5
暗闇と静寂に包まれた俺は、闇に向かって一人嘆く。
……やっぱり、俺には無理だったのかな。ついにこの前まで平和に暮らしていた一般市民の俺が、他層世界の超人たちを相手に闘いを挑むなんて無謀過ぎるよな……。せっかく、晴れて俺も異能力者となって、昔の憧れだったヒーローみたいになれるんだって思ってたのに……、現実なんて所詮こんなもんだ。
――俺にはやはり、ヒーローは向いていなかったみたいだ。
俺の知ってるヒーローは絶対に負けなかった。どんな逆境にも立ち向かっていく勇気をいつも持っていた。折れないしぶれない正義で悪に屈服することなく、敵とも、己とも、常に闘っていた。
……だが、俺はどうだろうか? ――ご覧の通りのこのざまだ。もはや風前の灯火……、刀折れ矢尽きて、身動きも取れない。敗北と言う現実が目前に迫っている状態で抗うこともできない。こんなんでよくヒーローだなんて言えたもんだよな……。これじゃあいつの言う通り、一人無様に踊り続けてるピエロの方が、よっぽどお似合いだ。
……何だよ、これ……。何なんだよ、俺は…………。
――こんなん、全然ヒーローじゃねえよ……っ。
俺は勝ってミズガルドに帰るんだ。あの世界で俺の帰りを待ってくれている人たちがいる。ここで負けて帰ったら……皆にどんな顔して会えばいいんだよっ。
――頼む。俺に力を貸してくれフレースヴェルグ……っ。
非日常に憧れていた時期は俺にもあったが……、こんな非日常ならくそくらえだ……っ。俺の日常を取り戻すためにお前の力を貸してくれ……っ。
嫌だ……、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ。
負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。負けたくないっ。
――、――――。
え……、何だって? ……っていうか、誰だ? 俺に話しかけてくるのなんてリリーくらいなもんだが……、リリー……の声ともまた違う。男か女かもわからない中性的な声だった。
……とうとう、パニくるあまりに幻聴まで聞こえだしちまったのか……? これはいよいよもって本格的にやばいぞ……。と思った途端に――
――、――――。
……また声が聞こえてくる。誰かが何かを俺に訴えている。抽象的過ぎて説明になってないが……、もしや……、いや……まさかな。ご都合主義じゃあるまいし世の中そんなに都合良くいくもんか……とは思いつつも……。
すぐそこまで迫りきった現実を受け入れたくない一心で、この際何だっていい、と藁にも縋る思いで声の出処に耳をそっと傾けた。
静かに……、静かに、耳を澄ますと……、今度は――はっきりと聞き取れた。
――弓を引け、と――。
「――――ッ」反射的に身体が先に動いていた。
気づいたときには既に左手にアルテミスを構えていて――俺はその弦を、躊躇わずに右手で引く。
――ここで一つ、異変が起きた。
「ああああああああァァァ……ッ!!」弦を引いた右手の甲に……燃えた鉄の棒で焼印されたかのような激痛が奔る。マグマに浸かった感覚。皮膚が沸騰する感触。焦げつく悪臭――。
俺の右腕に……橙色に燃える炎が……、太陽から爆ぜるプロミネンスの如く激しく渦巻きながら絡みついていく。装着していたガントレットが爆散し、長袖であった生地を一瞬にして肩口まで焦がして塵と化す。熱波が猛烈に吹き抜け、束ねた露草色の髪が、後ろでばさばさと波打っている。精製された矢が……矢尻から弾ける火の玉を纏い猛々しく燃え盛る。
心臓に備え付けられたエンジンが際限なく回転数を上げていくような――フルスロットルで加速する鼓動が唸りを上げる。全身にあった痛みや重みが諸々飛び去っていき……、体にかかる重力すら軽くなった気さえしてくる。
【は、春海……、ど、どうなってるんですか、これ……】
「わかんねえ……っ。さっき弓を引けって言ったの、リリーじゃないのか……っ?」
【え……? わ、私はずっと、逃げるように指示してましたけれど……?】
まじかよ……。ひょっとして……、まじで、神頼みに成功したのか……?
