表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/7

春のテーマ決定とセクシーブラウス姉さん③

 午後2時。

 この時期にしては珍しい、夏日を超え真夏日に迫る気温のためか、堀之内公園の丘を越えて行く南風が涼しく感じる。なかったら暑いくらいだ。

 タイトジーンズにセータースタイルの蘭子の頰に、汗がつーっと、垂れた。

「流石にちょっと暑いわね」

 蘭子はブルーシートの上で立ち上がり、尻ポケットから取り出したハンカチで汗を拭った。

「昼間はこれでも、夜は冷えると思って着てきたんだけど」

「ここまでとはね」そう言って、蘭子はセーターを肘近くまでまくった。

 暖かい春の日である。

 ジャスト八分咲き。絶好の花見日和にも関わらず、人で溢れていないのは、平日の真昼間だからだろう。公園を縦断する湾曲した石畳の間には、樹から落ちた桜の花びらが挟まりはじめていた。

「黒ちゃん、もう少ししたらこっちに着くって。来たら始めよう」田村先輩は言った。

「わかりました〜」正史と蘭子は言った。

 大きな桜の樹の下に陣取った、我らが惑星発生学チームのブルーシートには3人しか鎮座していない。「しか」という言い方をしたのは、敷いたブルーシートの面積に対して、鎮座しているヒトとモノが少なすぎるからだ。ラボから持ち出したブルーシートは20人以上入る特大サイズものだった。

 これしかなかったのである。

「にしても早く始まらないかしら〜♪」蘭子は買い物袋を眺めながら言った。

 蘭子の目の前には、ある特定のお惣菜を詰め込んだ「宙下一品」マークが入った袋が置かれている。

「新商品のラーメンたこ焼きちゃ〜ん♪ブラックホールレベルまで凝集したこってりラーメン♪」袋の中身が楽しみ過ぎて、作詞作曲ボーカルの蘭子。

 うむ、黒川教授が来るまで少々時間があるので、ここで宙下一品の新商品「ラーメンたこ焼き」について説明しよう。

 「ラーメンたこ焼き」とは我らが誇る、こってりドロドロ系ラーメンの頂点、宙下一品の新商品である。あの小さなたこ焼きの中に、極限まで凝縮されたスープ、女郎蜘蛛のように絡み合う麺、肉汁したたるチャーシューを再現。一口サイズに小宇宙コスモを創りあげた、究極の一品。味は「こってり」と「あっさり」の二種類。一見普通のたこ燒きと同じに見えるのだが、青のりの代わりに青ねぎ、ソースの代わりにラーメンスープ(たこ焼きソースの見た目に近づけるため、粘性の高いスープ)がかかっている。と、同梱されていたチラシに書いてあった。そしてそのチラシの一番下には「※タコは入っておりません」との注意書き。

「それじゃあただの“焼き”じゃないか」

 とツッコミを入れたら、無表情の蘭子が近づいてきて「食べればわかる」とだけ言って去っていった。

 要は食べてみろ、うまければ名前などどうでもいい、ということだろうか。

「すまん、待たせたー」そんなこんな時間を潰していたら、黒川教授がやってきた。丘の上からこんにちは。

 ジーンズにTシャツ姿の黒川教授は首に巻いた手ぬぐいを引っ張り出し、ひたいをぬぐっている。いいお年なのに急いできたようだ。

「よしっ、飲もう。面倒くさい委員会も終わった。今日はもう飲めるっ」黒川教授はそそくさと靴を脱いで、ビニールシートに上がった。

「先生、はい」田村先輩は黒川教授にビール缶を渡した。

「試験缶(Planet装置)じゃないだろうな〜」黒川教授は、惑星生物学科特有のジョークを言ったが、田村先輩に“はいはい”と軽くいなされていた。使い古されたジョークなのだろう。

