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.ハチ / 狂飆。

 雷と言うのは、予測不可能に降り注ぐものだ、と思う。

 青空に置いても油断ならない。

 ましてや、これ程に偽物めいた、空では。

 いつ、嵐が来るか、なんて。


 ……わかっていた、はずなのに。所詮、“はず”だっただけだ。




   【 ハ チ / 狂飆。 】




「コレは、どう言うことなんですか!」

 だんっ、と、生徒会室に音が響いた。鈴木先輩の胸倉を片手で掴んで、僕は壁に押し付けていた。どうにでも対処出来るように、もう一方は手ぶらにして在る。鈴木先輩は涼しい顔で僕を見ていた。身長差は余り無い。けれど僕のほうがやや低く、だからこの若干持ち上げる体勢の場合僕は彼を見上げ、彼は僅かに目線を落とすことになる。睨む僕を、見据える瞳も表情と同じく温度が感じられない。生徒会室には、僕らの外誰もいない。

「どう言うこと、か。僕も、今朝知らされたばかりだ。答えようが無いよ」

 鈴木先輩はどこまでも冷静かつ穏やかだった。僕の腕を払うでもなく、細めた目で僕をただ見ていた。経過を見守る研究者の如く。僕は、鈴木先輩の様子から嘘を見付けようと隅々まで観察していたが、偽っていると判断出来る要素は終ぞ発見出来なかった。第一、彼が今ここで誤魔化す謂れは無い。僕は俯き、手を放した。

「……申し訳在りません」

 顔を上げぬまま、鈴木先輩に掴み掛かっていた手の二の腕をもう片方で押さえるように握って謝る僕に「良いよ」鈴木先輩は乱れた襟元を正しながら、一言で済ませた。割と強く叩き付けたはずなのに。寛容なことで。

「動揺するのも無理は無いよ。僕も、ちょっと驚いているんだ。こんな無茶を学校がゆるしたなんて……」

 事態の大きさに、鈴木先輩は眉を寄せた。それでもちょっと、か。さっき僕に掴み掛かられてもその面立ちは変わらなかった分、充分なのかな。


 事の起こりは、朝だった。僕はいつものように一人で学校へ向かった。普通科のときから僕は、一人で登下校することを好んだ。習慣のようなものだったけど、最近は一人でいること自体が減って、特にそうしたかった。まぁ、生徒会に入って、他の生徒に比べ登校は早まり、下校は遅くなることが多くなったから、自ずと一人での登下校は増えた。

 で、一人登校した僕は、常ならまだ早い時間で生徒も少なく閑散としている廊下が、変にざわめいていることに気が付いた。主に掲示板のほうが、騒がしいようだった。掲示板に新たな知らせが貼られていて、それで生徒が浮き足立っているなら。もしかして、もう鈴木先輩が来ているのだろうか、と僕は呑気にも考えていた。考えつつ、僕は掲示板を覗き込んだ。教室へ向かうには、通らねばならなかったから、ついでに見ることにした。些少、興味も湧いていた。

 だって早朝と言って差し支えない時分に、登校している人が騒々しくしていることは無い。だいたい来るのは僕みたいに静かに過ごすのが好きか、所用が在るか、事情が在るからで。

 僕は普段ならこうも、人集りの合間を縫って覗くことも無い掲示板を見た。貼り紙は、一つだけ、真新しいものが貼って在った。

 真っ白な紙には簡素に、伝達事項が記されていた。

“以下の者、特別派遣に任命す”

「……」

“特別派遣”。寝耳に水だった。何のことだと僕は文面へ目を走らせた。読み進むに連れて僕は瞠目せざるを得なかった。

“特別派遣”。通常原則で戦地へ入ることのゆるされない生徒を、特別に課外実習として派遣する────つまり、事実上の学徒動員だった。

 これだけでも僕にとっては驚愕に値するのに。僕は更に愕然とする。整然と並べられた“以下の者”。それらはすべて普通科の生徒で。

“羽柴壮太”

“春川寧絵(ねえ)

 見知った名が並んでいた。そして。

“阿佐前都香”


「……」

「───。鳴海くんは、」

 黙考していた鈴木先輩が僕に話し掛けて来た。僕は視線を上げることで応えた。

「ひめかのお父さんのことは知っているだろう」

「……先輩の前で羽柴先輩が聞かせてくれたじゃないですか」

「でも“確認はひめか本人にしろ”って言われていたじゃないか」

 まぁ、「……」その通りですけれど。僕はゆっくり首肯した。鈴木先輩も頷き返す。

「まずね。初耳だった、と思うんだ。人質事件なんて、大事なのに公表されていない上風聞としても聞いたこと無いよね」

 確かにそうだ。とんでもない非常事態だって言うのに噂にすら……いや。

「時折、戦地の死傷者の巷説は……」

「その程度だろう?」

 鈴木先輩はさらっと言ってのけたが、死傷者が出たかも、なんて話は軽くない。ただ。

「人質なんてこの戦時にだって国際問題物だろう」

 そう。まして僕らの国は、中立で戦争をしていない。間接的に関わっているだけ。友好国に技術者を派遣し、要請が在れば補給を行い、現地での活動を手伝っている、だけ。勿論、その行為が戦争を誘発していると非難されない訳では無いけれど。ぶっちゃけ『友好国』であれば何処の国だろうと支援しているので、戦争している国の両方に人が輸出されている、てことも起きていて。

 前述から度々言うように、この国の技術は最高水準だから。どの国も摩擦を起こしたくないのが実情だろう。

「本来なら、友軍は責められる立場に在る」

 哀しいかな、そんなこと現地は関係無いのだけど。や、構っていられないのか。

 けれど。

「摩擦を避けたいのは、この国も同じですよね」

 ああ。成程。僕はつい噴き出してしまった。鈴木先輩は標準装備の笑顔でなく無表情だ。

「“揉み消した”ってことですか」

「……そこまで悪辣なものではないよ」

「単純に、緘口令を敷いたってことですよね」

 他言無用って訳か。でも、そう言うのって。

「いつか噴出しますよね。鬱憤は」

 軍隊って言うのは、組織の例に洩れず仲間意識が強い。ともすれば、結束は他の組織のどれよりも強いのではないだろうか。何たって、鬱屈した青春時代を共に過ごした友達がどこより多くいるのだから。確率論で。

 加えて。

「外交は政治の分野ですしね」

 政治と軍は切り離されている。昔の大戦の過誤を再び犯さないように。連携は取っているし、政治家だって皆軍事学校を出ている。だけど、やはり軍にいるときとは変わってしまう。

「とにかく、軍内部のことだからね。内々に処理してしまった」

「拉致されたのが軍人だった────正確には軍役に服していたから」

 ああ、反吐が出る。僕の父さんが死んだのも、公にはなっていない。事故だから。軍属が、戦場に行けば当たり前だから。だけど。

 それと、特別派遣は、どう繋がるんだ。まったく接点は見えやしないが。僕は瞳を眇め鈴木先輩を促す。僕の無言の催促も、鈴木先輩は的確に受け取ってくれる。

「早い話、少なくないってことだよ。拉致、人質、誤射や巻き添えの事故。年間で、口外出来ない数が叩き出されている。けれど政府は、国は何て言っている?」

「非……戦地地帯への派遣……」

「非戦地地帯への派遣で、なぜ人が死ぬんだ、と疑るのは普通だと思わないかい。世間だって、疎くない。知人や近所で葬式が在れば誰が亡くなったかどうして亡くなったか知る。詳細は明らかにならずとも、どこで亡くなったかは知れ渡る。こんなことが度重なれば、軍の内部だけだった不平や疑心は外へ伝播する。こうなれば、」

「────生贄ってことじゃないですか!」

 察してしまった僕は、鈴木先輩に皆まで言わせなかった。要するに、こう言うことだ。

「生徒が行くことで、“派遣しているのは非戦地地帯で間違いない”って印象付けたいってことでしょう?」

 非戦地地帯、安全な場所での作業だと謳われ、幼いころから訓練して来た国民は義務ではないけど、己の番が来たのだと、誰かが行くのだと諦念で引き受ける。だけれど、戦場は戦場で、危険とは隣り合わせだ。下手したら負傷し、悪ければ死ぬ。そうしたら、国民は“騙されていたんじゃないか”と勘繰る。これだと、国としては具合が悪い。そこで、国の派遣は安全であると宣伝するための道具として、協定で戦地への出征を禁止されている学徒を使おうって言う腹だ。

