カリオーネ その2
カリオーネ。通称〈絹の街カリオーネ〉
この街では絹産業が盛んで至るところに絹を使った品物が並ぶお店がある。それは小物類から洋服、カーテンや布団など一般的な物から、何と食べれる絹なんてものもある。
この街の絹は上質で高値で取り引きされておりこの街の主な収入源だ。
私達はカリオーネに入って早速宿屋に向かったんだけど・・
「この世界の宿屋ってこんな感じなの?」
思わず声に出してしまった。だってね!一面キラキラしてるんだよ!絨毯やカーテンが絹なのは当然なんだけど、無駄に高そうな壺とか置き物があちこちに置かれている。あっちの世界の高級ホテルにだってひけをとらないゴージャスさだ。フカフカのソファーに腰掛けながらつい周りを見渡してしまった。
「宿泊の手続きはしておきました。明日の朝、迎えのものを寄越しますので今日はゆっくりなさって下さい。」
受付で手続きをしていたスムージーさんが戻ってきて笑顔で話しかけてくる。
そうなのだ。スムージーさんはどうしても宿屋に案内したいとしつこく付いて回ってきたのでお願いすることにしたんだけど・・
「もう少し落ち着いた宿屋はないのか?」
流石のディーも少し呆れ返った様子でスムージーさんに聞いている。でも返事は
「ディーランド様に相応しい宿に案内させて戴いたまでです。」
満足そうな笑顔でスムージーさんは答えるだけで・・ んー。何言っても無駄っぽい。
「迎えは寄越さなくていい。こちらから町長を訪ねる。昼までには行くようにするからその旨を伝えておいてくれ。」
ディーはそう言うとサッと立ち上がり私の手を取った。
「行こうか、ユキリシア。」
微笑んだその顔はこの宿屋にも負けないキラキラで、全く違和感がない。この宿に相応しい笑顔だ。うん。スムージーさんの選択は間違ってないね。てゆーか、私、ホントに妹でいいんだろうか?まぁ今更“違いました“なんて言えないんだけど・・
「はい。お兄様。」
ニッコリ笑って手を握り返す。ここはスムージーさんの手前、割りきってユキリシアを演じるしかないよね。似てようが似てなかろうが私は妹っていう設定なんだから。
こうしてスムージーさんに会釈をしてテオと三人で部屋に向かった。
カチャリ
部屋のドアのカギを閉めてようやく息をつく。
「おつかれ~!いやぁ。ゆき、見事な演技だったな!なかなか様になってたぞ?」
テオがいつもの調子に戻ってニカッと笑いながら話しかけてきた。さっきまであんなにポーカーフェイスだったのに、テオこそ凄いんじゃないの?
「 “お兄様“ は出てくるとは思わなかったな。ディーもビックリしたんじゃないのか?」
(えっ!!やっぱり違ってた?!やり過ぎた?)
「あぁ。ゆきはてっきり打ち合わせを聞いていないと思ってたからな。こちらの設定通りの受け答えをしてもらえて助かったよ。」
ポンと私の頭に手を置いて微笑むディー。
いや。ホントは聞いてなかったんだけど・・アドリブが正解で良かったよ。つか、どんな設定してるのよ?
「ねえ。その身分証って本物なの?ディーのホントの名前はディーランドっていうの?」
やっぱり気になる。ディーって言うのは愛称なのかな?
「あぁ。身分証は本物だ。そう言えばゆきにはきちんと話してなかったな。一息ついたらお茶でも飲みながら話をしよう。」
ディーはそう言うとテオに「頼む」と言ってソファーに腰かけ、テオは当たり前のように「了解!」と言って部屋を出ていった。何か一連の動きが絶妙過ぎて思わず見入ってしまう。阿吽の呼吸ってこういうことを言うんだろう。
私もソファーに座って待っていたらテオとメイドの格好をした女の人がお茶とお菓子を持って部屋に入ってきた。
「給仕は俺がするから君は下がっていいよ。」
テオがさらっとメイドさんにそんなことを言う。赤毛のイケメンに微笑まれてメイドさんはたじたじになり、顔を赤くしながら部屋を出ていった。
(んー。何かいつものテオじゃない。何スマートに対応してるわけ?てゆーか、そんなことも出来るの?なら何で私にはあんな感じなの??)
