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こんとらくと・きりんぐ

青き王の鹿の森(こんとらくと・きりんぐ)

作者: 実茂 譲

 あちこちに小川が走っている。

 彩り豊かな花が咲きほこっていた。

 道沿いの黄色い花、緑樹がつける小さな白い花、控えめに咲く青い花。花のあいだを行き交う美しい蝶は花たちが交わす言葉のようだ。

 遠くには蒼い山稜が見えていて、一年じゅう雪が退かない頂が目に染みるほど白く、岩棚の氷河は青い。山裾の高原には大きなベルを首から下げた牛が放されていた。

 山壁からは海の底に穴をあけたような大量の水が迸り、谷と高原に常に音を轟かせていた。氷のように冷たい水は巨大な滝つぼへと落ちると、黒い岩がごろごろ転がる渓谷や花や薬草が茂る高原へと細い水の筋になって触れるもの全てを清めながら流れていく。

 涙色のクーペは谷の上にかけられた木造の橋を渡り、いろいろな花が咲いている田舎道へと入っていった。

 クーペのエンジンは急勾配に何度か音を上げかけたが、殺し屋の必死の励ましでなんとか勢いを取り戻し、高原に入るころにはパパパパパと軽い音を上げながら、花と蜜の香る道を走っていった。

 クーペは目の前に壁のように塞がっている森の前で停車した。

 ショートへアの少女、あるいは長髪の少年に見える殺し屋が車から出てきて、地図をボンネットの上に広げた。

 低地から吹き上げる風に何度か邪魔されながら、殺し屋は出発前にあらかじめ赤鉛筆でなぞった目的地への最短ルートを読んだ。

 地図を信じるのであれば、この先に森などないはずである。

 だが、目の前には途切れ目のない森がある。森の左右は崖と谷だから、森のなかを行くしかない。

「こんなことなら地図代ケチるんじゃなかったな」

 何せ三十年前の地図だった。そもそもこの地図作成者は自分できちんと測量したかも怪しい。等高線がめちゃくちゃだったり、独自の記号を採用したり。

「ぼくってやつは、どうしてこうキワモノを見ると手を出さずにいられないんだろう?」

 殺し屋はトランクを開けた。細長く平べったい箱がある。用心深く誰もいないことを確認すると、箱を開けた。

 黒いスナイパーライフルがライフルの形に窪んだスポンジのなかにはまっていた。二脚バイポッド、ストレート・プル式のボルト、肩への反動を軽減するクッションが銃の台尻に装着されている。他にもサイレンサーやスコープなどの付属品があり、四五四口径の化け物みたいなライフル弾が六発入る弾倉があった。

 殺し屋はスコープを取り出して、倍率を調整して森を隅から隅まで眺めた。

 森の樹々は砦の防壁のように隙間なく並んでいた。だが、一ヶ所、道が口を開けているのを見つけると、殺し屋はそれを見失わないよう、森の入口から目を離さずにライフルをトランクにしまい、フロントシートに体を滑り込ませて、アクセルを踏んだ。

 道が森に入ると、杉や松の赤い幹越しに製材所や伐り出し場が見え、自分が走っている道が丸太を運ぶための道であることに気づいた。車が一台通れるほどの道は長い丸太を運ぶためか、ほとんどカーブはなく、真っ直ぐだった。

 殺し屋は煙草をくわえながら運転していたが、そのうち灰皿に押し込み、窓を閉じた。真夏といっても、高原の森のなかは空気がひんやりしていた。

 木漏れ日がフロントガラスを遡っていた。森番の小屋を通り過ぎると、突然、視界が白で塞がれた。

 殺し屋は咄嗟にブレーキを踏んで、ダッシュボードの九ミリ・オートマティックをつかんだ。

 誰かが殺し屋を蜂の巣にするために煙幕を張ったのかと思ったが、現れたのは野生化した山羊が一匹だけで、サブマシンガンを手にした物騒な連中は出てきていない。

 少ししてからタネが分かった。この高原に雲の底がかすめているのだ。この白い靄は低地でいつも見ているあの雲だ。

 森を抜けるとコテージが点在する(これも地図に記載されていない)村外れの草地へ出た。ピックアップ・トラックが数台。それに炭焼き小屋や樵が集まる酒場があり、低地の富豪が夏のあいだだけ利用する山荘が一軒あった。

 殺し屋はそのあたりを車で流し、泊まれそうなコテージを探したが、どこも予約いっぱいで断られた。

涙色のクーペはそのままさらに一段高い草地へと上がった。村は数十軒ほどの建物の集まりで教会と役場以外はみな丸太小屋だった。郵便局は雑貨屋を兼ねていた。だが、どの家の窓にもプランターがあり、桃色と藍色の花がこぼれ咲きになっていた。

 殺し屋は車の窓を下げた。村で唯一のカフェの前で、二人の老人がココアとクリームをたっぷり入れたコーヒーを口にしながら、会話を楽しんでいた。殺し屋は二人にたずねた。

「このへんで泊まれるところってありませんか?」

「あっちのほうにコテージがあるぞ」

 鳥打帽をかぶった老人が骨っぽい指を斜面の下り口へ向けて言った。

「ぼく、そっちから来たんです」

「じゃあ、〈白銀館〉だな」もう一人の口髭の老人が言った。

「白銀館?」

「この村で唯一のホテルだよ。屋根裏も入れれば、四階建てで村で一番大きな建物だ」

「そこもいっぱいかもしれませんね」

「それはないだろう。ここに避暑に来る観光客は静かな一軒家で過ごしたがる。食事のたびに食堂まで降りて、子どもの泣き声だとか、行商人の口上だとかに耳をわずらわせられるのはゴメンだと思ってるんだよ。あんた、食事の最中、子どもがぎゃあぎゃあ泣いたりするのは平気か?」

「まあ、子どもは泣くのが仕事みたいなものですからね。食事は?」

「うまいぞ。仔牛のローストとハイランド・ベリー・ケーキは絶品だ」

「ここじゃ鹿は料理しないんですか? ぼくが今まで旅した高原はたいてい――」

 二人の老人はとんでもない!と声を上げて、遮った。

「この地方じゃ鹿は神聖なものなんだ」

「神聖?」

 自分の知らないあいだに世界の宗教状勢が変わったのかな? これまで豚を穢れたものとしたり、牛を神聖な生き物としたりする宗教はきいたことがあるが、鹿を崇めるという話はここで初めてきいた。

「とにかく」と老人の一人が言った。「鹿よりも仔牛のほうがうまいんだから、それなら鹿を殺すことはないじゃないか?」


 白銀館は村のなかでも一番高い斜面の上にあった。三階までが石造り、屋根裏は木造で。土地の言葉で〈白銀館〉とかかれた看板、全ての窓には鉄の鎧戸がついていて、到着したばかりの殺し屋を見下ろすものがいるかと思ったが、窓には人影が見えなかった。

 殺し屋は着替えのシャツだの歯ブラシだのが入っているトランクとスナイパーライフルの入ったケースを両手に抱えて、ロビーに入ったが、目もくらむような光から突然、世界が暗転してしまったかのような錯覚を覚えた。

 というのも、ロビーは奥に小さなカウンターがある、暗めの壁紙を貼った広間で、そこにあるもの全てがどういうわけだかジトリとして陰気に見えた。暖炉や長椅子、一週間遅れの新聞ラック、剥製にした狼の頭や大きな鱒、それに壁に猟銃のどれも誰にも必要とされずにただそこにあるだけのふうに見えたからだ。

