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月と太陽の黙示録《アポカリプス》  作者: Lim
第二章 最終審判《ラグナロク》、開幕(激闘編)
17/22

7

 

 これほど大鎌が様になる男はそうそういないんじゃないかってくらいに――、不気味なオーラを放っている人物の今し方に取った行動が……俺の脳内会議において波紋を呼ぶこととなる。

 まさかとは思うが……。こいつ、俺たちを助けてくれたのか? ……この男が相手だと流石に勘繰らずにはいられない。怪しいどころか……、気持ち悪さに寒気がする。

【油断してはなりませんよ。この男は何を仕出かすかわかりませんからね】

 リリーも俺と同意見なようだ。

 バルバットの出方を見ようと、一歩引いていつでも爆弾で迎撃できる状態で身構えた俺に対し、振り返った彼は、

「――ハッ。何身構えてんだァ、おい? 俺は売られた喧嘩は買う主義だが、喧嘩を売る相手は選んだ方がいいぜェ。第一てめェみたいな生温なまぬるいガキ相手じゃナンも面白味もねェ」

 一貫して、傲岸不遜ごうがんふそんに言い放った。

 こいつと俺たちは敵同士なわけだが、こんな男でも暴走した黒荊に襲われた人々によって狂気と錯乱が満ちたこの会場内で、争う意志はないようだ。

「あんたと俺が闘う理由はないが……、念のために警戒しといただけだ」

 俺は持っていた爆弾を一旦手元から格納し、

「……助けてくれてありがとう」

 やぶさかではあったが……助けてもらったからには礼儀だろう、と一礼した。

「こいつは貸しだ。てめェにや、いずれ嫌でも返してもらうからな」

 バルバットは憮然とした面持ちで、切れ長の眼の矛先をナイフの代わりに俺の顔へと突きつけた。

「じゃあ、その日が来ないことを祈ってるよ」

 バルバットは鼻を鳴らすと会場の様子を眼で追い、殺気を走らせる。

「フンッ。減らず口を叩く根性があるならまだ死んじゃいねェようだな。てめェもとっとと失せろ。俺は外野を襲っている連中を始末してくる」

 あっさりした態度でデスサイズを肩に担いだまま立ち去ろうとするバルバットを、

「ま、待てよ。あいつ……、ルナはどうなったんだ?」呼び止めると、彼は肩越しに振り返り――底冷えのする眼つきで俺を見据えた。

「……あいつの体は元々時限爆弾つきなんだ」

 二、三秒の間――、睨みを利かせた表情で硬直していた彼は、捨て置くかのようにそんなことを言ってきた。

「ど、どういうことだよ……」

 動揺する俺に……。バルバットは振り向き、口を開く。

「身に余る強大な力を持ったが故にあいつの精神は常に魔力でむしばまれてんのさ。魔術を使って闘えば、十分――、もって十五分もすりゃ精神が汚染されて魔素子エレメントをコントロールできなくなる。そうなっちまえば、あとは暴走した魔力に身を委ねるだけだ」

「……あの姿は魔力の暴走が引き起こした結果なのか」

「そういうこったァ。魔導師ってのは高度な精神操作技術を駆使してマナを魔素子エレメントに変換するわけだが、創られた魔素子エレメントは術者によって一人一人波長が異なってくる。その性質の違いが魔術の属性にも影響してんだ。しかしながら、あいつの波長は強力過ぎるが故にその反動も激しく、魔素子エレメントを酷使することに精神が耐えらねェ。言っちまえば、あいつの魔力は諸刃の剣ってところだな。それでも、まさかシステムすらねじ伏せちまうほどの力量だとは俺も思っちゃいなかったがなァ……。――これで満足か? てめェの無知に付き合ってられるほど俺は暇じゃねェんだよ」

 バルバットは素っ気なく――それにしてはこの男の割にはやけに親切に――自分らの内部事情について吐露とろした。

 なるほど……。そういうことか……。

 てっきり『眠れる混沌の荊姫』だなんて名前をつけるからには、知ってか知らでか眠れる森の美女からもじっただけの名前なのかと思っていたが……なんつう自虐的なネーミングセンスをしてやがんだ。

