【1-12】海渡り
次の日の朝。キサラギ達はジークヴァルトが手配した船に乗り聖園領域を目指した。
別れ際に「ちゃんと周りを頼れよ」とジークヴァルトに言われたキサラギは、海を眺めながらずっと考えていた。
「(周りを頼れといわれてもな)」
というか何故、周りは俺に構うんだと、キサラギは頬杖をつくとウミネコがすぐ側を飛んでいた。
猫の様な鳴き声にあの化け猫の姿を思い浮かべてしまうが、隣からマコトの感激の声が聞こえて振り向く。
「海は本当に広くて大きいんだなぁ……!」
「なんだ、海は見た事ないのか?」
「ああ。でもこの海の様に深い青色をした大きな川は近所にあったけどな」
「大きな川……」
マコトと同じく山出身のカイルも海を見て尻尾を振っていた。
「(景色に一喜一憂できる日なんてなかったからな)」
どんなに素晴らしい情景があったとしても、ずっとライオネルの事で頭がいっぱいだった。怒りから悲しみ、苦しみ。負の感情ばかりでキサラギは自らその景色から目を背けたくなる。
けれどもその一方でそんな感情を抱える事が疲れてしまった自分がいた。そして一体何に対して怒りを感じているのか。それすらも徐々に忘れはじめている。
前髪が海風で揺れる中、キサラギは再びライオネルを思い返していると「キサラギー」とレンが走ってくる。
「どうした?」
「もうすぐ昼食だって」
「そうか」
ハンドレールから手を離し船内へと向かう。その後ろからマコトとカイルも続けてやってきた。
船自体は普通にエメラルと蘭夏を航海する旅客船よりも大きく、帆にはエメラルの国章があった。
「(海鮮料理ばかりじゃないんだな)」
海の上だからてっきり海鮮料理ばかりだと思っていたが、鳥肉や野菜、果物もたくさん使われていた。
周りを見ると大食いなレンは勿論、マコトやカイルも目を輝かせている。
着席しそれぞれ料理を食べ始めると、キサラギは魚料理を口にしながら、先程から感じる不思議な感覚について考えてしまった。
「(暖かい。か……)」
目の前で交わされる賑やかな会話。
ここ以外でもエルフの村などで何度かこうして一緒に食べたが、複数人と一緒にいて「落ち着く」と思った事はいつ以来だっただろうか。
けど、それを求めてしまったら自分の存在意義が消えてしまう。それは嫌だと嘆く自分がキサラギの心の中にいた。
「(……消えてしまう? 誰が?俺が? 俺は……一体何なんだ?)」
そう思った時、「キサラギ?」とマコトの声が聞こえ顔を上げると、突然バチンと脳裏に記憶が流れた。
『チハル』
「‼︎」
カシャンとフォークを皿の上に落とし、マコトを凝視する。
マコトは様子のおかしいキサラギに声を再度かけた。
「(何だ今のは)」
幼い少女にそう呼ばれた記憶。そしてチハルという名。だが、徐々にその名は忘れたいと言わんばかりに霧がかってキサラギの中から忘れていく。
しばらくして、ようやくマコトに「悪い」と返事した後、キサラギは席を立ってその場を離れた。
あれから昼食を口にせずにキサラギはずっと海を眺めていた。
気付けば蘭夏のそばまで来ていて、傾いた日の光によって海面な黄金色にきらめいていると、マコトがキサラギの側にやってくる。
「キサラギ。大丈夫か?」
「……ああ」
「船酔い?」
「かもな」
何となくそう嘘をついて息を吐いてしまうと、マコトが「はい」と包みを差し出す。
そこには二切れのたまごのサンドイッチがあった。どうやら、昼食を食べていないキサラギが心配で、マコトがシェフに頼んで作ってもらったらしい。
キサラギはそのたまごサンドを見つめた後、「ありがとな」と言って手にすると食べ始める。
マコトはそんなキサラギに驚きつつも、笑みを浮かべて「どういたしまして」と言った。
「それにしても久々の聖園領域だな! 機会があればまたマシロ様に会いたいなぁ……」
「そうだな。俺も用がある」
一欠片を口にした後、唇に付いた汚れを親指で拭う。少ししてキサラギはマコトを見て言った。
「桜宮に行くにあたって、一つ頼みがある」
「?」
「もし、俺がアイツを殺しそうになったら、その時は」