 眼鏡をかけた面長の老人がカウンターにいた。読んでいた革装丁の本に高山植物でつくったらしい押し花のしおりを差し込んで、立ち上がると、かなり背が高いのが分かる。

 老人はカウンターの向こうに腰かけた。

「お泊りですかな?」

「はい」

「宿泊の予定日数は?」

「実は決めてないんだ。まあ、飽きるまでいようかなと思って」

「それは素晴らしい旅ですな。期限を切らない旅はみじめな放浪になると思いの方は多いですが、わたしはそうは思いません。お客さまのように旅で得られるものを時間をかけてゆっくり引き出そうとすることは、制限をつけない旅ならではです」

「部屋にテレビはあります?」

「全部屋にありますが、シャワーのある部屋とない部屋がございますが」

「ある部屋をお願いします」

「では、こちらを。三〇三号室になります」

「じゃあ、とりあえず、まず二週間分の宿泊費です。はい」

「ありがとうございます」

 三〇三号室に行く途中、階段で男とすれ違った。登山家にも狩猟愛好家にも釣り師にも見えなかった。よれよれの背広、たるんだ顎、無精鬚、飲みすぎで潤んだ目、薄い頭髪は蒼白いくせにサウナにいるように汗をかいている。

「こんにちは」

 と、殺し屋が挨拶した。

 男は驚いて、目を剥き、殺し屋を見た。そして、何かぶつぶつ口のなかで唱えたあと、そそくさと階段を降りていった。

 男の目には殺し屋の年齢はおろか性別も分からなかっただろう。タートルネックのセーターにズボン姿でトランクを手に提げているから、旅行客だろうけど、もう一つの馬鹿に平べったくて大きな看板はなんだろう? ――と男は思うはずだ。

 三階の廊下を歩きながら、あの男は何かに追われているなと殺し屋は当て推量を始めた。借金取りか、別れた女房か、それともマフィアの殺し屋か。

 三〇三号室に入ると、荷物を放り、スナイパーライフルはベッドの下に隠し、そのままベッドに背中から飛んだ。大きなメダルだって弾き返しそうなくらい、ピンと張られたシーツの上にドスンと落ちると、ずっと運転のし通しでカチコチに痛む体を労わるつもりで、親指でぐいぐい押した。

 ベッドに仰向けになったまま、首だけ動かしてみる。

 ガラスをはめた本棚には山にまつわる小説や随筆が並べてあり、壁にかかっている山岳地方の額入り地図はかなり古い。

 仕事のことを考えるべく、殺し屋はトランクをベッドの上に引っぱって開け、荷物を全部出し、トランクの内側の秘密の収納場所から依頼人と出会うための地図を取り出した。

 地図はおそらく森に住んでいる住人が書いたのだろう。筆遣いは稚拙だが、壁に飾られた地図よりもずっと分かりやすかった。この白銀館から裏手のほうへ上り、森に入り、さらに進むのだが、そこにノコギリ岩だの、ウサギの巣だのといったわかりやすい目印がかいてあった。

 それと依頼人から送られた奇妙なパンフレット。

 依頼人が殺し屋に目を通すようにと書き添えたその題名には『第二〇〇回クジラ投資協会記念スピーチ(抜粋)』と殴り書きしてあった。内容は以下の通り。

『投資協会設立の第一目的は約款にも定められておりますとおり、人間の発展であります。みなさんのなかには首をかしげられるかたもおられるでしょう。なぜ人間の発展を我々クジラ族が助けなければならないのか?

 お集まりの皆さんはすでにご承知のこととは思いますが、古代より我々クジラ族は尾っぽで海底の砂を巻き上げ、砂中の金を髭でこし取る《遊び》を嗜好してきました。しかし、我々はこの《遊び》によって産出した砂金を有効に活用することについては無頓着であり、我々クジラ族の関心はもっぱらオキアミ資源の確保にのみ向いておりました。これは貴金属が食用に適さないからなのでありました。

 さて、時代を下り、人間たちによる捕鯨活動が我々クジラ族にとって耐え難いほど活発となり始めた時期、我々の祖先は対応を求められました。争いを好まないナガスクジラら穏健派は人間たちのいない海へと移住することを提案し(この案は人間たちの造船と航海術の進歩によって破綻しました)、マッコウクジラら急進派は人間たちへの宣戦布告を唱え、航行する船舶に対してゲリラ戦を展開することを主張しました(この案は我々を害獣として人間に意識づけることの危険性を憂慮した意見によって却下されました。逆上した人間の殺戮能力を過小評価すべきではありません)。では、我々クジラ族は有効な手を打てないまま座して滅亡を待つことしかできないのでしょうか? 否、それに対する答えが、二百年前に設立された《クジラ投資協会》なのでありました。

《クジラ投資協会》は砂金を、人間界に投資したのでありました。もちろん我々にとって有望な発明を成すものにです。《クジラの髭に代わる新時代の素材》を研究している発明家に援助の手を差し伸べ、《鯨油に代わる新燃料》を模索する企業に融資してまいりました。そして、化学繊維が発明され、石油が燃料として流通したのであります。

 こうした発明品が実はクジラ族の砂金によって成されたことを人間は一切知りません。知られないほうが好都合だからです。人間は貴金属に対して貪欲であり我々クジラ族が金を産出しうると知れれば、人間は全精力を費やして我々を征服し牛馬のごとく使役せんと企むことが予想されたからであります。

 現在、我々クジラ族は複数の環境保護団体と動物愛護団体への資金援助を通じて、我々が知的生物であることを仄めかし、宣伝し、人間に同族殺しの嫌悪感を植えつけることに成功しました。じきに調査目的や少数民族による捕鯨もなくなるでしょう。

 さあ、みなさん。オキアミのカクテルをお取りください。乾杯しましょう。人間の繁栄に! なぜなら人類が地球の三割を支配しているあいだに、我々は残りの七割の海洋を支配することができるのです。我々クジラ族の繁栄と未来に乾杯!』

 このパンフレットを真に受けるならば、人間はうまい具合にクジラにのせられたことになる。もっとも三文雑誌に載るショートショートの可能性も捨てきれない。

 だが、どうして依頼人はこんなものを殺し屋に読ませたのか分からなかった。ここは山奥で海から何百キロと離れている。豪快な滝はたくさんあるが、クジラが生きるには小さい水環境だ。

 ともあれ、依頼人と会って一度、話をしないといけない。

 殺し屋は左右のショルダーホルスターに九ミリとスローイング・ダガーを入れ、タートルネックのセーターの上に山岳兵連隊が払い下げた外套を羽織った。



 森は静まり返っていた。午後三時の日差し。樺の白い幹と樫の幹が譲り合うように枝葉を広げ、その足元には小川が流れている。

 甘い土の匂いがする。歩くたびに厚く積もった腐葉土が殺し屋の靴底をゆっくり沈み込ませる。

 依頼人との待ち合わせ場所に着くと、そこには一匹の大きな狼がいた。明るい銀の毛の珍しい狼で、それが長い鼻面を殺し屋のほうに向けて、吟味するようにくんくんと鼻を鳴らした。

