第一章:芽吹き(3ー2)
その後一通りの治療が済むとおなごは昨日同様邸へと戻ろうと立ち上がったので、男は直垂の上衣のみ身に付けその上に置いておいた懐紙に包まれたものを差し出したのだった。
「貴女様、これを受け取っては頂けませんでしょうか」
おなごは怪訝そうにしながらもそれを摘み上げ広げて、中の物を確認して居る。包まれていたものは一枚の解き櫛四寸五分(13.5cm)程のもので、丸みを帯びた形状をしており片面には黒漆に金箔銀箔で描かれた鳥と草片面は素の木肌のままだが繊細な花の模様が品よく彫り込んである。
これは木賀の家督を継ぐ者が妻を娶るときにその妻に捧げるものなのだが、男がいつまでも独り身であるが故、妹が婿を取った際に託したのだ。しかし、戦場へ出立すると決めた際に、櫛には魂が宿る、自分の分身だと思って持って行くように、と持たされていたのだ。
「何やら、大事そうな物の様じゃが、我に渡しても良いのか?」
両面と櫛の歯を何遍もまじまじと見ながら受け取り手は尋ねた。
「はい、貴女様が私を助けて下さらなければ、この櫛も私と共に朽ちていた物古ぼけた櫛ではありますが、どうぞお納め下さい」
その言葉を受けそれを胸元へと収めると、雨も厭わず邸へと戻って行った。
まともに言葉を交わしたのはこれが初めてだと気づき着衣を正すと、愛馬の顔を抱きしめ「今日は、何かと吉日だ!」と喜んだ。
その夜、おなごはひとり草履を胸に強く抱き、震えながらもある決意を固めていたが、その決意には不安や恐れ絶望など負の思いばかりが纏わり付き身を裂かんばかりであった。しかし、この決意を揺るがすには遠く至らない。
森羅万象を見通すという神々ですら、その悲愴とも取れる思いに気づくことすら叶わなかったのだった。
次回更新は、 2019月3月15日18時です。