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第一章:芽吹き(1ー1)

(ん、うん……ここが地獄というところだろうか?)

男はうっすらと目を開け周りの様子を探るが、どうにもおかしかった。

幼い頃より郷の和尚から、何度も聞いていた地獄の釜に今己は浸かって居るのだが、煮えたぎり狂う様に熱いという様ではなく、ずいぶんと心地がいい湯の塩梅なのだった。 

赤黒く爛れている筈の空も真夏らしい瑠璃紺色に煌めき頬を撫でてゆく風も腐臭など一切せず草々の活力を孕み伝えてくれていた。

(草?)

驚き身を起こし、上半身を捻って、周りを見渡そうとすると、その動きに鎧直垂(よろいひたたれ:丈の短い着物の袖口に戦の際邪魔にならぬ様絞れる細工を施したものと袴を合わせたもの)の上衣のみ己の身を包んでいることに気づいたのだった。

「目覚めた様じゃな」

落ち着いた涼やかだが、どこか突き放した感を受ける声が聞こえひとりのおなごが近づいて来たのだが、その様足音も立てずまるで雲上を歩くかのよう。

自分にその影が落ちるのを確認すると、男は不可思議な気を放つ相手を見上げてみる。そこには、自分が山中にて意識遠のく中、仏と思った者の姿があり、腕を組み遠くに視線を放ったまま無言で佇んでいた。

(仏までおわすとは……そして、目覚めたと?)

知らず視線の先を追うと、そこには共に落ち延びた愛馬が、黄支子きくちなし色の柔毛に覆われた小さな生き物を頭の上に乗せ、それを落とさない様注意しながら、小首を傾け、こちらを見つめて居るのに気が付いたのであった。

「お前達!」

立ち上がり、ばしゃばしゃと湯音を立て、傷の痛みに己の生を感じながら一頭と一匹の元へと駆け寄っていくと、件の愛馬もゆっくりと近づき首筋を摺り寄せ愛咬(あいこう:馬が、最も信頼する相手に行う甘噛みの様なもの)を繰り返した。黄支子の生き物は子狐の様だ。馬上から、男の肩へと身軽に飛び移りその頬をしきりに舐め尾を振っていたのだった。両方共傷付いた痕も見当たらず栄養等の体調面も良さそうである。

余りの幸いに男が我を忘れて再会を喜んで居たが、命の恩人に無礼を働いていると、はたと気づき、近くの木の枝に懸けて袴を着込んでその者の元へと戻って行ったのである。

子狐がころころとその後を追い、馬が黄支子の柔毛を踏み潰さないように付き従ったのだった。

さして、興味無さげに様子を見て居たおなごの前で立ち止まると、片膝を付きはべりの型を取り、その右には子狐が前脚を揃えて真面目顔で座り、左後ろには口元を動かし、服従を示す馬が並んだ。

「事切れる寸前の私を始め、此処に居る皆が命繋ぐこと叶いしは、ひとえに貴女様あっての事。名乗るのが遅れ、大変な失礼を致しました」

そこでいったん言葉を切り、深々と頭を垂れた。一陣の風が木々を揺らし去って行った。

「私は駿河国伊豆出身、源頼朝が家人、木賀善司吉成と申します。連れの馬の名は艶雲、この狐は戦中に拾いました故、名が御座いません」

名乗りを無視し、横を通り過ぎると、子狐を抱き上げ艶雲という名の馬の上に乗せ、狐の耳の後ろと馬の首筋を撫でながら、命じたのだった。

「貴様、そこで衣を全て脱ぎ、寝転ぶがよい」

男には全く意図が分からなかった。無礼と思い余り見ないようにして居たが、声音や所作から、二十代前半の妙齢のおなごと当たりはつけて居た。しかし、どうであれ相手は命の恩人所望されたなら従うのみ。すでに烏帽子は取られ髪は晒された後であった(当時、人前で烏帽子を取ると言う行為は、全裸になるのと等しい、とされて居たのだ)

「御意」

応え直垂を脱ぎ草の上へと横たわると、その土は柔らかく背をくすぐる草の感触が心地良く呑気に構え四肢を投げ出し、目を閉じていると、左脛の外側に湿り気を帯びた暖かい感触を感じた。

子狐の悪戯かと目を開け視線をそちらに向けると、命じたおなごが形の良い小さな口から、ちろりちろりと珊瑚朱色の舌を出し、矢傷を舐めて居たのだった。

「穢れてしまいます!」

慌てて、止めようとするが、言葉を発することも身動きをすることも許さぬ、と無言のうちに言い渡された気がして、また身体の力を抜き目を伏せてた。

舌はひとつひとつの傷を丹念に舐め清めながら上がってくると、おのずとおなごも右手を右太もも、腹、右胸に添え、身体をずらして来る形となった。

最後に左首筋のかすり傷をひと舐めすると、「終いじゃ」とばかりに右胸を強く突き、立ち上がり、姿を消してしまった。

直垂を身に着け礼を言おうとする頃にはもうその姿は無かった。


次回更新は 2019年2月20日 18時です。

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