 害意は感じなかった。そこで殺し屋も吟味するように狼を見て、くんくん鼻を鳴らした。

 狼はうんざりしたように首をふった。

「狼語、話せるか?」

「多少は」

「よし。じゃあ、仕事の話だ」

「あなたが依頼人? ええと――」

「シルバー。おれのことはそう呼べ」

「じゃあ、シルバーさん。詳しいお話をきかせてもらいましょう」

「いいけど、それにしても、お前の狼語、ひでえ訛りだな。まるでプードルみてえだぞ」

「仕方ないですよ。プードルに教わったんですから」

 シルバーは配られたカードで妥協するしかないギャンブラーの顔をした。そして、

「パンフレット読んだか?」

「読みました。あれはいったい何なんです?」

「お前ら人間が動物と呼んでる畜生どものなかには恐ろしく頭のキレるやつらがいるってことだ。あのクジラたちみたいにな。そして、この地方の山と森一帯の全てがやはり狡猾な畜生によって牛耳られている。そいつらは鹿だ」

「鹿?」

「そうだ。お前、映画見たことがないか? かわいい小鹿が主人公で、狼が悪役の映画だ」

「たぶん。見たことあります。ほら、ネズミとアヒルが出てくる映画会社のやつで――」

「その映画を見ていると」シルバーは続けた。「鹿はかわいくて、善良で、畜生としての分をわきまえた動物に見える。そして、狼は乱暴で、狡猾で、畜生の分際で人間にさえたてつこうとしている動物に見える。そんな映画をガキのころから見せられるとどんな人間が出来上がると思う? 小鹿バンザイ狼クタバレ人間が出来上がるんだよ」

「そういえば、あの町の人たちに鹿のローストはないのかたずねたら、とんでもない顔されましたね」

「ふん。洗脳済みってやつだ。ほんの二十年前にゃ、ここでも当然のように鹿を撃ち殺して、焼いて食ってたくせに、今じゃ脳みそを隅々まで洗い流されたってわけだ。それもこれも映画とテレビのせいだ。この手の映画がつくられるとき、その金の出所はどこだと思う? 鹿どもさ」

「鹿が人間にお金を払って、プロパガンダ映画をつくらせているって言うんですか?」

「お前、プードルみたいにしゃべるわりには察しがいいじゃねえか。その通り。もちろん、鹿どもが直接、映画会社のお偉いさんと交渉するわけじゃない。金さえもらえればクライアントが畜生でも構わない弁護士をあいだに挟む。だから、表向きは全て、人間が仕切っているように見えるが、やつらが踊る舞踏場は鹿どもの金でできているってわけだ」

「質問、いいですか?」

「ああ」

「鹿たちはどうやってお金を稼いでいるんです? 映画一本つくるのには結構な額が必要ですよ」

「生贄さ」シルバーは軽蔑し切った表情で言った。「どこかの王さまか大金持ちが山で鹿狩りをしようとする。だが、山のなかをあちこちうろついて、ようやく一頭仕留められるかどうかだ。でも、王さま金持ちは山をうろつかずに数十頭の鹿を仕留めたい。そこで鹿どもはまた弁護士を相手に挟んで、王さまや金持ちの家来と密約を結ぶ。鹿五十頭を撃ち殺させてやるから、礼金を払え。やつらは映画づくりのために自分の同胞を売るんだよ。信じられねえ話だがな。

 だが、それも昔の話だ。稼いだ金をいくつかの合同投資組合に委託して以来、鹿どもの金は何もせずに金を産んでいる。もう、生贄も必要なくなった。この森じゃ鹿は保護されるべき動物で、いじめちゃあいけない。それに対して、おれたち狼は害獣。見かけ次第ぶっ殺さないといけないというわけだ。おれの同族はみな撃ち殺されて、もう、この森の狼はおれしかいない。鹿どもの優勢は覆し難いが、やつらの頭目〈青き王〉だけは何としてでも地獄に送りたい。そこでお前が雇われたわけだ」

「うーん。シルバーさん。こんなこときくと気を悪くするかもしれませんけど、どうやってぼくに報酬を支払うつもりですか?」

「あんたがおれを都会の動物園へ連れていって、売り払え。おれはいま絶滅危険種だ。この世に残った最後の白銀狼だ。たんまり払ってもらえるさ。で、やるのか?」


 白銀館の食堂でハイランド・ベリー・ケーキを食べていると、誰かに追われているらしい例のよれよれ男が現れた。よれよれ男はテーブルクロス一枚一枚をめくって、誰か隠れていないか確認してからようやくホッとして、赤ワインと仔牛のカツレツを注文した。

 よれよれ男の目の前に皿が置かれて、銀の丸い覆いが持ち上げられると、そこにあったのはカツレツではなく、登山着姿の目を血走らせた男だった。よれよれ男は悲鳴を上げて、席から飛び退いた。が、目が血走った男がよれよれ男の襟をしっかりつかんで離さなかったので、すぐに引っぱり戻された。

「やっと、つかまえた!」

「勘弁してくれ、勘弁してくれえ!」

「とっくに締め切りは過ぎているんですよ。編集長はカンカンで一枚でもいいから取ってこいって言われてるんです。さあ、先生、立ってください。そして、書くんです」

 よれよれ男はそのまま食堂から引きずり出された――どうやって編集者があの小さな皿の上に隠れていたのかという謎を残して。


 翌日の早朝、毛布や手斧、コーヒーポット、缶詰などを入れたリュックを背負い、サイレンサーをつけたスナイパーライフルを手に待ち合わせ場所に行った。

 狼がまだ来ていなかったので、リュックをおろし、その上に座って、一服つけた。静かに息づいた光が森の景色を区切っていた。紫煙は光の帯のなかでゆっくりもつれを解いて、すくいとれそうな白のなかに溶けていく。

 吸殻を足元に捨て、念入りに踏みにじり、火を消した。

 だが、地面の腐葉土にまぎれた吸殻と三十秒ほど、にらめっこしてから、殺し屋は吸殻を拾って、ポケットに入れた。

 シルバーは用心深い獣らしく風下からやってきた。

「用意はできたか?」

「もちろん」

「よし。これから鹿どもの棲む森へ行く。そこに入ったら、これまで見知った鹿の常識を捨てろ。おれたちが相手する鹿どもは平気で人を殺す。まあ、それはいい。むかつくのは狼だって殺せると思ってやがることだ」

 殺し屋はシルバーの案内で獣道を北に歩いた。シルバーは最高の斥候だった。殺し屋が歩く道はときどき崖や谷に塞がれたが、シルバーは思いもよらないところに道を見つけてくれた。

 太陽が高く上がると、薄くかかっていた靄が掻き消えた。背中のリュックとライフルの重さは結構なものだったが、殺し屋は何とかシルバーの後についていった。気温が十五度を越えているかも怪しかったが、汗が殺し屋の首筋を伝い落ちていった。

「お前、プードル語を話す人間にしちゃ、なかなかタフじゃねえか。正直、自分の荷物にぶっ潰されちまうんじゃないかと思ったぜ」

 殺し屋はその答えとして、ウインクをした。それが精いっぱいだ。

 道は切り立った崖の岩棚に続いていた。そこを歩くのはまるで空を飛ぶようだった。全てが青い。空が青い。周囲を囲う山々も青い。青く陰る遠い雲も近い雲も青い風に運ばれて、南へ消えていく。殺し屋のライフルも銃身の青みが強くなっている。シルバーですら、うっすら青みがかっているような気がした。