キサラギは簡素にその頼みをマコトに告げると、マコトは愕然として危うく手に持っていたたまごサンドを落としそうになる。
ウミネコの鳴き声と波の音だけが聞こえる中、間を置いてマコトは首を横に振ってできないと言った。
「仲間殺しなんて、絶対できない! たとえそれがキサラギ本人の頼みだとしてもだ……!」
泣きそうな顔のマコトにキサラギは驚く。まさかそんな顔をするなんて思ってもいなかったからだ。
「(何だ。俺が悪いのかこれ)」
戸惑っていると、マコトは怒った様子でキサラギに近づく。頬を叩かれるのかと構えたがその様子とは裏腹に優しく手を握られる。
「おい」
握ったまま何も言わない。顔も今下を向いているからどんな表情を浮かべてるか分からない。
汽笛が鳴り響き、辺りが一気に橙色に染まる。すると、マコトが小さく呟いた。
「死んでほしくない、いなくならないでくれ」
握る手に力がこもるのを感じながらキサラギは「何故?」とマコトに聞いた。
するとマコトは「決まっているだろう⁉︎」とまた怒った。
「大事な仲間だからだよ‼︎」
「仲間」
「とはいっても、あくまで私の認識だがな……もし、迷惑だったら……やめる」
そう言われて、急に胸が締め付けられるような感覚があった。
マコトの手が離れそうになって思わず握りしめると、マコトは顔を上げる。
キサラギは目を逸らしながらも小さく溜息をついた後、「分かった」と呟く。
「死にやしねえし、いなくなりもしねえよ」
「キサラギ」
残ったたまごサンドはマコトにやると言い、手を離すとハンドレールに寄り掛かる。
マコトはキサラギの隣に立つと、海を眺めながらたまごサンドを食べ始める。
気がつけば蘭夏の港がすぐそこまで見えていた。着岸する為に乗組員が準備し始めると、レンとカイルが出てくる。
「あれが蘭夏……!」
カイルが興奮気味に声を漏らす。レンも蘭夏を見て笑顔になるが、ある物を見て笑みが消える。
「……あれ、あの旗」
レンの表情が強張る。白に紅色の旗と共に兵士らしき人々が集まっていた。その異様な光景にマコトも気づくと、不思議そうに見た。
レンは真っ青になって、隠れるようにその場にしゃがみ込む。それを見たキサラギは察した。
「あれは、桜宮か?」
「キサラギ」
「分かってる」
手を強く握りしめてそっと広げた後、不安げに見つめるマコトに「何かあったら俺の手を取って止めてくれ」と言った。マコトは小さく頷く。
レンはそんな二人の様子に「どうしたの?」と言う。
「(そういえばキサラギ、桜宮と何かあったみたいだけど)」
何だろう。これから帰って盛大な説教が待っているであろうという恐怖と共に、もやもやとした気持ちがレンの中で感じ始めていた。
※※※
「どうだい? 桜宮の王女様は乗ってそうかい?」
「そう、ですね」
望遠鏡を通して見つめながら、長い白髪の男は小さく「見つけた」と言った。
エメラルでレンを見たという従者からの報告を受けた男は、蘭夏の王の許可を貰いしばらく見張っていた。
望遠鏡から見えたレンらしき姿にホッとした笑みを浮かべながらも、ため息をつくとその様子に港湾荷役作業員である男性が笑う。
「にしてもわざわざ王子自ら迎えに来るとはな」
「ええ。兄ですから」
おてんばな妹の事だ。兵士に混じって剣の鍛錬をしているのもあって、そう簡単にやられないのは男もわかっている。
とはいえ兄として、また保護者として、やはり一人旅というのはあまりにも心配だった男は、旅に出る事をずっと反対していた。
「(でもまさか家出をしてまで旅に出たいとは……)」
最初報告を聞いた時は驚いて従者と一緒に城下町を探し回ったのだが、その時レンは既に橙月にいた。
そこから兵士も派遣して聖園領域のあちこちを探し回ったのが、気が付けば魔鏡領域にまで行っていたものだから男はまた驚いた。
まあでも報告によれば、魔鏡領域でどうやら男女複数人で行動していると聞いていたのもあってちょっとは安心していたのだが。
やれやれ。そう思いながら望遠鏡を目から離した後、王子と呼ばれた男は妹の元へ歩いていった。