お茶とお菓子の乗った小さなワゴンを押しているテオをじーっと見る。
「ん?なんだ?そんなに菓子が食べたいのか?全くゆきは食い意地がはってんなぁ。」
困ったもんだ、みたいな顔をしていつものテオにそんなことを言われる。
「なっ!そんなことを言ってないでしょ!!食い意地がはってるとか、テオにだけは言われたくない!」
「ったく。何で怒ってんだ?腹へってんのか?今お茶入れるから菓子でも食って落ち着けよ?」
全くもっていつものテオだ。ティーカップに紅茶を入れながらテキパキとお菓子を並べていく。見事な手捌きだ。少し睨みながらテオの動きを目で追っていたら、
「クククッ。ゆき、そんなに睨むな。せっかくの可愛い顔が台無しだ。」
ディーが口元を隠して笑いながら、これまたさらっとイケメン発言をする。
(もう!二人してなんなの?二重人格と根っからの女ったらし?全く!)
何だかモヤモヤする心を落ち着けようと紅茶を一口飲んでみる。
「!! おいしい!」
テオが淹れてくれた紅茶はホントに絶品だった。香りが豊かでほんのり甘くて、お砂糖なんていらない感じだ。
「美味いだろ?ディーの好きな茶葉にしてもらったから、ディーも飲んでくれよ。」
そう言ってディーにもお茶をすすめる。そして自分のお茶を入れるとディーの隣に座ってクッキーをボリボリ食べだした。
(ったく。どっちが食い意地がはってるのよ。)
「それで身分証の事なんだが、これが俺の身分証だ。」
ディーが一枚の紙を私に見せてきた。そこには
〈王都エルラ:公爵:ディーランド〉
と書いてあった。公爵?よくわかんないけどこれって・・・
「ねえ。公爵って凄いの?」
「ブフォーッ!」
テオが勢いよく吹き出す。汚いなぁ・・
「ゲホ、あのなぁ・・・ゆきは全然知らないんだなぁ。公爵って言ったら貴族階級の一番上だぞ。」
飛び散ったクッキーのカスを拭きながらテオが答えた。
一番上って、それって物凄く偉いってことだよね?貴族とかよくわかんないけど何となくわかるような気がする。ディーってば一般庶民とは雰囲気が違うし。なるほど・・納得だ。
「公爵なんて、ただの肩書きだ。俺自身が凄い訳じゃないさ。」
さらっといいのけるディーだけどやっぱり偉い人に違いないわけで。道理でみんなペコペコしてるわけだ。
「まぁ、この肩書きのおかげで何かと便利な事もあるし不便な事もある。今回は役に立ったと言うわけだ。」
ふーん。私からしたら不便な事なんて何も無さそうだけど、まぁ色々あるんだろう。それじゃあ、もしかしてテオも?まさか!
チラッと横のテオを見る。当の本人はものすごい勢いでクッキーを食べてた。
「もしかしてテオも貴族だったりするの?」
「いんや。俺はそんなんじゃねーよ?俺はディーに仕えてる一人だよ。」
ボロボロとクッキーのカスをこぼしながら答えるテオ。うん・・そうだよね。これも納得だ。でも仕えてるって言うわりには友達みたいな感じでいるよね?ディーはその辺は気にしないのかな?