 蘭子はビール、自分は柑橘系のアルコール飲料、田村先輩はソフトドリンクを、クーラーボックスから取り出し、手にとった。田村先輩はお酒を飲む人と聞いていたのだが。

 目が合うと、田村先輩は「今日は控えておくよ」と小声で言った。このあと実験が控えているのだろうか。

 ビールを片手に黒川教授は立ち上がった。がっしりした体格なので、下から見上げると、背後の幹の太い桜の樹もあいまって威圧感がある。

「それじゃあ、みんな持ったか。みんなっていうほど、そんなにいないし、まだ間に合ってない者もいるが」

 定期的にブラウンさんに「間に合いそうですか?」と、メッセージを送っているが、返ってくるのは「(T_T)」悲しい表情の顔文字ばかり。お開きになる前に間に合えばいいのだけど。

「それじゃあ、かんぱ〜い」黒川教授の掛け声で、惑星発生学研究室の歓迎会兼、花見が始まった。



「君はペットを飼ったことがあるか」

 みんな一缶目を飲み終え、ほろ酔いに差し掛かる者も出始めた頃、目を据えた黒川教授が尋ねてきた。

「ペット、ですか?」

「あっ、はい。お掃除ロボットの“ルン馬”とか家政婦ロボットの“虎エモン”なら飼ったことありますよ」正史は答えた。

「いや、そういうのではなくて…」黒川教授はがっかりした表情を見せた。

 そういうのでなければどういうのなんだろうか。今の時代、ペットといえばこの2択しかないと思うのだが。まさか…

「まさか、あのATPを使って動く、寿命のあるペットの話ですか?」

「そうだよ。ペットといったら普通そっちだろ。自己紹介のときにも話したじゃないか」黒川教授は2缶目のビールに手をつけながら言った。

「いやいやいや、いまどきそっちのペットを飼っている人、というか飼える人なんて、ほとんどいないじゃないですか」

 21世紀まではペット用及び畜産用として、家庭で動物を飼うことは普通だったらしい。だが、これだけPlanetを筆頭としたシミュレーション技術や、培養肉がシェアを広げる現代において、家庭で飼われている動物を見かけることはめったにない。さらに言うと、動物飼育が資格制になったため、飼える人がそもそもそんなにいない。

「それがタダで、法的に問題なく飼えるとしたら?」黒川教授はニヤッとしながら問いかけてきた。

「黒ちゃん、聞いたわよ〜。それ、自己紹介のときにも話していたやつね〜」田村先輩に全惑星ラーメン補完計画を説いていた蘭子が、耳をぴんと立て、振り向き、こちらの話に割り込んできた。