 元来各国の協定では学生、または未成年の内は戦地へのどのような参加も禁じられている。ゆえに、学生の内は大学生まで、高校卒業後軍隊へ入隊した者は成人するまで徴集対象では無いので、召集令状は届かない。

「国が体裁を取り繕うために、生徒を利用するってことじゃないんですか」

 ……頭が痛い。

「国家ぐるみのペテンに、子供を巻き込もうって言うんですか!」

 鈴木先輩へ咆哮する。理解していた。鈴木先輩へ訴えても仕方ないことは。判断は出来ていた。だとしても、飲み込んでいられなかった。

「……。どこへ行くの?」

「職員室へ」

「行かなくても、直に説明が来るよ。僕たちは講堂の準備をさせられるかも、」

「手に付きそうも無いので、先にお聞きしに行くんですっ」

 鈴木先輩の制止を振り切って、僕は生徒会室を退出した。背後で鈴木先輩が嘆息したのを感じながら。


 僕は生徒会室を出ると真っ直ぐ、職員室へ向かった。士官候補コースのほうではなく、普通科のだ。士官候補コースでも良いのだろうけれど、選出された生徒がみんな普通科なことから詳しいことを聞けるだろうと踏んだのだ。まぁ、普通科は兵士科で実戦重視だから、今回の派遣が戦地であることを鑑みれば当然の帰結か。

「失礼します」

 僕が入室のため扉を開けたのと。

「───!」

 何かが引っ繰り返る大きな音が立ったのと。

「……と、……え、倉中っ?」

 僕の開けた扉から倉中が吹っ飛ばされて来たのは同時だった。僕がとっさに避けたせいか倉中は廊下の床を転がった。いや、て言うか。

「おい、大丈夫か、倉中っ」

 僕は倉中の傍らに膝を着く。倉中は自力で上体を起こした。頬が赤くなっている。殴られたのだろう。唇を押さえて拭っているから口の中か、端も切れたのかもしれない。

「おい、倉中っ」

「……あー、香助。バッドタイミングー」

「フザケている場合じゃないだろう!」

「まったくだ」

 第三者の声に、発せられた方向へ首を巡らせる。久保田教官が、職員室の扉を閉めるところだった。

「……。久保田先生」

「久しいな、鳴海」

「お久し振りです」

 何の変哲も無い挨拶だ。状況は異様だが。僕は膝を折ったまま久保田教官を仰ぎ見て、教官は僕と、倉中を見下ろしていた。倉中の肩に手を添えた状態で、教官を睨んだ。教官の手は赤くなっていた。

 倉中を殴ったのは、久保田教官だろう。甲には人を殴ったとき特有の傷も在る。軍事学校だ。荒事も在るし懲罰も在る。多少の体罰も在った。だが、それは致し方ないときだけだ。暴れるのを抑え付けたり無力化するための。無抵抗の生徒に振るってゆるされるものではない。僕は抗議しようと「……久保田“教官”、いったい、」口を開いた、けれど。

「あー、待った待った、香助! 違うんだよ!」

「何が? お前殴られてるじゃん。何が在ったか知らないけど、殴った揚げ句投げ飛ばして良い理屈なんて無いだろうが」

 そうだ。僕のほうへ飛ばされて転がったと言うことは、投げられたからに他ならない。転がり方から推測して、突き飛ばされた線は無い。そして、やったとすれば今し方出て来たであろう久保田教官だ。

「違うんだって! くぼっちゃんは、俺を助けてくれたんだよ!」

「───。はぁ?」

 意味がわからない。如何に推察を重ねても、助けた、なんて予想に行き着かなかった。僕は再度「……はぁ?」間の抜けた音を出すしかない。

「や、本当、本当なんだって」

「何が?」

 倉中が立ち上がって弁護するのに合わせて僕も立つ。膝を軽く叩いて埃を落とすと胡乱げな目を向けた。

「え、何その目」

「訳がわからないこと言うからだよ。何言ってんの? 暴力が助けになるとか、何したの」

 倉中の擁護を間に受けるなら、倉中は、久保田教官が殴ることで免罪になるような何某かをやらかした、と言うことになる。プラス職員室から投げ出して退出させることで。僕が推理していると職員室の戸が開いた。女性教官が慌てた様子で久保田教官を止めに入る。僕も見掛けたことが在る、家庭科の教官だった。……在るんだよ、家庭科の授業は。自炊とか裁縫とか、自給自足を覚えないといけないから。

「久保田教官、もうその辺でっ」

「……承知しております」

「……あら、鳴海くん?」

 溜め息を零して久保田教官と倉中を交互に見た女性教官は僕を認め声を上げた。僕は「ご無沙汰しております」と一礼する。直接関わりは無いが、一学期に言葉を交わすくらいのことは在った。てか。

「阿佐前さんの件では迷惑を掛けたわね」

 都香のクラスの担当教官だ。隣のクラスの担任なのに、僕のいたクラスの家庭科は別の先生が受け持っていたので、接触は殆ど無かった。記憶も薄いはずだ。

「いえ。元はと言えば僕が招いたことですから」

 僕が優等生然と答えれば「さすが士官候補に中途採用されるだけ在るわ」何だか豪く感心されてしまった。けれども、束の間だった。女性教官は倉中の前まで歩み寄るとハンカチを渡して、厳しい声音で「倉中、」問い質した。

「先の申告に嘘偽りは無いか?」

 家庭科だろうと教官は教官、軍人だ。重要な場面なら、櫻木教官と似た風な、やわらかい教官の口調も硬くなる。……いったい全体何したんだ、倉中は。引き締まった空気に僕も固唾を呑んで見守る。

「はい」

 倉中の返答はシンプルで簡潔だった。堂々と答える姿には決意が見て取れて、真摯でも在った。────待った。僕は嫌な予感がした。胸騒ぎ。うん。

 ずっと、倉中と久方会って以来抱えていた違和感が、具現化するみたいな、錯覚を、……いや。

「───。そうか、わかった」

「すべて真実です」

 錯覚なんかじゃなかった。

「春川寧絵は俺の子を妊娠しています。特別派遣は、出来ません」

 信じられない発言が、僕の耳を滑った。え、何? 僕の瞠視するのが視角の端に映ったのか、倉中が僕を横目に微かに笑んだ。笑うところじゃない、と僕が平静なら突っ込んだだろうか。言ったって、動じないほうがおかしいだろう。

 春川が妊娠? 僕はぐるっと頭の回転を加速させた。

“んー……何かさー……。春川さん、太った?”

 邑久が、考えながら述べた。僕も春川は一学期より丸みを帯びて見えた。妊娠すると女性は、極端に体質が変わることが在る。栄養を得ようとするのか食欲旺盛にもなるし体重も増え、体型も変わる。あとホルモンバランスの関係か、精神が不安定になる傾向も……。

“ごめんね”

“私がもっと阿佐前をちゃんと止めて置けば、”

 まさか。冗談だろう?

 妊娠の兆候にも、取れるところは在る。いや、けども、ストレスだって同様の症状は出るんだ。

“倉中に感謝すべきかもよ”

“何でも良いから接してあげてよ”

“いろいろ在るんだよ”

 二人の関係は、曰くを孕んでいるとは感付いていたけれど。

「……」

 信じられるはずが無い。だって僕らは十五歳だ。あ、倉中は十六になっただろうか、夏生まれだから。僕が余りの衝撃に絶句している内に「ともかく、だ」久保田教官が場を仕切り始めた。

「先程の職員会議で、今日は臨時休校になった。生徒は寮の自室で待機だ。普通科も整備士専科も士官候補も。集会の準備が出来次第追って通達する……倉中」

「はい」

「春川にも聴取を行う。それによって、お前の処遇を決める。お前が代理を務めるかどうか、現時点では不明だ」

「はい」

 久保田教官は深呼吸して「行け」と僕らを追い払った。始業時間も近付いた時間帯、登校した生徒の多くは教室で待機しているに違いない。教室で、騒いでいることだろう。職員室の廊下に生徒がいないのは、僕が鈴木先輩と一悶着している間に教官たちが各教室に伝達していたのかもしれない。


「どう言うことだよ、倉中」

 倉中と歩く内に、喪心から些か立ち直った僕は倉中へ投げ掛ける。都合が悪いと茶化して逃げる倉中も、この問答にはそうしないだろう。足を止めた僕の何歩か前で、倉中も止まった。