「こいつは昔からこうだ。俺も畏まられるのは嫌だしな。人前以外だったらこの方が気楽でいい。」
涼しい顔でお茶を飲むディー。にしても私ってばまた思ってることが顔に出てたみたい。少し気を付けないと。
「それでだ。ゆきは俺の妹という設定なんだが、色々詮索されると困るだろう?だからこれから少し打ち合わせをして明日に備えようと思うんだが。」
うん。そーだよね。何故か町長さんの家に行くことになっちゃったし、色々聞いておいた方が良さそうだよね。
「わかった!色々教えてくれる?」
軽く返事をした私だけど、それはそれは大変な作業になってしまって、後々後悔する羽目になった。
「違う。お辞儀の仕方はこうだ!」
「そんな大股で歩いちゃダメだぞ!姿勢は背筋を伸ばして!」
「自分の事は“わたし“じゃなくて“わたくし“って言うんだぞ。言葉遣いはー」
「いいか。貴族の女子ってのは基本大きく口を開けないんだ。食べ物は小さく切ってー」
「貴族階級は公爵から侯爵、伯爵、子爵、男爵と続いてー」
「王都エルラはカイル・サージュ王が治めてて第一皇子のヒルデブラント様に第二皇子のアルフォンス様、皇女のクリスティーネ様がー」
「」
・・・
ちょっと待って・・
頭がパンクしそうだ。そもそもこの世界の基本知識が欠けてるうえに貴族の様に振る舞うとか、私には到底無理だ・・
日も傾き、テオの猛烈講義が一段落ついたところで、疲れ果ててしまった私はベッドの上でだらしなく寝転がる。
「明日、大丈夫かなぁ・・」
もうこの際、体調が悪いからとかいってここに引きこもってた方がいいんじゃないかなぁ・・そしたら誰にも迷惑をかけないような気がする。うだうだ考えてたらドアがノックされた。
「ゆき、今いいか?」
この声はディーだ。
「どうしたの?ディー・・」
ドアを開けた私は目を点にした。だって、ディーってばその手に凄い荷物を持ってるんだもん。片手には花束、片手には大きな箱を持っていた。
「一体どうしたの?その荷物?」
「これは町長からだ。ゆきにプレゼントだそうだ。全く、邪魔くさい事をしてくれたもんだ。」
どことなく不機嫌なディー。プレゼントって私に?何で?
「明日、これを着て来てくれって言うことだろう。こういったことはしてもらいたくないんだが、ゆきにって物を断るわけにもいかなくてな。」
ディーがそう言いながら大きな箱を開けた。その中には淡い水色の絹のドレスが入っていた。レースが施してあってとても素敵なドレス。え?これを私が着るの?
「公爵令嬢に精一杯のおもてなしというわけだ。靴にアクセサリまで届いてるぞ。」
うそ!そんなものまでプレゼントなの?公爵令嬢ってそんなに凄いの?!!
「ど、どうしよ!こんなの貰えないよ!私どうしたらいいの??」
焦ってディーにしがみつく。
「まぁ、公爵家に対する対応なんてこんなものだからな。とりあえず明日はこれを着て町長の所に行くしかないな。この格好だから馬車も用意してもらおう。」
珍しくうんざりした様子のディー。私はもう不安要素しか残っていない。どんどん顔が青ざめていくのがわかった。
「そんなに難しく考えなくて大丈夫だ。俺やテオがしっかりフォローするし、ゆきはそのままでも十分、貴族令嬢に見える。大人しく俺の側にいればいい。」
そう言ってディーは優しく微笑んで頭を撫でてくれる。いつもの綺麗な顔は少しだけ私に勇気をくれたけど・・
(ダメだ。ハードルが高過ぎる。ホントに大丈夫かなぁ・・・)
翌日、宿のメイドさんにも手伝ってもらってプレゼントされたドレスを着てみた。髪の毛も綺麗に結ってもらい、アクセサリも着けて靴を履けば格好はすっかり貴族令嬢だ。
「本当によくお似合いですよ。今、お兄様をお呼びしますね。」
メイドさんはとても嬉しそうにそう言うとにディーを呼びに部屋を出ていった。部屋のなかで一人になった私。鏡の前に立ちその姿を確認してみる。なんてゆーか、もう別人だ。日本人の“高科ゆき“の面影は何処にも残ってなかった。
(化ければ化けるもんだなぁ。ホントに貴族令嬢になったみたい。)
思わずクスッと笑いがこぼれた。
「ご機嫌だな、ユキリシア。俺にもその姿をよく見せてくれないか?」
いつの間にかディーが部屋の入り口に立っていたんだけど、その姿に驚いて固まってしまった。だってね!恐らく貴族の正装なんだろうけど・・
黒地に金の刺繍が施してあるコートみたいなジャケットに襟元にフリフリが付いた白いシャツ着て細身の黒いパンツをはいているディー。長い髪の毛は耳の後ろで一つにくくって肩より前に垂らしていて何とも色っぽい。
(ナニコレ?!格好良すぎじゃないの!)
固まってる私を気にもせずディーは近付いて声をかけてきた。
「よく似合ってるな。ユキリシアの良さが出ていて申し分ない。」
「作用でございますね。ホントにユキリシア様は可愛らしゅうございます。」
はっ!
メイドさんの声に我にかえる。いけない!今はユキリシアを演じないと!