「蘭子君も興味あるの?」黒川教授は言った。

「興味あるわよ〜」

「そういえば、蘭子君は“実験生物飼育員”の資格を持ってたよね。高校で取ったやつ。まだ期限切れていないよね?」

 えっ、そんな資格持ってたのか。蘭子がこちらに目を合わせた。

「高校の惑星生物部ででね。元々生物部だった名残で、Planet関連だけでなくそっちの資格も取らされたの」蘭子は淡々と答えた。

「でもいいんですか?どんなペットか知らないですけど、私が持っているの一番ランクが低いやつですよ」

「大丈夫。遺伝子組み換えをしていない、ワイルドタイプ(野生型)の魚だから、その資格でもいけるはずだよ」黒川教授は言った。

 どうやら黒川教授が持ちかけてきたペットの話は魚のことらしい。

「それだったらいけるか…。ちなみに、それ、なんて名前の魚なんですか」蘭子は質問した。

「う〜ん、たぶん名前を言っても分からないと思うけど、愛好家の間では人気のある魚でね〜」黒川教授は腕を組み、もったいぶった素ぶりをした。

「ノソブランキウス・コーソザイ」

「っていう魚なんだ。と言ってもわからないよな〜」にやけながら何故か嬉しそうな黒川教授。わからない自分たちを見て楽しんでいるようだ。

「蘭子、聞いたことある?」

「まったく聞いたことない。マグロサイズなのか、金魚サイズなのかも想像つかないわ」蘭子はポカンとした表情で返事をした。

「アフリカ原産の魚でな、少し変わった飼い方をするんだが…」

 黒川教授は親指と人差し指を広げ、魚のサイズをジェスチャーで示した。どうやら小型魚らしい。

「そんなことより黒ちゃん、その魚?どうやって手に入れたの?」蘭子は身を乗り出して聞いた。

「どんな魚を飼っているかよりも、その入手経路のほうが気になってしょうがないんだけどっ」蘭子が正座して、黒川教授をまっすぐ見つめた。

 蘭子の疑問はもっともだ。これだけ、ちゃんと生きているペットの需要も供給も少なくなった時代だと、その売買に関する広告もあまり見かけない。

 黒川教授は自分達に顔を近づけ、凄み3割増しで話し始めた。

「やっぱ気になるよな。隠していてもしょうがない。実はこの惑星発生学研究室というのは表の顔に過ぎず、裏では金になる動物のみつ…」

「違うでしょ。昔生物学の研究で使っていたやつを処分せずに、飼いつづけているだけでしょ」田村先輩がバッサリとつっこみを入れた。

「止めるの早過ぎるよ。これから壮大な話に拡げてこうと思っていたのにー」ボケを瞬断されたせいか。黒川教授はすねた顔をした。

「黒ちゃんが言うと凄みがまして、冗談に聞こえないの。そういうのはブラウンさんに任せればいいの」田村先輩は言った。

「つまんないねー」と言って、黒川教授は正史と蘭子のほうに同意を求めた。

 正史と蘭子は苦笑いした。

「まっ、その魚を飼ってるのは本当だから、明日ラボに来たときに見せてあげよう」そう言い残して、黒川教授は3缶目を入手すべく、クーラーボックスの方に向かっていった。

「もうっ、黒ちゃんは冗談がひどいんだから」注意を終えた田村先輩は、手元のソフトドリンクをゆっくりすすった。

「…だだだだ」

 だだだだ?自分の斜め後ろ、田村先輩の背後にあたる方向から、何か物音がする。と思った瞬間。

「おわったぁあああああああ!」

 振り返ると、田村先輩めがけてフライングボディアタックのブラウンさんと、闘牛士よろしく、とっさに脱いだ白衣でブラウンさんを包みながら避ける田村先輩がいた。これがスポーツだとしたら、なかなかなフォトジェニックなカットである。

 ずさー。白衣に包まれ、頭隠して尻隠さずのブラウンさんが、遅れて到着した。

「お待たセ〜」うつ伏せのまま、みんなに尻を向けたままブラウンさんが挨拶をした。

 あまりの衝撃的な登場に一同、シーンとしてしまった。

 すたすたと田村先輩がブラウンさんに近づいていった。

「期限切れのPlanetは、全部処分したんですか?」田村先輩が聞いた。

「処分シタ」ブラウンさんは田村先輩を見上げながら返事した。

「ちゃんと死滅処理してから?」

「してカラ」

「中に入っていたプラネットエレメント(惑星材料)は、ダークマター(暗黒物質)とそれ以外に分けましたか?」

「ちゃんと分ケタ。廃棄ダークマターは惑星材料研究室のブラックボックス(廃棄箱)にちゃんと移したよ」

 田村先輩は腕を組み、右手をアゴに添え、数秒考えごとをした後、ブラウン先輩の方を向き直した。

「お疲れさまでした」

 田村先輩はにっこり笑い、ブラウンさんにキンキンに冷えたビール缶を渡した。

「やったー!」ブラウンさんの顔が、ひまわりのように広がった。

「あとね〜、人もいっぱい連れてきたんだヨ〜」ブラウンさんは体を起こし、自分が来た方向に振り向いた。自分たちも同じ方向に首を回した。

 そこには、隣の惑星工学研究室の面々が、ずらずらと歩いてくる光景があった。なぜ惑星工学だとわかったかというと、その先頭に、この春から惑星工学研究室所属になった、見覚えのある顔の同級生が居たからだ。