「香助。ちょっと付き合え」

 振り返った倉中は、やっぱり笑っていた。

「何から話そうかねぇ」

 倉中に誘われ、僕は体育館裏に来ていた。羽柴先輩へ無意味なリンチをしていたアイツらとお近付きになり、アイツらに囲まれた都香を助け、都香と分かれた場所。つくづく、縁が在る。うれしくも何とも無いけど。

「全部だろ」

「全部は難しいのよぉ……って、香助なら言えるかもだけどね」

 口堅いし無駄なこと言わないし。倉中は笑って宣うが、僕は眉間を寄せるしかない。平時とは程遠い僕の脳みそは、だいぶ平常値の動作速度を取り戻して来た。……えーと、取り敢えず。僕はこめかみを指で押しつつ、尋ねたいことを整理した。

「仮に、春川が妊娠しているとして、」

「仮にじゃないよ。事実だって」

「───じゃあ、確定事項として。春川が妊娠しているとして、本当にお前の子なのか」

 俄かには信じ難い、と言うか受け入れ難い話だ。春川が妊娠もそうだけど、妊娠させたのがコイツって。第一、ここは軍事学校だぞ。

 僕みたいな士官候補なら、寮が男女共同だしまだしも、普通科、整備士専科は男女別だ。行き来は可能だけど、消灯後の出歩きは基本ゆるされていない。トイレは部屋に在るので出る必要は無く、シャワーは共同だけど使用時間が決められている。となると、白昼堂々ってことになるけど、全寮制の軍事学校で真昼間から男女がいっしょにいたら目撃者はいるだろうし噂にだってなるだろう。

「……いや、」

 待てよ。

「春川、何箇月なんだ」

「えっと……四箇月……だったかな」

「夏休みかよ。よく今までの演習で無事だったな」

 単純に周期を逆算するとそうなる。や、春川本人に最終月経開始日を聞いていないから、想定に過ぎないけれど、二十八日周期として四箇月なら十二週から十五週、八十四日から百十一日になる。夏休みなら、有り得るか。二人は同郷で近所だ。学校と違って家は人目に付きにくい箇所なんか溢れ返っているだろう。夜にも気軽に会える。

「気分が悪いって休んだりしてたようだけど……って、計算したの? 凄いな香助……ちょっと引くわ」

「何でだよ。引くな。ウチ、産院じゃないけど妊婦さんとかも診察に来たりしてたんだよ」

「あ、そっか。香助の家って病院だっけ」

「正しくは、医院だな。診療所だけど」

 ベッド数が三つで、医師が父さん一人しかいなかったので病院とは呼ばない。病院はベッド数が二十以上、医師が三人以上、看護師が患者三人に対して一人と薬剤師が一人いることが最低条件なんだ。他にも在るのか知らないけど、父さんが僕に生前教えてくれたのはこんなところだった。

「香助……詳しいね」

「家がやってたら、常識だろう」

「常識じゃないと思うよ? きっと知らない人もいるよ?」

「まぁ、興味無かったら、そうかもね。……そんなことはどうでも良いよ」

 うっかり逸れた軌道を修正する。いけない。つい。僕は改めて訊いた。

「で、お前の子なの?」

「うん」

「うん、ってさぁ……」

 あっさりと倉中は認めてくれる。勘弁しろ。僕は頭痛が酷くなった気がした。ああ、そうだよ。僕はあのことを訊きに行ったんじゃないか。特別派遣の────僕は、はたと思い出した。

 久保田教官の、言だ。

“お前が代理を務めるかどうか、現時点では不明だ”

「……“代理”って、何」

「え。『代理』は“代わること”ですが?」

「違う。何の“代理”かって訊いてるんだよ」

 誰が単語の意味なんか訊くんだよ。苛っとして詰問すれば倉中はバツが悪そうに頬を人差し指で掻いて。

「俺さ、」

 言い掛けて、倉中は一度目線を泳がせ一呼吸置いた。そうして。

 戻した視線で僕を捉えて、きっぱり宣した。教官たちへ答えた再現みたいに。

「俺、春川の代わりに志願したんだ。特別派遣」

 僕は、自身の双眸が開くの感じた。喉の奥で声が閊えている。いや、語彙は言語野が急停止して詰まっていた。到底喉まで、音を纏うまで至らない。春川の妊娠もインパクト在ったけれど、これには及ばない。

「────……何で」

 ようやく食み出たのは、貧弱な問いだった。

「あー……うん……。俺が妊娠させたから?」

「関係無いだろう」

「有るでしょ。俺が妊娠させたんだし」

「無いよ! 断れば良いだけだろうがっ! 春川は妊婦なんだから!」

 国の協定で学生の戦地介入は禁じられているけれど、もう一つ禁止されている条件が在った。

 妊婦だ。

 妊娠中の女性は体調を崩し易く、お産も、万端の国内であっても死ぬリスクが在る。その中で戦場へなど行かせられる訳が無い。足手纏いになるのは目に見えている上、何より、次代を生む人間を亡くす訳に行かないからだ。

 人は母親から生まれる。現在戦争を動かす大人たちも。

「だいたい、春川は妊婦の前に生徒なんだぞ。戦地へ行く道理なんか無いだろうが」

 そもそも、この派遣が暴挙以外の何物でもない。生徒、未成年は戦地へ行けない。これが協定であり世界の決定なはずだ。今回の派遣は、学生をプロパガンダに利用しようとしているだけ。自分たちが正しいのだと、疑念を晴らすのだと。

 莫迦げている。僕の主張を、しかし倉中は否定した。

「戦地じゃないからだろう」

「詭弁じゃないか」

「詭弁であっても、この特別派遣はウチだけじゃないんだよ。他校の生徒も、大学生も選出されているらしいんだ」

「は、何それ」

 僕は笑いを洩らした。莫迦莫迦しさ極まれりで気が抜ける。選抜者のリストをざっと思い起こす。三年で二名、二年で二名、一年で六名だった。合計で十名。同等の人数を他校にも募っている? 大学生も? 他校が幾つか、大学生が何名か、知らないけれど。大隊編成も良いところじゃないのか。それだけの人数で何をするって言うんだ。

「いよいよ、きな臭いじゃないか」

「各国に散っている派遣部隊のところへ、それぞれ出向させられるんじゃない? けど、わかったろ? ウチだけ断る訳にも行かないんだ。人を減らす訳にも」

「何でだよ、特別派遣は任意だろう? 参加任意のはずだ」

 召集令状といっしょで。倉中が笑った。僕は不機嫌に顔を顰めた。

「いっしょだよ。つまり、“春川が行かなかったら誰かが行く”のも」

「……。だけど、お前が行く必要性は、」

「召集令状と違って、この学校の誰かが行くんだ。そうしたら、みんな思うだろ。“何で春川が行かないんだ”って。ただでさえ妊娠のことで肩身の狭い思いをするのに、俺はこれ以上アイツが気を病ませることはしたくないんだよ」

 今後どこで会うかもわからないクラスメートに、学校のヤツらに、何を言われるか。子供にだって悪影響だろ。倉中は言う。

「俺は、もうアイツに苦しい思いさせたくないんだよ。

 だから、行くんだ」

 春川は、きっと学校を辞めるだろう。関係無くなるはずだけど、人と言うのはいつ、何処で出くわすかも判然としない。倉中の憂慮はもっともだと共感はする。だけども、賛同するかは別だ。

「……春川はどっちにしても、つらいんじゃないのか」

 子供が出来たってことは、一般的に恋人だからだろ。体だけってパターンも在るのだろうが、この二人に限って想像し難い。だったら、倉中がいなくなることだって……。

「今生の別れじゃないよ」

「……」

「必ず帰って来る。子供の顔も見られないで死ぬ気は無い、俺は」

「───」

 何か返そうとして口を開け、結局、唇を噛んだ。

 何を言っても、倉中には通じない。僕は考え付く限りの言いたいことを飲み込んだ。倉中は苦笑いを浮かべ僕の肩を叩いた。

「ま、向こうでもいろいろ資格は取らせてもらえるみたいだし特別単位も貰えるから。一足先にスキップで卒業かもなっ」

 お道化る倉中に僕は弱く拳をぶつけた。知るか。

「ところで倉中」

「んー?」

「お前、何でこんなに詳しいの?」

 随分事細かに把握しているじゃないか。久保田教官から聞いた? 春川から? 有り得る。だけれども、僕は全然違う可能性に気付いていた。あの邪魔臭いシャック、無線機だ。夜中にうるさかった、僕にとって睡眠妨害機だったアレの電波は、僕の知る程度でそこそこの範囲をカバーしていた。