「お、お兄様そこ素敵ですわよ。」
何とか笑顔を作ってそれらしく振る舞う。
(固まってたの、メイドさんにバレてないよね?)
さりげなくメイドさんを見たけど、その視線はディーに釘付けのようで・・・。うん、大丈夫だったみたいだね。まぁ、そりゃ釘付けにもなるわ。似合いすぎだし、格好良すぎだわ。自分が貴族令嬢みたいだなんて思ったのは大きな間違いだと思い知らされた気分だ。
「そろそろ迎えの馬車が来る頃だ。ホールで待っていよう。」
ディーのエスコートで宿の玄関ホールまで出たんだけど・・まわりの人の目が凄いったらありゃしない。完全に目立ってる。こんなに注目されたことがない私はもうどこを見ていいのかわからなくなってしまった。自然と顔が下を向いてしまう。
「ゆき、よく似合ってるんだ。せっかくの可愛い顔を隠すなんて勿体ないぞ。」
耳元でディーに囁かれ心臓が飛び出しそうになった。
(こんなときにイケメン発言はやめてよ!)
思わずディーを睨みそうになって思いとどまる。
(ダメダメ。今は貴族令嬢のユキリシアなんだから。もうこうなったら、なるようにしかならない!めいいっぱいユキリシアを演じてやろうじゃないの!)
一度大きく息をはき、顔をあげて姿勢を正す。
「お兄様。お褒め頂いて嬉しいですわ。」
どや顔にならないように気を付けながらニッコリ微笑んでディーを見上げる。
(どうよ!私だってやれば出来るんだから!)
少しだけ目を見開いて驚いたような素振りを見せたディーがフッと笑って、ジャケットの内ポケットから青い宝石が付いた花の髪飾りを取り出した。
「ユキリシアの瞳に合わせたんだ。きっと似合う。」
そう言って私の髪の毛に髪飾りを着けてくれた。(うわぁ。物凄く恥ずかしいんだけど!)
また下を向いてしまいそうになるのを必死で堪える。(堪えるのよ!堪えるのよ私。ここでうつ向いたら負けよ!)
私にとっては羞恥プレイも周りの人達はそう思わないみたいであちこちから感嘆の声が聞こえてくる。
「あ、ありがとうございます。お兄様。」
(あぁ~・・もう、早くこの場から消え去りたい///)
程なくして馬車が到着し、ディーとテオ、三人乗り込む。これでしばらくは人の目に晒されることがないと思うと気分が軽くなる。
「ユキリシア様、その髪飾りよくお似合いですよ。」
こちらもバッチリ正装で決めたテオが声をかけてきた。つか、まだここでも演技しないとダメなの?
「ユキリシアは少しおっちょこちょいだからな。無くさないように気を付けるんだぞ?」
「そうですね。せっかくディーランド様が見繕ったんですからね。ユキリシア様、気を付けて下さいよ?」
むぅー。なんなの二人して。確かに私はおっちょこちょいだけど、こんな高そうなもの早々無くしたりしないしないよ!
「二人して酷いですわね。大丈夫ですわよ!」
プイッと顔をそらして馬車の外に目を向ける。このカリオーネはコーリン村とは違って道路も舗装されており町中が華やいで見えた。活気もあり、道行く人々も身なりが良くて街全体が裕福な感じだ。
町並みを過ぎていくと一際大きな豪邸が見えてきた。ここが町長さんのお宅らしい。門前にはスムージーさんと丸々と太ったいかにも金持ちそうなおじさんの姿があった。
「ようこそおいでくださいました。ディーランド様にユキリシア様。私が町長のセゼニスキーでございます。お二人におかれましてはー」
「畏まった挨拶はいい。しばらくこの街に滞在することになる。よろしく頼む。こちらは妹のユキリシアだ。」
ディーに促されて一歩前に出る。(よし!昨日の特訓の成果を見せるときよ!)
