第十七話 絶望と危機と悪あがきと、残された賭け
散乱する瓦礫。こちらまで優に届く衝撃と風。
舞い上がる土埃でどんな状況なのかは分からないが、銃を構えた臨戦態勢だけは崩さない。
「くっそ……痛てぇな!」
少し離れた場所からそんな声が聞こえたかと思うと、体に乗っかる岩々を手でどかしながらドウランは苦言を吐いた。
「あら……おにぃ、無事だったのね」
「兄様、兄様。一体何が起きたんだ?」
姉妹は揃ってドウランの元へ駆け寄ると、そんな言葉をかける。
「お前らなぁ……そっちと違って俺は一人で戦ったんだから、もう少し労えよ」
フサフサの毛にまとわりついている埃を手で落とすと、ドウランは自身が認識した範囲で起きたことを説明してくれた。
「……奴は別に何もしてねーよ。ただ、攻撃を躱すために後ろへ跳んだだけだ」
「おいおい、兄様。それは冗談が過ぎるぜ……なぁ、シスター?」
「えぇ、全くね。じゃないと――」
そこで言葉を切ると、この場にいる全員が現場を見やる。
モクモクと曇っていた視界が風で晴れると、そこには巨大な半円上の穴が空いていた。
「――普通はこんなことには、ならないわ」
落差は数十メートルと言ったところか。
恐らく、衝撃で地下の革命派本部が崩れたためにこんな事態が起きたと思われるが、それでも、ただの踏み込みだけで地下空間を崩落させる威力があるということだ。
下手したら、ただの拳圧だけで吹き飛ばされるぞ……。
「それじゃ、俺も聞くけどよ……。あれは何だ、本当に人か?」
大穴のその先――俺たちの位置からだいぶ離れた場所には謎の生命体が立っていた。
否。謎ではない。
状況から察するなら、それは先程までドウランと相対していた過激派のボスなのだろう。
しかし、そうとは思えない姿に俺たちは言葉を発することが出来なかった。
肉が全て削ぎ落とされたかのように細く、骨と皮しか見当たらない上半身。それとは対称的に、気味の悪いほど肥大化した下半身。そして、真っ白な毛に染め上げられた全身。
その歪な体格はもはや人とは形容できない。
呆然とその姿を見ていると、唐突に変化が起こり始める。
まるで肉が移動していくかのように徐々に足は細く、胴や腕はボコボコと膨らんでいき、次第に元の姿へと戻っていった。
自分の体を何度も見回す男。
その様子は俺たち同様に事態を把握できておらず、呆気に取られているようだ。
「……ウチなりの推測でいいなら話すぜ、兄様」
「あぁ、任せた」
先程の会話を続ける兄妹をよそに、相手はジッと自身の手を見つめ、しきりに拳の開閉を繰り返している。
「恐らくだけど、アレは薬の過剰摂取による体の暴走だ。あの状態になると、薬を飲まなくても傷が回復して、パワーも桁違いに上がる。あと、思考も割とまともな頃に戻るな。それから――」
警戒は怠らず、俺と似たような見解を持つ狐少女の話を聞いていると、遂に敵は動きを見せる。
体の調子に満足したのか、緩慢とした動きで視線を自らの拳から外すと、真っ直ぐ俺だけを見つめてきた。
「――! ヂー、結論は!」
何かを気取り、ドウランが声を張る。
しかし、その言葉が俺に耳に届いたと認識したときには、すでに目の前に敵の姿があった。
頭を狙われた右足上段の蹴り。
咄嗟のことにいつもの調子で身体を動かすが、怪我を負った身ではいう事を聞いてくれない。
バランスを崩し、そのまま後ろへと体が傾いてしまうも、それが却って功を奏した。
誰もが予期せぬ事態に攻撃は空を切り、その圧で風が舞い上がる。
踏ん張りがきかずに圧し負け、吹き飛ばされるが、その隙にウエストポーチから魔導具を取り出し、魔力を込めて相手の足元へと転がした。
噴出したのは煙。毒性などはないただの目くらましに過ぎないが、それでも敵の動きを阻害できる。
「――殺せば死ぬ!」
「それだけ分かれば、十分だ!」
遅れて兄妹の会話が聞こえ、彼らは煙幕の中へと突入した。
自らの特性――鼻が利くから見えなくても問題ないだろうという俺の思惑を上手く読み取ってくれたようだ。
