ロマン溢れる国家列伝①『ポーランド』〜復活の大国〜
どうも、爆撃projectです。
常に諸説あるのだということを頭の片隅に入れてご一読ください。
ポーランドという国、名前を知っている人は多いのではないでしょうか。
ポーランドはドイツやイタリアより東の東欧と呼ばれる地域に位置しており、首都はヴィスワ川の中流にあるワルシャワ、面積は日本から四国を除いたくらいの国です。
……なーんて説明をするだけならWikiに任せた方が遥かに素晴らしい解説が見られるので、なかなか教わらないポーランドの歴史を中心に、解説して参りましょう!
——七世紀(西暦600年代)ごろから、ポーランドは三つの部族が並立して存在していました。ちなみにポーランドの大体の位置は、スウェーデンの南、ドイツの東、チェコやスロバキアの北、ロシアの西です。
周辺国の影響もあって、政治的な統一はピャスト朝ポーランドを待つこととなります。
ピャスト朝として統一された後、時の国王ミシェコはチェコ公の娘を妻に欲しがりました。
しかし娘はこれに条件をつけます。敬虔なキリスト教徒であった彼女は七人もの妻を持っていたミシェコを倫理的に許せなかったのだそう。でもおかしいですね、歴史上キリスト教徒でも結構愛人作ってる人多いんですが……まぁ、気にしてはいけません。
ミシェコはこれを機に洗礼を受け、ポーランドは無事キリスト教の国になります。
十三世紀になると宿敵『ドイツ騎士団』が出現し、長い戦いが始まることになります。(モンゴルにボコボコにされたりもしますが)
ドイツ騎士団は東プロイセンを中心に勢力を誇っていました。スウェーデンの下あたりですかね。何故騎士団なのに国があるのかとか、色々疑問はありそうですがポーランドの歴史なのでそれは置いとくとして。
ドイツ騎士団は東プロイセンを拠点に勢力を拡大、最盛期には現在のバルト三国までを支配下に置きます。リヴォニア騎士団領とも呼ばれますね。
ドイツ騎士団国の勢力拡大の裏には、教会やほかのキリスト教国からの大量の支援がありました。異教徒であるリトアニアを侵攻するからといって貰ったものです。実際はポーランドとの戦いにも使われました。詐欺? いえいえそんなもんです。
この頃のリトアニアはポーランド東側一帯を支配していた大国であり、白ロシアから西ウクライナまで、黒海へ進出するほどの広大な領土を持っていました。
リトアニアはドイツ騎士団に攻撃を受けるだけではなく、ロシアからの圧力も受けており、その時代危機的状況にあったと言えます。そんな中ポーランドは、
・リトアニアと共通の敵であるドイツ騎士団への対抗上。
・リトアニア弱ってるなぁ、うまい具合に支配できそうだなぁ。
との理由から、ルブリン合同と呼ばれることになる、ポーランドとリトアニアの合同を宣言します。
ここに誕生したのがポーランド=リトアニアの同君連合であり、東欧最強の大国でした。
諸説ありますが、殆どポーランドによるリトアニア支配だったとの説が有力です。この時代がポーランドの黄金時代でした。
「神が我らと共にあるならば、誰が我らに逆らうか」
というか標語に恥じることなく、ドイツ騎士団との戦いに勝利、これを服属させます。流石にキリスト教国となったポーランド=リトアニアと戦う資金は教会から貰えなかったようですね。更に圧倒的多数のスウェーデン軍を撃破するなど、ポーランドは強力な軍隊を持つという点でもヨーロッパ随一となっていきました。
しかし国内の分裂や体制不安が高まると、徐々に弱体化。そしてポーランド史に残る悲劇が訪れます。
原因は、「まぁ、そんなところにいたのが悪い」ということでした。
プロイセン(後にドイツへ変身する)「東側のポーランドってなんか邪魔じゃね?」
ロシア「それ思ってたんだよ。邪魔だよね、なくていいよね。山分けしようよ」
オーストリア(この頃は強かった)「え、なら参加させて」
という感じで第一次ポーランド分割が行われました。プロイセン、ロシア、オーストリアに領土をごっそり奪われてしまいます。更に追い討ちをかけるように
プロイセン&ロシア「まだ足りない、まだ行ける」
ポーランド「やめて」
第二次ポーランド分割で領土は更に半減。
ポーランド「もう本当にやめて、やめてね。もう虫の息で取れるとこなんてないからね」
普露澳三国「あぁなるほどフリなんだな?」
結局、第三次ポーランド分割で国家が消滅してしまいます。
阻止しようと頑張った人もいたにはいたのですが、国内での分裂の末、ロシアに助けを求めた人が居たことが大問題でしたね。
この後は第一次世界大戦まで、国家が消滅したままになります。ナポレオンがフランスで台頭した時に、ワルシャワ大公国として一時の復活はありましたが、フランスの敗北によって消滅します。
それでもポーランド人のアイデンティティは無くなりませんでした。ドイツやロシア各地の反乱鎮圧に駆り出されようと、イタリアまで遠征する羽目になろうと、何度反乱に失敗しようと、多くの同胞を虐殺されようも決して挫けませんでした。