「お前、よもや傍受とか通信とか……」

 倉中がぐりんっ、と取れるんじゃないかってくらい首を振って僕から顔を逸らす。僕は肩を落とした。

 士官候補コースか整備士専科、通信技術系のコースを習得する外に私物で通信機器に触れることは叶わない。尚、PCなどは自室使用でのみ、士官候補コースと整備士専科だけ自前で持つことがゆるされる。ああ、あとこの学校には無いけど医療技術とか、専門で必須なものは、か。

 倉中は通信技士の技術課程を選択しているけれど、普通科ゆえに高位の個別機器は持たせてもらえてない。シャックは資格持ちだから許可を貰っているだけで。て言うか。

「お前規定違反じゃないか」

 許可の無い通信機器の使用は、原則で懲罰対象と決まっている。まぁ、なのでコイツは夜中も良いところで無線機を動かしていた訳で。

「僕、生徒会役員なんだけど」

「え、えへっ」

「……本来なら風紀か教官へ報告ものだけど……」

 面倒臭い。僕がぼやくと倉中は「黙ってて!」手を合わせて拝んで来た。どうしようも無いヤツだな。さっきの、僕より大人に見えた倉中は何だったんだ。

 僕は蓄積されて行く疲労に、両手で顔面を覆って嘆息した。


 倉中との対話後、寮に帰る前に校内放送が流れた。士官候補は講堂で、普通科は校庭、整備士専科は体育館で、各々集会が行われた。僕は講堂へ直に向かい、舞台袖へ回った。鈴木先輩は僕を見たが何も言わなかった。倉中の一件は知らずとも、僕が何も聞けていないことを察しているのだろう。

 講堂ではさざめきと呼ぶには大きな囁きがあちらこちらで起きていた。そこで、学年の主任教官が壇上で事情説明を開始した。三年の学年主任の教官だった。

 事情説明が進む内、囁きはどよめきになった。それはそうだ。自分たちと同じ学校の生徒が、非戦地地帯と称された戦場の真っ只中へ向かうのだから。明日は我が身では、と気を揉む人間もいるだろう。

 ただ、そうと言っても危機感は足らない。僕たちは士官候補だ。士官は幹部で、もしかすれば政治家になる者も排出する。一番戦地から遠い身分の生徒だ。大学生も選出されているとの話だけど、倉中が独自で情報交換の末掴んだなら、確証は無い。情報精度の高い倉中、と言うのがネックだけどもね。

 腐っても軍だから傍受に因る漏洩ってことは無いとしても、人と人のやり取りに穴が在るのは当然なので、倉中の通信相手が洩らしたとするなら、……逆に信憑性は増す。倉中なら収集して裏付けも取るだろうし。

 で、倉中の情報を信じるなら、召集された大学生とやらは技師だろう。航空学とか……医学とか。あー、通信学もか。成程。

 大学生召集も当人に聞いたなら在るな。こんなとき、僕は倉中の才能を痛感する。アイツは無駄に情報科目特Aを取っていたのではないのだな、と。

「……」

 僕は倉中の戦績の悪さが、どうか足を引っ張って選外になりますようにと……願ったけど、いっそ進言してやろうか、と思い直した。うん、そうしよう。言うだけはただ、だ。

 無理だとしても、何もしないより良い。僕は心に決めた。

 僕が袖から舞台へ視点を戻したとき、説明会は閉幕していた。流し聴きしていた中で、メンバーの名前は出なかった。変更されるかもしれないからか。確定では無いとだけ口にしていた。


 講堂を片付け、一旦教室へ戻ってから生徒会室へ集まろうとの鈴木先輩の指示に従って役員は解散。鍵番を任された僕も校舎へ通路を歩いていると「鳴海くん」後方から呼ばれた。僕の耳馴染みの無い声で。

「……古城さん?」

 見返った先にいたのは古城さんだった。相変わらず僕を睨め付けている。講堂と校舎を繋ぐ通路に僕と古城さん以外の人影は無い。僕が鍵番なんだから最後で、当たり前だけど。僕の前に出て行った誰も、鈴木先輩でさえも彼女を見れば何かしらアクションを起こしていただろう。在れば僕は気が付いていた。てことは無かったってことで。彼女は隠れていた、と言うのが妥当か。僕は溜め息を吐いた。推考すればする程、憂鬱な予見しか無い。殊。

「話が在るの」

 この人に関しては。僕は無表情で応じた。笑顔は古城さんの神経を逆撫でするだけと判断して。


「阿佐前さんを止めてほしいの」

「無茶を仰有る」

「あなたなら出来るでしょう」

「無理です」

 通路の脇、講堂寄りの植え込みで僕らは口論していた。古城さんが食い付き僕はあしらっているので、論争と言い難いけど。

「何で? あなたの言うことなら阿佐前さんは聞くんでしょっ?」

 古城さんの語尾がきつく荒れて来ても僕は冷静だった。古城さんがヒートアップするに反して、僕は冷めて行くみたいだった。今朝の鈴木先輩もこう言う心持ちだったのだろうか。

「阿佐前さん、私が言っても聞いてくれないの! 悔しいけど、あなたならっ」

 古城さんは都香を止めたらしい。だけども都香は行くと談じた。僕は古城さんの懇願を聞き流しながら都香の現状へ思いを馳せた。

 都香は、僕が言ったくらいで止まるか。僕は即座に否、とした。だって都香が僕の制止や忠告を聞き入れてくれたことが在っただろうか。無い。

 五歳のときの約束のときも。アイツらに絡まれて謹慎になったときも。僕の忠言なんざ、何の効力も無かった。要は。

「お門違いです」

 見当違い甚だしいって訳だ。僕が見解を述べると古城さんは烈火の如く怒り出した。僕の腕を捕らえ突っ掛かる。

「何でっ? あなただって行ってほしくないはずよ! なのに、何で引き止めないのっ」

 僕は眼を眇めた。ほとほと、嫌気が差す。僕はこの人が好きじゃない。敵意剥き出しで来る時点でどう好感を持てと言うのだ。てか、何を勘違いしているのか知らないけど、僕にそんな力が在ればとっくに行使している。内外関わらず。

 僕には力が無い。一般の生徒より教官と懇意になり易いと踏んだ生徒会役員も、此度の件で口出す権利すら無く、軍上層部に近寄れるよう編入したはずの士官候補コースだって、無意味だった。

 僕は戦争なんて大嫌いだ。過ぎた力だって認めない。

 けど、自己の小物具合も自認している。僕や父さん母さんが生まれる前からやってる戦争を、止めるなんて出来ると思えない。たとえこの国が戦争に一切関わらないとしても、人員も出さないとしても、それくらいで止まる訳が無い。下手をすれば、この国が集中砲火を浴び兼ねない。

 そうなるよりは、ある程度手を貸していたほうが無難だ。

 ゆえに、僕はこの国のやり方自体は否定しない。だが火の粉は御免だった。

 身近な人が死ぬのは、もう嫌だった。

 だのに。

“ただでさえ妊娠のことで肩身の狭い思いをするのに、俺はこれ以上アイツが気を病ませることはしたくないんだよ”

「……」

 僕を睨む古城さん。

 この人に、僕の心情が理解出来るだろうか。

 ことごとく、やることが裏目に出ている、僕の。

 不意に、凶暴性が覗いた。牙を剥きたい衝動に駆られる。傷付けてやりたいと、思った。思考が追い付く前に、口汚く罵ってしまいたい、なんて。

 古城さんも、僕の変化を感知したのか、囂かった口を閉じ、掴んでいた手を放し、僕から距離を取ろうと後ずさった。逆手に取って、逃がさないようにしようとしたのに。だけれど、慣れないことはするものじゃない、と思し召しだったのかもしれない。僕が攻撃的な行動に出ようとしたのと同時に。

「──────何でっ、待て……! 榛名(はるな)ぁああっ」

 絶叫が響いた。僕も古城さんもびくりと体を震わせる。何、と叫びのほうへ向かえば、一人の男子生徒が、講堂と校舎の校舎寄りの物影で、膝から崩れ落ちた体勢で頭を抱えていた。僕は生徒会役員で、古城さんは風紀委員だ。不審な情態の生徒を放って置く訳には行かない。僕たちは先の諍いなど忘れたかのように目線で示し合わせ、男子生徒へ声を掛けた。