鈍い音が数度響くと、いきなり三つの影が煙の中から吹き飛ばされる。
それと同時に視界は晴れ、そこには無傷の男が一人悠々と立っていた。
……いや、例え負傷させたとしても直ぐに回復してしまうか。
どうでもいい思考が割り込む中、俺は銃を構え、魔力を流す。
通常なら不可避の弾丸。急所を主軸に狙って飛来する複数のソレは、いとも簡単に呆気なく――掴まれてしまった。
避ける、ではなく掴む。手のひらで。遍く全てを。
生涯で二度目となるその事実に、僅かながら心が揺らいだ。
「…………終わりか?」
挑発的なその発言と態度に、俺はさらに弾速を上げ、銃弾どうしの衝突による軌道変更までもを織り交ぜた。
これには流石の相手も掴むことなどできなかったが、それとは別にして易々と攻撃を避けていく。
……駄目だ。これはもう使えない。
そう悟り、銃を戻そうとした瞬間――その時を狙ったかのように男は超速的な動きで間合いを詰めてきた。
だが、それは予測の範囲内。いくら速くとも、予期していれば対処のしようはある。
すれ違うように右足を一歩踏み出すと、左足を相手のすぐ後ろに引っ掛けるようにして置いておく。
そうして、相手の目を潰すように左手を差し向ければ敵は自然と身を逸らし、けれど、俺の足が邪魔となってそのまま背中から倒れ込む――はずだった。
足とお腹の筋力にものを言わせて無理やり姿勢を維持すると、そのままバク宙の要領で飛び上がり回避する。
空中で体勢を整えた敵は、間髪入れずにハイキック。咄嗟に俺は左腕を戻すも、衝撃は殺せず、何かが砕ける音がすぐ近くから響いた。
二度、三度地面を跳ねた俺は受身を取って起き上がる。
左腕は完全に沈黙したままで、また、さっきの衝撃で鼓膜が破れたみたいだ。
自身の現状を確認し、すぐに戦場へと意識を向け直すと、敵が空中で満足に動けない隙をついて姉妹らが攻撃を仕掛けていた。
真正面から向かうウーフーの手には、借り受けたと思しき剣が握られている。
それは真っ直ぐ心臓へと直進していくが、実はこれは本命ではない。
敵の背後。息を潜めるようにして、ヂーフーは相手の首に握った剣を刺そうとしていた。
迫る二本の刃。それらに超人的な反応を見せた男は、その二人の持ち手を掴もうと両手を動かす。
突発的な瞬発力でウーフーは躱すが、近くにいたヂーフーは間に合わずに握られる。
――グシャリ、と嫌な音が響いた。
「ぅあああああぁぁぁぁぁぁぁ――――!」
普段拳を握るような、そんな軽々しさでヂーフーの手首を潰す。
不意打ちのような攻撃に、堪らず彼女は叫びを上げた。
あまりの痛々しさに目を背けたくなる。
戦場で叫び、呻き、肉や血の匂いは当たり前のものだが、それが女性のものだとさすがに胸くそ悪い。
そのまま手を離さず、ヂーフーの身体ごと持ち上げた男はウーフーへと投げつけた。
対する彼女は衝撃を和らげるように受け止める他なく、その段階で着地を終えた敵はローキックで足を蹴りつける。
またしても骨の砕ける音が鳴り、体勢を崩したウーフーには万全に力を込めた男の左拳が迫っていた。
彼女は手袋からワイヤーを引き出すと、指と手に持つ剣とで器用に編み込み、前に差し出す。
盾と矛。それぞれの技が繰り出された後には、膠着が生まれていた。
だけど、それも束の間に過ぎない。
支柱にしていた剣の刃はその拳の勢いに耐えきれず、無残にも散ってしまう。
支えを失ったワイヤーは緩んで盾としての役目を終えてしまい、打ち勝った男の一撃は姉妹をまとめて吹き飛ばした。
幾度となく地を跳ねる彼女らに受身はおろか、倒れ込んだあとの動きさえもない。
「――――殺す」
そんな呟きが聞こえた気がした。
揺らめく闘志を見に纏ったドウランは敵の背後をつかむと、下段蹴りで足を払う。
そのまま引き倒したかと思えば、渾身の思いを込めた右腕が相手の鳩尾へと突き刺さり、文字通り地面へと沈めた。
「……いい攻撃だ」
そんな言葉とともに左腕が伸びドウランの手首を掴むと、ゆっくりと立ち上がる。
