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「これって……、まじでやばいんじゃないのか……」
しかし……、こいつは妙だな……。
何故攻撃してこない……? それどころか試合が始まってから彼女は一歩も動いていない。スキルによる支援を待っているのか? それとも……何かを狙っているのか? だとしたら、一体何を……?
【かなりの鉄壁ですね……。こちらの攻撃手段は主に弓とあの特製ヴィヴィちゃんボムと、あとはダガーで接近戦を仕掛けるくらいしかありませんのに……】
「何なんだよあの霧は……得体がしれねえぞ」
【何なんでしょうね。再度解析を試みましたが……データベースに該当するものはなさそうです。いかなる攻撃も通さないあの強固さ……。まるで妖怪ぬりかべを相手にしているみたいですね】
「どっちかつったら見た目は黒い一反木綿なんだけどな……」
傍から見ればぶつぶつと独り言を呟いている俺の方が得体がしれないのだが……、それを見るに耐え兼ねたのか、彼女……、ルナは憂鬱そうな響きを含んで言う。
「あなた……カドゥージ、とか言ったかしら?」
……間違って覚えられている。あの姉め……こんなところで二次災害を招くとは。
「違う。門藤春海だ。春海でいいぜ」
「そう……なら、ハルミ。――早々で悪いけれど降参してくれないかしら?」
「……何だと?」いきなりの言葉にこめかみの血管が引きつる。
彼女と最初に交わした言葉は、まさかの『諦めてくれ』と勧告されるものであった。
「まだわからないの? あなたに私を傷つけることは不可能なのよ。……ああ、勘違いしないでね。私は別にあなたが弱いだなんてこれっぽっちも思ってませんから。バルバットがあなたたち……でいいのかしら? 二人のことを弱者だとか罵っていたみたいだけど、彼みたいな無粋な人とは一緒にして欲しくないの。さっきの無礼は代わりに謝罪しておきます――ごめんなさい」彼女は優雅な所作で、礼儀正しく腰を折る。
……戦闘中にまさか謝られるとは思ってなかったので、これにはかなり驚かされた――が、先の彼女の発言を忘れたわけじゃない。相手の要求がわかっている以上はその不可解な言動は逆に警戒心を強めるだけだった。
額を上げた彼女は、見るからに煩わしそうにしながら、
「でもね、そうじゃなくて……。相手が誰だって結果は同じことなのよ。誰にも私を傷つけることなんてできない。あなたがどう足掻いても、私には壁一枚隔てた向こう側であなたが一人憐れに踊っているようにしか見えないの」
絡みつく黒い霧を掌の上で捏ねては弄び、それを味気なさそうに見つめていた彼女の、その紅玉の瞳には愁いの色が湛えられていた。
「あなたが試合前にぶつぶつと呟いていたのが聞こえたから、今更隠す必要もないんでしょうけれど――ご存じの通り、私の体は世間の魔導師のそれとは一線を画しているわ。この魔霧は私の<魔素子漏出症候群>で漏出した魔素子が産み出した副産物みたいなもので、産まれながらにして得ることとなったこの力が私に触れる全てのものを拒絶してしまうのよ。……私の意思にはお構いなしって感じにね。これまでの生涯で私に触れようとした人々は皆、その代償として、その手を――、その脚を――、この霧によってもぎ取られていったわ」
「………………」おぞましさで声が出なかった。