ルナは右手を突き出した姿勢のまま怪訝そうに、ほんの少しばかし片側の眉を吊り上げ、食い入るように猛り狂う俺の右手に――まるで、俺の価値を品定めしているかのような――熱視線を注いでいた。
「……何だか雰囲気が違うわね。さっきので万策尽きたのかと思っていたのにまだ攻撃手段を隠し持っていたなんて。――いいわ。どうせならあなたに最後のチャンスをあげる。止めを刺すのはその最後の悪足掻きを見届けてからでも遅くはないものね」
「――その言葉、あとで後悔するなよな?」
火柱が塒を巻いて荒ぶる右手の、矢羽根を摘んだ指先を――引き離す。
矢はこれまでよりも速い一筋の閃光となって、オレンジの軌道とともに風切り音を哮らせ、
「――あぐぅぅッ」彼女を守るために盾となった霧の翼を――再三に渡って攻撃を防いできた牙城の壁を貫き――LPバリアも突き破って、その紅の粒子を纏った右手の平を弾き飛ばした。
ルナのLPゲージが目に見えて減少していき三割ほど削ったのに加え、ダメージを与えたことによりEAゲージは六割近くまで上昇していた。
「効いた……、効いてるぞリリー! ――って何だこれ!?」驚きと嬉々の混在した声を張り上げたのも束の間、裸となった自分の右手の甲に……何やら紋章が烙印されていることに気づく。鋸刃のようなギザギザした線が丸い円を描き……まるで太陽を模ったかのようなマークがオレンジ色に、淡い光を発している。
そういえば、無我夢中でそれどころじゃなかったが……、いつの間にかに腕に巻きついていた炎蛇は鎮まってどこかへ消え去り、先ほど感じた右手の痛みも治まっていた。
【これは……、一体……?】
リリーはルナの霧を打ち破ったことよりも、右手の甲に今し方現れた紋章が気になるようで、戦闘中だと言うのにそっちのけで、ああでもない、こうでもない、みたいなことをぶつぶつと呟き始めた。研究者としての性分をこんなところで発揮されても困るんだが……。
話を本筋へ戻し――。
鉄壁の壁を失ったルナは、その顔に初めて『あり得ない』と言った驚愕の表情を滲ませていた。左手の指で右手に穿たれた傷口をそっとなぞり、その指先に血が付着すると、瞳孔を開いては刮目し全身を震わせた。
その背中にはさっきの攻撃で破けたはずの翼が復活している。……どうやら、一発当たっただけじゃどうと言うことはないらしい。
「――バルバット!」
ルナの切羽詰まった声に反応して、彼女の顔の側面にヴァーチャルディスプレイが出現する。画面がルナの方を向いているためまたしても映像はよく見えなかったが、バルバットの声は先ほどよりも抑揚があり上擦った調子だった。
『――ああ、ビンゴだ。どうやら読みが当たったみたいだな。……しかしまあ、オマエの薄幸さ加減にはつくづく同情するぜェ』
……? 何の話をしているんだろうか?
