【4-7】真っ白な急転
麓の村から少し離れた場所には【氷空花】と呼ばれる花が咲いている。
ネモフィラにも似たその花は六弁の花で、夏は氷のように透明になり、冬は青い花になると言われており、神獣山の辺りにしか咲かないという。
「(透き通っているな)」
花脈が透けて見える氷空花を触れて確かめる。すると、辺りが霧に包まれた。真っ白な空間にキサラギは辺りを見回すと、鈴の音が聞こえて振り向く。
「こんにちは。旅人さん」
「……あいさつするには、随分と物騒だな」
「あれ、そうですかね」
竜を思わせる厳つい面を付けたその少年は、首を傾げる。服装からして聖園領域の者らしいが、それにしても身軽な格好であった。
脇差を構えながら、少年は一歩一歩近づく。一体何なんだとキサラギは思いつつ、短刀を手にすると構える。と、その少年は短刀を見て「ああ、やっぱり」と嬉々として言葉を漏らす。
「聖切持ってるんですね。探した甲斐があったな」
「(この短刀を知っている?)」
「今、何で知ってるんだ? って思ったでしょ。教えてあげますよ」
そう言って少年は姿を消す。キサラギは気配を探り少年を見つけようとするが、見つからない。
霧はどんどん深くなるばかりで、数歩先すら見えなくなった時真後ろから声が聞こえて振り向き様に短刀を薙ぎる。しかし姿はない。
「こっちですよ」
「⁉︎」
耳元で聞こえて、再度振り返る。けれどもやはりそこに少年の姿はない。氷空花の花弁が舞うばかりで、姿どころか、攻撃すら当てられず体力だけが減って行く。
やがて膝をつくと、「もう終わりですか」と少年の笑い声が聞こえる。
舌打ちしてキサラギが起きあがろうとした時、背中に強い衝撃が走った。
「っ、ぅ」
地面に叩きつけられ、苦痛で声を漏らしながらも短刀を握って起き上がり様に短刀を振るう。少年は遊ぶように避け続けた後、ふと足を止める。
キサラギも足を止めて、耳を澄ませた。マコトの声が聞こえたからである。
「キサラギー、何処だー?」
「小刀祢の姫も来ましたか」
「小刀祢の姫……っお前、一体何者だ」
キサラギの問いに少年は「そうですね」と面に手を伸ばす。竜の面の下には綺麗な顔立ちをした、エメラルドグリーンの瞳を持つ少年の顔があった。
にこりと笑った後、「朝霧チハルさん」と名前をいう。それを聞いてキサラギは驚愕する。
「予想通りの反応をありがとうございます。チハルさん。……ああ、でもここじゃ、キサラギさんでしたっけ? じゃあキサラギさんって呼びますね」
「お前……下層から」
「そうです。下層です。この様子だと、あの娘に教えてもらったか思い出したかのどちらかですかね」
「マコトも知っているのか」
「ええ。そりゃ、知っています。朝霧も、小刀祢も、街の人々の話も全て全部、【聞こえてきますから】」
少年が近づくにつれ、水流のそばにいる様な冷たさが身に染みる。耳元でごうごうと岩を越えていく激流の川の様な音が聞こえて、霧が後ろへと流れて行くのを感じる。
ハッとして足元を見ればどこからともなく水が流れてくる。氷空花が流れていき、くるぶしから脛、膝下へと水かさが増して行く。
「……お前が何者かは大体把握した。だったら次は目的を教えてもらおうか」
「目的? はは、そりゃあ勿論……仇討ちですよ」
朝霧に対する恨みのね。そう少年は憎しみを込めた表情で、脇差を振るう。一線が右肩から左脇腹へと引かれると、目の前が真っ赤に染まる。
「っ……⁉︎」
よく分からないまま、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。返り血を浴びた少年はキサラギを見下ろしながら、「分かりますか?」と言う。その瞳は先程と違って赤く光っていた。
「僕の感じたこの痛みを。冷たさを。皆が見ている目の前でされて、結局誰も助けてくれなかったこの辛みを‼︎」
「貴方に知って欲しいんですよ」少年は、感情のままに言ってキサラギの胴の上に馬乗りになると首を掴む。その手には操りの腕輪が嵌められていた。
出血が多いせいか、首を絞められているせいか分からないが、身体に力が入らず反撃もせずにキサラギは見上げる。
自分の知りやしない恨みを買われて、少年に命を奪われそうになっている。……いや、もしかしたら彼はただの少年ではないかもしれないと。
「(けど何故か不思議と反撃できない)」
しばらくすると少年の手が震える。そして、はたり、はたりと水滴が顔に降り注ぐ。
「……助けて」
本心からの叫びなのか知らないが、少年は涙を流しながら手の力を緩める。そしてそのまま俯いて「帰りたい」と呟いた。
「帰りたいよぉ」
嗚咽混じりに少年は泣く。