「……何でだ? 何でそんな奴を代表者に選んだんだ?」

 バルバットは、彼女が言っていた並々ならぬ事情とやらを熟知しているのか、返答するのに十分な間を溜めてから、

「俺が選んだんじゃねェ――だが、運命があいつを選んじまったんだから仕方ねェだろ」

 忌々《いまいま》しそうに意味不明な回答を吐き捨てた。そっから先は深入りされたくない事情があるのか、彼の様子からはそれ以上の意味を教えてくれる気はなさそうだった。

「……ルナは、その……、大丈夫なのか?」

「さァな。このまま放っておきゃ時期に魔力が精神をむさぼり尽くして沈静化すんじゃねェのか。まァ、死にやしねェが……、そん頃にはあいつは物言えぬ廃人になってるだろうがなァ」

【…………っ。そこまでの覚悟で、私たちと闘っていたなんて……】

「………………」

 俺も彼女も世界を背負っている、という一点では違いはない。その重みは一緒のはずだ。

 だけど……、彼女の方が数倍、俺よりもより深い深い深層部分で根強い覚悟を持っていた。重みは同じであっても、背負い方は対等じゃない。

 彼女の抱えた重みと掲げた想いの強さを知ってうな垂れた俺に、

「あの馬鹿を救える唯一無二の可能性があるとしたら――そりゃてめェだけだ」バルバットは希望的観測とも取れる発言を言い渡した。

 意外な人物の意外な言葉に、俺はぱちぱちとしきりに瞬きをせずにはいられず……、物分かりの悪い俺に業を煮やしたのか、彼は眉間に皺を寄せて再度、通告してくる。

「てめェのその魔霧を浄化して見せた力で、あいつに直接触れることができればまだ間に合う可能性はなくはない」

「――本当か!?」

「まァ、これっぽちの可能性だがなァ」バルバットは親指と人差し指で蟻でも摘まむようにして見せたが……、可能性が僅かにでもあるならやってみる価値はある。

 彼女を助けられるかもしれない、と意気込む俺とは反対に、

【春海。バルバットはルナさんが助かった方が自分たちに都合がいいからあなたを利用しようとしているに違いありません。きっと、助けてくれたのもそのためですよ】リリーの意見は鋭い切り口のものであった。

 その線は無きにしもあらずで……、猜疑心さいぎしんの根が生えた自分には少なからず嫌悪した。

「……なあ、最後に一つだけ訊かせてくれないか。本当は……ルナを助けて欲しくて、俺を助けてくれたんじゃないのか? ……それとも、ひょっとして何か別の理由でもあんのか?」

 ――正直、俺は利用されたとしても彼女を助けるつもりでいた。どちらかと言えば……、別のところでこいつの思惑が渦巻いているような点が引っ掛かり……、ただ、この男の真意を探っておきたかったのだ。

 だけど。彼は……、バルバットの趣旨は……、まったくもって歪みきったものだった。

「……フフッ、フハハ……ッ、フハハハハァァッ」――死神の、本日二度目の高笑いが会場に響き渡った。

 その螺子ねじの外れた素顔には、リリーのような人間性や温かみはなく……、いや、千年生きてても人間性を保っていられるリリーの方が珍しいのかもしれないが……。彼の――人としての境界線を踏み越えた異形さに、俺は黙して引くことしかできなかった。

「……笑わせんじゃねェよ。ありゃ獲物の腹を掻っさばいたらたまたまてめェがそこにいただけだ。――ハッ。俺からしてみりゃあいつが物言えぬ人形になろうがなかろうが、魔霧の闘争本能さえ残りゃ最終審判ラグナロクに支障はねェ。なんなら……、いっそのこと人形にでもなってくれた方が扱いやすくていいかもなァ――おい? 疑うのは勝手だが、あいつがどうなろうがてめェがどうしようが、んなァことは端っから知ったこっちゃねェんだよ」

 凍りついた瑠璃色の眼光。終始、シニカルな角度に吊り上がった口端。ニヒルさをたっぷり含んだ神経を逆撫でる言葉の節々。

 そのどれもが、この男が俺たちとはかけ離れた人格破綻者だということを裏付けていた。

 ――今、はっきりとわかった。……俺は、こいつのことが……、大っ嫌いだ!!