「何を、しているのかな」

 問い掛けたのは僕だった。古城さんは後ろでスタンバイしている。校則違反者なら風紀に引き渡すところだろうけれど、事情も加味せずいきなり風紀へと言うのは上手いやり方では無い。ましてや斎藤さんだったら僕の出る幕は無いけど、古城さんじゃ、興奮気味の男子生徒相手は危ないかもしれない。古城さんだって風紀委員だし腕っ節は有るかもしれないけれど、軍事学校に置いては男子だって腕に覚えが有るんだから。力技に出られたらさすがに無理だろう。

 僕は回り込んで男子生徒を覗き込む。男子生徒が顔を上げた。僕は目を見開いた。男子生徒が泣いていたからでは無い。男子生徒が、僕のよく知る人物だったからだ。

「椎名……?」

「……香助」

 呆然と流れる涙を拭いもせず、僕を見上げる椎名。頭を抱えていた手を下ろす。手には通信用の携帯端末。士官候補生は所持がゆるされているけども、持ち込みは厳禁だ。逡巡は「古城さん」一瞬。

「何」

「この場は僕に任せていただけますか」

「はっ?」

 古城さんが素っ頓狂な発声をする。僕は構わず椎名の二の腕を掴み立ち上がらせる。僕は椎名から携帯端末を取り上げると、電波をオフにしポケットに仕舞った。

「ちょっと待って! 禁止物の持ち込みだって在るし、今だって通信していたんじゃないのっ? 見逃せないわ!」

 すんなり申し入れが通ると思ってはいなかった。椎名の叫んだ内容と誰の姿も無いことから、誰かと通話していたと推知出来る。彼女の言い分だって一理有るのだ。……で?

 だから何。

「事情を聴取して、後日報告書を纏めます。件の端末なら僕が回収しました。何か問題でも?」

「なっ……明らかな違反を目撃して、待てと? コレは風紀の案件です。瞑ることは出来ません! 暴れる恐れも無さそうですし、今すぐ彼を引き渡してください」

 ふむ。理屈は合っている。だから何。僕は微笑んだ。

「何て言ってお連れになるんですか? 僕と言い争っているときに見付けたとでも言うんですか」

「は、」

「だってそうでしょう? 僕は鍵を掛ける番だったので、講堂の近くで見付けても言い訳出来ますけど、あなたは何て言って連れて行くんですか? 講堂の近くで。ええ、言ってもおかしくないでしょう。なら、なぜこの時間まで、講堂にいたんでしょうかね?」

 風紀に連れて行って、通話の事情聴取をするなら通信記録を取られるだろう。そうすると、通話していた間の時刻が出るはずだ。僕はちらっと時計へ目をやる。集会が終わってから一時間超。椎名がどれだけ通話していたか知らないが、きっと集会が終わって人気が無いことを確認してからに違いない。ならば、教室へ行っていなければならないだろう古城さんは、この時間講堂の近辺で何をしていたのか。

 忘れ物を取りに戻った? 一時間も? 探し物をしていた? まぁ通るかもね。でもね。

 僕が鍵番だと知った斎藤さんは、もっと別のことに感付くよ。都香が特別派遣のメンバーに入っていることだし。

「僕は良いんですよ。役員が去った後、念のため講堂内の人の有無を確認し、鍵を閉めたら人の声が聞こえた。何かと思えば彼がいたって言えば。どうです? 彼をこちらで貰って構いませんよね?」

 僕が言いたいことを悟った古城さんはぎりっと奥歯を噛んだ。

「……あなた卑怯ね」

「卑怯で結構です。僕は生徒会から直々に抗議したって構わない。ただ、あなたは知られたくないだろうと思ったから、譲歩を申し出ているだけですよ」

 わざわざ人が捌けて、更に人のいない場所での面談を求めたんだから、知られたくないのは明白だ。僕は何にも無いけどね。

 ぐっと、反論を飲み込む古城さん。あっは。悔しいだろうなぁ。いや、溜飲下がったなんて思ってないよ? 全然。

 先程よりも険しい顔で古城さんは僕を睥睨して来るが、僕は飄々と椎名の手を引きその場を後にした。

 擦れ違い様。

「僕に出来るのは、この程度なんですよ。勘弁してください」

 ぼそっと耳打ちして。古城さんは吃驚した表情を浮かべたけれども、僕は気にも留めず歩みもやめなかった。


 椎名を連行した僕は、生徒会室へは行かなかった。寒くなったせいかこの混乱のためか、いつもより他人の気配がしない屋上へ来ていた。生徒会室で訊くより、ここのほうが椎名も話してくれると思ったからだ。生徒会室は誰かってか役員がいるし、まぁ、元より椎名を突き出す気は無かったからだけどね。

「心底、黒いな、香助」

 僕と古城さんの会話を静観していた椎名が言った。僕は肩を竦める。

「椎名はあそこにいた経緯を知らないから言えるんだよ。もう少しで、僕は暴挙に出ていたかもしれないんだよ」

「香助が?」

 至極不思議そうに椎名が僕を見る。椎名からすれば沸点の低い僕が、女生徒に何かやらかすなんて考えに及びも付かないんだ。

「そうだよ。見えないだけで僕だってテンパってるんだよ」

 僕は端まで行くと、柵に凭れ座った。今日だけで、僕の頭はパンクしそうだ。項垂れる僕に椎名が一つ息を吐いて「……まぁ、」零した。

「みんな、変になっても仕方ないか」

 椎名も柵に立ったまま寄り掛かった。手摺りの上で腕を組み景色を俯瞰している。掛かった体重に、ぎしっと柵が鳴る。僕はポケットからさっきの端末を出す。

「ん」

「え? ……ああ、サンキュ」

 端末を渡した椎名は、別段取り乱した風は無い。常の椎名だった。

「椎名」

「うん?」

「誰。“榛名”って」

 一応生徒会役員として椎名を貰い受けたので、聞き取りはして置こうと僕は質疑を投げる。形だけだ。椎名が言いたくなければお終い、お開き。

「……」

 無声の時間が満ちる。僕は椎名を注視した。僕から端末を受け取った椎名は、黙然と手の中の端末をじっと見詰めている。

「椎名、」

 言いたくなければ、僕が続けようとしたら、椎名が遮るみたいに応答した。

「『榛名』は姉だよ。っても、血の繋がりは無い」

「───」

「僕は……“俺”はさ、香助」

 椎名が一人称を変えた。本当の一人称は『俺』だったらしい。椎名は自然だったから、気付かなかった。

「俺は、『戦災孤児』なんだよ」

 僕の時が止まった。いや、いやいやいや待て待て。圧迫された空気が“へ?”とか間抜けな音に変換されそうだったけど、気合で留める。“戦災孤児”?

 馴染みの薄い名称に僕は当惑した。それは、何か。僕や、邑久みたいに戦争で親が死んだなんて、そう言う意味なんだろうか。僕が瞬間冷凍から解凍してぐるぐる黙思していると、椎名がふっと笑った。

「香助はわかり易いな」

「……、そんなことも無いと思うけど……」

「他人にはな。少なからず、俺や邑久には通用しないと思うけどな」

 ああ、あと阿佐前さんか。椎名が言ちた。と、何かに気が付いたように僕を見た。

「阿佐前さん……行くのか」

「とは、聞いている。又聞きだけどね」

 古城さんからの情報で裏取りしていないけれど、アレだけ僕に必死に食らい付くのだから虚偽では無いよね。誤解は在りそうだけども。僕の返答に椎名は「そうか……」頷いている。深刻な面持ちに、平常運転の椎名だと思う。僕は、『戦災孤児』の真相を正直聞きたくないので、話が脱線しても良かった。でも。

 椎名は話す気が在ったようだ。

「榛名も行くって、決めたらしい。榛名は、普通科でな。ここからは遠くの、実家からは近い高等学校に通っているんだ」

「へぇ……どうして椎名はその学校に行かなかったの」

 僕の疑問は当然のことだったが「普通科しか無かったんだよ」との椎名の回答でああ、と納得した。そう言った地域も在るとは耳にしたことが在る。密集地域とか。倉中と春川の地域で初等部が分かれているのと同じ事由だろう。

