【5-12】向日葵の夢
キュウの暴走によって降った大雨による被害は幸いにも無く、ライオネルとスターチスによってキュウは眠ったまま封じられると、神域も無くなり隔離されていた朝霧の地は再び下層の世へと繋がった。
だがそんな事など知らず、キサラギはあの後高熱で数日床に伏せていた。胸の傷も開いたらしく、さらに雨に打たれていたのもあり、最初に傷を負った時よりも苦しそうにしていた。
マコトは看病しようとして一日二日はキサラギのそばから離れなかったが、朝霧家の件の報告も含めて一度小刀祢家へ帰る様に言われてしまい、看病の続きはライオネルがしていた。
そんな看病の合間に部屋から出て、目の前の縁側に休憩がてら腰掛けていると、マコトに名前を呼ばれてライオネルは顔を上げる。長かったマコトの髪は肩で切り揃えられていた。
「あ、おかえり。どうだった? 久々のお家は」
「はい。まあ、ちょっと不思議な感覚で」
そう言うと、ライオネルは苦笑して「そっか」と言った。
朝霧家当主が実は偽者だったという話は、民だけに止まらず周辺国へと知られる事になった。そして同時に「チハル」という次期当主が亡くなっていた事も知らされる。
それについてはマコトは最初理解ができなかったが、雪知によって説明がされると、驚いた後涙しながらも「キサラギらしいな」と笑っていた。
「チハルは亡くなったから鬼として戻ってくる、か。結局の所、同一人物じゃないかって誰かに言われそうだけど、キサラギにとってはチハルは別人だからな」
キサラギとしての人生を歩んでいる以上、チハルになる事を強要できるものではない。それは雪知にとっても、そして今まで傍にいて薄らと察していたマコトとしても、分かっていた。しかし、彼を尊重したくても出来ない現実があり、それが一番悩ましい所であっただろう。
国の跡継ぎはどの国であっても混乱を生じるもの。長い歴史を持ち、それぞれの伝統的な継ぎ方があるだろうから尚更だ。
国を選ぶか、一人の人生を選ぶか。どちらかを選べば、片方は潰えてしまうかもしれない。強いて言えば、キサラギの人生を守るとして、仮に彼が国を継がなくても後継者にはハレがいるのだが、ハレにも人生がある。
王族として生まれてしまった以上、それは致し方ない事かもしれないが、それでも傍にいる者としてはその者の人生を尊重してやりたいという気持ちにもなってしまう。
「……だから、本当に良かったのかな。これで」
「?」
「キサラギは上層に帰りたがっていたから、ちょっと」
「まあ。分からなくもないけどね」
嬉しさ半分心配といった様子でマコトはキサラギの眠る部屋を見る。障子で中は見えないが、眠るキサラギに向かって「ただいま」と言うと、用意された自室に向かう。
その途中で、中庭に大きな背中と小さな背中が寄り添って何かをしていた。
「フェンリルに、ハレ様……? 何しているんですか?」
「あっ、マコト様!」
「お、帰ったのか。おかえり」
「ただいま!」
フェンリルに笑って返した後、小走りで来たハレはマコトに「はい」と手に持っていたものを見せる。
「向日葵?」
「うん! さっきね、フェンリルと屋敷の外に遊びに行った時に村の人に貰ったんだ! 綺麗でしょ!」
よく見ればフェンリルも切り花になった向日葵を四、五本抱えていた。花は大きく、黄金色の花弁もたくさん付いている。
見ているだけでも元気になりそうなそんな向日葵を、ハレは両手で持つと、マコトに差し出す。
「マコト様にあげる!」
「えっ、いいんですか?」
「うん!」
大きく頷くハレに、マコトは微笑して「ありがとうございます」とお礼を言って受け取る。するとフェンリルはハレに向かって「あれ言わなくていいのか?」とニコニコしながら訊ねると、ハレは「今から言うんだよ」と言い返す。
一体何なのだろう? マコトは首を傾げると、ハレは照れつつも言った。
「お誕生日、おめでとう。マコト様」
「!」
キョトンとした後、そういえばと自分自身の誕生日を思い出す。そうか。そうだった。私の誕生日は夏だった。と。
貰った向日葵を抱え直して、再度お礼を言えばハレは笑顔になってフェンリルの元に向かった。
「チハル……じゃなくて、キサラギ兄さんの誕生日ももうすぐだから、後で持っていくね!」
「ええ。すっごい喜ぶと思います。是非いらっしゃってください!」
