【5-6】幻と現
朝霧家の事はともかく、小刀祢家を守る者が居なくなると、下手をすれば小刀祢家は滅んでしまうんじゃないか。
そんなマコトの思いに気づかず、上層に帰りたいとつい口走ってしまったが、マコトの事情をよく考えていなかったと頭の中で反省しつつ、キサラギは身体を離すと上手く働かない頭を動かして深く考える。
「(俺に何か、出来る事)」
こんな時、政に強そうなアユかライオネルが側にいたら良かったのにとキサラギは思っていると、マコトが話しかけてくる。
「とりあえず、部屋に戻らないか? 」
「あ、ああ……」
立てるかと聞かれ頷くと、キサラギはマコトに手助けされつつ立ち上がる。
そのまま部屋に戻ろうとした時、ふとマコトは言葉を漏らした。
「この前は、側にいると言ったのに離れて、ごめんね」
「あれは、お前のせいじゃない」
「けど」
「お前の立場がここじゃ弱いのは何となく分かってる。……それに弱みを握られている事もな」
「……」
黙り込むマコト。キサラギはそんな彼女をちらりと見た後、自分の部屋にある布団に横になる。
マコトはキサラギが横になったのを確認して部屋を去ろうとすると、キサラギが呼び止めた。
「また明日な」
「! ……ああ、キサラギも」
本当はもっと話したかったがそうも言ってられない。だが、話せた事でキサラギは安心したのか、目を閉じるとすぐに眠りについた。
そしてその夜、キサラギはある夢を見た。神社の敷地で小さな自分が泣いている夢だった。
何故それが小さな自分だと分かったのかよく分からないが、とにかくキサラギは泣いていて膝を抱えていた。
「どうしたの?」
そう話しかけたのは、上層の花畑で襲いかかってきたキュウだった。姿は変わらず、けれどもこの時はキサラギよりも年上のようで、同じ目線にしゃがみ込むと優しく声をかける。
小さなキサラギは顔を上げると、「怖い」と言った。よく見れば足は傷だらけで裸足だった。どうやら何処からか逃げてきたらしい。
「僕を守っていた兵士も、従者も、皆死んじゃった……皆、僕のせいで死んでいく。そんなの、もう、嫌だ」
「……そっか。いっぱい、辛い思いしてきたんだね」
そうキュウは悲しげに言うと、キサラギの頭を撫でる。そしてキサラギが手に持っていた聖切を見るとそっと触れて呟く。
「貴方も、嫌なんですね。あそこにいるのが」
「?」
「ねえ、チハル様。少し『冒険』してみませんか?」
「冒険……?」
「そう、冒険。大丈夫です。ちょっとだけですから」
その冒険という言葉がどういう意味を持つのか、当時のキサラギ……チハルは知らなかったに違いない。
それが果たして神の厚意だったのか、それとも悪戯だったのか。キュウの本意は知らぬまま、藁にもすがる思いでキサラギは頷いた。
キサラギの答えを聞いたキュウは「分かりました」と言って、再び聖切を見る。
「では、聖切。しばらく彼のことを頼みましたよ。後は僕が何とかしますので」
「何とか?」
「ええ。何とか、ね」
キュウは笑みを浮かべると、キサラギに手をかざす。するとどこからともなく霧が出て、川のせせらぎの様な音が耳元から聞こえた。
「(上層のあの霧もやっぱりコイツの力か)」
この夢で確信したキサラギは、霧に包まれながらキュウを見つめる。キュウの瞳は変わらずエメラルドグリーンの色をしていた。
「数ヶ月後迎えに行きます。それまでどうか、お元気で」
そんなキュウの言葉を最後に夢はそこで終わった。
※※※
地平線から太陽が現れた事で、真っ暗な空に光が差し込む頃。キサラギは気配を感じて目を覚ます。
「(……障子が開いている)」
閉じられていたはずの障子が人一人分開かれたままになっており、その隙間からキュウの後ろ姿が見えた。
起き上がり地味に痛む傷を庇いつつ、立ち上がってキュウの側に近づくと、キサラギの気配に気付いたのかキュウは振り返る。
「目が覚めましたか」
「ああ。……まさかとは思うが、俺に何かしたのか」
「少しは」
記憶を流したとキュウは言うと、キサラギは警戒してキュウを見つめる。だが、キュウはそんなキサラギに対して何も感情を浮かべずに「少しは思い出しました?」と言った。
「貴方という存在がここではどんな立場だったかって」
「……それを伝える為に、上層で襲ったのか」
「そうですね。そうとも言えるし、でもかと言ってそうでもない。ちょっと複雑なんですよ」
「複雑?」
「ええ。……ちなみに今、貴方には僕がどんな風に見えてます? 夢の中の僕と同じですか?」
キュウがそう訊ねると、キサラギはキュウの目を見る。変わらずその目は穏やかな川の色のままで、あの日の様な赤い目ではなかった。
その事を伝えると、キュウは「そうですか」と目を伏せて言った。