「余り家にいたくなかった、と言うのも在るけどな」

「疎まれていたのか?」

「まさか。……俺の実父は、友軍の人間だったんだ」

 椎名は友軍の父親とこの国の軍人だった母親との間に生まれた子供で、もともと海外で暮らしていたらしい。ところが、父親と母親が戦死した。母親は軍を退役後、戦場でボランティアをしていたそうだ。父親に身寄りは無く、椎名は莫大な補償金と保険金を支払われてこの国の、母の友人夫婦に引き取られた。

 椎名の言う『戦災孤児』は、こう言うことだった。

「全然わかんなかったな」

「言葉は幼いときにこの国に来たから別に苦労しなかったしな。髪色とか目も茶色いくらいだし」

「このくらいなら、生粋の国民もいるものね」

「香助も邑久も真っ黒だけど、佐東は茶色っぽいしな。佐東のほうが薄いか。義父(とう)さんも同じこと言っていた。“言わなきゃわかんないな”って」

 思い出し笑いか噴き出した椎名。その笑みは無邪気に見える。僕が目にしている分には含みは見当たらなかった。

「義父さんたちは良い人だったよ。実父たちの金を使うのは必要最低限で、あとは俺に“寄付して”くれた」

 家族間で『寄付』なんて似つかわしくない表現が、椎名の境界線に感じられた。余所余所しい。けど、何となく、わかる。甘えたくないんだ。椎名の矜持、と言うか、意地とか。

「家にいたくなかったのは、これ以上俺に割かせたくないからさ。元来俺はいるべき人間じゃない。義父さんたちは俺に気を遣ってないなんて言うけど、そんなはず無いし榛名だって……違うな」

 椎名は言い掛け、(かぶり)を振って切った。僕は、続きを待った。

「違うな……俺は逃げたかったんだ。榛名から」

 語る椎名の瞳は揺れていた。僕は椎名を黙視していた。何をここで挟んでも茶々にしかならない。

「……。『椎名』って、この国に来てから、義父さんが付けたんだ。榛名と、お揃い……姉弟みたいに思ってほしいって」

「うん」

「だから、姉と弟でいたかったんだ。俺は」

 均衡が崩れたのは、中等生のころ。椎名が同じクラスの子に告白されたらしい。二年生だった。

 椎名はこのことを、仲の良かった姉に話した。椎名には他愛無い世間話だったのだが。

「聞くなり榛名は、目に見えて狼狽えたんだ」

 最初は姉として狼狽しているんだと考えていた。何かと弟扱いしていた姉からすれば、椎名を異性として見る女の子が現れたので驚いているんだろうと。それが誤認だったと知ったのは、後日だった。

「榛名から迫られるなんて、思ってもみなかった」

 今まさに目の当たりにしているみたいな、参った様子の椎名には悪いけど、僕は“ベタだなぁ”とか。当人たちからしたら真剣で、とても大変なことなのだろうけれど、僕も都香もお互いこの辺は特に無かったから共感し難い。偏に、椎名と榛名さんには恋愛感情が在って僕と都香には無かっただけ……や、椎名も逃げているんだから無いのか? “姉と弟でいたかった”と言っているし。……そっ、かな?

 僕には、異なって窺えるんだけど。

「怖くて、逃げたの?」

「……香助?」

「榛名さんが怖かったの? “拒み切れない”って、思ったから」

 椎名が呆気に取られた面容で僕を凝視した。僕は「違う?」問う。椎名の視線が僕から外され、焦点を失った両眼が泳いだ。と、力が抜けたように、柵を背にしてずるずるずり落ち、座り込んだ。

「────香助は、」

「うーん?」

「とんでもないな」

 椎名が、力無く微笑した。僕は、そう? と嘯いた。だって椎名の言動は、どこか整合性が取れていないと言うか躊躇が見られるって言うか。

 僕と似た匂いを、椎名から感じた、と言うか。

 椎名は榛名さんを姉だとする一方で、他人だとも線引きしている。コレって、異性として見る分には簡単に垣根を越えられるってことなんじゃないだろうか。要するに、障害にしては弱いってこと。壁にしては低いってこと。親のことが無ければ、椎名は榛名さんの求めるまま受容していただろう。恋愛対象としてどうかはともかく、好意に変わらないのだから。

「榛名は、」

「うん」

「俺が何喋っても耳を貸さず、“もう大丈夫だから”って言うんだ」

「……」

「“もう大丈夫だから、私はいないから、帰っておいで”って……俺は、どうしたら良かったんだろうな……」

 育ててくれた人のために『家族』で在ろうとした椎名は、榛名さんを拒絶した。僕はそれが良かったのか悪かったのか白黒付けられない。倉中なら意見出来ただろうか。

 己の子供を妊娠した春川に代わって、戦地へ赴こうとするあの友人なら。


 落ち着いた椎名と連れ立って寮へ向かった。僕は学校に戻るけどね。椎名を部屋へ送り届けただけ。自室に籠もったら、榛名さんへもう一度電話しろと言った。寮でなら、特に問題視されていない、と言うか弛い。

 さーて。先手を打って置こうかなと、僕は学校に戻り生徒会室へ行く前に、風紀を訪ねるかと画策していたら。

「鳴海」

 ご本人が校舎の玄関にいた。僕からしたら「うわぁ」って気分だ。何でいるんですか「“うわぁ”ってことは無いだろう」斎藤さん、って……しまった、声に出ていた。顔には出ているだろうなって実感は在ったけれど、よもや口から出ていたとは。僕は新たに気を引き締めた。

「如何されました? 斎藤風紀委員長」

「そう警戒するな。────古城から聞いた」

 僕は心中で舌打ちした。今度は心の内で収めた。先を越されたか。僕的に、古城さんは脛に傷が在るので、自己申告へ踏み切ってもあと一日くらい決心するまで掛かると見越していたのに。椎名のことだけなら誤魔化せるって気が付いたか。

“集会終了後に講堂から出た際、寮待機を命じられた一般生徒の中から一人離れた椎名の後を付けて行ったら、違反を見付けた”

 こう言えば、僕とのことを言わずとも報告は出来る。僕に関してマズいって意識が在るのと、斎藤さんの勘の鋭さに怯んでいたら、感付いても悩んで、もっと猶予在ると思っていたのに。あー、曲がりなりにも風紀だもんね。度胸は在るのか。

 図々しくなきゃ他人に切り込めませんものね、と僕が結論付けていたら、斎藤さんが僕へ謝罪した。

「すまなかったな。お前なら、阿佐前のことを抑止出来ると考えたらしい」

 僕は刹那思考回路が停止した。すぐ再起動したけれど。

「古城さんが……話したんですか? 僕と揉めたって」

「ああ。“鳴海と口論になった”ってな。生徒会からクレームが来るかもしれないと」

 古城さんは、僕が生徒会役員として正式に抗議して来た場合を懸念して、予防線を張ったんだ。はー。僕は得心した。

「すまなかったな」

「……いいえ。僕も大人げ無かったと思いますので」

 口論なんかになっていない、一方的だったと過った。が、椎名のことでは僕も挑発的な態度を取っていたみたいな。思い至った僕は考えを改めて抗弁は控えた。なのに、斎藤さんは目を丸くして僕をしげしげと見て来る。

「……。何ですか」

「いや。鳴海が応戦した、と言うのが何とも奇妙でな。大方古城が鳴海に無理難題を吹っ掛けて困らせたんだろうと考えていたんだ。鳴海は沈着としているし」

 鳴海が応じたと言うことは余程腹に据え兼ねる状況だったのだな。斎藤さんは独り言のようにぼやき、僕へ、すまん、と再度謝った。

「良いですよ。僕も平静ではいられなかっただけです」

 非の無い斎藤さんに頭を下げられるのは具合が悪くて、僕は素っ気無く答える。こんなときですし、と付け足せば、斎藤さんは、ああ、と腑に落ちた表情をし、即曇らせた。

「横暴な話だな」

 風紀委員長の斎藤さんは、古城さんより把握しているのかもしれない。眉根を寄せて、沈痛な面差しだ。斎藤さんは、人が良い。正義感も責任感も強い。邑久のお父さんのことが関係しているかは、さて置き。けども。

「上の決定なんでしょう。学校側も対応に困窮しているのでは?」

 醒めた頭で熟考すれば、学校側も落としどころが無くて右往左往しているに違いないと分析出来る。だって、未成年者、学生は戦場に行くはずが無いのだ。『非戦地地帯』などと言う方便が、真の方便だと、熟知しているはずだ。教官は皆、軍人なのだから。

 だけれども、国が決めたことを覆せはしない。『絶対服従』なんてことは無いけれど、国内の暴動を未然に防ぐためだと言われれば、逆らえはしない。国の安全を守るのも、軍人の務めだからだ。

 僕からしたら愚策の一言だとしても。

「鳴海」

「はい」

 斎藤さんが僕を呼ぶ。何かと思えば。

「鈴木を、頼むな」

 そう、苦笑した。なぜに先輩。僕が発言の意図に眉間に皺を刻めば尚も言い募る。

「佐東二佐が鈴木三佐と来ただろう」

 そう言えばそんなことも在った。けれども、どうして今言うのかわからない。鈴木先輩と佐東二佐たちが何だって、……。

“今日向かうと事前通告して置いただろう”

“昔はな。今は指揮官になるのでね”

 鈴木先輩が陸軍の航空隊だと紹介したから、僕は、勘違いをしていた。

 航空隊で在る前に、彼女らは士官で在り佐官だ。指揮官クラスともなれば、人事決定権は無いとしても、選抜任務くらい下りてもおかしくない。

“今日は公的でいらしているんでしょう?”