俺は……、同じくらいの年頃の彼女が、さも恐ろしき己の半生を平然と、それでいて淡々と述べたことに少々戦慄していた、……のかもしれない。
尚も、彼女の狂気は続く。
「あなたにわかるかしら? 物心がついたとき、そこが寒くて薄暗い地下の独房で自分が監禁されていることに気づいた幼い子供の気持ちが……。食事を運びに来る給仕たちが陰では自分のことを『呪われた人形〈カーズドドール〉』って呼んでいるのを知ってしまったときの気持ちなんて、きっとわからないでしょうね。何度も何度も死のうと思って手首を切ろうとしたり、色々試したけれど……どれもダメだったわ。体を傷つけようとしても魔霧が邪魔して死ねなかった。でも皮肉なことに、私を孤独にした魔霧が、今度はあらゆる外敵から私を守ってくれる存在になった。はっきり言って――、あなたが一時間かけてもこの潔癖にして鉄壁な魔霧を撃ち破る方法はないでしょうね。でも、私はその一時間であなたのLPを一ミリでも減らせれば勝てるわけ。最後まで敢闘して観衆を沸かせるショーを演じたいのなら、付き合ってあげないこともないけれど……、私としては早急に諦めてくれた方が有り難いのよね」
だから、降参してくれないかしら? ――と、倦怠感を出し惜しみすることもなく『面倒だからさっさと諦めろ』と言う趣旨を含めて、彼女は付け加えた。
「……悪いが一歩も退く気はねえよ。愛する家族が故郷で待ってるんでね」
どこぞの主人公染みた台詞を借用して返答すると、彼女の――深紅の瞳からますます感情が薄れていくような――、生気のない人形と遜色ない造り物めいた無表情さがやけに眼に付き……、何故だろうか? 以前どこかで同じものを見たような既視感が俺の脇腹をしきりに小突いてくるのは……。
「家族、か……。いいわね。誰かを守るために闘おうって思えるあなたが少々羨ましいわ」
ぬぅ……。気にしてる場合じゃないが、家族って言葉は禁物だったか。
普通なら世界を呪ったっておかしくない不幸な境遇に生まれついた彼女が、それでも世界を救おうと闘っているからには、ひょっとしたら案外良い子なのかもしれないが……。逆に言えば、そうまでしても救いたいと思う動機の方が余計に引っ掛かってしまう。
「この馬鹿げた争いに参加したくらいなんだから、そういう王女様だって――」
「王女呼ばわりはやめてっ」何やら気に障ったらしく……、俺が言い終えぬ内に反発した彼女は語尾を荒げ、
「……あんなの肩書きだけの飾り物よ。私のことは――ルナでいいわ」物憂げそうに耳にかかったスノウホワイトの髪を掻き上げる仕草をし――、その腕から漏出した火の粉のような光が風に靡いた。
「じゃあその――ルナだって、世界を救おうと思ってここまで来たわけだろ。君にも一つくらい信念ってもんがあるんじゃないのか?」
俺の問いに、今度は肩を竦めるジェスチャーを交え彼女は辟易として見せる。
「信念、ね……。どこの世界にだって並々ならぬ事情がそれぞれあるものよ。それを……わざわざ詮索しようってのは野暮ってものじゃなくて? まあ、世界を救いたい気持ちに偽りはないけどね」
「…………」
そりゃ世界を救うという使命を背負うのに対して、何にも葛藤がなかったとは思わないし、それを一々対戦相手に語り聞かせるのは馬鹿げてる、とは思う。
ただ……、仮に彼女が、守りたいと思える大事なものを一つも持ち合わせていないとしたら――、何のために最終審判に出場したのだろうか? 何のために自分の世界を救おう、というのだ?