「本当は、すぐに迎えにいく予定でした。貴方を避難させている間に此方の争いを止める為に朝霧家当主に話をしに行きました。……けど、出来なかったんです」
「……」
キサラギは間を空けた後「何故」と聞く。キュウはちらりと横目で屋敷の様子を確認すると、口を開いた。
「僕が来た時、朝霧家当主はすでに死んでいました。奇襲を受けたらしく、屋敷も燃えて朝霧家は壊滅状態で」
「なっ……⁉︎ ま、待て。じゃあ、今の当主は? 家臣は⁉︎」
思わずキサラギが詰め寄ると、キュウは深刻そうに首を横に振る。
「少なくとも、今の当主は貴方や小刀祢の姫の知るセンテン様じゃない。彼は上層の……」
そう言いかけた時、殺意を感じたのかキュウはキサラギを押し倒す様に跳び避ける。その直後キュウのいた場所には赤黒い刃が刺さっていた。
その赤黒い刃にキサラギは目を見開き、そして「何で」と言葉を漏らす。驚くのも無理はない。何せこの刃は少し前桜宮で戦ったマンサクが放つものだったからだ。
「っ、まさかアイツがここにいるのか⁉︎」
「みたいですね……。多分僕を追いかけてきたのでしょう」
「チッ……!」
舌打ちした後キュウの腕を取ると、隣の部屋に逃げ込む。そこで偶然床の間に飾られていた太刀を手にして、抜刀する。
「(使い慣れてはいないが……無いよりはいいか)」
マンサクの姿は見えないが、キサラギとキュウ目掛けて再び刃が障子を突き破って部屋に入ってくると、キサラギはそれを避けつつマコトの元へと向かう。
だがそれにしても、先程から屋敷の人々の姿が一向に見えない。こんなに物音を立てれば少なくとも異変を感じて一人ぐらい出てきてもおかしくないはずなのだが。
キサラギはそう思って、腕を引いているキュウを見る。キュウは必死にキサラギについて行こうとしていた。
「(……っ、くそ、傷が)」
痛み出す傷に走るのをやめようしたが、背後から聞こえる破壊音に無理にでも足を動かした。
そうして何とか昨晩マコトが現れた部屋の前につき、黙って障子を開く。
「マコト! ……マコト?」
いない。何故だ。
キサラギが部屋を見回していると、キュウの腕を握っていた手に痛みが走る。ビリビリとした電力が左腕から全身へと駆け抜けた後、キュウの腕を手放す。
左腕を押さえながら、傍に立つキュウを見ると目が赤く光っていた。
「っ、お前……!」
「ちょっと庇ったくらいで気を許しすぎですよ。チハル様」
明らかに気配も変わり霧が発生する中、キサラギは何とか立ち上がると太刀を構える。
するとキュウは外から飛んでくる刃を手刀で斬り捨てると、どこからともなく激流が屋敷を攫う様に現れた。
膝下まで水に浸かりながらキサラギが部屋の外に出ると、屋敷の屋根に濡れたマンサクの姿があった。
「多少は抗う自我はあるようだな。川の神」
「……」
「だがそれもここまでだ。貴様の身体がこちらの手にある以上、どんなに精神が抗おうとも貴様の思い通りにはさせない」
マンサクが刃を飛ばすとキュウは水球で相殺して、屋敷の屋根の上へ飛び移ろうとする。
その時、キサラギに向かってキュウは何かを投げ渡すと、小さく笑って「よろしくお願いします」と言う。
「っ……死ぬなよ」
複雑な表情を浮かべたままキサラギはそう言うと、太刀を握り締めて屋敷の外へと向かう。右手の中には渡された御守りが握られていた。何が入っているかは分からないが、硬く丸い何かだというのは分かる。
裸足のまま走っていると、少し離れた場所で壁らしきものに当たる。
その見えない壁を手で触れて確認した後、キサラギは渡された御守りを太刀の柄と共に握ると大きく刃を振り下ろした。
「!」
御守りが手の中から消える。それと同時に、ガラスを破いたかのように透明な裂け目が現れる。
「……」
キュウが気になったが、キサラギは裂け目に視線を戻すとそのまま潜っていく。
潜った後、後ろを振り向けば何もなかったかの様に賑やかな朝霧の屋敷が見えた。
「……とりあえず、抜け出せたという事で、いいんだよな」
ため息混じりにその場にしゃがみ込む。未だに状況がよく理解出来ていないが、良い状況ではない事は確かだった。
少し休んだ後キサラギは屋敷を目指して歩いていく。すると、聞き慣れた声が聞こえて立ち止まった。
「?」
マコトではないが確かに聞いた事のあるその声は、ひそひそと屋敷の近くにある馬小屋から聞こえる。
念の為物音を立てずにキサラギは歩み寄ると、声は何かに気づいたかの様に「え、誰」と声を上げる。
「マジ? 気付かれた?」
「みたい。ったく、アンタの声が大きいから」
「えー、それお前もじゃん」
「おいお前らあまり騒ぐと……」
馬小屋の横にある倉の扉をキサラギが開ければ、そこにはライオネルとフェンリル、そしてスターチスの姿があった。
三人がそれぞれキサラギを見上げたまま固まっていると、キサラギは呆然として「何してるんだ」と言った。