表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/13

私が死んで生まれた日

口の中に広がった暖かな感触に、私は思わず目を開いた。焦点が合わずぼやけた視界の中では、女性……だろうか。褐色の肌に、紅色の二つの光が灯っている。目、なのか……?珍しい、というより現実感のない色だ。表情を読むには、まだ視界がぼやけ過ぎている。その人が微笑んでいるのか、それとも怒っているのか。

ふと、私は違和感に気付く。何故、私は……意識があるのか?おかしい。これは、これはおかしい。私の意識なんてものはもう無いはずだ。だって、だって、私は、私はーー


死んだ筈、なのだから。




あれから、体感ではあるがおよそ一ヶ月が経過した。まだ全ての謎が解けたわけではないが、判明したことがある。ここは、私が生きていた世界ーーつまり日本、アメリカ、中国、ロシアといった列強が経済を支配し、中東では宗教対立によって内紛やテロ組織が活動する、そんな世界ではないことだ。所謂……異世界、であろう。こう形容するのは、正直私は好きではないのだが。一番イメージしやすいのだから、仕方ない。

そして、何より重要な私自身について。私はおそらく……いや、間違いなく、一度死んだ。元の世界で、私は命を失った。いや、失ったなんて言い方は不適当だ。私は……そう。命を捨てたのだ。自分の命を、自ら、捨てた。誰もいない一人暮らしのアパートで、ひっそりと、誰にも見つからないように、首を吊って。苦しかったけど、途中からだんだん気持ちよくなってきて、最後には、そう。何かが見えて、それに手を伸ばしてたら、いつの間にか、私は消えてーー。

死ぬ瞬間の記憶は所々曖昧だ。忘れているだけで、記憶はあるのかもしれないが。どっちにしろ、そんな苦痛の記憶をわざわざ思い出す必要は無いだろう。

差し当たっての問題は、これからどうするか、だ。このまま第二の生を謳歌するのか、それともーー再び死ぬのか。

死ぬべきだと思う。私が私である限り、私は何の価値もない。生み出すのは負債ばかりで、誰かを幸せにすることなんて出来やしない。今までがそうだったのだ。


好きだったあの子は、私の前で一度も笑顔を浮かべてはくれなかった。母は私に何度も期待してくれたが、私はその度に裏切った。そして、母もとうとう諦めた。実家を出て働き始めた。通っていた大学は中退。母は学費を返すようにとだけ言って、それ以降連絡は無かった。私の勤めだした会社は、所謂中小企業で、下請けの下請け、何に使うのかも一目ではわからないような部品を作っている。休暇なんてものはほとんどない。残業を何十時間と積み上げても、貯金は一向に増えなかった。身体はもちろん辛かったが、何より私はミスが多かった。私のせいでラインが止まったことも一度ではない。その度に先輩からは殴られた。頰が腫れて、数日は痛みでうまく喋れなかった。きっと、その先輩を暴行致傷で訴えることも出来ただろう。でも、ミスをした後ろめたさから、そんなこと出来なかった。私が悪い。こんな底辺と呼べる環境でも、私は負債を生み出し続けている。こんなやつ消えちまえ。邪魔だ。そう、何より自分が思った。


自殺しよう。そう決めたら、何処か気分が楽になった。長年の難題への解決策が見つかった。そんな気がした。そうだ、こうすれば良かったんだ。これが正解なんだ。


そして私は死んだ。きっと、誰もが私の死に納得するだろう。寧ろ、何故今まで生きていたのか。それを疑問に思うほどに。



やはり、私は死ぬべきなんだろう。ここが異世界で、第二の生だからって関係ない。私が私であるのなら、そいつに価値なんて無い。もう、私を育てるなんて面倒を一人に与えてしまっている。あの褐色の肌に紅い瞳の、女性。本当の母親なのかどうかはわからない。でも、私が育って与える負債が大きくなる前に、彼女の中の俺が小さいうちに、私は死ぬべきだ。まだ立つことはおろかハイハイも出来ないが、辛うじて寝返りはうてそうだ。きっと、死んでいる私を見た彼女はショックを受けるかもしれない。でも大丈夫。今ここで死ねば、この先の面倒は無くなるんだから。