「お前……ッ、それでもあいつのパートナーかよ!!」

 思わずバルバットに詰め寄り、胸倉を掴みかかりそうになったが、寸でのところで理性が働いてその衝動を抑えた。……ここでこいつに掴みかかっても虚しさが倍増するだけで意味がない。

「あァ? 何か勘違いしてねェか? あいつはそれを知った上で俺と手を組んでんだぜェ? あいつはこうなる覚悟をとうの昔に済ませてきてんだ。そのことでてめェに説教される筋合いはねェんだよ」

 一歩手前で対峙した俺に。男は人の皮を被った悪魔が為せる歪んだ微笑を返した。

「…………ッ」

 その見下げ果てた態度に……。怒りの余り言葉が出ず、沸々とした感情が腹の中で出口を求めて渦巻き続ける。

「用が済んだのならてめェもとっとと失せろ。非常用防衛プログラムが作動した以上、こっちから外へのアクセスは可能だが、外からの闘技場へのアクセスは遮断されてやがる。次にもし、てめェが死にかけても他の代表者は疎か誰も助けにはこねェ」

 『一応忠告はしといたからな』と――、それだけ言い残してバルバットは観客席の方へと飛んでいった。

【……あの男はああいう男です。ルナさんのことを想う気持ちもわかりますが、あなたには次の試合が控えております。彼女の事はお気の毒ですが……、〔ヴァーチャリアル〕による保護が得られない現状では――】

 お気の毒って何だよ……。あいつのことは身捨てろってことか? 自分たちのことを優先してあいつは見殺しにしろってことか?

 リリーが俺の安全を第一に考えてくれているのはわかってはいるが……、こうしている間にもあいつの精神は魔力に喰われて衰弱していってるんだろ? ……あと、あいつがどれだけ持ち堪えられるかもわからない。下手したら、もう……。まだ望みがあるのなら手遅れになる前に急がないと――

「リリー、悪いが予定変更だ。俺は――ルナを助ける」

【春海!! 馬鹿なことを言わないで下さいまし!!】

「自分が馬鹿だってことは俺が一番わかってる。あいつを助けてもメリットなんかないし、むしろデメリットだらけだ」

【でしたら馬鹿な真似はよして下さい。ここで深手でも負って次の試合を棄権するようなことになったら、それこそ取り返しのつかない事態になりますよ。二敗目を喫したらミズガルド存続は絶望的確立になります】

「じゃあ、俺たちが逆の立場だったらどうする? あそこで俺たちが苦しんでいたとして、そいつらに同じことが言えんのか?」

【…………】

「あいつは可哀想な奴だ。生まれついての境遇は最悪だし、俺と違ってパートナーにも恵まれてねえ。天涯孤独の身だ。誰も助けちゃくれねえし、きっとあいつ自身も、誰も助けてくれないのが当たり前だと平気で思ってやがる。だから――、あいつの世界観を丸ごとぶっ壊してやる」

【……言っていることが支離滅裂です。どうしてそこまで彼女に……、ルナさんに拘るんですか? あなたが彼女と類似した体験をしたからですか? それだけで彼女を助けると?】

 ……自分でもよくわからなかった。俺は拘っているのか……? ルナを助ける道理も義理もないのに。面倒くさいことは極力避けて生きてきた俺が……、誰かの分の重みまで背負う勇気のなかった俺が……、どうして…………。

【ルナさんを助けるのは、彼女のためですか? ――それとも、あなたのためですか?】

 究極の二者択一。……そんなもん、決まってんだろ…………。

「――両方だッ」

【!? 待って下さい、春海!!】

 リリーが制止するのを振り切って俺は駆け出した。

 爆弾だけで黒荊を退け、眠れる森の荊姫のもとへ辿り着けるかはわからない。仮に辿り着けたとしてもあの魔霧を浄化するにはフレースヴェルグの力が必要だ。アルテミスなしであの力をコンスタントに引き出せるのかどうか……、コントロールできるのかどうか……、そればっかりは一か八か、やってみないことには何とも言えない。

