カレンジュラ
遅くなり、申し訳ありんす
パチパチ……という音に刺激され、意識がゆっくりと浮上する。
「………………」
静かな息遣いだけが聞こえる。自分のものなのか、彼女のものなのかはわからない。それが夢と現の境を曖昧にさせ、文字通りの夢現の状態で、耳をすます。何かが小さく爆ぜる音、風が葉を揺らす音、ドクン……ドクン……という、誰かの鼓動。
熱気が不規則に頰を撫でる。これは……火か?ひゅ……と冷たい夜風が、熱くなった頰を撫でて熱を奪う。
それが幾度か繰り返されると、もう意識は完全に覚醒していた。
「起きた?」
コクリと頷く。繋がってる感覚がないから、私の声は届かないだろう。彼女の言葉だけが、一方通行で届けられる。それがもどかしくはあるが、この安らいだ内心を読まれるのも恥ずかしい。
「そうして黙ってると、やっぱり可愛い」
頭をゆっくりと撫でられる。
普段は可愛くないという言い草に、しかし私は安堵する。いくら身体が幼い子どもとはいえ、精神は成人男性のそれだ。普段の自分に可愛げがあるだなんて、アイデンティティの危機だ。だがこうして子ども扱いされるのも、何故だか悪くない。
そうして、どれ程身を委ねていただろうか。静寂を終わらせたのは、「あっ……」という間の抜けた声だった。
「そういえば、これから行くとこの説明、全然してなかったね」
………………。
いや、ほんと今更だな。
と思ったものの、この内心を伝える術がないのだから仕方ない。仕方ないので目一杯表情を歪めたら。
「え、いきなりそんな可愛い笑顔……♪」
と、頬擦りされてしまう。念話を切っているからか、やけに子ども扱いしてくる。
「とと、忘れるとこだった」
と、木が大きく爆ぜる音で我に返った魔女は、私を抱え直して話し出した。
「これから向かうのは、この森を抜けて、一日も歩いたぐらいにある街だよ」
もう一日歩かなくちゃいけないことが判明した。いや、私は歩かないんだが。
「そこは人が多くてね。市場もあるし、教会もある。噴水もあったかな?とにかく、いろんな人が出たり入ったりするところだよ」
交易が盛んな街なのだろう。人通りが多いというのは、つまりそういうこと。ショッピングモールとか大手スーパーがあるところには、住む人も来る人も多い。
「君の世界でいうなら、中東のマーケットみたいなとこ……かな」
雑多で、人が行き交い、テントのような露店が並ぶ市場。衛生管理なんて知るかとばかりに置かれた食品たちに、砂埃を払いながら売る雑貨。そんな何処かで見た光景がフラッシュバックする。
「まぁ、私は一回しか行ったことないけどね」
それがどれ程前なのかは気になったが、彼女は年齢の話をすると、悲しそうな顔をする。女性に年齢を、なんて態度ではなく、懐かしさや、寂しさを含んだ笑顔を浮かべるのが、見るに耐えない。
軋む笑顔の内側を覗くことは未だ出来ないが、しかしその漏れ出た空気だけは嗅ぎ取れて……。
「うん。とっても、いい街だったよ」
晴れやかな笑顔を浮かべる彼女の心を、私は読むことが出来なかった。