「……そうだな。余計なことを訊いて悪かったよ。よそはよそ、うちはうち――。お互いの事情には深入りしないのが賢明な選択だよな。……だけど、俺だって世界を救いたい気持ちに偽りはない。だから、その要求を呑むことはできない――絶対にな」
「あら、それは残念ね」ルナは無機質に感じられる変化の乏しい表情で言うと、
「だったら――、あなたが精々飽きるまで踊り続けて、私を少しでも楽しませてくれるとありがたいわ」
事務的に――初めから俺がそう答えるのがわかっていたかのように――帳尻を合わせた。
「お言葉ですが……、ダンスは二人で楽しむものって昔から相場が決まってましてね。エスコートされるのはお嫌いですか――姫様ッ」踏み切った脚で砂を巻き上げ、前傾姿勢で特攻する。猪突猛進に疾駆する最中、背中の腰布の下に隠した一対の白銀のダガーを逆手に握り――引き抜いて両手に構える。
【春海! 不用意にぬりか……、あの霧に近づくのは危険です! 下がって下さい!】
「一足遅いぜッ」彼女にあと一歩の距離にまで詰め寄り近接攻撃が可能な範囲に入った俺は、右、左、と腕を素早く振り抜き斬りつける。
――が、刃が彼女の肩に触れる直前で、意志を持ったあの魔霧が即座に壁となり、その切っ先に巻きついて鷲掴む。
「――くッ」こいつ……しつこいやろうだなッ。
流石にこの距離だと魔霧に反撃される懼れがある。そもそも、得体が知れない相手にアーチャーである俺が、有効射程圏内を離れてここまで接近するのは百害あって一利なし。武器を封じられ防御姿勢も取れないなら、普通はダガーを見捨てて距離を置くのがセオリーだ。
だがしかし……、それらを考慮した上でも、この結果は予期した通りであった。
俺がこんだけ間近に急迫して来ているのに、やはりルナ本体は反撃してくる様子を見せず、やる気がないのか、敵意がないのか(それもおかなしな話だが……)、――憂鬱そうに片手を腰にあて冷ややかな眼つきのまま、ただそうして、その場に佇んでいるだけだった。
そんなルナを――俺は睨みつける。
この至近距離でも平然と澄まし顔で『B級映画のがまだましよね』とでも主張してきそうな退屈げな彼女の視線を真っ向から見返すと……その異様さが、より濃く浮き彫りになる。
その肌の白さ、薄さは、一見すれば美白とも言えなくもないが、裏を返せば病弱の色合いが強く、睫毛の一本一本にまでに降り積もった粉雪の衣に生命の神秘を感じ、その下で光る鮮血に染まった瞳と一度眼が合うと……胸騒ぎがする、というか、胸が締め付けられそうになる、というのか……、仄暗い穴の底からの助けを呼ぶ声に駆り立てられるような……妙な気分になってくる。
――そんな睨み合いもほどほどに。戦闘へと意識を戻した俺は、先端を捕らえられたダガーを引き抜こうとするが――得体の知れない魔霧が刃を呑み込んで離さない。それどころか……、掴まれた先から刃が熔けていき……いや、そうじゃない……。これは……朽ちている……?
驚きに眼を凝らしはしたが……別に構いやしない。初めからこの近接攻撃は捨て駒である。次へと繋げるための布石にしか過ぎないのだ。本命は――端っからこっちだ。
ダガーの刃が腐っていきどんどん使い物にならないレベルにまで進行していると言うのに、一歩も引く気のない俺を不審に思ったのか、彼女は不可解そうに小首を傾げる。
「……これまで殿方と踊る機会がなかったもので作法がわからないの。お気持ちは嬉しいけれど――ダンスはまたの機会にして頂けるかしら」
その発する声すら、魔力が帯びていてもおかしくはない魔性の響きをしていて……、俺の耳を陶酔させ、神経を籠絡しようと誘惑してくる。
またの機会……。残念だが、俺はフラれたようだ。
だって……、後にも先にも俺たちが出逢うのはこれっきりだ。――二度目は実現しない。
「でしたら……代わりにお空の旅へとご一緒願えますかね?」俺は精一杯のニヒルを気取って口の端を意地悪く歪めると……ダガーを手放した。そして、両腕を広げて離陸する準備をし……、彼女の旅路の無事を――祈らない。
「――――っ」僅かに、彼女の眼が見開かれ、息を呑み込む音がした。
密着した彼女との間に――ありったけのヴィヴィ人形を投下する。知覚が研ぎ澄まされているせいか、人形が降下していく様がやけにスローモーションに映し出され――地面に接触するや否や……映像は真っ白に吹き飛んだ。