答えはわからぬままに、会話は流れていく。
「……どう考えてもラッキーでしょ。それより準備はできてるの?」
『ハッ。誰に口利いてんだ? おめェこそ覚悟はできてんだろうなァ?』
「覚悟なんてとうの昔に済ませてきたわよ」
『……フンッ。相変わらず可愛げのねェガキだ。――あとはてめェの霧のペットと仲良く相談でもしてなァ』
最期にバルバットが小声で何かを囁くと、ルナは無言でそれに頷き通信画面が消える。
会話中もずっと表情を強張らせたまま、俺から視線を外すことなくじっと見入っていたルナから……さっきまでの倦怠感などどこ吹く風で――どこにそんなものを隠していたのか見当もつかないほどの――剥き出しにされた覇気を暴発させ、滾る闘志の激流をぶつけてくる。
「……まさか、本当に魔霧を破る人間がこの世にいたなんてね……。別に疑っていたわけではないけれど……、さっきの自爆といい、あなたのエンターテイナー性には驚かされるばかりだわ」
「そいつはどうも。……だけどまあ、これでやっとダンスのエスコートができるってわけだ」
「そうね……。でもそれは、私の魔術について来られればの話だけど――ね!」
彼女の左腕が電光石火で突き出される。
「――――っ!?」
掌から紅の一閃が瞬くと――紅いビーム、もとい電撃が迸る。瞬時にその軌道上にあった頭を逸らして転がりながら回避すると、電撃は俺がいた真後ろの壁に鋭く突き刺さって、バチバチ、と火花を散らした。
――速い。構えてからが一瞬だ。……おそろしいことに、電撃が俺に到達するまでの体感秒数は、事前の手の動きを含めてもゼロコンマ五秒を上回る速さだった。その詠唱時間もさることながら……到達速度も正に閃光である。
リリーの教えでは、基本的に魔導師が扱う術は一つの属性に特化していることが多いらしい。とすると……、あいつの得意系統は雷属性ってことか。
衝撃も覚めやらぬ間に続けて第二波が飛んでくる。足下を狙ったそれを、バク宙の要領で後方へ飛び、背後にあった壁を使って三角跳びで空中へ。――身動きの取れない空中へ移動したのは逃げるためじゃなく、反撃するためだ。
バク宙する時点で弦を引いていた俺は溜めていた矢を、空中から狙いを澄まして解放する。ルナを中心としてオレンジ色の光の雨が降り注ぐが……、ここでようやく、彼女にかかっていた速度 強化、アクセルブーストが真価を見せる。
ルナは冷静に着弾点を見極め鮮やかな身のこなしでそれらを全て避けていく。紅い粒子を撒き散らしながら華麗なステップを刻む姿は――妖精が踊っているかのようで――危うく、魅了されかけた。
俺が着地した隙を見逃さずに、ルナは翼をはためかせ反時計回りに疾駆しながら左手から紅の稲妻を放つ。この隙を必ずついてくるだろうと予測していた俺は、その稲妻に応戦して矢で迎え撃つ。
紅の稲妻とオレンジに燃える光弾は両者の狭間で激突し合い、一陣の突風を産み出して相殺された。――威力は同程度か。〔アナライズ〕でチェックした限りじゃ生命力面でもLPはルナと大差ないはずだ。つまりは……、あれが直撃したら俺のLPは残り一割残るかどうかってところだ。
その間にも飛んでくる稲妻を一発目は右へ跳び、二発目はしゃがんで、三発目は片手で側転しながら避けたところで、俺はアルテミスを異空間へ転送するのと引き換えにヴィヴィボムを両手に呼び出し、ルナの進行方向に向かって二発遠投する。
もちろん、当たってもあの霧の翼に阻まれるのはわかっている。ルナは俺の矢以外は避ける必要がないからかわすことはしないだろう。だからこそ……、その盲点を突く。
自身の進む先に投下された爆弾を、ルナは避けることなく突っ切ったおかげで見事に命中し、爆発して辺りが爆煙に包まれると、『お返しよ』と言わんばかりに、見えない位置から稲妻が二発放たれる。正確無比な照準で飛んできた稲妻を左へ擦り抜け――あと僅かに判断が遅かったら避けきれなかったであろう――ぎりぎりの位置でやり過ごし、再度、両手にヴィヴィボムを呼び出して二発遠投し、もういっちょおまけで二発投げ込んでやる。