「初めまして。ユキリシアと申します。本日はお招きありがとうございます。」
ドレスの裾を持ち上げ会釈する。
「ご丁寧にありがとうございます。いやはや。ディーランド様にこんなに可愛らしい妹君がいらっしゃるとは。ドレスも大変良くお似合いで。」
満面の笑みで手揉みしながら話す町長。なんだかとても胡散臭い。
「立ち話もなんですから、どうぞお入りください。昼食を用意してありますから。」
こうして町長の豪邸にお邪魔することになった。
セゼニスキーさんの家は泊まっていた宿にひけをとらないくらいゴージャスだった。高そうな置物や絵画、剥製が所狭しと置かれている。随分とお金持ちなようだ。まぁ、町長なんだし、町自体が裕福そうだったのでこんなものなのかなぁ?一般庶民の私には良くわからない。
昼食をとりながらセゼニスキーさんはご機嫌で話をしてくる。
「今回はどのくらい滞在予定なのですか?街も案内させていただきますよ。」
「この街の特産品の絹で作った洋服は他にはない一流品でしてね。王都でも評判なんですよ。」
「我が街はここ最近急成長を遂げてまして、生活レベルもぐっと上がりましてねー」
とまぁ、良くしゃべること。全体的にはこの街の自慢話だ。緊張してまともに食事も出来ない私とは大違いだ。相槌をうっていたら勝手に話が進んでいくので余り会話になっていない。
(町長ってこんな感じでいいの?)
偉い人のことはよく知らないけど流石に疑問だ。
「そう言えば。最近この街で事件が起きているみたいだが、犯人はまだ捕まらないのか?」
町長の話が一段落ついたところでディーが話題をふる。すると町長の顔色が少し変わった。
「え、あぁ。事件ですか。えぇっと例の事件ですね。まぁ、なんと言いますか私共も困っておりまして・・
でもディーランド様達には被害が及ぶようなことはございませんので!ご安心下さい!」
セゼニスキーさんは力一杯宣言すると流れ出す汗を一生懸命拭きだした。
そうだよね。よく考えたら事件の被害者にならないように気を付けないとだよね。私がそんなことを考えていたら
「恐らく犯人はもう街を出ております。最近、コーリン村で黒目黒髪の女を見たと言う情報を得ておりますしー」
ガチャン!
余りの驚きに持っていたティーカップを落としてしまった。今、何て言った??コーリン村?黒目黒髪の女??それって間違いなく私じゃん!!
「ユキリシア!」
「ユキリシア様、大丈夫ですか!」
テオが慌てて駆け寄ってくる。目を見開いたままテオを振り返る。もうユキリシアの演技の事なんてすっかり頭から抜け落ちていた。
「ご気分が優れませんか?少し退席させて頂きましょう。セゼニスキー様、休める部屋を貸して頂きたいのですが宜しいですか?」
「あぁ。隣の部屋に案内させましょう。昨日も体調を崩されていたと聞いています。ご無理をなさっていたのですね。申し訳ない。」
テオとセゼニスキーさんの会話が何となく聞こえてくるけど頭には入ってこない。私はテオに支えられながら隣の部屋に異動した。
隣の部屋のソファに座らされ私はようやく頭が動き出した。
「テオ!さっきのって、ふがっ!」
「シィーッ!声がでかい。」
テオに口を塞がれる様に抱き締められ小声で囁かれる。
「いいか、ゆき。落ち着いて聞いてくれ。とりあえずこの場を切り抜けて宿に帰るぞ。ゆきは体調が悪い振りを続けくれ。わかったか?」
何で抱き締められたのかは理解出来ないけど、テオの声はいつになく真剣だった。コクりと腕の中で頷く。
「ユキリシア様、そんなに不安になることはありません。この俺が必ずお守りしますから。」
テオが腕を解いて真剣な顔で私を覗いてくる。どうして今も演技するのか、何が不安なのかさっぱりわからないけど、とりあえず体調が悪い振りををすればいいんだよね?
「でも・・気分が良くな、ありませんわ。眩暈がしますの。」
「そうですか。もう今日は失礼させて頂きましょう。ディーランド様にご報告をー」
カタッ
「では、今日はこちらに滞在されてはいかがですか?私が伝えて参ります。あなた様はユキリシア様に付いておられる方がよろしいでしょう。」
えっ!誰かいたの!声のする方を見れば部屋の入り口にスムージーさんがいた。全く気配を感じなかったんだけど!どおりで演技続行するわけだ。でも滞在って・・・
スムージーさんが部屋を出ていこうとしたタイミングでディーが部屋に入ってきた。
「ユキリシア、具合はどうだ?」
「お兄様・・まだ少し眩暈が・・あっ!!」
話してる途中でディーに抱え上げられた。この態勢は“お姫様だっこ“だ。(ちょっ!いきなり何するのよ!)