「どうも〜、おじゃましてもいいのかな?」

 果流子だった。

 花柄のワンピースにカーディガン、インナーにはレースの入ったシャツを着て、木製のバスケットをひじにかけた、工学系ラボに似つかわしくない“ゆるふわ”女子がいた。

 そしてその果流子のまわりにはもう、工学系男子の取り巻きができていた。さすがナチュラルボーンお嬢様。

「どうしたの?」正史は果流子に聞いた。

「どうしたのって、私たちもお花見に来まってるじゃな〜い」

「さっきね、蘭子ちゃんにメッセージもらったの〜、うちのラボのブラウンさんの様子見て来てって言われて〜」

「果流子、さっきはありがとね」蘭子が果流子にお礼を言った。

「そしたらね、ブラウンさん1人で大変そうだったから、ちょうど私も手が空いていたし手伝ってたの〜」

「まわりのみなさんと一緒に」

 そう言って、両手でまわりの取り巻きを示した。おそらく果流子は一緒になんてやっていない。ディスパッチに専念し、実質汗をかいたのは惑星工学のお兄さんたちなんだろう。

「そしたら、ブラウンさんがお礼じゃないけど、来ませんか?って招待してくれて〜」ブラウンさんも、うんうんと頷いた。

「にしても多すぎだろ」正史は言った。

「先生も今のラボになってからやってないから、ってウキウキしちゃって〜」

 隣にいた惑星工学のボスが前に出て来た。

「おー、入山先生じゃん。おつかれっ」いい具合になった黒川教授はビールを右手に掲げながら挨拶をした。

「黒川さん、おじゃましますー。というか、会議をあんなテキパキと進めてたのはこのためやったんですね」入山教授は言った。

 頑張れば学生にも見える、若々しさ溢れる入山教授。40代前半にはとうてい見えない。むしろその他の惑星工学の研究生たちのほうが、入山先生より年上に見える。実際、准教授やポスドクの先生の中には、年上の人もいるのかもしれない。

「いやいや、俺はいつも会議をスマートに終わらせることに徹してるよ」目をパッチリ開けて黒川教授が答えた。

「ほんま、どのクチが言うんですか。惑星材料や、他の学科のセンセに聞かせてやりたい」入山教授は苦笑いしながら言った。

「まぁ、ええわ。久々ですし、今日は楽しくやっていきましょう〜」入山教授はクーラーボックスからビール缶を取り出しながら言った。

「おいおい。俺の許可がまだ、下りてないぞ」黒川教授は言った。

「そこは、宴会部長のお姫さまにもらったからオッケーですわ」入山教授はブラウンさんに手を向けながら言った。

 ブラウンさんは入山先生に向けて、親指を立て、グーサインをした。

 果流子の後ろにいる工学系男子のかたまりから“うぉー”と歓声があがった。

「まぁ、今日は無礼講ってとこでいきまショウ!」開会の挨拶のようにブラウン先輩が乾杯の音頭を取った。

「それでは、惑星生物学科のますますの発展にカンパーイ!」

「うぉー!」主に工学系学徒で占められた、野太い乾杯だった。

「…あーあ、今日は大変だ」

 田村先輩が、ぽつりとつぶやいた。

 これだけ大規模な飲み会になると片付けも大変だろう。そしておそらく、冷静側の自分と田村先輩が貧乏くじを引くことになる。

「ブラウンが」

 田村先輩のこの言葉の意味を知るのには、1時間もかからなかった。



 桜の樹の下には死体が埋まっていると誰かが書いたそうだが、そんな心配はご無用。今日は樹の上にもたくさんの屍が満ち満ちています。

 惑星工学の研究者達は全て、我らが宴会部長の実験材料となり、結果はもれなくリーサル(致死)。

 メイド・イン・ブラウン姉さん。いや、冥土・イン・セクシーブラウス姉さんあたりが、戒名として適切ではないだろうか。

 そんな春の大虐殺者は、ブルーシートの端、桜の真下で、その戒名にふさわしい状態にあった。

「もういっそのこと、タムタムに永久就職させテ〜」

 そう言いながら、寝っころびながら、ブラウン先輩はその白衣から漏れ出る艶かしい8頭身の脚をくねらせ、ブラウスを著しく変形させていた胸はボタンが外れ、大きくはだけ、さっきからその隙間に、花びらがひらひらと挟まっていっている。

 体は仰向けに投げ出され、頭部は田村先輩の膝の上、腕はバンザイ。両肘で田村先輩の腰をホールドするような格好になっている。美しく白く長い脚は長方形のブルーシートの対角線をなぞるように伸びていた。そして、時折ゆるく寝返りを打つたびに近くに鎮座している自分の膝小僧をくすぐった

 この刺激と、さっきまでご存命だった惑星工学方々との話がつながり、ブラウンさんのオープンラボを見に行ったことを思い出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