 あの日、二人が来たのは、このためだったんだ。あの二人が、特別派遣のメンバー選出をした。

「……」

 鈴木先輩は────。

「鈴木は知らされていなかったらしいな」

 ─────でしょうね。僕は首肯した。決まるまでは、機密厳守だろう。幾ら息子だって、教える訳が無い。鈴木先輩も佐東くんも、公的な用事で来ていると知らされたのみで、概要なんか黙秘されただろう。軍人の両親のこと、自らも軍事学校に身を置いている口だ。嘴で突付く愚行は犯さない。

 ……僕が掴み掛かったとき。鈴木先輩は察していたんじゃないだろうか。自身の親とこの事態の関連性を。予想していたから、僕の動揺なんて気にしていなかった……や、いられなかった、が正しいのか。表面上冷静を装っていただけかもしれない。

 こんな程度で慌てふためいていたら、軍部の上層でなんかやって行けないだろう。ふと、別れ際の佐東二佐が脳裏に浮かんだ。

“これは、母親としての頼みなんだけど。これからも千尋や正美と仲良くしてやってね。理屈や、損得抜きで”

 あのときには、選出済みってことだよな。都香のこと、僕のことを既知だった、とは思えないけれど、穿ってしまうな。そこまで考えて、僕はあることを思い出した。

“羽柴壮太”

「斎藤さん……」

 選抜リストには、羽柴先輩の名前も在った。彼らが選んだんだろうか。流れとしてはそのはずだけど、選ぶだろうか? なぜなら、羽柴先輩は、邑久のお母さんの、半分とは言え弟で、直属の部下は斎藤さんのお父さんだろうけれど、佐東二佐たちは通じて知り合いだと聞いていた。情に振り回されていては任務遂行なんて不可能だ。だとしても、気にしてしまうのが人情だし、何より、羽柴先輩の戦績は僕と変わらぬ中間だった。上官からの苦言ものらりくらりと躱して、そうして来て。だのに、選抜されている。どうして。

「斎藤さん、どうして、羽柴先輩は選ばれたんですか?」

 変だ。僕の降って湧いた僕の疑義は、早々と解決された。

「羽柴元中将の推薦だそうだ」

“羽柴元中将”。羽柴先輩のお父さんだ。厳格で、隠居して道場を開いた現今でも、軍人の中の軍人と呼んで差し支えない人。年老いていながら、未だ衰えを知らないところは、近所でも評判だった。子供たちはおろか大人たちの間でも、決して怒らせてはならない人物。父さんは平気で、医者として喧嘩していたけど。僕と都香は割と可愛がられたほうだけど。

 羽柴の御仁なら、己の息子を戦場に送ることも躊躇わないだろう……と僕が納得しようとしたとき「……と、言うことになっている」斎藤さんが言った。

「羽柴が、志願したんだ」

「……」

 どう言う訳か、僕は意外とは捉えなかった。倉中の件も在るからだろうか。都香も行く気だと古城さんから聞いたからだろうか。……あー、そうだ。

「斎藤さん」

 答え合わせついでに僕は尋ねた。

「古城さん、て、何でああも都香に固執しているんですか?」


“阿佐前さん、私が言っても聞いてくれないの! 悔しいけど、あなたならっ”

 一等、僕が奇異に感じていた点だ。言っちゃ何だが、なぜあそこまで、たかが監視対象に執心しているのか。僕を呼び止めて、訴えて、掴み掛かって。生徒会役員と風紀委員は異なった行使権限を有しているだけの、立場は一般生徒と対等だ。何でも在りの特権階級じゃない。違反は公平に裁かれる。生徒会は主に教官や学校運営へ申し開きが出来て、風紀は生徒への統制と介入がゆるされているだけだ。

 そして、生徒会と風紀は相互的に抑止としての立場も在る。生徒会役員が不正をすれば風紀委員が正し、風紀委員が不当で在ったら生徒会役員が質す。……字は合っているよ。『不正』は客観的、『不当』は当事者間の表現だけど。正す、質す、の違いもね。

 とにもかくにも、古城さんのやったことは、個人的な無理強いなので公的の咎は無いけれど、僕が正式に抗議したら諸々危うくなる。一般生徒と変わりは無いと言え、風紀委員で在ることに違いない彼女が、僕に突っ掛かって来たことは不信感を煽ってしまう。僕、生徒会役員だし。ゴシップやスキャンダルなんかの醜聞好きの間で、憶測は飛ぶだろう。風紀委員が、私的に生徒会役員に権限を使わせようとした、越権行為じゃないのか、みたいなね。

 風紀委員で、士官候補の古城さんが、こうした狼藉を働いたら最悪どうなるかわかっていただろうに、何でここまで都香に執着しているのか理解出来なかった。

 なので、斎藤さんに話を聞いた。聞いても、やっぱり同調しなかった。

 ────妹さんが、いたらしい。頭も良くて戦績も良かった妹さん。元気で屈託が無く、無邪気で─────人を、疑うことを知らなかった。

 古城さんは、妹さんの、伸ばした手を振り払った。

 掻い摘んで要点だけ言えば、こう言うこと。古城さんは、士官候補で入学するための大事な時期だった。構っていられなかった。

 僕は。

「僕は、振り払っても最終的には掴んじゃうだろうからな」

 自分のために妹さんを突き放した古城さん。

 自分のために都香を突き放した僕。

 似ているけれど、置かれている情況は丸きり変わる。都香は僕に縋っていない。僕なんかいなくても立てる。甘えているだけだ。助けなんか求めていない。縋っているのも、求めているのも、僕だ。

 一人で立っている振りをしていたのも、支えている振りをしていたのも。

 都香は、弱くない。


「失礼します」

「鳴海くん」

 生徒会室に訪れた僕を待っていたのは鈴木先輩と、付き添う佐東くんだった。鈴木先輩は、二人掛けの奥のソファに横たえていた。佐東くんが僕へ、しーっ、と人差し指を立てる。静かにして、のジェスチャーだ。鈴木先輩は眠っているらしかった。

「さっき寝たんだよ」

 先輩のそばで膝を折っていた佐東くんは立ち上がり離れると、僕の背を押して外に出て、何でも無いように言った。

「気が立っててね。寝かし付けたんだ」

 兄さんは、寝かすのが一番気分を切り換えられるから。そう緩く笑む佐東くんが、自然と鈴木先輩を『兄さん』呼ばわりしていることに軽く驚いた。佐東くんは鈴木先輩との関わりを隠したがっているようなのに。僕は知っているからだろうか。それとも、緊急事態と認識してだろうか。僕が推察していると、佐東くんが愁いを帯びた面持ちで嘆息した。

「朝から、母さん宛てに異議の電話をしていたようなんだ……兄さん」

「朝から?」

 僕が尋ねると、佐東くんは頷いた。

「兄さんは、薄々母さんたちの公務が良いものじゃないことには、気付いていたんだよ」

 で、この発表に一気にすべて線で繋がって、悟った。

「まぁ、異議って言っても、事実確認が主体だろうけどね」

 僕はそうだろうな、と思った。佐東二佐たちに権限は無いだろう。教官たちと同じく。

「……だけどね、」

「……」

「守りたいんだと思うよ。伊達に、生徒会長をやっている人間じゃないからさ」

 佐東くんが片笑む。僕は合わさっていた目線を流して、何とも無しに窓の外を見た。朝っぱらから午前中はばたばたして、現在昼を過ぎて夕方近くだ。寒くなって来た季節柄日暮れどきは早いけれど、まだ太陽は傾きながら上空に在った。落ちるまで残り一時間強か。