口の端からは僅かに血が流れているが、思った以上にダメージは無いように見えた。
振り解こうと左上段蹴りを放つも、それは敵の右手でガードされる。
そのまま強く拳を握り込まれると、お返しとばかりに一直線にドウランの鳩尾へと吸い込まれた。
幾度となく跳ね、転がる身体。立ち上がるろうと、無事な右腕と膝で体を支えるが血を吐くばかりでどうにもなっていない。
そこに追い討ちが来ていた。
俺はすぐさま駆けつける。
覚えたての『飛脚』を応用してかかと部分のみに足場を作り、疾駆した。
しかし、本調子には全く届いておらず間に合いそうにない。
振りかぶられた蹴りがドウランの顔面を捉える。
地面を削るように飛んだ彼のその後に、動きはなかった。
その隙を突くように敵の背後に辿り着くと、俺は右手で刀を抜き、上段から左斜めに振るう。
今のままでは威力に期待が出来ないが、そこは考えがあった。
手に持つ刀に魔力を伝えると、ズシリと一段重くなる。それを何千倍、何万倍にも高め、その勢いを利用した。
振るう、というよりは落とす。
だが、部位を切り落とすレベルとしては十分だ。
その刃が肩口へと迫るとき、相手は打撃をガードするような感覚で腕を掲げてきた。
肉へと食い込み、皮膚を裂く。その瞬間に腕を立て、男は自らの体を鎬の代わりとして俺の攻撃を受け流した。
当然肉は削ぎ落ちるが、逆に言えばそれだけで済み、重力に従って振りぬいた刀は地面に刺さる。
腹部に入れられた敵の膝蹴りが俺の呼吸を一時的に阻害した。
追撃として飛んでくる拳は左頬へと突き刺さり、気が付いた時には横になっている。
もはや首しか動かず、状況を確認すると隣では同じようなドウランが倒れていた。
また、煙を上げる残骸、敵味方関係なく並ぶ死体の数々。どうやら、集落の中心まで殴り飛ばされたようだ。
「……よくもここまで抵抗してくれたものだな」
近づく足音。目だけを向ければ、ゆっくりと歩み寄る敵の姿を捉える。
周囲の様子を見て、もう自分しか残っていないことに気が付いたらしい。
「今回は貴様らの勝ちだ。だが、その甲斐あってお前達という不安因子は消える。次へと繋がる。……復讐の炎は消えたりしない」
緩慢とした動きで、俺たち二人に手が伸びる。
――その瞬間だった。
唐突に炎が生まれたかと思えば、それらは男を囲むように渦を巻き、天まで高く燃え上がる。
これは――魔法、か?
だが、獣人族は総じて魔法が苦手なはず……もしや……!
そう思って見てみれば、そこには予想通りの人物が立っていた。
俺の与えたガラス瓶を二本足元に転がし、真剣な面持ちでこちら――正確には敵に向けて手を掲げている少女。
まだ扱いが甘く、魔力の残滓が風となってその金色の髪を靡かせている。修練不足で威力も低い。
だけども、確かにルゥはこの土壇場で魔法を使うことに成功したのだ。
彼女はまだ諦めてはいない。
自分にできることを考え、それに挑んでいる。
ならば、その声に応えるのが大人というものだろう……!
そんな闘志を奮い立たせた俺の目に、ある物が映った。
この状況を一転させる希望の種でもあり、使えば最後破滅をもたらすかもしれない悪魔のシロモノが。
「……なぁ、ドウラン。生きてるか?」
ルゥの時間稼ぎも長くは持つまい。
吐血する時間も惜しく、無理やりに飲み下すと言葉を紡ぐ。
「…………ぁぁ」
掠れた小さな声だが、何とか息はあるようだ。
「このまま負けて死ぬか。死ぬかもしれないけど奴に勝つか。……どっちがいい?」
問いになってさえない問い。
既に分かり切った答えを、俺はあえて求めた。
「…………勝ち……たぃ……!」
その言葉を聞き、動かない体に鞭を打つ。ズリズリと這いずって近づくと、俺はソレを手に取った。
ここから先はどうなるか分からない。
だけど、何があろうとも目の前の怪物だけを殺す。
その思いだけを胸に、俺たちはソレを飲み下した。
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