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愛好の為に  作者: 8番目
1/1

AV女優、星宮アイル

『これから撮影! 昨日から欲求不満でオナニーする手が止まらないから、今日のセックスはすっごく濃くなるかも? 楽しみ~!』


 先ほど自撮りしたほとんど裸と言っても過言ではない格好で撮った写真に簡単な言葉を添えて、星宮アイルはSNSへと急いで投稿していた。

 するとすぐに「いいね」とリツイート、そして賞賛のコメントがアイルのスマホの通知へと届く。


『アイルちゃん今日も可愛いね』

『いつもお世話になってます』

『撮影頑張ってきてね。楽しみにしてるよ』


 どれもこれも下心丸出しの童貞たちのコメントだが、それを眺めてアイルは悦に入ってにんまりと笑ってしまうのだ。

 ほら、あたしは可愛い。

 世の中の男は、あたしを見て抜いている。

 その事実は、AV女優の星宮アイルの糧になっている。幼少期はアイドルになりたかった。しかし自分は、器量は悪くないが芸能人ほどずば抜けて美人というわけではないということをアイルは早くも気づき始めた。回りの同級生たちと比べて成長期が早く訪れたアイルは、自分の胸が他の女子たちよりも大きいということに気がついた。それにより男子、男性からの視線が胸に注がれることも知った。どうしてもアイドルになりたかったアイルは、これだ、と思った。


「あたし、グラビアモデルになる!」


 そう決意して、そしてアイルはあっという間にAV女優としてデビューした。カメラの前で脱ぐことになんの躊躇もなかった。売れるためには仕方がなく、そして自慢の胸を晒さなければアイルの魅力は伝わらない。

 AV女優の道を突き進んできたアイルは、稼いだお金でより一層綺麗になってやろうと決めた。整形したって構わないし、自慢の胸をもっと大きくしてもいい。自分を磨くためには化粧品にも勿論拘るし、ネイルサロンに通うのを欠かさず、エステに通いつめ、服だって鞄だってアクセサリーだって妥協はしたくない。

 女に生まれてきたからには女を楽しむ。綺麗になって、いつでも男たちからの視線を浴びて酔っていたいのだ。本音を言えば、女性からも賞賛されたい。だがAV女優は大半の世間の女性の目に留まることはないだろう。

 もっと売れて、テレビにも出られるようになって、もっともっと有名になりたい。

 そんな野心を抱きながら、アイルはAV女優の道を順調に歩み始めていたところだった。

 SNSで告知したとおり、本日の撮影のための集合場所へと、アイルは事務所の送迎で到着した。撮影場所は今日のようなスタジオだったりラブホテルだったり様々ではあるが、集合場所へはいつもマネージャーの大橋か、彼が休みのときは事務所の社長である藤沢茂雄が送迎を担っていた。上京したての頃は土地勘がなくこの送迎は大いに助かったが、少し慣れた今でも社長自ら送迎をしてくれることにアイルはこの事務所の温かみを感じる。大手事務所ではないにしても、AV女優を社長自ら大事にしてくれるのは嬉しいことだ。アイルはこの藤沢社長のことが、嫌いではなかった。AV事務所の社長をしているなんてきっといやらしいおじさんだろうと勝手に想像していたが、この藤沢に関しては本当に人柄の良い紳士とも言える。アイルの父親と同じくらいの年齢だが、アイルを実の娘のように大切に扱ってくれた。常に男性の目に晒されていたアイルは、男性の下心には敏感な方だ。だがこの藤沢に関しては、性的な目で一度も見られたことがない。男性にちやほやされたいという願望はあるのに、アイルは藤沢のそういうところに安堵を覚えるので我ながら矛盾しているとは思う。

 今日の撮影は本日がデビューだという新人AV男優だったため、アイルの方に不備はなかったが、時間はいつもよりもかかってしまった。通常2~3日で撮影を終わらせたいところだが、予定は少しずれ込みそうである。多少の苛立ちを覚えたが、それでも監督からカットを貰うとほっとした。


「アイルちゃん、今日も良かったよ」


 と声をかけられると、また次もあるのかと期待してしまう。現場解散で、アイルの電話にてすでに迎えに来ていた社長の藤沢に、車の中から声をかけられた。


「お疲れ様、随分と時間がかかったみたいだけど、大丈夫だった?」

「相手の男優さんが今日デビューだったみたいなんです」

「そりゃ大変だったね。でもそれだけ監督はアイルちゃんのことをプロと認めているってことだよ」


 藤沢からそう労われると、悪い気はしない。大人に褒められた少女のように、アイルは後部座席にて、ふふっと笑う。


「……あ、それでね、もう終電過ぎてるんだけど、実は俺、親戚が亡くなったっていう知らせが来て、至急田舎に向かわないといけないんだよね」

「え、そうなんですか?」

「アイルちゃん、悪いけど、事務所に泊まるかい? 送っていく余裕がなさそうなんだよ」


 そう言われて、アイルは少しむっとした。別に送って貰えなかったことに腹を立てているわけではない。アイルの住むアパートは都心からやや離れたところにある。夢を追い上京してきたのはいいが、現実は少しでも家賃を浮かすためにギリギリ都内、と言えるようなところに今は住んでいるのだ。送れないというのも、時間がかかるからだろう。藤沢に限ってそんなことはないと思うが、揶揄されているようにも感じて気分は良くなかった。