そして第一次世界大戦が始まります。ドイツ・オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国を中核とする中央同盟国と、フランス・イギリス・ロシアを中核とする三国協商国との全面戦争です。イタリアや日本、アメリカの介入もあり、人類史上初の世界大戦となりました。
この時、ポーランドに二つの幸運が訪れます。一つは協商国がドイツに勝利したこと。一つはロシアで共産主義革命が起こったことです。まぁ二つ目が幸運に働いたのはこの時だけでしたが。
ポーランドを支配していた二大国が弱体化したことと、時のアメリカ大統領ウィルソンが提唱した民族自決(それぞれの民族が各自でいろいろと決めようぜ)の精神によって、やっと独立を回復します。この時にリトアニアも別の国として独立しました。
やっと独立を手にしたポーランドは、最初から危機に晒されていました。東方のソビエト連邦です。彼らによる共産主義革命思想の伝播と直接侵略を恐れたポーランドは、フランスの支援のもとポーランド軍を創設。ソビエトとの避けられない戦いに望むことになります。
『ポーランド=ソビエト戦争』は赤軍(ソ連軍)がポーランド領ヴィリニュスの民兵部隊を撃破したことで始まります。
当初はポーランド優勢で、連戦連勝。ベラルーシ地域への侵入すら果たしました。しかし赤軍が立て直すと形勢は逆転。首都ワルシャワ近郊にまで押し込まれることとなります。
国土の六割が赤軍の占領下に置かれる中で、ワルシャワでの決戦が始まりました。
この戦いはポーランドが勝利を収め、『ヴィスワ川の奇跡』と呼ばれることとなります。
こうしてまたもや形勢は逆転。最終的にポーランドはこの戦争に勝利して、ソ連に一部の領土を割譲させます。しかしこの恨みが……いえ、恨みがなくともこの国にまだ幸福な未来は訪れませんでした。
ドイツにおいてナチ党が台頭し、イタリアもファシズムが席巻。きな臭くなる国際情勢の中で、デジャヴを感じさせる秘密交渉が行われます。
ドイツ外相モロトフ「ドイツの勢力圏はここまで、ソ連の勢力圏はここまでといたしましょうか」
ソ連外相リッペンドロップ「いいですな、ポーランドはやっぱり」
「「分割ですな」」
独ソの間で結ばれたモロトフ=リッペンドロップ協定によって、第四次ポーランド分割が決定されたのです。
そして千九百三十九年、英仏による安全保障の下にいながらにして、ドイツによる侵攻を受けることとなります。第二次世界大戦の始まりです。
一応戦車による機械化も進んでいたポーランド軍でしたが、ドイツ軍と比べると規模的にどうしても劣り、連戦連敗。なんとか首都近郊のヴィスワ川で食い止める程度でした。
肝心のイギリスやフランスでしたが、ドイツに宣戦布告はしたものの積極的な攻撃はしませんでした。世にファニーウォー、まやかし戦争と呼ばれる時期です。
頼りにしていた英仏軍がやってこないと絶望する中、ソ連のポーランド分割参戦により戦況は更に絶望的になります。当初ポーランド軍は、ソ連から援軍がやってきたと勘違いし、無抵抗のまま撃たれたとか撃たれなかったとか。(冗談です流石に抵抗はしました)
こうしてポーランドは再び地図から姿を消します。領内には強制収容所が整備され、過酷な統治に苦しむこととなりました。
第二次世界大戦後、やっと独立を回復しましたが、その領土は大きく西にずらされていました。ソ連は戦勝国だったために東部がポーランドへ戻ってくることは無かったのです。
また独立は回復したといっても社会主義国家としてです。時代は冷戦真っ只中。ソ連の強い影響下にあり、ひとたび反ソ的な運動や民主化の兆しなどがあれば激しく統制を受けました。
プラハの春に乗っかって民主化を試みても激しく弾圧され、長らく言論の自由は認められませんでした。
こうしたソ連の支配が終わるのは、ベルリンの壁崩壊からの連鎖的な民主化。そしてソ連崩壊を待つことになります。
今現在、ポーランドは東欧随一の大国として君臨しています。EUへの加盟を契機にドイツへの労働力輸出が増え、その底力が認められるようになりました。(ドイツに良いように利用されているとも……)
過去の反省からか、欧州のなかでは強力な陸軍を持ち、今後の成長も期待されるポーランド。
かつては丁度大国に包囲される位置関係から多数の侵略を受けてきました。しかし今は、ロシアとドイツの合間という地政学的な要所にあることで、影響力的に高い地位を占めるようになっています。
ここで述べたポーランドの歴史は本当に簡単なもので、もっと詳しく知りたい方は、是非書店などでポーランド本をお買い求め下さいね!
初投稿なので拙い箇所、間違っている箇所があるかもしれません。
ご意見ご感想、切にお待ちしています。
あ、文量で分かるかと思いますが私の専門は近世〜現代ですので、中世以前はガバガバです。(以降はガバガバでないとは言っていない)
Wikiと中公新書、地政学関連書の知識などが元となっているので、より詳しく知りたい方はそちらをどうぞ。