様々な人格が入れ混じり、少年の表情がコロコロと変わると、突然糸が切れた様に少年はその場に倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
「……まこ、と」
「っ、キサラギ……!」
薙刀を握りしめながら座り込むと、マコトは震えながらキサラギに手を伸ばす。泣きじゃくりながら、「死ぬな」と呟く。
ゆっくり瞬きすると霧は消えて水も無くなっていたが、何故か傷だけは絶えず血を流していた。
側には少年が倒れており傷はなさそうだが、腕輪は破壊されて無くなっている。
「っ……今、助けてやるからな!」
「……」
身体を起こされる。キサラギは息を吐いた後、マコトの肩に腕を回して支えられながら、二人は麓の村へ向かおうとする。
しかし、数歩歩いた所で風を切る音が聞こえて振り向く。
「っ⁉︎」
マコトの身体が硬直するとその場に一緒に倒れ込む。キサラギは自力で上体を起こし、「マコト」と掠れた声でマコトを揺らす。
「っ、ぅ……い、た」
左肩と背中に矢が刺さりマコトは痛さで呻く。背後を向くと弓を構えるヴェルダの兵士がいた。
「アイツ、ら……」
再度矢を放とうとする兵士達を見て、キサラギはマコトの上に覆い被さる。そして矢が風を切る音に目を閉じた。
※※※
「マコトー! キサラギー!」
霧の中、レンが二人の名前を呼び続ける。視界が悪く氷空花のみが広がる花畑をひたすらに走り回って探していると、霧が晴れてくる。
光が差し込み目を細めながら空を眺めていると、強く風が吹き、氷空花の花弁が舞った。
「?」
思わず腕で顔を覆い風を受けた後、しばらくしてそっと腕を退かす。
あの強風は一体何だったのだろうか。そう思っていると、気配を感じて刀の鞘に手を置く。少しして重く黒い鎧尽くめの兵士達が姿を表すと、レンを囲む。
その兵士達をレンは見た事は無かったが、雰囲気からして味方ではない事は察していた。
「桜宮の王女様か」
「はは、こりゃいい。さっきのあの二人はあと少しという所で逃したしな」
「(二人……もしかして)」
キサラギとマコト? レンは驚きつつも刀を抜いて構える。
兵士の数は明らかに十人以上はいる。微かに刀を持つ手を震わせながら「キサラギとマコトはどこにいったの!」と声を上げる。
それに対して一人の兵士は「さあな」と返す。
「だが、あの怪我じゃどちらにしろ長くないだろうな」
「⁉︎」
兵士の言葉にレンは目を見開く。握る手がより大きく震えた後、怒りで強く握りしめて兵士達を睨む。
そんなレンの様子に兵士達は笑い武器を手にする。
「まさか一人で俺達を相手にする気か?」
「お転婆だとは聞いていたが、無茶な事はやめといた方がいいぜ」
「ま、そう言いつつ、無事には帰してやれねえけどな!」
「‼︎」
攻撃を次々と避けながら兵士達から逃げ出す。花弁が舞う中矢が放たれレンに刺さろうとした時、その矢は炎に包まれ、焼却された。
「うちの姫さんに手を出さないでくれる?」
「っ、ライオネル・セヴァリー‼︎」
「くそ、裏切り者が‼︎」
「悪いね、裏切り者で」
手のひらに火の玉を浮かばせながら、兵士達を見つめる。レンはライオネルの元に駆け寄ると、ライオネルは守る様に背中に隠した。
「ら、ライ兄様……キサラギとマコト、が」
「キサラギ達がどうしたの?」
「け、怪我したって」
「……行方は分かる?」
ライオネルの質問にレンは泣きそうな顔で首を横に振る。その様子に「そっか」とライオネルは静かに言った。
レンが麓の村を離れた少し後、三人の姿が無いことに気付いたライオネルはレンの後を追った。
その途中に遭遇した深い霧によって身動きを封じられ、何とかギリギリレンの元には駆けつけられたのだが……。
「(ヴェルダにやられたのか。それとも、深い霧と何か関係があるのか)」
レンの話を聞く限り、負傷した二人の姿をレンは見ていない。
勿論、目の前のヴェルダの兵士が嘘をついている可能性もあるが、ライオネルはそれよりもあの深い霧が気になった。
考えつつも兵士達が近づく度に炎を放つ。綺麗に咲いていた氷空花が燃えていくと、何か思う所があるのかレンがライオネルの袖を掴む。
「……ごめん。桜宮の従者なのに花を燃やして」
「ううん」
「とりあえず、先にあの兵士達を蹴散らすから」
「いける?」とライオネルはレンに訊ねると、レンは強く頷き刀を持って前に出る。
「あまり無理しないでね」
「それはライ兄様もね」
「うん」
互いに笑うと、すぐに真剣な表情になり兵士達に向かって駆けていく。
数は依然不利だがライオネルの補助もあり兵士達を気絶させると、最後に残った隊長らしき男と鍔迫り合いになる。
「貴方達の目的が一体何なのか分からない。戦っている理由も分からない。けど……!」
貴方達はあたしの大事な仲間を傷つけた。レンの声が花畑に響くと、隊長の男はニヤリと兜の中で笑った。