 前方から、黒荊の触手が二本、こちらへ伸びてくる。――早速、おでましか。

【戻って下さい春海!! 一体どうやって彼女を助けるおつもりですか!? 助ける手段もわからずに死地へ出向こうとするあなたを黙って見届けるわけにはいきません!!】

 リリーの忠告を無視して、俺は両手にヴィヴィボムをセット。それぞれ一発ずつ、両サイドから迫り来る触手にヒットさせる。――バルバットみたいに華麗に退治することはできなかったが……、それでも爆発で怯んだ触手は動きを止めた。

 その上を飛び越して。作戦もなしに愚直に敵の本陣を突っ切る。

 その間にも、リリーの抗論する声が鳴り止まなかったが……今更引き返すことなんてできない。

 侵入者、もとい俺を排除すべく第二、第三の黒荊部隊が逆立って横一列に並び、ディフェンシブなフォーメイションの壁が形成される。無能に暴れ回っていただけかと思ったが、統制された動きを見るにこいつらも馬鹿ではないらしい。

 直進するのは諦めて手薄な右サイドから回り込む――が……、その選択が、こいつらが用意していた棺桶に自ら片足を突っ込んでしまったのだと……深く後悔させることとなる。

 走るルートの先で第四の部隊が地表の下から突き出てきて進路を塞がれてしまう。

 咄嗟とっさの急ブレーキ。直後に――、

「あが――ッ!?」

 左から突っ込んで来た黒荊のジェット機さながらの体当たりで――俺の身体は宙へと吹き飛ばされていた。……視界が……、意識が……黒く染まっていく……。



【――春海……ッ!! はる……、み……ッ!!】

「……ん、あ……?」

【春海!? ……うぅ、ひっぐ……。良か……っ、た……。もう……、だめ、かと…………】

「リリー……?」

 何やらリリーが泣きじゃくんでいた。……どうしたんだよ?

 何があったのか思い出そうとするが……、後頭部をどこかに思い切りぶつけたらしく、痛みで思い出せない。

 俺は闘技場の壁を背にし脚を放り出した状態でへたり込んでいた。右腕剥き出しの萌葱もえぎ色のチュニックと、地の色なのか血の色なのか……、もはや模様の区別がつかなくなったキュロットパンツは、大胆なダメージ加工がなされて衣服はボロ布と化していた。

 リリーがめそめそと震える声で言う。

【荊に吹き飛ばされて……、さっきまで……意識がなかったんですよ】

 ――そうか。そうだった……。荊に吹き飛ばされたあとでこの壁にクラッシュしたんだっけか。

 顔を上げると、相変わらず黒荊の樹林が我が物顔で会場を破壊し、暴虐の限りを尽くしていた。観客席の方では警備隊と思わしき人たちと黒衣のコートを羽織った男――バルバットがデスサイズを振り回し、黒荊との戦闘の真っ只中にいた。

 さして変わらぬ前後の状況から気絶していたのは、ほんの数分のことだろう。

 ……こうしちゃいられない。俺も行かなければ……。別に誰かが待っているわけじゃないけれど……。

 立ち上がろうと、身体を起こした際に、

「うあぁ……ッ」左腕が脳からの命令を無視して耐えがたい激痛を返してくる。

 何事か、と……。自分の左腕を確認すると――、変わり果てたそれは……肘から先がひしゃげてあり得ない方向へと垂れ下がっていた。

【……もう、よして下さい……。これ以上……何のためになるって言うんですか……。あなたが死んでしまったら、私は……、私、は…………】そのあとは、嗚咽おえつで言葉にならなかった。