たぶん、世界で最も素晴らしい青がここにある。

「素敵な場所だ」

 殺し屋が言うと、シルバーは歩きながら振り向いた。

「へえ。普通の人間はこういう景色に出会うと、景色があんまり素晴らしいもんだから、自分がちっぽけな存在に思えるらしいぜ。で、人間ってのは自分がちっぽけな存在じゃねえことを証明するために、素晴らしい景色をぶっ潰しちまうんだ。で、その跡地にアウトレット・モールなんか建てたりする」

「事の本質を容赦なくえぐるね。それにずいぶん人間の世界に詳しい」

「鹿どものせいだ。やつらが人間を使って、おれたちを根絶やしにし始めてから、おれたちまで人間について勉強しなきゃいけなくなった。昔は狩猟シーズンの始まりだけ心配してりゃよかった。それか腹が減って頭がおかしくなった一匹狼が人里に下りて、人間の赤ん坊を食っちまったときの山狩り。ところが、今はそれだけじゃ情報が足りない。人間の心理、経済、軍事力、マスコミ、それに流行ってるメロドラマの結末にまで気を配らなくちゃいけなくなった。それもこれも鹿どものせいだ――お、見えてきた。あの斜面に広がる樹海が鹿どもの棲み処だ」

 杉と松、樫でできた樹海がどこまでも続いていた。丘がいくつも隆起していて、その白い岩肌がときどき見えるが、それ以外はただ青があるのみ。

「そして、青き王がいる」

 シルバーは呻りながら言った。


 ヒースをちぎって、手で磨り潰し、その芳香で荷物の重さが少しだけ紛れた。岩棚から鬱蒼と茂る木立ちの斜面を降りてから、シルバーもかなり慎重に前を進んでいた。杉の丘を越えると次は松の丘がある。再び杉の丘のふもとに着くころには日が傾いていた。

「今日はここで寝るぞ」

 シルバーの宣言は奴隷解放宣言のように響いた。

 殺し屋はまず荷物を降ろし、ライフルを近くの木に立てかけ、湿った落ち葉が重なった柔らかい土の上にそのまま寝転んだ。土の甘い匂いを嗅ぎたかったから、毛布を下にひかなかった。

「四本足で歩けば、こんなに疲れなかったはずだぜ?」

 横になった殺し屋の顔を見下ろしながらシルバーが言った。

「人間ってのはなんで二本足で生きていこうなんて思っちまったのかねえ?」

「大きな脳みそを支えるのに背骨にじかに頭の重さを伝える必要があったんだよ」

「そんなことは高校の生物の教科書にだって載ってる。問題はなんで人間はそんなに脳みそを大きくしたがったかってことだ。脳みそ大きくなってなんかいいことあったか?」

「ビールを発明できた」殺し屋は横になったまま、シルバーの顎の毛を見上げ微笑んだ。「それに煙草とコーヒーも」

「ビールってそんなにうまいか?」

「意外だね」

「何が?」

「それだけ人間のことにも詳しいんだから、ビールにも詳しいと思ってた」

「別におれは百科事典じゃねえもん」

「飲んでみる?」

「ビールあるのか?」

 シルバーは尻尾をふった。

「もちろん。でも、ちょっと待って。冷やしたほうがずっとおいしい」

 殺し屋は五〇〇ミリリットル缶のシックスパックを取り出し、ビニールの輪っこから缶を一つ外した。それを持って、水が流れる音のするほうへ行くと、川が見つかった。

 殺し屋は川辺にしゃがむと、手を流れに差し込んだ。刺すように冷たかった。殺し屋はうれしそうに笑いながら、石をいくつか動かして堤のようなものを作り、そこにビールを一缶置いて、五分待った。

 五分後、ビールを平たい皿に入れてやり、シルバーに差し出した。シルバーは小便みたいな色だなと言いつつ、ぺろりと一舐めした。

「なんだ、こりゃ? とんでもなくまずい!」

「オーケー。狼にビールは無理」

 殺し屋はグビグビ飲んで、ぷはあっとやった。

「あー。このために生きてる」

「人間はドアホだ。こんなもんのために二本足になるなんて」

 シルバーは首をふりながら、川辺のほうへ口直しに行ってしまった。


 持ってきた塩茹でアーモンドをこりこり食べながら、きんきんに冷えたビールを堪能した。こんな文明に離れた場所で飲むとビールがいつも以上においしく感じる。

 森は薄暗くなった。枝越しに暮れなずむ空がある。

 飲み終わった缶を踏み潰してから、本格的な食事の準備をすすめることにした。近くをうろついて、集めた枯れ枝と手斧で倒木から切り取った大き目の薪を組み合わせ、火を起こした。フライパンを火の上に置いて、細切れにした塩漬け豚肉を入れ、コーン・フリッターを作るべく立ち上がる。ビールを冷やしにいったとき、キャンバス地の折り畳みバケツに水を汲んでおいた。その水と塩をひきわりトウモロコシに少し加え、広げた革の上でこねて、三つの平らな生地に分けると、それをフライパンに乗せた。豚の脂で生地がパチパチと揚がって、いい匂いがしてきた。出来上がったコーン・フリッターを取り出すと、それを食べながら、フライパンに豆とチリの缶詰をドボドボ落とす。

 ビールの缶を一つ、ビニールの枠から取り外し、もう一本冷やせばよかったと思いながら、蓋を開けた。飲んでみると、思ったより冷たかった。

 殺し屋はすっかり上機嫌になって、チリをまぜた。チリの表面で小さなあぶくがブツブツと弾けた。

 チリがもうじき出来上がるというとき、四人の男が現れた。迷彩柄のジャケットにワーク・パンツで、四人とも銃身を切ったショットガンを手にしている。

「ずいぶんうまそうなもん、作ってるじゃねえか。え? お穣ちゃんよ?」

 リーダーらしい大きな顎鬚の男が言った。

 殺し屋は一瞬だけ、男たちの視線に目を配った。木に立てかけたライフルを見ているものはいないし、 ショルダーホルスターの銃に気づいているのもいない。

 リーダーともう一人、オーバーオールを着た痩せた男が殺し屋の前に座った。そして、膝の上でショットガンを玩びながら、

「ここは国有林だぜ。ここに入るには税金を払わないといけねえ」

「そうですか。国有林っていうのは公園みたいにみんなが自由に入ることができるところだと思ってました」

「聞いたか、おい。こいつ、国有林は公園だと思ったってぬかしやがった」

 他の二人が笑った。殺し屋から少し離れた位置に立ち、何かあれば、ショットガンで殺し屋を吹き飛ばせる位置に行こうとしている。だが、どうしたって殺し屋だけを吹き飛ばすのは無理だ。二人は殺し屋とフライパンを挟んだ位置に座っている。銃身の短いショットガンで撃てば、二人にも当たる。

