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高校三年生、夏休みの感想文

作者: lazy rabbit

 小学生の頃、私は作文を書くのが大の苦手だった。400字詰めの原稿用紙はそれ以上の空白があるように見えて、現に書いてみるとどんなに時間をかけても1枚の4分の1、100文字が限界だった。

 だから、もちろん感想文は大嫌いだった。顔を顰め考えあぐねて書いた感想文は、素直に体験談を書くことより、どれだけ文章を綴れるかということに尽力していた。

 中学校に入ってもそれは変わらない。それでも、高校入試では国語の最後の問題にある作文を騙し騙し書き切った。

 高校三年生の夏。

 ただの夏じゃない。18回目の夏は、人生の中でもっとも息苦しく苦痛そのものだ。

 今思えば、小学校の頃の感想文なんて楽勝だった。巧拙関係なくはなまるが貰える。きっと高校受験の時から、もしくはそれの準備の時から私の書く文章には評価が付けられるようになった。それは点数で、ただただ無慈悲な数字でしかなかった。

 今年はもっと書かなきゃならない。小論文600文字、これは私への死刑宣告。

 いつからか窮屈になっていた人生から抜け出したくて、私は避暑地でもないお祖母ちゃんの家まで逃げてきた。私は孤独で、心のどこかに大きく空いた穴を埋められるほど器用じゃない。このままいくと本当に、好きなことを無くしそうで、食べ物のおいしさがわからなくなりそうで、自分すら失いそうで。一切の勉強道具を持たず、何の考えも持たず、猛暑地であるこの田舎に来た。まだ何も手から零れ落ちてないと願いながら。

 畳の部屋に向かって寝転んでいる私は畳の匂いで胸を膨らませた。縁側の縁にぶら下げた脚だけが太陽の容赦ない光に晒されている。

 刹那的な考えで逃げてきてしまったけど、明後日には夏課外にきちんと参加してるんだろう。今日だってサボってるわけじゃない。今日明日と課外がないだけ。明後日になれば、私は良い子で人畜無害ですよアピールをして自分を繕うはずだ。いくら逃げても本当は知っている。どうせ逃げられない。

 私は欠伸をしてから、首だけを起こして峻厳な陽射しに当てられたままの膝頭を見た。非常に無念なことに、胸がスマートな私は足元までの見通しがいい。このままだと脚の皮膚が日焼けで剥けヒリヒリしちゃう。私は無造作に放り出していた脚を家の影に戻す。

 少し寝ようかな。学校帰りに夜通しでここまで来からくたくただ。

 私は落ちてくるまぶたに抵抗しないで、畳の匂いをもう一度吸い込んだ。



 ガラガラという玄関が開く音で目が覚めた。いつの間にか日は西へと傾いて稜線の裏側に引っ掛かっている。雲は焼け落ちそうなほどの茜色で染め上げられていた。

「御免くださーい、誰かいませんかー」

 誰か来たみたい。きっとお祖母ちゃんが出てくれるはず。来客の私が出てもおかしいだろうし。

「本当に誰もいませんかー」

 もう一度、玄関の方で声を張り上げる。それはこの村には珍しいらしい若い女の人の声で、やけに瑞々しく聞こえる。でも、どうしてかどこかで聞き覚えのあるような声の気もする。

 誰も出る気配がない。というより、誰も家にいる気配がない。私が寝ている間にお祖母ちゃんは畑の様子でも見に行ったのかもしれない。そうなると、残る住人は私と飼い猫のミーちゃんだけ。ミーちゃんの接客能力に僅かに期待しながら、私は渋々玄関に向かう。

 私は目を疑った。昼寝の眠気が一気に身体から剥がれ落ちる。

 私、がそこにはいた。

「あっ、こんにちは。不在かと思ったよ。なんてね」

 確かに声音も顔も私自身。でも身なりや身のこなし、仕草は別人だった。

 大きなつばの麦わら帽子に純白のワンピース、露出した腕や脚は繊細な陶器のように白い。対して私は伸びに伸びたTシャツ。目の前の私は、気品がありながらそこに少しのあどけなさを湛え、それを調和させていた。

 つまりは、ほぼ誰? 状態で、私と少し似ているだけか、と一応の納得をしておく。いや、よく見たら私と全く似てない気もする。

「えぇ……と、お祖母ちゃんに御用ですか」

 ううん、と首を振って私の目を見つめた。心を覗かれているみたいで思わず一歩後ずさる。

「私をお祭りに誘おうと思って」

 を? 何か日本語がおかしいような。が、なら文面的にはギリギリ間違ってない。相当上から目線な感じになるけど。

「それって、私を?」

「もちろん。行きましょ、きっと楽しいわ」

 今起こっていることを理解して切れていない呆けた私の手を、彼女は不意に掴む。その時の彼女の笑顔は優しくも気丈で、何よりもそれを自分自身としているように見えた。

 彼女はきっと私じゃない。私はたぶんこんな笑顔をしたことがない。

 軽い力で手を引く彼女に見惚れた一瞬、身体の奥の方が震えるような感じがして、全身の肌が一瞬泡立った。でも、不思議と不快じゃない。むしろ清々しくて心地いい気さえする。そして、心のどこかで彼女との邂逅に既視感を感じていた。