 ……何のため、だって……? ……確かに、そりゃ言えてるよな……。

 一人を助けるために人生を――ましてや、世界存続を棒に振るかもしれない。こんな勝ち目の見えない賭けに身を興じようなんて……、はっきり言って、正気の沙汰じゃない。飛んで火に入った夏の虫の運命を、この左腕が如実に物語っている。

 ――一撃でこの威力だ。不幸中の幸いか運良く命までは助かったが……当たり所が悪ければ生き残れていなかっただろう。そうじゃなくても重傷の体に次はない。

 生半可な武装じゃ返り討ちにされるのが関の山。……リリーの言う通り、ここから先は生きて帰れぬ戦場だとわかっていながらも、むざむざと自分の首を献上しに行くようなもんだ。これを無謀と言う以外何と言おうか……。語彙ごい力が足りない俺はそれ以上の相応しい言葉を知らない。

 …………でも、俺は……、かつて、そんな無謀な男たちがいたことを知っている。

 ――ふと、遠い記憶に刻み込まれたヒーローの台詞が甦る。日常生活では犬の餌にもならなかったその含蓄ほど――今、この場で役立つ言葉はない。

 右腕だけでなんとか身体を支えて起き上がらせ、俺は切れ切れの息で言葉を吐く。

「リリー……、一つ、いいことを……、教えてやる……」

【…………?】

「これは……、俺が昔、大好きだったヒーローが、言っていた……、有り難い……お言葉だ…………」

【……何の、話ですか? それとこれと、何の関係が……】

 左腕の苦痛で顔中に脂汗を滲ませながら――、その臭い台詞を、精一杯の声で、区切り区切りに絞り出す。

「はぁ、はぁぁ……。目の前の……、女の子一人……救う、ことすら、できない奴に……、世界を……救う、ことなんて…………はぁ、はぁぁ……はぁぁ……」

 重い呼吸を整え再度息を大きく吸い込み――暗澹あんたんたる空に向かって出涸でがらしの声を張り上げる。

「できっこ……ないってなぁぁアァッアァァ…………ッッ」

 その台詞に――胸が熱くなる。確かに、感情はこの上なく絶頂にたかぶっているが……そういうわけじゃない。

 胸の中心の内側辺りを起点に、湧き出る血潮が奔流ほんりゅうとなって、全身を満たし熱を伝導していく感覚が拡がっていく。内部ですっかり微弱になっていたエンジンが再稼働し、体の細部にまでエネルギーが浸透して活性化していく。

 ――と、ともに。

 先ほど、けつく痛みを俺の右手の甲に刻み込んだその紋章が――一際強く輝き始める。その光に導かれるように……俺は右手を掲げた。

「おい、フレースヴェルグ……。聞こえてんなら返事しろ……。お前は、人の奥底に眠っている願いを形にする神様なんだろ? ……だったら、俺の願いを叶えてくれよ……。あいつを助けるのに、お前の力が必要だ……。お前の力を――俺に寄こせッ」

 俺は……彼女を助けてヒーローになる。彼女の――救世主ヒーローになるんだッ!!

 ――二度ふたたび、掲げた俺の右腕に炎の奔流が渦巻いて燃えたぎる。

 と同時に。左腕から痛みが消えるどころか、体の芯から木端微塵に弾け全身を暴発させる勢いの活力が満ちていく。溢れたエネルギーが吹き荒れ、その震動に空気が怯えて尻込みし、大地が、ミシミシ、と悲鳴を上げる。

 このままじっとしていたら全身が灰になってしまいそうな焦燥の業火にあおられた俺は、このやり場のない怒りを、鬱憤を晴らすにはおあつらえ向きの標的のもとへぶつけに行く。

 危険を顧みない俺の単身特攻を、リリーは……、もう、止めることはしなかった。

 索敵可能範囲に入ったためか手前の黒荊が動き出し――、正面から向かってくるそれを力任せに炎が渦巻く右腕でぶん殴る。

「うおおあああああああああ」

 拳が触れるや否や――、黒荊に亀裂が生じて、ばきん、ばきん、と断末魔を叫ばせながら砕けて無数の破片となった。

 ――いける。いけるぞ……ッ!!

