第一章:芽吹き(2ー3)
当時は戦に先立ち、お互いが名乗り合い、言葉合戦が行われるのが通例であった。
先の石橋山で行われた戦いに置いても、それは例外ではない。
平家側大将、大庭景親は、己は後三年の役で源義家に従った者の子孫で有ると名乗る。男はそれならば、景親は義家の孫、頼朝の累代家人の筈、と反論。景親は答える、「それは遠い昔の話、今は今である。土地と金こそ主。源氏が、平治の乱の後没落して以来、我が一族は平家より多くの土地と金を賜った。故に、私が従うは平家である」
男はその言葉につい本音が零れてしまう「我らが真の主は、田畑を耕し物を作りし民である」
それを聞いた平家側、源氏側は、双方ざわめき立った。
頼朝が目指したのは、あくまで武者の世の樹立。当時の一般の民は奴隷とさして変わらぬ扱いであったのだ。
これにて、言葉戦いは決裂合戦へと流れ込む。
大将首が取られれば、即敗北。故に、景親と頼朝は安全な場所へと下がる。
景親に代わり名乗りを上げるは定景という者共に輪乗りを始めるもどうも馬の歩様がおかしい、よくよく見ると右前脚が腫れている様だったので、男は待ったをかけ下馬し、定景の馬へと近づいて、月毛の馬の脚に触れてみると、やはり腫れていた。
「功を急ぐな、馬あっての武者だ」
と己の愛馬に何かあった際に、と持ち歩いている馬用の湿布薬を周りに気づかれぬよう手渡すと、下がるように促がした。その者義ある者の様で目礼すると、平家側へと引き返していった。
次に名乗りを上げて挑んできた者とも戦いとなるが、男の絶対優勢相手の矢は掠りもしない。少々思う所があり信に欠くとは思いながらも戦いを長引かせていると、黄支子の小さな生き物が、相手方の馬の足元によろよろと這い出してくる。
(蹴殺されてしまう)
とっさに馬の進路を変え馬上から身を乗り出すと、その右腕で庇うように頼りない柔毛を掬い上げた。
劣勢を極めていた相手は、最後に一矢のみはと矢を射かけてきた。
男は己の身に矢が刺さる事など意にも介さない唯々この小さな命を守り通す事にのみ集中していった。
その間、平家方三千に対し、源氏方三百で応戦していたものの、数で押され源氏方は総崩れ。
手持無沙汰の平家側は男に標的を絞り次々と矢を射掛けてきた。
彼らが男にばかりに気を取られているのを見て取ると、乱戦の中一文『景親の軍は、全て己が引き受ける』としたためた懐紙を矢に結び付け、頼朝が身を隠す窟の近くの松へと遠矢を放ち、敵側が、着かず離れず着いて来れる距離を保ちながら、頼朝達から平家の軍を離して行った。
翌24日も子狐を守りつつ応戦し、充分に石橋山から距離を取ると、矢を受けたまま愛馬を駆り平家の軍を撒き、件の山中へとたどり着いたのであった。
話し終わると立ち上がり邸の入口の隅に昼間こしらえた草履を置き一礼をして、男の帰りを待つ一頭と一匹の元へと戻って行ったのだった。
次回更新は、 2019月3月8日18時 です。