 殺し屋は心のなかで舌打ちした。

 こいつらプロじゃない。素人だ。

 プロが引き金を引くタイミングはだいたい分かるが、素人は何をしでかすか分からない。こんなふうに山賊まがいの素人はとくにだ。

 それでも殺し屋は言うべきことは言わねばいけないと思い、

「悪いけど、チリは一人分だし、ビールも渡せない」

 と、大真面目な顔で言った。

 すると、痩せたほうがせせら笑って、オーバーオールのポケットから汚れたスプーンを取り出し、それをべろりと舐めてから、殺し屋のチリに近づけた。

「それ以上、そのスプーンを一ミリでもフライパンに近づけたら、殺すよ」

 殺し屋の言葉は物柔らかだが、本気だった。

 四人がヘラヘラ笑い出した。

「やってみろよ」

 スプーンがほんの少しチリに近づいた。

 殺し屋は左手でスローイング・ダガーを抜き、投げるかわりにオーバーオールの男の顔をX字に切り裂いた。

 悲鳴が上がり、オーバーオールの男はのけぞった。

 立っていた二人のうち右側にいるほうが二連式のショットガンを腰だめに構えて引き金を一度に引いた。二発の鹿弾は不用意に立ち上がったオーバーオールの男の背中に飛び込んだ。男は骨と内臓をバラバラに切り刻まれて、うつぶせに倒れた。

 そのころには左手で握っていたスローイング・ダガーが至近距離にいたリーダーの頸に深々と突き刺さり、ゲホゲホと血が吐きだされた。

 悲鳴が背後から上がった。振り返ると、シルバーがもう一人の男の喉に牙を立てて噛みつき、前足で胸を引っかき、ズタズタに切り裂いていた。

 殺し屋は落ち着いて、九ミリを抜くと、リーダーの男の顔を撃った。

 間違って味方を撃った男は震える手でショットガンの空薬莢を引き抜こうとしていたが、形成が逆転したことに気づくと、銃を捨てて、走って逃げた。

 殺し屋はライフルに飛びつき、膝撃ちの姿勢で構えた。

 スコープの十字線を逃げる男の後頭部に据えて、引き金を絞るように引く。

 バシュ!

 サイレンサーでくぐもった銃声。男の頭はポンと弾け飛び、殺し屋は銃の反動を受け止め損ねて、後ろに引っくり返った。

「あいたた……」

「おい、大丈夫か?」

 シルバーが殺し屋の顔を覗き込むようにしてたずねた。

「ぼくは大丈夫。それよりもチリは無事?」


 翌朝、また樹海を歩いた。

 相変わらずの奥深い森。だが、シダや熊笹に覆われた浅い溝がジグザグに走っているのをよく見かけるようになった。ナイフを取り出して、溝に生えた下生えを取り除くと、溝の壁が崩れないよう板を張って補強した跡が見つかった。その板自体が触れば崩れるくらいに風化していた。

「塹壕だ。ここで昔、大きな戦争があったりした?」

「ああ。じいさまが言ってたな。昔このあたりで人間同士が狂ったように殺しあったって」

 何十年も前、ここでかなり大きな戦いがあったのだ。錆び切った戦争の名残が植物のなかに埋もれていた。破壊された戦車や放棄された榴弾砲、樹に刺さったサーベル、崩れた掩蔽壕の入口、薮と見分けがつかない鉄条網、原型をとどめないほどに錆び崩れた小銃や機関銃。そして、人骨。

「じいさんが言うには、ここいらは昔、平原だった」シルバーが言った。「こんなに丘だの低地だのはなかったし、ここまで樹もなかった。ちょっとした林があちこちにぽつぽつ立っていて、ずっと見通しの利く場所だった。そんな場所で人間どもが何で戦争を始めたのかは知らん。ただ、戦争がやってきたときは、鳥もウサギも鹿も、もちろん狼も避難した、昨日おれたちが通ったような岩棚にな。じいさんはそこから見た炎と音が忘れられねえと言っていた。炎があまりに勢いが強すぎて、岩が溶けたと言ってたが、こりゃじいさんのホラだな。でも、地形も川も樹もみんな吹き飛んだのは事実だ。見渡す限り、ペンペン草一本も生えない泥の世界。爆発で開いた穴に水が溜まって、それが嫌にキラキラして見えたそうだ。そのうち戦争が終わると、人間は戦争に使った道具をほっぽり出して、家に帰った。すると、人間に痛めつけられた土地に、まず赤いケシの花が、ばあっと咲いた。あっという間に戦場は草原になって、樹がぐんぐん伸びて、今の樹海が出来上がった。樹海の養分はたぶん死んだ人間だな。あれだけの速さで植物が育つんだから、とんでもねえ数の人間が死んだに違いねえ」

 殺し屋はそばの大きな松を見た。松の幹はなかをくりぬけば、殺し屋のクーペが走れるくらいに太かった。その根にはバラバラになった人骨が絡まっているかもしれない。

 歩を進める。朝靄がかかった下生えがブーツにこすれて、よく磨いた革の上を小さなしずくが滑り落ちた。喬木が受け損ねたわずかな日光の落ちた先には小さな青い芽が生えていた。

 倒木の上には品物を並べたカウンターのように様々な植物の若い姿があった。ありふれたシダもあれば、杉の若木もあるし、図鑑でしか見たことがなかった植物もあった。

 大木の下に押し潰されるようにコンクリートのトーチカがあった。懐中電灯をつけて、銃眼からなかを覗いた。錆びた機関銃と受話器がなくなった野戦電話、それに粗末な寝台。二本の太い根が天井から床へと貫いている。

「鹿殺しに使えそうなもんはあるか?」

「どれも使ったらこっちが吹き飛ぶような不良品ばかり」

「こうしたもんも全て人間が二本足になったせいだろ?」

「否定はしないよ」

「今からでも遅くないから四本足で歩いてみろよ」

「遠慮しとく」

「じゃあ、何か二本足と脳みそのメリットを言ってみてくれよ。ビール以外で」

 日が高さを極めて、ほんのわずかだが、西へ傾いたあたりで、遠雷がきこえた。頭上は枝葉がつくる自然の天井に塞がっていたので、どこに雨雲があるのか分からない。

「ああ、雌に飢えるぜ」

 シルバーがつぶやいた。

「どうしたの。急に?」

「この世で最後の一頭の雄狼の悲哀だ。世界をひっくり返して、ガチャガチャ揺らしても、白銀狼の雌は一頭だって出てこない。今はまだ繁殖期じゃないから我慢もできるが」

「他の狼とじゃダメなの? その――」

「交尾をか? 冗談じゃねえ。白銀狼が他の狼とヤるなんて」

 シルバーはフンと鼻を鳴らしたが、すぐうなだれて、

「ああ、雌に飢えるぜ」

 と、またつぶやいた。

「妥協すべきときがやってきたんじゃないかな?」

「いや。まだだ。実は今度のことじゃ、まだ樹海に雌の白銀狼がいるんじゃないかと踏んでるんだ」

 雨が降り出した。まだ雨粒は落ちていない。高い樹木を打つにとどまっている。

 光が絞られるように弱まり始めたころ、一滴一滴と水の粒が落ちてきた。赤い樹皮を伝う水もきらりと光る。

 すぐにスコールがやってきた。殺し屋は前進をやめて、一日の残りを目についた大木の洞でやり過ごすことにした。大男が一人入ることができるくらい大きなくぼみで、クッションのように柔らかい腐葉土が溜まりこんでいる。湿って土になりかけた木の葉はつまもうとすると、いい匂いをさせてボロボロと崩れた。