 そんな不穏な空気を感じ取ったのか藤沢は、慌てたように付け加えた。


「今日は出前、取ってくれていいよ、事務所のツケでさ」


 窺うように言われると、アイルは「わー、いいんですか? 得しちゃいました」とはしゃぐように答えるしかない。正直、藤沢の申し出は一食分浮くので助かる。


「あ、それとこれ、今日の仕事の分の明細書ね、後日また振り込んでおくから」


 赤信号になり停車した後、ほっとしたように運転席から藤沢が薄い封筒を差し出してくる。アイルはそれを受け取り、後部座席でびりり、とやや乱暴に封を切った。そして振り込まれる予定のお金の額を見て、思わずため息が吐きそうになるのを我に返って寸でのところで止め、再び封筒へと明細書を仕舞い、流れるように進む風景を眺めていた。

 ……これだけの肉体労働をして、たった数十万円しか稼げない。

最近になってお金を貰うこの瞬間、夢よりも将来への不安でアイルは胸が押しつぶされそうになっていた。

AV業界は不況だ。昔はAV女優になれれば大金が手に入ると思っていた。贅沢をしてもお金は余る。有名になれずとも貯金して、その後を決めてもいいかもしれない。そういう余裕はあるものだと思っていた。しかし、スマホやネットが普及して、映像配信が無料同然で使用される。わざわざAVをレンタルしたり買ったりしてお金をつぎ込むことがなくなり、女優に支払うお金がそこまでの大金にならず、むしろ日頃の美容代を考えると赤字となり、貧困問題にまで発展してしまうのだ。加えて都会は何かと物価が高い。家賃だって高い。しかしここに住まなければ仕事をこなすのに何かと不便である。


「あの……」


 後部座席から、身を乗り出すようにアイルが藤沢へと声をかける。運転席から「ん? なに?」と藤沢の暢気な返事が聞こえてきて、アイルはそれだけで気が引けてしまう。しかし、言わねばならない。


「お話があります」


 声を硬くして、アイルは言った。

 あたしはこの仕事に誇りを持っている。男性たちの性欲を昇華させる大切なこの仕事。なんの曇りもなくあたしはこの仕事が好きでずっと続けていきたい。でもそのためにはお金が必要だ。この安い賃金では割に合わないし、これから続けていくのだって困難になってくるだろう。だから……もっと給与面を優遇して貰いたい。そして、もっと仕事が欲しい。

 そういうことを社長の藤沢に訴えたかった。

 実際、主役であるAV女優がいなければこの仕事も会社も立ち行かない。だったらもう少し手厚く待遇して貰えないだろうか?

 贅沢は言わないから、せめて今の生活にゆとりができるように……。

 アイルは願いを込めて藤沢の運転する後姿を眺めたが、しばらく経った後、彼は静かに頷いた。


「……ああ、話ね。それなら後日聞くよ。なんせ今日は急いでいるし、せっかくのアイルちゃんの話をまともに聞いてあげられそうにないからね」


 その返事にアイルはもどかしさを覚えたが、社長がそう言うのなら仕方がない。ちゃんと自分と向き合ってくれるということだ、と期待しつつも、もしかして内容を予想しているからこそはぐらかされるのではないか、という危惧もほんのりと思い浮かばないわけではなかった。

 アイルが所属する事務所に辿り着き、藤沢は束の間車を降りて、ふたりして冷たい夜風を感じながら彼は事務所の部屋の鍵を開ける。「今日はここまでしか送れなくて、本当にごめんね」と藤沢が振り返って謝ったのを、アイルは微笑んで頷き返した。藤沢も「じゃ、おやすみ」と手を振り、事務所に鍵をかけて消えていった。ビルの中の一階を借りた事務所は、事務所という役割よりは上京してきた女の子たちが一時的に寝泊りできる場所と化している。目の前に受付みたいなカウンターがあって、カウンターの下にはアイルが所属する事務所の一番の売れっ子AV女優、水守華の妖艶な姿を映し出したポスターが貼ってある。事務所の中にも水守華のポスターが見え、ここがAVの事務所であることがすぐにわかるようになっていた。アイルはそのポスターを睨み、つい毒づく。