うつ伏せになって地面に顔を押し付ければ、息を止められるだろうか。窒息が一番簡単だ。ボタンは見当たらない。飲み込めば死ねそうだが、口に入れられそうなものは近くに無い。ひとまず、最初の方法を試そう。ダメなら、また別の方法を考えればいい。どうせ遅いか早いかの違いでしか無いのだから。

私は全身をどうにか操り、うつ伏せになるべく寝返りをうつ。勢いが足りない。元の位置に戻ってしまう。もう一度。えいっ。今度はさっきより勢いがある。うつ伏せになれそうだ。もう少し。短い腕を振り、勢いをつける。いける。そう思った時だった。目の前の空間に影が落ちた。そう思った瞬間、脇の下にすっと手を入れられ、抱え上げられた。


褐色紅目の、彼女だった。


ぎゅっと、抱き締められる。何故こんなことをするのか。いや、小さな子どもを抱き締めるのは、大した理由は無いのだろうが。

(違うわ)

えっ……。頭に直接、何かが響いた。それが声であることに、十数秒の間を置いて、気付く。これは、私のものじゃない。

(魔法よ。言葉の通じない者に、意思を伝える魔法。君の世界には無かったかしら)

これは私の声じゃない。いや、誰のものかはもうわかってる。他にいない。ーー彼女だ。私を抱く、彼女の声だ。

(君のことは、君の頭の中を覗いて知った。君が誰で、どんな人生を歩んできたか。そして今、何をしようとしてたか)

頭の中を覗く。そんなことができるのか、魔法は。ここが異世界と聞いた時に、もしかしたらと思っていたが、魔法が存在するなんて。でも、こうして声なき声を聞けば、受け入れてしまう。拒絶する意味も無いのだが。

(そんなに死にたいの?)

死にたい。と、簡単に頷くことは出来なかった。根源的な生への執着はある。でも、だって、死ぬことが最適解だと気付いてしまったんだもの。

(別の答えは、無かったの?)

あったら、私は未練がましくまだ生きてただろうさ。職場に迷惑をかけ続け、母へ僅かばかりのお金の入った封筒を送りながら。死んだ方がいい人間ってのはね。いるんだよ。それが私だったってだけで。ニュースでいつか見た、犯罪を犯した人たち。スキャンダルを起こした芸能人。彼らを詰る声の中に、生きてる意味があるのか、死んだ方がいい。そんな意見をよく聞いた。私も何処かで同じように思っていた。

ふと、ぽつぽつ、何かが頰に当たった。降り始めの雨のように、私の頰を濡らすそれ。温かかった。……涙だ。彼女は泣いていた。声を上げることなく、静かに、私の頰に水滴を伝せる。

何で泣いてるのか。私のせいで、泣いてるのか。だったらやはり、私は害だ。彼女を傷つける、害だ。

(違うよ。違う。ただ、うん。これでも、一か月。短かったけど、君と一緒にいた。最初は正直面倒だった。すぐ死んじゃいそうで……。いっそ放り出そうかと思ったわ。でもね……)

また、強くぎゅっと、力を込めて抱き締める。

(君が死んじゃうって思うと、怖くなる。初めてよ。これが母性かしらね)

私は20年以上生きてきたとはいえ、今生はまだ一か月。赤子だ。たとえ心が大人でも、彼女にとって私は庇護する対象であるのだろう。おそらく彼女の口振りから察するに、私は彼女が産んだ子どもではない。捨て子だったのか、何なのか。にも関わらず、彼女は育てようとしてくれた。

チクリと、罪悪感の棘が刺さった。死ぬ。その行動が、自分の選んだ選択が、彼女の気持ちを無視するものだと、気づいてしまう。

(我が子のことを死なせたくない。当然でしょう?)

そんな私の心を読んで、そう微笑む、ぐっと近づけられた唇が、私の頰に落ちた。

私はもう、わからなくなった。何が正解なのか、間違ってるのか。わからないから、もう少し……もう少しだけ、悩んでみよう。そう、思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