仲良くしようとは思っていない。ただ、困っていたら助ける。それだけだった。
それをもしかしたら友人というのかもしれないが、二人にとってはよく分からなかった。
「放っておけないのは確かだけどね」
「お前もな。躊躇なく自分の腹刺す奴を放っておけるか」
「うっ。だって、そっちの方が効くと思って」
「刺さなくても効くんだよ。馬鹿」
呆れた様子でキサラギが言うと、ライオネルは言い返せず黙り込む。
すると障子が開き、雪知が盆を持って入ってくる。
「起きていたのか。大丈夫か? 食べられそうか?」
雪知に訊かれライオネルは頷く。
家臣とはいえ、雪知もまた屋敷を持つ主であるのだが、ハレなどの世話係もしていた為、厨に立って料理をする事もよくあった。
キサラギに支えられながら起き上がると、雪知は複雑そうに話す。
「前に来た時もお前は怪我をしていたな。その、大変なのか。魔術師って」
「いや、コイツが特殊なだけだ。今回とか特にな」
「そ、そうなのか」
「いや、まあ、うーん……」
そうじゃないと言いたかったが、キサラギの言っていた事は大方間違っていない為、反論しようにも出来なかった。
雪知は困ったように笑い、「あまり無理はするなよ」と言って、盆にある土鍋の蓋を開ける。
「帰って来てからずっとキサラギの奴、お前の事を心配していたんだからな」
「えっ?」
「っ、雪知‼︎」
雪知の言葉にライオネルは目を丸くし、キサラギは沸騰したかのように顔を真っ赤にして、声を荒らげる。
恥ずかしがるキサラギを他所に、雪知はにこりとして器に粥を取り分けると、ライオネルに差し出す。
「熱いから気をつけろよ」
「あっ、ありがとう……! いただきます」
消化に良く、滋養に良いネギや卵などが入ったその粥を匙で掬い、息を吹いて冷ましながら口にする。
食欲はあるようでキサラギは安心すると、雪知から肩を叩かれ耳元で囁かれる。
「マコト様と話があるのだろう? 後は俺が看るから行ってこい」
「あ、ああ……じゃあ、マコト」
キサラギに言われマコトも立ち上がる。
部屋を去ろうとした時、キサラギはライオネルと視線が合うと、微笑して「またな」と言って部屋を出る。
ライオネルも手を振って二人を見送り、雪知はそれを微笑ましく眺めながらも、袖から蜜柑を取り出して皮を剥き始めた。
※※※
部屋を出てキサラギの自室に着き、長火鉢を部屋の真ん中に引き出して炭に火をつけると、それを挟んで二人は向き合うように座った。
「ここ数日で随分と冷えてきたな」
手をかざし、暖まりながらマコトが言う。
キサラギは胡座をかいて「そうだな」と返し、火鉢にある五徳の上に鉄瓶を置いた。鉄瓶の中には水が入っている。
炭の爆ぜる音だけが部屋に響き、二人はしばらく黙ると、先にキサラギが話し出した。
「今日、お前の親父から正式に婚約に関する文が届いた」
「……そうか」
「婚儀については、以前話した通りでいいよな」
「ああ」
「うん……なら、それで進める」
「……」
「……」
話す事がなくなり、また無言になる。
鉄瓶に入っていた水が沸々とし始め、湯気が出ると、マコトが近くにあった急須に茶葉を入れて準備する。キサラギも二人の湯呑みを並べた時、マコトが言葉を漏らした。
「夫婦に、なるんだな。私達」
茶葉の容器の蓋を閉めると、顔を上げてキサラギを見る。その目は不安で揺れていた。
望んでいた関係ではあるが、キサラギ自身もあまり実感は湧かなかった。
「(地に足がついてないような感じだな)」
仲間、幼馴染、恋人。……そして、夫婦。
距離が近づくにつれ、抱いている感情をどこまで曝け出して良いものか迷ってしまう。適度な距離は果たしてどの位なのかと。
先月には口付けまでいった二人だが、当然ながらその先は越えたことがない。
そもそも、恋愛がどんな物かもよく分からない。親愛と混じっているかもしれないが、自分の感情は果たして恋なのかそれすらも分からない。
マコトが急須に鉄瓶の湯を注ぐと、そこでキサラギがぽつりと言った。
「さっき、お前。ライオネルと俺が仲良いって言っただろ」
「言ったな」
「そうさせてくれたのは、お前のおかげなんだからな」
「!」
マコトがいたからこそ助かった事。小刀祢の姫だから助かった部分もあるが、マコトという人物だからこそ、救われた所もある。
常に一人でいようとしたキサラギの腕を引っ張り、憎悪の闇を払ってくれた。共に考えてくれた。
その行動が小刀祢の姫だからという役目からではなく、マコト自身の気持ちからである事を、キサラギははっきりと分かっていた。だから嬉しかった。
「失った感情も、人と共にいる暖かさも、何もかも思い出させてくれた。お前が傍にいてくれたから、ここまでこれたんだ」
「キサラギ……」
「それを、その、恋っていうのかよく分かんねえけど、傍にお前がいないとダメなんだよ……俺は……」
最後になるにつれ照れて口籠るキサラギに、マコトは鉄瓶を持ったまま放心する。
ここまで本心を明かした事はなかったが、マコトに吐露してしまうと、鉄瓶を置いてマコトは恥ずかしそうに目を逸らし言った。
「私も、キサラギの傍が……良い」
「……」
「……」
「……すまん。一旦、顔冷ましてくる」
立ち上がり早歩きで廊下に出る。マコトが「えっ⁉︎」と驚きの声を上げて追いかけようとしたが、「すぐに戻る」とキサラギが言ったのもあり、その場に留まった。
冷たい外気で身体が冷えていくが、顔の熱は一向に収まらない。
「んだよ、あれは……」
先程のマコトの様子を思い出しては、顔がより熱くなるのを感じながら、キサラギは深く長いため息と共に呟いた。
「あんな顔で、ああいう事言われると嬉しくなるだろうが……!」
縁側の柱にしがみつき、顔を抑えるキサラギ。
その様子を、偶然食器の片付けで通りかかった雪知に見つかると、ボソリと言われた。
「マコト様に何言われたか知らんが、そんな反応するなんてお前も可愛いな」
「可愛い言うな‼︎」
茹で蛸のように真っ赤になって叫ぶキサラギに、雪知は笑いながら去っていった。