 オレンジの光を纏った右腕に微かな希望を見出したのも束の間、生まれ出た脅威の種に激昂げっこうした黒荊共が殺到してくる。多方向から押し寄せる獰猛どうもうなその乱舞を右腕一つで薙ぎ祓っていき、地面と水平に伸びてタックルをかましてきたその内の一つの背に飛び乗って、中心地へ疾駆する。

 俺を振り落とそうと跳ね上がった足場の勢いを借りて天高くジャンプ。そこから右手を突き出し真っ逆さまに、密集した黒荊に隠された彼女のねぐらへ急降下。迎撃に来た黒荊をがむしゃらに祓い抜け破片の雨が飛散する中で、次第に壁を失い始めた塒からルナの姿が見えてくる。――届けッ。あと少し……ッ。

 俺は右手を精一杯、彼女のもとへ差し伸ばす。

 が――。

「う――がぁッ!?」

 最後の最後で。真下の地中から強襲してきた黒荊が、表皮上に生え揃った剣山で俺の左半身をえぐっていった。

 フレースヴェルグの力で痛覚が麻痺しているのか、痛みは感じなかったが……。

 皮膚がずたずたに裂けて血飛沫ちしぶきが噴き出す。体勢が崩れ軌道から跳ねる。意識がオーバーヒートして途切れかける。額から滴る血で……、いや、違うな……。棘に引っ掛かったんだろうが……、たぶん、左眼が潰れている……。

 だが――。

「そっち側で助かったぜ……ッ!!」

 この右腕が無傷なら問題ない。

 出涸でがらしの気力を絞り切り、空中で無理矢理体を捻る。伸ばした右手をそいつに、

「うらあああああああッ!!」

 宛がうと――抵抗される余地もなく、大木ようなつるは黒い破片と化して飛散した。

 着地(常人なら落下死している高さだったが……)と同時に、そのまま勢いに任せて塒に残っていた数少ない残党も同様にして掃討する。

「……はぁはぁ……、はぁぁ…………」

 ……これで、全部か……? どうやら観客席で暴れ回っている黒荊を除けば闘技場は制圧できたようだが……、また新しい黒荊が地中から現れないとは限らない。

 俺は半身を引き摺りながらも横たわったルナのもとへ急ぎ、彼女の横にしゃがみ込む。左側が黒く塗り潰された、半分しかない視界で彼女の顔を覗き込んだ。

 その顔色は……地肌の白さに青さが混じったように変化し、彼女の柔肌の所々に薄くて黒い魔霧が貼り付いていた。俺は、その元凶へ、オレンジに輝く右手をかざす。

 彼女の額から伝わる氷のような冷たさが……激しい焦燥感をつのらせる。だが……そんな想いとは裏腹に、魔霧は見る見るうちに収縮していき――ほどなくして完全に払拭ふっしょくすることができた。

 心なしか、彼女の顔にも精気が戻り、俺は安堵するとともに満身創痍で意識が遠のいていくのを感じていた。血を流し過ぎた……。左半身は真っ赤に染まってしまい、傍から見たらきっとキカイダーみたいなデザインになっていることだろう。

「――ん、んぅ……?」

 ――ルナが、眼を覚ました。

 彼女はゆっくりと起き上がり、まず、自分が存在していることに驚くかのように瞳を見開き、自身の両手を交互に見遣みやる。そして、傷だらけの俺へと振り返って……、せっかく、血色の良くなった顔を、再び青ざめさせた。

「――――」彼女の口から、何かが呟かれた。

 それはまるで――、これまでずっと、自分が信じ続けてきた世界が偽物だったと気づかされたかのような……、自分を構築しているものが音を立てて崩れ落ちていくような……、そんな打ちひしがれている表情にも見えた。

 ……俺は、それだけ……、見届けると……、満足して、力なく……笑った…………。



 ……憶測でしかないが、おそらく、ルナは『どうして……?』と言っていたんだろうが、俺の意識はそこで薄れ、彼女の声を聞き取る気力は既になくなっていた。


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