「天然のベッドだ」

 殺し屋は少しうれしそうに言った。ライフルを抱え、リュックサックを背もたれにして、楽な姿勢になった。

「毛布を敷くのはもったいないよね」

 シルバーはフンと鼻を鳴らした。彼は倒木の陰に身を沈めていたのだ。

「ああ、雌に飢えるぜ」

 シルバーは顔を少しだけ動かした。その鼻に大粒の雨が一滴当たった。


 ホイッスルの音が聞こえた気がした。

 殺し屋は視線を感じて、目を覚ました。

 すると、夜の森にランタンを持った兵士が五人――〈でぶ〉〈ちび〉〈眼鏡〉〈色黒〉〈のっぽ〉が、洞のすぐそばに立ち、殺し屋を見下ろしていた。古い軍服と古い銃、肩には連隊の番号入りの徽章をつけていた。

「こいつにしようか?」〈色黒〉が指先の部分を切り取ったウールの手袋をした手で殺し屋を指差した。

「どうしてこいつなんだ?」〈でぶ〉が言った。「こいつでなきゃいけない理由があるのか?」

「こいつじゃいけない理由もないぜ」〈色黒〉が言った。

「お前らはどう思う?」〈でぶ〉が残り三人にたずねた。

「〈色黒〉に一票」〈のっぽ〉が言った。「いいんじゃねえか、こいつで」

「〈でぶ〉に一票」〈ちび〉が言った。「別に理由はないけどな」

「なんてこった。おれの一票で決まっちまうじゃないか」〈眼鏡〉が言った。「棄権ってありか?」

「なしだな」〈色黒〉が言った。

 五人の兵士はさっきから殺し屋のことはてんで無視して話をしていた。殺し屋は彼らが亡霊なのだと気づいていた。五人とも見た目は生きているようにしか見えなかった。顔色はよく、饒舌で、かすり傷以上の負傷はないし、〈でぶ〉と〈のっぽ〉の軍服がサイズがあっていなかったり、ボタンが取れかかっていたり、〈眼鏡〉の蔓にはんだごての痕が残っているところなど、まったくもって生きた兵士にしか見られない特徴に思えた。

「わかった。おれもこいつにするほうに一票。三対二で決定だ」

〈眼鏡〉が言った。負けた〈でぶ〉と〈ちび〉は別に悔しそうな様子を見せなかった。本当のところ、どうでもよかったのだ。

〈色黒〉がポケットから四角い紙を取り出した。それはきれいに折り畳まれていて、片手でパラパラと開けるように工夫して折られていた。それは地図だった。

「この×の地点に宝物が隠されている」〈色黒〉は地図を殺し屋に渡して言った。「ヒマがあったら探してみな」


 シルバーは亡霊たちのジョークだと決めつけた。

 だが、殺し屋は朝、目が覚めると、手に握られていた地図は本当に宝の地図なのだと言い張った。

 それは何十年も前につくられた軍事用の地図で、将軍の前で広げられて、自分の軍を表す小さな旗を立てる代物だった。

 殺し屋はもったいぶった調子で言った。

「宝物はただの森歩きを夢のあるものにする」

「なにが、夢だ。お前、殺し屋じゃねえか?」

「殺し屋が夢を見ちゃいけないのかい?」

「知らねえけど、殺し屋ってのは目の前のゲンナマとハジキだけ信じて生きるのが、殺し屋の生き方だろ?」

「そういう人もいるけど、なかには赤ちゃんはコウノトリが運んでくると信じてるメルヘンな殺し屋もいるんだ。ぼくの知っている殺し屋で、千人殺したら白馬の王子さまが迎えに来てくれると信じてる殺し屋の女の子を知ってる」

「そいつ、恐ろしくアホだな」

「かもしれない。でもね、なにか夢を見ないと殺し屋なんてやっていけないんだよ。出ないと死ぬまで殺し続けるハメになる」

 突然、視界が開けて空洞に出る。殺し屋は蔓に絡まれた鉄骨が左右で柱廊のように立っていた。そこは飛行船の発着場だったようだ。恐竜の化石のような飛行船の骨組みに植物が絡まり、青い花をつけたコイルバネのような蔓が次に絡まるものを探して、宙空を風に揺れていた。

 飛行船の骨格から外に出ると、翼がボロボロになった複葉機がいくつも巨大な樹の根に押し潰されていた。

「最後に立っていたものが勝つ」

 殺し屋が言った。

「簡単なルールだ」

 飛行場跡を通り過ぎて、また鬱蒼と茂る森へ戻ると、そこで初めて殺し屋はこの森の鹿たちを見た。鹿たちは木の実の落ちている餌場へ向かう途中だった。不思議なことに見た目はかわいらしい目や白くて三角に尖った短い尻尾を持つ鹿なのに、受ける印象は人間くさかった。銀行家風の鹿や軍人風の鹿、工場主風の鹿、政治家風の鹿。だが、小作人風の鹿や労働者風の鹿は見えなかった。鹿たちは支配者なのだ。

 そうなると、シルバーは追放された貴族ということになるのだろう。風下に隠れていたが、シルバーの目は怒りでらんらんと光っていて、その牙は肉を裂くことを望んでいた。

「突っ込みたいなら援護するよ」殺し屋は顧客の満足度を上げるつもりで提案した。

「いや――我慢する。ここで暴れたら、青き王のところまで行けない」

「そんなに守りが堅いの? その、青き王って」

「人間の王さまくらいに堅い。だが、それは先月までの話だ。おれたち白銀狼を完全に森から駆逐したと思ってやがるから、今は油断してる。そこをついて、青き王をぶっ殺してやる」

 生い茂る潅木の隙間を縫い、木漏れ日を求めるようにときどき上を向きながら、殺し屋は最後に狙撃をしたのがいつのことだか、思い出そうとした。確か、二ヶ月前だ。その男はマフィアの幹部だったのだが、逮捕されると免責と保護、新しい身分証明書と引き換えに仲間を売った。その男――確か、モッチェッリという名だった――の証言のせいで五大ファミリーのボスのうち三人が禁固三十年の実刑を喰らい、多くの組員たちもまた刑務所入りした。怒り狂ったマフィアたちがモッチェッリの暗殺を殺し屋に依頼したのだが、それがまた、物凄い高額だったので、ゼロの数はこれで本当に合っているのかたずねなければいけないくらいだ。これがマフィアというものなのだ。怒れるマフィアは敵にまわすと最悪だが、顧客にすると気前がよい。殺し屋は期待通りの仕事をした。六〇〇メートルの距離で狙撃した。刑務所から出てきて、防弾車に乗り込むわずかな隙をつき、七・六二ミリ弾はモッチェッリの眉間を貫いた。マフィアたちは殺し屋の仕事に満足し、既に刑務所入りしていた三人のボスからも満足のメッセージを受け取った。顧客を満足させることについてはそれなりに自信のある殺し屋だったので、これはうれしかった。三人のボスたちは高齢だから、二度と外には出られず、刑務所病院でその人生を終えるだろうが、ベッドの上でチューブだらけになりながら見る夢は裏切り者の脳みそが吹き飛ぶ夢なのだ。ボスたちはいまわの際にこういうのだ――、

「頭を下げろ!」

 シルバーが鋭く注意し、殺し屋は昔話を捨てて、茂みのあいだに身を伏せた。

「青き王がいた」

 シルバーが言った。その先には胸壁のように土が盛り上がった地形があり、その向こうに青き王がいるというのだ。

「そこから見てみろ。でも、気をつけろよ。青き王がカンがいい。こっちが風下にいても、分かるんだ」

 殺し屋はライフルと荷物を置いて、そのまま盛り上がった土の上へと這っていき、ほんの少しだけ頭を上げた。

 大きな池があり、その岸辺で水を飲んでいる鹿たちがいた。十数頭の鹿に混じって、明らかに異質な鹿がいた。青き王だ。

 通り名に嘘はなく、その鹿は紺色の体毛を生やしていた。そして、他の牡鹿たちよりも二まわりは大きく、グリズリーぐらいの大きさがあった。放り投げた投網が空中で制止したような複雑で大きな角と金色に光る目。