煙の左側からルナが飛び出てきたところを四匹のうさぎの人形が炸裂する。轟く爆音。
前の爆煙が収まり切らぬ内に、さらに投下された爆煙によってお互いの視界はほとんど灰色に奪われた――はずなのだが、爆煙内から射出された三発の稲妻は的確に俺の位置をついてくる。
それを右へ側転してかわしきったところで立て膝を突き、左手にアルテミスを呼び戻して構え、右手には――また、ヴィヴィボムをセットする。
「リリー」声で位置を特定されないようにひそひそと囁く。
【………………】
「おいリリー!」
【ひゃ……っ、はい!】素っ頓狂な声が返ってくる。
「〔イーグルアイ〕を頼む」
【――ああ、すみません! すぐにやります!】間髪入れずに、俺のLPゲージの上に眼の形をした強化アイコンが表示される。
〔イーグルアイ〕は相手を捕捉するための索敵スキルだ。
元々はリリーが弓兵として製造された際に付加された特殊能力の一つで、戦場において遮蔽物や特殊な能力で隠れた敵の位置や数を割り出すために備えられたものだ。
――眼を瞑り、索敵モードへとスイッチを切り替える。
瞼の裏に闘技場の情景が浮かび上がり、自分のいる位置から波紋状に折り重なった波が伝播していくのがわかる。その波の一つ一つが自分の手脚の延長線上のように伸びていき、周りの空間を掌の上で転がすように感じられる。
そして――波が彼女に接触する。
はたして、ルナはどこに――。俺の予想に反して、モノクロの視界に浮かび上がったその人影は……不可解な動きをする。ちょっと左へ進んで立ち止まり、またちょっと左に進んでは立ち止まる……を繰り返す。てっきり煙のない反対側へ移動すると思ってたんだが……こっちとしてはその方が都合が良い。
瞼を開けると、赤いサークルのターゲットマーカーが彼女の位置を囲んで追尾する。
――準備は整った。あとはこいつをぶっ放すだけだ。この視界の悪さなら成功率はさほど悪くないはず。何より……あいつはあの霧を妄信している節があるからな。成功する自信はある。
俺は赤いマーカーに狙いを合わせて――ヴィヴィボムを『発射する』。
濁った灰煙を弾丸さながらの速度で掻っ切った人形は、たちまちに煙に吸い込まれて目視できなくなった――と思いきや、爆発音を響かせる。
手ごたえはあった。その証拠にEAゲージが、あと一撃でも当たれば発動可能ならラインまできていた。
即座に反撃の稲妻が数発、煙を突き抜け俺に歯向かって来たが……、正確性の欠いたそれは回避する必要もないルートを通り過ぎていった。
立ち込める煙の中を赤いマーカーは、壁伝いに反時計回りで高速移動しながら稲妻を連射してくる。闇雲に放たれたそれらに危険を察知し、バックステップで一旦距離を置く。
どうにか煙から抜け出せたルナは、少しばかし走ったところで脚を止め、ゆっくりと、こちらに振り返る。その表情は――引き攣った微笑を湛えていた。
「してやられたわ……」ルナは左手で右脇腹付近を抑えて、
「うさぎの爆弾に矢が引っ付いていたなんてね……」悔しげに呻いた。
彼女のLPゲージは四割くらいに減少し、俺とほぼイーブンな状態にまで落ち込んでいた。そのゲージが黄色く変色するのと時を同じくして、心の声からも……、じゃなくて、リリーからも【ナイスです!】と黄色い声で賛辞が送られた。
「もし俺が逆の立場だったら爆弾を避けたりはしないだろうと思ってね」
「そうね。先に投げた爆弾は煙幕目的と矢を当てるためのフェイクだったわけね。意外とやるじゃない。……見直したわハルミ」
「お褒めに与り光栄の至りです姫君」おどけて紳士ぶったお辞儀をする。
「……でもね。やられっ放しは趣味じゃないの。きっちりお礼はさせてもらうわよ」
「お礼なんてお気持ちだけで十分――っ」喋ってる途中で稲妻が僅かに顔の右を逸れていく。
…………そうかい。これ以上、言葉はいらないってか……。――上等だッ。