「本調子でないのに出掛けるべきではなかったな。ここへも来るべきでは無かった。もう宿へ帰ろう。テオ、表に馬車をまわせ。」
「了解しました。」
明らかに不機嫌なディー。いつもより言葉が刺々しい。一体どうしたの??
「ディ、ディーランド様!お待ちください!急にどうされたのですか!」
慌てた様子のセゼニスキーさんが大量の汗をかきながら詰め寄ってきた。(ちょっと!その汗こっちに飛ばさないでよ!)
「セゼニスキー殿、街の治安を守るつもりがないなら町長など辞めたほうがいい。」
冷たい表情でそう言い放ちセゼニスキーさんを睨み付けるディー。セゼニスキーさんは顔を青くして固まってしまった。
(うわぁ。そのきれいな顔で怒るとめっちゃ怖いんですけど・・)
私まで顔が青くなる。
「顔色が悪いな。ユキリシア大丈夫か?」
ディーが心配そうに私を見てくるけど・・いや。これはアナタノセイデスヨ?
抱き抱えられたまま何が何だか良くわからないうちに馬車に乗せられる。御者台に座ってるのはテオだ。
「出せ。」
ディーの合図で馬車は出発した。そして私は何故か今も抱き抱えられている。(いやいや!これはおかしいでしょ!)
「あ、あの、お兄様。わたくし一人で座れますわよ?重たいでしょ?」
行きと同じようにユキリシアの演技で訴えてみる。
「ん?あぁ。ゆきは軽いから大丈夫だ。どうせ宿に入るときも抱えるんだし、面倒だからこのままでいい。」
はっ?何言ってるの?面倒だからってこんなに密着されたらこっちがもたない。つか、もう演技しなくていいの?
「ちょっ!面倒とか言ってないで降ろしてよ!こんなのおかしい!」
「そうか?ホントに顔色が悪いし無理はするな。俺にもたれてたらいい。」
ディーは離すつもりはないらしい。
(まったく。人の気も知らないで・・この人は何でこうなのかなぁ。)
馬車の中でディーに抱えられ身動きが取れなくなった私。聞きたいことはいっぱいあるけど、緊張しっぱなしだったからか演技をしなくてよくなった途端に眠気が襲ってくる。
(あぁ。何か疲れたなぁ。部屋に戻ったらいろいろ聞かないと・・)
馬車の程よい揺れとディーの温かさで、私は眠りにつくのにそう時間はかからなかった。
(ん・・サラサラしてて気持ちいいなぁ)
肌触りがよい感覚にまた意識を手放しそうになったとき声が聞こえてきた。
「ゆき!気が付いたか!」
ん?気が付くって?なに?重たい瞼を何とか開けてみた。そこには心配そうにしてるディーの姿があった。
「んん・・どうしたの・・」
頭がボーッとして声が出しづらい。私どうしたんだっけ?
「良かった。意識が戻ったな。」
安心したような様子のディー。あれ?私何か心配かけるようなことしたっけ?体を動かそうとして寝ていることに気付いた。いつの間に寝ちゃったんだろ?回りを見ればいつの間にか宿の部屋に戻ってきてる。
「馬車の中で意識を無くしたんだ。呼んでも目を覚まさないから心配した。」
ホントに心配してくれてたんだろう。その顔は少し憔悴してるように見えた。
「ごめんなさい・・わたし、そんなに寝てた・・?」
体を起こそうしたけど頭がフラフラしてうまく起き上がれない。
「無理をして起きなくていい。今夜はゆっくり休むんだ。」
ディーが優しく微笑んで頭を撫でてくれる。
(気持ちいいなぁ・・・)
その手の感覚がとても気持ちよくて私はまた意識を手放した。
私が再び眠りについた後、
「戻ったか。」
「あぁ。あいつは恐らくクロだ。どうする?」
「クククッ、俺に喧嘩を売ったんだ。その代償は大きいと知ったらいいさ。盛大に懲らしめてやろうじゃないか。」
「おぉ~こわっ!んじゃ、いっちょ派手にいきますか!」
月明かりが差し込む部屋の中、綺麗な顔をした
悪魔が生まれた瞬間だった。