「どこ行くの」

 と、先頭を行く彼女の背中に話しかけてみる。

「お祭りよ、近くの神社のね」

 肩越しに振り向いた彼女が歩く速度を落として私の隣に並ぶ。ホイホイついて来たくせに今になって不審がる私の感情を見抜いたのか、手を繋いで肩を寄せる。

「私のこと疑ってる?」

「まあ、ちょっと」

 ちょっと、と空気を読んで控えめに言っておく。それも見透かしたように「ふーん、そっか」とだけ言って頭を私の肩に預けてきた。

 さらに不安度が増す。益々増す。初対面のはずなのに私を知っているようで、私似で、私より確実に女子力高い。不審に思ってしまうのは当然だ。

 そんなことを考えながらも、私は彼女の歩調に合わせ足を止めることなく歩く。自分がやけに素直で、なんだか今日は自分が自分じゃないみたい。あれ? いつもの私って誰?

 草木の茂った細い道。蔦に取り憑かれた木の電柱がおどろおどろしい。少し怖くなって彼女の手を握り返す。

「目を閉じてて」

 優しい声音に目を瞑ると、私は不思議な錯覚に蝕まれた。彼女と時間を共にするごとに彼女の何かが私に浸透してくるような感覚。私は耐えきれなくなって目を見開く。気づけば私たちは足を止めていて、目の前には苔むした石階段が聳えるように上へと続いていた。



 石階段は上る前から、これがもしエスカレーターならと妄言を吐かせるほどで、上っている途中に関しては、苔まみれの階段の一段がそのままぽーんと私を乗せたまま飛んで上の方まで連れて行ってくれないかなぁ、と切実に思わせるほどだった。

「大丈夫?」

「なんとか」

 鳥居に手をついて息を切らす私の隣で、彼女は涼しい顔のまま。私を挑発しているわけじゃないと思うけど、手を団扇の代わりにして扇ぐその姿にはそう感じずにいられない。

「ここは一体……」

 私の目に鮮やかな朱の光景が飛び込んでくる。真新しい提灯とボロボロの提灯が、鳥居から紐に通されて参道を形作るように吊るさっている。その両側には屋台が立ち並び、ある所は芳しい煙を上げ、ある所からは子供の楽しげな笑い声が聞こえてくる。何人もの人が往来し誰もがこの場を楽しんでいるように見えた。

「お祭り、年に何回か催されるの」

 お祭り……。私は言われた言葉を鵜呑みににできずに舌の上で転がす。お祭りにしては何かが違う。何かが違う雰囲気なのに、お祭りにしか見えない。

「行きましょ」

 手を引かれるがまま私は屋台を見て回る。明るく活気に満ちた参道をどんどん奥へ進んでいく。

 楽しい。無性に心が躍る。どんどん周りの空気に自分が浸透していくのを感じる。心に沈殿する澱が全て消えていくような、そんな感覚。

 ここに来て今どれくらい経ったのか、時間というものの概念が私からすっぽりと抜け出したみたいで、過去の記憶が詳細を失って楽しさだけになってきた頃、私は彼女に肩を後ろから叩かれて振り向いた。

「どうかした?」

 刹那、艶やかな屏風が私の視界を遮るように現れた。そこには金魚が描かれゆったりと水面を泳いでく。そして、その方向に向かってゆったりと屏風は開かれた。

 ちょんと一瞬、私は屏風の奥から突如現れた白い三角の頂点に触れた。私は蹈鞴を踏んで後ずさり、それの全体像を目にする。

 折り鶴、水平よりやや斜め上に向けた翼を羽ばたかせることもなく、私の目の前で巨大な折り鶴が静かに浮遊していた。



 私たちは参道を離れて、少し勾配のある低い丘を登る。上はちょっとした広場のようになっていて屋台の光を俯瞰できる。静かな薄暗闇の中でお祭りの全体を見下ろせるように配置された長椅子に私たちは腰を下ろした。

 穏やかな夜の風が夏の匂いを乗せて流れる。夏の虫のきれいな鳴き声が場所だけでなく時すらも演出しているようで、お祭りで上がった私の熱をゆっくりと冷ましてくれる。

「どう? 楽しかった?」

「もちろん、この夜は絶対最高の思い出になる」

「良かった。私、あなたを楽しませたくて。久しぶりにあなたが私みたいな笑顔で笑ってるところが見れた」

 麦わら帽子を膝の上に乗せた彼女が、静かな微笑みで眼下を眺める横顔に私は少しだけ見惚れてしまう。

「あっそうだ。訊きたかったんだけど、さっきの鶴って……」

「あれはね、魂の神様の遣い。神様が息吹を吹き込んで作った折り鶴。何か月かに一回、ああやってお遣いを鶴に頼んで魂のまとめ買いをしていくの」

 私は折り鶴の折り方をぼんやりと思い出す。そういえば、人間も折り鶴には最後に息を吹き込む。

「あれは面白かったよ、まさか、神様の遣いと鼻を突き合わせるなんて」

 可笑しそうにくすくす笑った彼女を見ながら、夜風に冷まされて冷静になってきた私の頭があまりに超越的だったさっきまでの出来事に気が付く。さっきのお祭りは一体何で、ここはどこなのか。神の遣いってどういうことで、魂のまとめ買いって何なのか。そもそもここまで一緒に来た彼女は一体誰で、私をどうしてここまで連れてきたのか。