瞬時に俺が弓を身構えると、ルナは二撃目の閃光を放つ。
身を屈めた俺の頭上を紅の軌道が奔っていく隙に、彼女は怒濤の勢いで接近してくる。そして、その左手に、小型のブラックホール染みた空間を顕現させ……そこから、何やら棒状の物体が引き抜かれた。
その手には……彼女の身の丈近くはあるかないかの、三つ叉姿の禍々しく紅い魔槍が握られていた。……ただでさえ、その翼のせいで悪魔っぽいって言うのに、そんなものを手にしたら、もはや言い逃れもできないほどに完璧な悪魔である。
魔導師が接近戦――? ……と言うよりは、俺の矢を封じる作戦か。――まずいな。予備のダガーなんて持ってないし……、ここは近づけさせるわけにはいかない。
弓を引いて牽制球を放つ――が、ルナの太腿を狙ったそれは、そのか細い両腕には大きすぎる獲物で防がれ弾かれてしまう。続けて流れる動作で槍の矛先を俺に定め「ディアボルス・スペクルムッ」と何かの呼称を叫ぶのと同時に、槍の矛先から紅い電撃が射出される。
魔術の展開先が掌から矛先へと変わっただけだったのだが……、初見のビーム兵器に冷静さを欠いた俺はワンテンポ遅れてから左へ回避した。――その極短い判断の遅れが、ルナに距離を詰める契機を与えてしまい、彼女の槍が俺の懐へと伸びてくる。
「うらああああッ」アルテミスをバットさながらにフルスイングし、その矛先を真横から打ったたく。――飛び散る火花。突き抜ける金属音。
弾かれた槍は矛先を横へ背けるが――ルナはその遠心力を利用して軽々と槍を回転させ、矛先とは反対側の石突部分で右斜め下から振り上げるアッパー打撃を繰り出してくる。
それをアルテミスで受け止め、鍔迫り合いの硬直状態へと突入する。とても女の子が出せる腕力とは思えない力で押してくる。これも魔術の身体強化が為せる業なのか――?
不意に……。俺と一進一退の攻防戦を展開していた彼女の、その視線が微妙に脇に逸れたように見えた。――直後に。自分の背後から忍び寄ってくる殺気を察知した。
〔イーグルアイ〕には索敵モードじゃない平常時でも、若干ながら空間把握能力を向上させる効果もあり――、その直感が俺に『逃げろ!!』と喚いていた。
ただちに俺はルナの鳩尾目掛けて蹴りを放ち押し退けようとするが、後方に飛び退かれ蹴りは空を切った。それから急いで脇へ転がるようにして身体を捻らせるが……。
「つぅ――っ!?」……あまりにも遅過ぎた。
ほとんど避けきれず――、紅の稲妻が俺の背中に直撃した。
地面へ滑り込む刹那の時間に、俺は稲妻が飛んできた方向を確認すると……そこには姿見のような縦長の長方形の鏡が、妖しい紫色の煙に取り巻かれて浮いていた。
……そういう、ことか……。あんにゃろう……、あれで稲妻を反射させたんだ。さっき叫んでたのはあの鏡を召喚するための呪文だったのか。まんまと引っかけられた……。おそらく時間差的にも一度鏡に吸収させた魔術は任意のタイミングで再射出できるのだろう。
前方回転受け身で倒れ込む隙を回避した俺には……真っ先に確認しなければならないことがあった。
視界右下に注目する。ゲージは……僅かに一割ほどが残り……、その色はとうとう、LPが三十三パーセントを下回ったことを示す赤色に染まっていた。せっかくイーブンにまで持ち込んだ均衡を早くも塗り替えられてしまった。あと一発でも電撃が直撃……、いや、掠りでもしたら……俺はもうおしまいだ。これ以上はあとがない……。
俺に焦る猶予も与えてくれないらしいルナは、構えた槍の矛先から電撃を見舞う。その閃光の右側へ擦り抜けようと身体を滑らせるが――
「ディアボルス・スペクルムッ」稲妻と擦れ違いざまに、再度同じ呪文が繰り返される。
「!?」だが――、さっきとは形式が違った。
俺から少し離れた位置に出現した鏡は、一枚だけじゃなく……三百六十度の周囲を、隙間なく囲むように連なって逃げ場を塞いでいた。
――あと一撃で終わりだってのにふざけんなっつうの!