手を振るハレに振り返した後、フェンリルを見れば笑んで「また後でな」と声に出さずに言われ、マコトは頷く。
そして再度自室へ向かいながら、マコトは向日葵を見て昔を思い出した。
※※※
目の前には向日葵畑があった。屋敷近くに毎年咲いているそれらは、キサラギにとっては初見ではあったが、とても見覚えのある光景であった。
その畑の真ん中にいた赤い着物を着た男は、キサラギと同じ赤茶色の長い髪を揺らしながらこちらを振り向く。顔もまたキサラギと瓜二つであった。
「お前は」
キサラギが訊ねると、その男は困った様に笑って言った。
「全部、思い出したかい?」
「……いや、全部じゃない。けど、生みの両親の顔も、頭領達との生活も思い出した」
「そうか。じゃあ、僕の事も分かるね」
「ああ」
「チハル」そう呼ぶと、彼は嬉しげに頷く。
傍に行くべきか迷ったが、向日葵畑との間には堀があり、その堀から先は行ってはいけない様な気がして、その場に立ち尽くしたまま会話を続けた。
「記憶を取り戻したから、身体の所有権を取り戻しに来たのか」
「うーん、まあ、最初はね。けど、今は少し違う。後の人生は君に任せようかって思ってね」
「任せる?」
「うん」
キサラギは思わず「何故」と聞いてしまう。
十年も経ってようやっと故郷に戻れて、しかも自分も元に戻れる。それはチハルにとって最も望んでいたのではないのかとキサラギは思っていたのだが、どうやら少し違うようで彼は小さく首を傾げて言った。
「君が彼女を、朝霧を守ってくれるって言ってくれたからだよ。それに、君は僕が死んだって言ったじゃない」
「そう、だったな」
「それに関しては、仕方ないけどね。何せまさか記憶を取り戻すなんて思ってもいなかったし。だから謝ってなんて言うつもりもないよ」
「……それでも、いいのか? 戻らなくて」
「うん、良いよ。強い君だから任せられる。あの時戦えなかった僕よりはずっといい」
「……」
あの時戦えなかった。その言葉は上層に来る時の事だろうか。それとも……。
ふと気になった事を、キサラギはチハルに訊ねる。一体いつからチハルはキサラギになったのか。と。すると、チハルは腕を組むと「そうだね」と少し考えて呟く。
「君の記憶はいつからあった?」
「村の襲撃、だな」
「村の襲撃か。そうか……なら、君はその時に生まれたんだ。僕は最後まで短刀を抜けなかった。それを抜いて戦ったというのならば、その時から君になったんだ」
悲しげに笑いながら、「僕は弱かったから」とチハルは腕を後ろに回す。
国を守る立場になるというのに武器を抜く事も、傷付ける事も出来なかった。それは恥だとチハルは言う。
「恥、か」
「ああ。恥だよ。そのせいで、僕はあの人達を守れなかった。頭領さんも、皆もよくしてくれたというのに、抜けなかったんだ」
「……それは、俺も一緒だ。抜けても、その先が怖くて力が入らなかった」
身を傷つけても、刺してもこの先が怖かった。何せ、目の前の敵はあったかもしれない自分の姿だと思っていたから。襲撃後の蘭夏でのライオネルとの邂逅の後、尚更の事そう感じてしまって、キサラギは止めを無意識に避けていた。
その事をマンサクに指摘され、そこで初めて気付いたのだが、その後どうなったかを思い出そうとしてもよく分からなかった。
「俺で本当に良かったのか?」
不安になってチハルに再度訊ねる。しかし、彼は頷くだけで何も言わなかった。
「止めをさせないなんて、甘いんじゃないのか」
「……そんな事はないよ。ただ、それを通すのならば強くならなければならないと思う」
「強く、か」
戦闘面に関してもだが、同時に納得させるだけの考える力と想いの強さが大事ではないか。
そう、「自分が言うのも何だけど」と、彼は苦笑い交じりに言えば、キサラギもくすりと笑う。
二人で笑い合っていると、どこからともなく風が吹く。それを感じたチハルは楽しげな表情を少し歪ませて、「もう時間か」と呟く。
「早かったな。もうお別れか」
「お別れ?」
「うん。僕はもうこの世に未練はないからさ。両親も去ってしまったならば、特にね」
「ハレはいいのか?」
「彼には君や雪知がいるでしょう?あの子の知る兄は君だけだよ。だから、よろしく頼むね」
「……分かった」
向日葵が揺れる中、チハルは息を吐くと目を閉じる。いつの間にか傾いていた夕陽によって辺りが眩しく輝くと、チハルとはまた別の声で名前を呼ばれて、キサラギは振り向いた。