 その目がちらりとこちらを向きそうになったので、殺し屋は慌てて、頭を下げ、ずりずりと這ったまま後ろに下がった。

「確認したか?」シルバーがたずねた。

「うん」殺し屋はうなずいた。「あれ、本当に鹿なの?」

「鹿だ」

「惜しいことをしたね。もし、牛に生まれていれば、闘牛のスタープレイヤーになれるのに」

「闘牛ってのは最後に人間が必ず勝てるようになってるんだろ?」

「うん――いや、そうかな?」

「青き王は闘牛士の相手になるようなやつじゃねえ。あいつの角見ただろ?」

 確かに。殺し屋の目には青き王の角に引っかかった骨や布きれが焼きついていた。これまで殺した動物や人間の骸を角に引っかけたままにし、腐り果て、ボロボロになるまで放っておいたに違いなかった。我慢できないほどの悪臭がするはずだが、青き王はむしろその臭いが好きなのかもしれない。

「うっかりしてると、ぼくらもコレクションに加えられるってことか」

「最後まで立ってりゃ勝ちなんだろ?」シルバーが呻った。「降りるなんて言う気か?」

「まさか。仕事はきちんとやるよ」

「じゃあ、鹿どもを追うぞ。あいつら移動を始めた」


 鹿たちは北へ向かった。そこはかつての激戦地で砲弾の爆発でできた池がいくつもあり、今も地雷が爆発して、大樹を薙ぎ倒すことがあった。

 走りながら仕事の進め方が決まった。多少の変更があった。青き王はシルバーが一対一で決着をつける。殺し屋はシルバーが青き王のもとへ行けるよう、まわりの護衛の鹿を狙撃で片づける。

 鹿たちが向かう方向と宝の地図の×印の方向は奇妙なことにぴたりと一致していた。

 森の影が濃くなり、枝葉にバラバラにされた頭上の空が真っ赤に焼けるころ、青き王は立ち止まった。そこは堡塁の跡地で地面を分厚いコンクリートで覆っていたため、闘技場のように場所が開けていた。

「野郎、気づいたな」シルバーは呻った。

「ここでやる?」

「ああ」

 そう言うなり、シルバーは跳躍して飛び出した。

 護衛の鹿がすぐに反応し、角を前に押し出すような形で頭を下げ、シルバーへ突進した。

 バシュッ!

 くぐもった銃声。鹿の頭が血煙を上げて吹き飛ぶ。

 殺し屋は反動をうまく肩で受け、ストレートプルのボルトを引いた。次の鹿に狙いを定め、また引き金を引く。

 スコープのなかで鹿が横に倒れ、血だまりで体をひくつかせる。

 シルバーは左右の守りは完全に無視して、青き王へと突進した。青き王は傲岸ささえかもし出しながら、金の眼でシルバーを見下ろしている。

 バシュッ! 五発目の銃声が鳴ると、殺し屋は弾が命中したかも確認せず、素早く弾倉を取り外し、新しいものに変えた。

 次の鹿をきわどいところで撃ち倒す。

 燃えるように赤い空へ鹿の血しぶきが飛ぶ。

 二頭の鹿が殺し屋目がけて突進した。

 一頭をライフルで撃ち、顔を吹き飛ばす。

 殺し屋はライフルを捨てるとスローイング・ダガーを抜き、五メートルの距離まで詰めてきた鹿の顔へ放つ。鹿は殺し屋を飛び越え、倒木に激突して倒れた。ダガーは鹿の眉間を捉えていた。

 ライフルを拾い、次の鹿を探す。

 護衛の鹿はすでに全滅し、残るは青き王だけだった。

 シルバーは飛び跳ねようと一瞬身を低くした。

 瞬きするあいだに、十以上の動作が弾き出された。

 シルバーは高く跳躍するかわりに身をぎりぎりまで低くして、転がり込むようにして、青き王の懐へ飛び込もうとした。

 王の名を冠する鹿はフェイントに気づき、恐ろしい速度で上に向かせ気味だった角を振りおろした。

 毛筋一本の差だった。茨のごとき角がシルバーを串刺しにするより前にシルバーは相手の守りを潜り抜け、そこから顔を真上に上げて、青き王の喉に喰らいついた。

 青き王の太い叫び声が森に鳴り響き、古戦場を震わせる。

 シルバーは首を振り回す青き王に喰らいつき続けた。

 それから青き王はシルバーを首に噛み付かせたまま、一時間暴れ続けた。


 シルバーの口のまわりは血の誇りで彩られていた。

 一族の無念を晴らしたシルバーはすっかり上機嫌で興奮していた。

 殺し屋の宝探しにも非常に好意的になっていて、いいもんが見つかるといいな、きっと運びきれないほどの金塊だぜ、と夢のある意見を挟んでくれた。

 青き王が斃れた堡塁跡地から宝の隠し場所まですぐそこだった。

 それは擬装された砲弾回避用の掩蔽濠で入り口は切り株で巧妙に擬装されていた。

 地下通路へ入る。殺し屋はランプをつけた。壁に板を打ちつけ、支柱を何本も立てた通路が下り坂になっていて、時おり踊り場でぐるりと回りこみ、また坂を下っていった。

 踊り場を何度曲がったか覚えきれなくなるころ、大きな部屋に出た。真ん中には何かを積み上げた大きな山がある。

 札束の山かも。殺し屋は古い紙幣がアンティーク・ショップでどのくらいの価値があるか思い出そうとしながら、ランプの光を山になったお宝に向けた。

 それは写真だった。それも裸の女の写真。裸の女がいろんな様式のベッドの上で身をくねらせているものだった。天蓋があるもの、絹のベールがあるもの、兵隊用ベッドで頭に軍帽を乗せたもの。全部、白黒写真を着色したものだ。どの女性も現代の基準では太り気味に思えた。何十年ものあいだに女性の裸への趣味思考が変わったということだろう。

「まあ、そう気を落とすなよ」シルバーが言った。「今のお前に必要なのはアニマルセラピーだな。なんなら、おれの毛を撫でさせてやろうか?」

「これ全部がエッチな写真?」

「そうなんじゃねえの?」

 殺し屋はランプを置いて、写真の山を掘り始めた。艶美に笑う太めの女たちが雪崩のように滑り落ちていく。

 とんだ肩透かしを食らったな。

 殺し屋は少しがっくりした。もし、本当に価値のある宝物が隠されていたら、ある計画があったのだが……。

「あれ?」シルバーが写真に鼻を近づけた。「これ、裸のねーちゃんの写真じゃねえぞ」

「どれ?」

「奥にあるの全部。見てみろよ」

 殺し屋はシルバーが鼻で指した写真の山の洞窟から数枚鷲づかみにした。

 そこには亡霊たちが写っていた。

 写真のなかの亡霊たちはボタン一つ損なわれていない新品の軍服を着ていた。太った妻や痩せた妻、大きい妻や小さな妻たちが隣に立って、みな微笑んでいた。彼女たちはもし戦場で苦しい思いをすることになっても、自分の微笑みで愛する人を力づけようとしていた。だが、彼女たちは知っていた。炸裂する砲弾とネズミと泥の塹壕に自分たちがどれだけ無力かを。