 今まで忘れていたはずの疑問が取っ手になって中から恐怖が際限なく溢れ出してくる。さっきと変わらないはずなのに、今は彼女の微笑ですら怖くて身体の感覚が四肢の先から抜けていく。

「あなたは……」

 よく通る彼女の声がため息のような静かさで夜に漏れ出る。少しの間の後、言葉を紡ぐ。

「あなたは、あなたよ、心配しないで。私は散々あなたと私が同じであるように言ったけど、あれは身体的にって意味。18年間同じ経験をしていてその記憶は共有していても、考え方、思い、意志、意識、そして魂に心、そういうのは全部あなた、あなた自身のもの。私はあなたに干渉することができなくはないけど、それには限度がある」

 星のない夜空のどこか遠くを見続けている彼女に、私は意味を問いただすこともなく、彼女の続きの言葉をただ待った。いつの間にか、恐怖心は息を潜めてしまった。そして彼女はゆっくりとした声音で話し出す。

「あなたの内面のすべてを唯一客観的に知れる私が言ってるんだから間違いない。自信を持って。あなたは何にも流されたりしない、誰にも侵されない。自分自身なんだって、しっかりとそれをわかって」

 静寂を壊さないように計らっているわけでもないのに、私は言いたいことを言葉にできず黙りこくってしまっている。励ましてくれてありがとう、と彼女に伝えたいのか、そんなことはない、と反駁したいのか。

 正面に見える山間の空がだんだんと紺碧に滲みだし、透明度を増して白んでくる。

 彼女は事も無げに立ち上がった。私はまだ彼女に何も言えてない。

「そろそろ帰りましょ、お祖母ちゃんが心配してるはずよ」

「あのッ!」

 私は咄嗟に呼び止めた。ここで話さなければ、もう二度と彼女と話せなくなるような気がして。

「あなたは……誰」

 彼女は振り返って逆光の中で優しく微笑んだ。

「私は、あなたの無意識。あなたの中にいる無意識という名の幽霊。本来あなたが理解できないもの」

 その瞬間、まだ薄かった太陽の光が私の目の前を覆い尽くした。私は思わず手で視界を遮る。半開きの目で僅かに見ると、彼女の影が次第に輪郭から小さくなっていく。私は片手を伸ばす。思いつかないままだけど、きっとまだ訊きたいことがたくさんある。

 ――はッ! 世界が一変した。私はもう光の中にはいない。見つめる先に変な木目の天井があり、視界の端では柔和な表情のお祖母ちゃんが私を団扇で扇いでくれていた。

「大丈夫け?」

「あぁ、うん、全然だいじょぶ」

 もう隣に彼女の姿はない。それなのに寂莫感が胸の中で溶けていくように感じた。

 私の無意識。私の理解できないそれは、たぶん今も私と人生を共にしている。

「今日はそこの神社でお祭りをやってるよ。どうせだから行ってこおし」

「うん、後で行ってみる」

 私は上体を起こして、立てた膝に手を付きながら立ち上がる。少し頭が痛い。でも不思議と胸に抱えた重みは和らいでいた。

「もしかして、お祭りにはもう行ってきただけ?」

 嗄れていても慈しみをたっぷりと含んでいる声でお祖母ちゃんに質問され、私はほんのちょっと動揺する。でも冷静に考えれば別におかしなことを言ってない。

「いや、まだだよ。これから行ってくる」

「ほおけ、気を付けて行ってこおし」



 着替えを済ませて、お祖母ちゃんの家を出る前に、私は洗面台の鏡に自分の姿を映してみた。

 彼女の笑顔を思い浮かべて真似してみる。少しだけだけど、今の私は彼女に近い表情が出来てるかもしれない。

 行ってきます、とお祖母ちゃんに告げて家を出る。

 耳を澄ますとひぐらしの鳴き声が聞こえる。所々コンクリートの剥げた道路を夕陽が穏やかに照らす。場所が違うとはいえ、いつも同じように過ぎて行く夕暮れ時が、何だかいつもより鮮やかに思えた。

ホラーを書いたことのない私が書いてみた初のホラーです。ホラー感がまったく感じられないかもしれませんがホラーってことで許してください。お願いします。

主人公の『楽しい。無性に心が躍る。』という理由を考えてみるとホラー感が出るかもしれません。

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