――と同時に。鼓膜が突き破れそうなほどの衝撃で俺の身体は宙へ舞い、空中で二転三転しながら不格好に地面へ不時着して転げ回ると、闘技場の切り立った高い壁へ背中からぶつかって停止した。
【――春海ッ! 大丈夫ですか!? しっかりして下さい!!】
「…………うぁ、ああ……。かろうじて、生きてるよ……」
自分の声が聞き取れるなら鼓膜の方はだいじょうぶそうだ……。LPバリアに感謝しよう。
だが……、システムによるダメージ緩和はされているとは言え、捨て身の特攻に見合ったダメージで全身のあちこちから苦情が殺到している。やはり、痛いものは痛い……。
そう――、〈化身覚醒〉にも唯一の欠点がある。
それはリンク状態では、俺の体を一時も欠かさずに守ってくれていた破邪の加護が消失することだ。そのバリアの原動力はエネルギータンクから供給されていたものらしく、リンク状態だと全てのエネルギーが魂固定化と能力強化に回されるためにバリアを維持できないのだ。
視界右端の、俺のLPゲージに眼を配らせると――その六割ほどが消失していて、ゲージの色が緑の安全圏から黄色の警戒域へと変色していた。
……しかし、その重い代償と引き替えにEAゲージは四割ほど溜まってターコイズブルーの光を放っていた。
【もう……ッ! 滅茶苦茶ですっ! 相手の性質がわからない以上は慎重に距離をとって無難に攻めるべきです……っ!】
「こうでもしなきゃ……あの霧は破れないと思ったんだよ」
よろめきながらも立ち上がり、爆発地点に咲いた出来立てほやほやのキノコ雲を眺める。鼻をつく火薬の臭いと、反対側の端っこにいても飛び散った砂がぱらぱらと降り注いでくるのが、爆発の凄まじさを物語っていた。
どうだい姫様……。骨を断って肉を切る、こんな恐ろしい芸当あんたにはできないだろ? ……あれ? それだと俺の方が重傷じゃねえか……。まあ、いいさ……。これであの霧を見なくて済むならやすい――
「呆れたわ。私にここまで乱暴なことをしたのはあなたで二人目よ」
まだ晴れぬ煙雲を掻き分けたのは、マントに身を隠したヴァンパイア――ではなく……、背面から流出する黒い霧を従えたルナが、颯爽と視界に現れた。
「………………」
彼女の頭上のLPゲージは――、一ミリも、一マイクロも……、減っていなかった。
キノコ雲のカーテンを抜けて徐に立ち止まった彼女が、その霧のマントを腕で払い除けるような仕草をすると、霧はたちまちに散り散りとなって彼女の背後に再集結し――その背に折り曲げれば容易く身体を包み込めそうな――大きな翼を形作った。
その翼はどことなく、コウモリの羽に似た形をしていて……、その姿は、まるで……、
【……っ、悪魔…………】
――他層世界から悪魔と畏れられる存在、魔族。
あれは……天使なんかじゃない。俺たちが対峙しているのは……歴とした悪魔である。
「――ケホッケホッ。ちょっと……、やり過ぎなんじゃないかしら?」
五体満足で現れた悪魔は煙に咳き込んでは眼を瞬かせていた。
あの爆発の威力で俺は半分以上の命を削ったのに……、彼女には咳き込む程度の効果でしかなかったのか……? ――次元が違う。あんなの、どうしろってんだ……。もうこれと言って思いつく打開策もない。……これで、万事休すなのか……?
彼女の右斜め前に四角いヴァーチャルディスプレイが浮かび上がる。裏面をこちらへ向けてるため映像は見えないが、代わりにバルバットのがなり声が聞こえてきた。
『もういいルナ。そいつはとんだ噛ませ犬だ。とっとと止めを刺してこい』
それだけ告げると画面は消え、ルナは半ば戦意喪失した俺を一瞥してから、同情気味に言葉を紡いだ。
「……だそうよ? あなたのダンスをもっと見てみたかったけれど……悪く思わないでね」
ルナの突き出した右手に――紅の粒子が……、〈魔発光〉が螺旋を描いて集束していく。
【あれは……、避けて下さい! 術がきますよ!】
「…………くそっ」俺は闘技場の壁へともたれ掛かった。
さっきの受けた衝撃のせいか……、身体が重くて思うように動かない。
【何をしているんですか春海! 早く――、逃げ――て――――】
「………………」
――リリーの声が段々遠のいていく気がした。視界が霞んでいく。耳に砂が詰まったように何も聞き取れない。誰かに身体を浸食されていくかのように……感覚が薄れていく。
……もう何も見えないし……何も聞こえない…………。