「何か……ドラマだよね」

「うん、リアルじゃないね。一日で、日常が崩壊したような感じかな」

 僕の科白に佐東くんが同意した。子供は戦場に行かない。世界共通の良識だと信じ切っていた。

 実際には、こうも簡単に崩れ去るモラトリアムだった。脆い屁理屈一つで。

「何か……ジオラマみたいだ」

「鳴海くん?」

「用意されたセットの中で、台本を読まされているようだなって」

 佐東くんと会話の間も、僕の視界は窓を中心にしたままだ。窓に切り取られた淡い空色は、相も変わらず嘘臭い。だと言うのに。

 空がどんなに作り物みたいでも、繰り広げられたのは演劇じゃなくて現実だった。僕たちにとっては。

「現実だよ」

「わかっているよ」

「でないと困るよ。兄さんが、上層部に訴状持って直談判するって言うのを全力阻止中の僕としては」

 僕は佐東くんを見た。佐東くんが憮然とした表情で明後日を見ていた。訴状って……。

「幕府や領主に直訴する農民じゃあるまいし」

「母さんたちに噛み付いて行っても、無駄だったからだろうからね。自明だっただろうに。……アレで、責任感だけは強いから。けれどね、あの人は誰よりリアリストなんだよ」

 僕に異論は無かった。鈴木先輩は、現実主義だ。実現不可能な絵空事は笑顔でスルーする人。あぁ、そうか。

「先輩は、この“『非』戦地地帯への派遣”がゆるせないのか」

 鈴木先輩は内情をよく知っている。根拠の無いことは一文字だって洩らさない。外に出すときは常に確信を持っている。

 大人のこの明らかな詭弁が、ゆるせなかった、のか。

「大人にお膳立てされている囲いの中で生きている僕たちの、小さな世界も所詮大人が壊すんだ」

「そうだね。けれどね、鳴海くん。終わりは、いつだって突然のようだけど、本当は違うんじゃないかな」

 横を見やれば佐東くんも、窓に視点を定めていた。そうして、述べる。ただ、僕らが無頓着なだけで、と。

「切れ目が入った糸で重石を吊るすみたいに、緩やかにじりじり切れて行って、最後は、ばつん、と切れ落ちるような。そんな感じなんだよ、本当は」

 あのさ。佐東くんが、持論を畳んだ。いや、放り投げたのか。別のことを振って来た。

「僕らって、戦争出来ると思う?」

 唐突な質問に、僕は閉口した。えーと、出来るも何も……。

「……している、と、思うんだけど? 僕たち、普通に戦争中だよね?」

 もっとも僕たちは、実戦参加はしていないけど。僕が答えると佐東くんは首を横に振った。そうじゃなくて、と。

「この国はね、平和だったでしょ? 現代の大戦になるまで」

 それはそうだ。僕たちの国では開戦出来ない。この国は大昔の大戦の口火は切ったほうだけど。前回の大戦で当事者だったから、敗戦者だったから。僕たちの国で戦争しなかった。

「それだけじゃないと僕は考えてるんだ」

 佐東くんは言う。僕たちの国は、力が無いんだと。

「技術力だけじゃ、戦えないから。僕らは、仮初め的な、鳴海くん曰くジオラマな平穏に縋る程度には」

 戦争の必須アイテムは、気合だと、佐東くんが語る。僕は是非も言えず押し黙った。佐東くんは僕の仏頂面に僅か面様を和らげた。僕の応答の無さには触れなかった。

「気迫とかね。意志の強さだと思うんだよ。“絶対勝つ”、って言う。僕らには、この国にはそんなもの無いと思うんだ。だって、僕らは満ち足りているもの。ぎちぎちの規則の中でも、保障された毎日を。勝ち取らなければならないものなんか無い。

 命の遣り取りの無い生活に、天辺まで浸かった僕らは、とっくに、牙を抜かれているんだ」

 牙、ね……。僕は再び窓へ視線を移した。

「だけれど、佐東くん。大人は呼ばれれば戦地へ行くんだよ? 戦地で、血腥い真相とご対面しているはずだろう?」

「ゆえに、終わりが近いんだよ」

 持論は、畳んだ訳でも放った訳でも無かったらしい。事例も追従する不満も、積もり積もるには年数と件数が要る。もしも、このスピードがもっと早ければ、とうに見直し案や国民のデモは激化している。

 つまり当初は確かに戦場でも安全地帯へ派遣されていたのだろう。味方間で余計な火種は作りたくないもの。現況では、友軍が安全地帯へこの国の軍を置いて置けないくらい、疲弊しているんだ。佐東くんは断言した。戦争自体終焉に向かっているんだ、って。

「この国には失せた、気合とか、気迫とか、気の持ちようが左右するなら、生物である限り疲労は来る。どんな生き物も、張り詰めたまま、微細な変化も無く、気力を搾り出して生きては活けないよ」

 適応して変容するのが生物だ。不感症になったとしても、過度なストレスは死を招く。たとえ無人機が戦争をするのでも。動かす人間が、疲れてしまえば。精神的でも肉体的でも。人が死ねば、数が減る。人が減れば手は足らなくなって、充分な働きが叶わなくなる。

 こうやって戦死で足らない部分へ、病死や過労死、自殺が追い討ちを掛ける。当たり前だが、一定数手が回らなければ、余所を気遣う余裕も消える。ここまで行ったら、勝負どころか気力も持たず均衡も崩れる。万物は無限じゃない。人の衰弱が軍の衰退を呼び、戦況は凋落する。……なら。

「とっとと終わってくれたら良かったのに……っ」

「鳴海くん……」

 この大掛かりな紛争が虫に息だと言うのなら、さっさと息絶えてくれたら良かったんだ。そうすれば、誰も、この国も学徒動員なんてしなかった。僕は歯噛みする。音がした。いつかの、都香のように。

 けれども。

「……」

 拳を握る青年と顔を覆う少女。昔年、この国だって兵の衰滅を、国の廃滅を認めなかった。

“自己の価値観を肯定してくれるものを、人はいつだって心の拠り所にすると言うのは、鳴海くんだって熟知していると思うけど?”

 同じくらい、人間は、自己の価値観を傾覆させるものを拒否して忌避する。

 認知したら、瓦解してしまうから。

 だから、急に止まらないんだ。受け容れない内は、たった一人になろうと武器が掴んだ砂や泥になろうと最後までやり尽くす。

「ただ、何も彼も無くなるだけじゃないか……戦争なんて」

 奪って奪われて、失って。残るのは──────。

 僕はそんな地へ都香を見送るのだ。

「……そう。この国は戦えないから、」

 佐東くんも僕から目線を窓へ戻し。

「少量の犠牲と泰平を引き換えにするんだよ」

 容赦の無い推断を言い放った。

 まるで宣託にも似た酷薄な文言を。




 結局教官も生徒も混迷したこの日は、思考が混乱の極みにいて追い付かなかったのか、静かに幕を閉じた。

 あれからしばし、大半の生徒は静観の構えだった。教官たちも正式メンバーの発表を、なかなかしなかったせいも在るだろう。


 決定したメンバーの発表は、紙での通知の前に口頭での発表となった。

 通常通り、士官候補は講堂で、普通科は校庭、整備士専科は体育館で。

「羽柴、壮太。倉中、健……」

 名字と名前を区切って、僕の聞き慣れた名前が読み上げられる。次々。僕は舞台袖で待機しながら瞼を下ろした。

「阿佐前、都香」




 あの日あのあと、佐東くんの判断で生徒会も自室待機になって。僕は這う這うの体で自室に着くと、着替えも満足に出来ず上着だけ机の椅子に放って眠ってしまった。翌日朝起きて、皺の寄ったシャツに眉間も皺が深く乱立したのはまた別の話だ。

 皺の刻まれてしまったシャツを替えつつ、僕は夢の内容を反芻していた。

 例の夢だった。だが、登場人物が違った。いつぞや、父さんが死んだとき、父さんと母さんに摩り替わったように。

 今度は、僕と都香だった。ただし、立ち位置は逆だった。

 顔を覆っていたのは、外套と軍服の僕だった。



 

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