 だから、子どもたちがいた。ふわふわした赤ん坊や水兵服を着た少女、わんぱく小僧たちが亡霊たちの足に抱きついたり、抱きかかえられたりしていた。

 彼らは亡霊たちの生きる意味だった。

 力だったのだ。


 都会の空気は相変わらずよどんでいる。

 殺し屋はシルバーを後部座席に乗せて、メインストリートの渋滞を脱出しようと、横道を探していた。

 この町には大きな動物園があり、絶滅寸前の動物を展示する施設があった。電話で生きた雄の白銀狼の値段を担当者にたずねると、マフィアのボスたちよりも気前のよい値段を支払う用意があることを告げた。森のなかを彷徨い、血に飢えた鹿たちを相手にし、亡霊たちにからかわれたことを思うと、十分報われる値段だった。

「雌に飢えるぜ」

 シルバーがぽつんとつぶやいた。

 彼の視線の先には街があった。自動車保険の代理店やホットドッグ屋台、車から捨てた吸殻の山から流れ出すヤニ色の一筋の水、電気屋のテレビのなかで何度も繰り返されるボクシングの名試合、ニッケル貨を入れると箱入りコンドームが出てくる自動販売機。

 これが、これからシルバーが暮らす街なのだ。

「こんなことになって残念だけど、ぼくも仕事だから」

「よせやい。白銀狼を約束を守る。それにお前がしてくれたことは忘れない」

「青き王を仕留めたのはきみの力だよ」

「おれが言ってるのは鹿どものことじゃない。宝物のことだ。宝物がそれなりの値段なら、お前はおれを森に放つつもりでいた。どうだ?」

 殺し屋は黙っていたが、負けを認めるようにため息をついた。

「図星。白銀狼は占い師の血筋を引いているの?」

「狼ってのは基本的に臆病な生き物だからな。まわりを常に警戒し、ちょっとした変化を見逃さない。宝の地図が手に入るまで、お前のおれを見る目は哀れみが嫌ってほど含まれていた。だが、宝の地図が手に入るとそれがなくなった。それで、おれは勘づいた。こいつ、おれを逃がす気だ、って」

「でも、そういうわけに行かなくなったんだ」

「そうだな。でも、まあ、そんなもんさ。おれはこれから檻のなかで生き、檻のなかで老いさらばえて死ぬ。手をアイスクリームでべとべとにしたガキどもに指を差されながら、おーかみさん、おーかみさん、なんて呼ばれて。でも、おれは平気だ。この顎にあの感触が残ってる。青き王の頸が砕けたあの感触が。それさえあれば、どこにいてもおれは誇り高き白銀狼だ」

 動物園が見えてきた。大きなガラスのドームが輝いていた。動物たちをスモッグから守るためのドームの周りは駐車場になっていて、休日の昼間だったせいか、どこも満車状態だった。

 殺し屋は涙色のクーペを職員用の駐車場へとまわし、空いているスペースに停めた。

 ガラスのドームのふもとにはコロニアル様式の守衛詰所があり、いかにも元警官でございといったふうの中年太りの警備員がスタッフ用のIDを確認していた。ジャングルと動物のどぎつい色彩のネクタイを締めている。それを自分で選んだのなら悪趣味としか言い様がなく、彼の妻が選んだのなら、そこには夫を笑いものにしてやろうという妻の悪意が垣間見えた。

「おい、その犬、つながないで大丈夫なのかよ?」元警官の警備員が言った。シルバーは狼の言葉でその趣味の悪いネクタイ、しめてて大丈夫なのかよ、と言い返す。

「大丈夫です」殺し屋がこたえた。「それよりも園長のオールダムさんにつないでもらえます? 白銀狼を連れてきたといえば、分かると思います」

 三分後、殺し屋とシルバーはプラスチックケースに入れた通行許可証を首からぶら下げて、スタッフ用通路を進んでいた。つやつやしたゴム引きの床にシルバーの肉球の跡がうっすら残っていた。左右の部屋は動物の檻の裏手だったり、職員が餌を用意する部屋だったりした。餌の部屋では二人の大男が蛮族の刀のような包丁をふるって、巨大な肉のかたまりを切り刻み、バケツに分けて入れている。

「あれが毎日食えるなら」シルバーが言った。「メシについては不満はないぜ」

 園長室はシルバーの気に入った。王侯貴族が狩りで撃ち殺した鹿たちが何十頭と横たわる白黒写真が壁にいくつもかけてあったからだ。

「戒めです」園長のオールダムが言った。「我々が動物に対してなした罪をこうして毎日見ながら、人類が背負った罪の大きさを知るのです」

 オールダムも悪趣味なネクタイをしていた。つまり、制服の一部なのだ。

 オールダムは背は普通だが、若いころスポーツを愛好したらしくがっしりとした肩をしていた。グレーの目は何度も瞬きし、本物の白銀狼が目の前にいるのが、信じられないといった様子だった。

 短いあいだとはいえ、ともに森を歩き、ターゲットを仕留めた相棒を売るのは気が引けた。友人をギロチンにかける死刑人の気持ちだった。

 でも、ビジネスはビジネスだ。

「これで我が園には二頭の白銀狼が、それも番いで二頭を飼育することになります」

 シルバーの顔が機敏に反応した。期待に満ちた顔だが、犬みたいに尻尾を振ったりはしない。ただ、顔を上げるだけだ。

 園長は少し不安げに言った。

「ただ、白銀狼は気難しい動物です。相手の雌が嫌がれば、番いにはなれないでしょう」

 でも、おれはモノにしてみせるぜ。シルバーは殺し屋にだけきこえるようにつぶやいた。

 殺し屋はトランクケースいっぱいの札束を手に提げて、廊下を歩いた。シルバーの飼育係となる若い男がシルバーに首輪をつないで、檻へと連れて行かれるところだった。

 シルバーは上機嫌だった。もし、人間だったら、胸ポケットからプラスチックの櫛を取り出して、髪型を整えているところだろう。

 檻へ入る直前、シルバーはくるりと殺し屋のほうを向いて言った。

「じゃあな、人間」

「さよなら、シルバー」

「狼語教師のプードルによろしく言っておいてくれや」

 シルバーは青き王と倒した誇りを背に、そして、白銀狼の未来を胸に抱きながら、凱旋する英雄のごとく、さっそうと檻のなかへ入っていった。

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[気になる点] ベルが放牧されてますよお穣様。て、誤字じゃないの?と考えてしまうような世界観(荒ぶるペンにうっとり)です。 [一言] 毎度楽しく拝読しております。いいなー旅行。 覚えずため息をついて始…
[一言] シルバーの格好良さに痺れました。 脳内で、ジャン・ギャバンやブロンソン、ポルコ・ロッソ→森山周一郎の渋い声で再生されました。 鹿の愛くるしい映画製作や、クジラの砂金採りなど、わたし好みの仕掛…
[良い点]  野生動物をテーマにしたビジュアル作品にそのような深謀遠慮が秘められているとは思いもよらず。  シルバー氏が安定した生活を送れるようお祈りします。  美しい風景の展開から、霧深く中を通り抜…
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