「……いつまで、この事務所の№1でいる気よ、水守華」


 水守華はすでにAV界を引退している。彼女が引退後どのような生活をしているのか誰も知らない。そんなことは事務所にもAV界にも関係ないのだ。問題は引退した水守華からどれほど搾取し続けられるか、ということである。そんなほの暗い闇を感じながらもアイルは、それでもこの、もう架空となった水守華に勝てない自分に悔しさを感じるのだ。

 カウンターと事務として使っている部屋を通り過ぎ、アイルはその横の部屋の扉を開けた。寝具は完璧だ。藤沢の言葉に甘えて出前を取り、肉体労働の末疲れていたアイルはその部屋でいつの間にか眠りに落ちていた。


 タッタッ……。


 物音がしてふと目がしたアイルはしばらく状況を思い出すことに時間がかかった。ゆっくりと起き上がると、窓の外は暗い。時計を見るとまだ深夜の二時であることを知った。

 ……変な時間に起きちゃったな……喉、渇いた……。

 アイルは漠然とそう思い、水を飲もうと起き上がろうとする。


 タッタッ……。


 そしてまた、あの音が聞こえてきた。身軽な子どもが走るような足音。


「……誰か、いるの?」


 ぎょっとしてアイルは、ふと声に出して確認してしまう。

 きゃははは……。

 わずかに人の笑い声がして、アイルは辺りを見渡した。自分の住む安アパートでなら、珍しくない子どもの笑い声。しかしここはビルであり事務所の中だ。ここで何度か寝泊りしたことがあるが、心霊現象が起こったことは今までない。そしてアイルもまた、そういうものを信じていなかった。


「なに。なんなのよ」


 どうせ自分の気のせいだろうと思い、夜中に起こされた腹立たしさもありアイルは部屋の扉を開けた。

 薄暗く、外のLEDの光だけが頼りのこの中で、ぼんやりと、事務所の片隅で、人影が見えた。


 まさか。嘘でしょ。夢でも見ているんだわ。


 そんな思いでアイルは目を凝らす。しかし人影は消えない。事務所の隅でぼんやりとした人影はすらりとしたおかっぱの、小学生くらいの女の子だった。顔はよく見えないが、なぜか色白と判断できた。目もわからないのに、じっとこっちを見ている気がする。彼女はそのままふらりと駆け出す。あっ、と腰を抜かしそうになったアイルは、一瞬後退した。女の子は、事務室の扉を開ける。開かないはずだが、とアイルは不思議に思った。自分たちが寝泊りできる部屋には鍵がかかっていないが、事務室の扉には一応鍵がかかっている。それを女の子は難なく開き、まるで慣れた遊び場のようにぴょんぴょんとその中で飛び跳ねていた。アイルはそれに導かれるように、事務室の中を覗いていた。女の子は社長の藤沢のデスクの周りをうろうろした後、ふと立ち止まり、引き出しを開く。中から長方形の黒い物体を取り出して、デスクの上に置いた。


「あげる」


 はっきりとその声が耳に聞こえた気がした。透き通るような、柔らかい天使のようなその声に一瞬、魅了される自分がいる。


 あげる? 別に、要らないし……。


 アイルは心の中で反論したが、その場から動けずにいた。女の子の姿が、いつの間にはいなくなっている。金縛りが解けたように、アイルの緊張が解けた。


 なんなの……。これは、あの子の所有物なの? 


 そんな疑問が浮かびながらも、アイルはその黒い物体を手に取った。手に余る大きさで、軽いのか重いのかは判断がつかないが、テープのようなものだった。そこでアイルは、気を失うように、意識が途切れる。


 ……気がつけば、事務室横の部屋の中で目を覚ましていた。窓から差し込む日が眩しく、朝を迎えたことを知る。


 ……夢か。


 アイルは「変な夢」と苦笑して、もう帰ろう、とバッグへと手を伸ばす。バッグの中が開いており、アイルはその中身を見て息を呑んだ。

 あの黒い物が、アイルのバッグの中に入っていたのだ。

 びっくりしつつもそれを手に取って、アイルは一度、昨夜、これを手にした感触を思い出す。

 社長の、デスクの中にあったけど……。


『あげる』


 と、女の子ははっきりと言っていた。慌ててアイルはそれをバッグの奥に仕舞い込み、立ち上がる。


「あれ、アイルちゃん、ここに泊まってたんだ」


 突然声をかけられて驚いたアイルは顔を上げてそちらを見た。昨日休みだったマネージャーの大橋が「おはよう」と声をかけてきた。もう出勤してきたのだ。


「……おはようございます……」


 後ろめたい気持ちが手伝って、アイルは小さな声で返す。


「送っていこうか?」


 その申し出をアイルが「買い物して帰りたいんで……」と断って、そそくさと事務所を後にした。


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