【春海、上から逃げて下さい!】
「わかってらっ!」残された退路の上空へと、右方面の鏡に向かい、助走をつけてジャンプするが、そこへすかさず待ってました、とルナの稲妻が空中にいる俺を仕留めに急接近する。
――いや、まだだ……っ。まだ間に合う……っ!
間一髪で。迫り来る稲妻を素早く撃ち放った矢で相殺することに成功した俺は、鏡を飛び越えて外側へと着地する――が、
「――――ッ!?」突然。全身の毛穴という毛穴を針で刺されたかのような刺激が駆け巡った。
俺の身体は痺れて重力に逆らえなくなり、その場に両手と両膝をついて崩れ落ちる。そこには……着地する前まではなかったはずの、電流を帯びた紅い水溜まりのような磁場が円形に広がって存在していた。
【これは……、拘束術式……!?】
「――やっと、罠に引っ掛かってくれたみたいね」
降り被せられる声になんとか目線だけをルナの方へ向けると、彼女は勝利を確信した冷涼な笑みを携え、最初と同じように右手を腰にあて気取ったポーズを取っていた。
「……罠……、だと……?」
全身の神経が麻痺して機能停止を余儀なくされた感覚。起き上がろうにも罠に服従した体は脱力し、弓を射るために最適化された全身の筋肉がただの張りぼての重みとなる。
「そ。正式術式名は――雷系統、対象系術式――〈バインドマーシュ〉。踏むと作動する設置型の拘束術式よ」
ルナが片脚のブーツのヒールを地面に打ち付ける――と、左側にあった鏡の面々が消失するのと引き替えに、あちらこちらに……、と言うよりは、彼女が通った跡を辿るようにして〈バインドマーシュ〉とやらが点々と地表に出現する。
「私の得意技は〈重複詠唱〉という異なる魔術を並行詠唱することなの。あなたと撃ち合いごっこをする傍らで仕掛けていた罠が功を奏して助かったわ。どうやら、運も私に加勢したみたいね」
罠――と。改めて言われて、俺はこの場所のことを思い出した。
くしくもここは……ヴィヴィボムつきの光の矢をルナに着弾させたのと、ちょうど同じ地点であった。道理で……。あのときの彼女の不可解な動きは、この仕込みのためだったのか……。
抵抗しようにも指先一つろくに動かせない。どうにもビリビリの罠に囚われた体は既に観念したようで……全面降伏を俺に提示していた。
【……残念ですが、ここまでのようですね……。大してお力になれず申し訳ありません……】
大船に乗ったはずのリリーの太鼓判は、今や沈没船と化していた。
焦りと興奮と恐怖が最高潮に達した頭で、改めてルナを睨みつけ――歯噛みする。
……ここからどう足掻こうが、もはや二度目の奇跡が起こる気配もない。……無念。彼女がチェックメイトを決する瞬間を、ただ、何もできずに眺めて終わりゆくのか……。
「あなたの余興には久しぶりに随分と白熱させてもらったわ。宴もたけなわなところで悪いけれど、これにて閉幕にしましょうか。……それじゃあ、さようなら……」
ルナの持った槍の先端が俺に差し向けられ、矛先に紅い粒子が集束していく。
その様子を最後に、俺は自分のLPゲージがゼロになるときを……眼を閉じ敗北の味を甘受する覚悟を決めた。ミズガルドの人々へ詫びたい気持ちを胸中に募らせながら……稲妻が俺の体を貫くであろう終幕に備えて力の入らない全身を強張らせる。
そして――そのときが、訪れる。




