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.ナナ / 暗転。

 この道を決めたとき、手探りで、僕は走ろうとしていたんだけれど。

 まだ、この時点では自分の足元が見えていたことに気が付いていなかった。

 本質的に濃い暗闇が、飲み込もうと迫っていたことにも。




   【 ナ ナ / 暗転。 】




 そろそろ空気が肌寒くなって来た、生徒会の仕事にも慣れて来たこのごろ。もうすぐ、僕にとって高等生初の冬となる。校舎と寮は冷暖房完備なので室内は良いとしても、どうだろうか。ここは山奥だしいろいろ寒そうだった。

 都香は、倉中と再会した日の翌週始めに謹慎を解かれたらしい。こうまで長く拘束されていたと言うのに、停学でないのは小さな配慮なのだろうか。単位に響くことに変わりは無いだろうに、僕にもよくわからない。

 復帰した翌日、鈴木先輩と斎藤さんに会いにこちらへ訪れたそうだ。事後報告だった。古城さんも伴われていたようなので気を遣われたのかもしれない。鈴木先輩の証言によると、都香が僕のことを訊いて来て、古城さんは思いっ切り青筋を立てていたとか。余程、僕がお気に召さないのだろう。この辺は斎藤さんも手を焼いているらしい。先日、生徒会室へ書類を届けに来た際告げられた。

“すまない。阿佐前の件は相談されていた俺の力不足だった、と再三言っているのだが”

 本当に申し訳無さそうに話すものだから、“僕、いつ相談しましたっけ”とか気軽に突っ込めなかった。まぁ、古城さんのことは、正直どうでも良かった。僕の気懸かりは都香の情態と、倉中の様子だけだったから。

 都香は古城さんが付き纏っているから良いとして。一応風紀だし、僕に関して以外はどうやらデキる人だそうなので。問題は倉中だ。春川の些細な変化と、倉中の些少の変異は何か在るのだろうか。二人が長い付き合いだ、と言うのを加味すれば、無い、と断言もし難い。

 とは言え、僕も首を傾げる程度なのだ。春川は、邑久も感じているのでともかく、倉中は雰囲気が、その、と言うか。

 はーっと僕が深く深く息を吐いていると斜向かいで仕事をしていた鈴木先輩が「どうしたの?」と尋ねて来る。僕は、ああ、そうだった、今仕事中だった、と思い出した。……手が止まらないのと、間違いが無いのは能力だと自画自賛して置こう。大した仕事じゃないけど。

「疲れた? 珈琲でも淹れようか?」

「え、……いえ、僕が淹れましょう。先輩は座っていてください」

 鈴木先輩が手元の書類を纏めて言い出したので僕はそれを制し、先んじて席を立つ。いつもいつも、会長に手ずからお茶汲みをさせるのはどうかと思うんだ、僕は。

 もともと僕は従者気質なので、人に何かしてもらうのは何と言うか、むず痒くて仕方が無い。ゆえに、クラスの現状も、かなり気持ち悪い。

 僕は珈琲を淹れに給湯スペースに行く。給湯スペースは生徒会室内の横側、役員の事務スペースを挟んで応接セットと対面する形で設置されていた。給湯室でなく給湯スペースと言うのは、簡易キッチンじゃなくてコンパクトな流し台と隣接して珈琲マシンと電気ポットが置かれているのみだから。書類など紙類が多いので火気厳禁と言うことだろう。仕切りで隠されているだけってのも在るか。

 火気厳禁と言うのなら、余計分離して別室にすれば良いじゃないか、と思うのだが。特別扱いはしないとでも言うのか。士官候補コースのあれこれを今更棚に置いて。

 給湯スペースの流しと珈琲マシンの間に置かれた籠からカップを二つ取ると珈琲マシンへ一つずつセットする。僕の分を淹れ先輩の分を淹れる。あとのほうが若干と言え冷めていないだろうからね。

 二つ分珈琲を淹れ終えると部屋の扉が開いた。誰か戻って来たのかと考え仕切りから覗こうとしたら「なっ!」鈴木先輩の素っ頓狂な声が聞こえた。次いで、がたたっと大きな騒音も。僕は眉を顰め珈琲を置いて仕切りの外へ急いで出た。鈴木先輩は常に冷静で、大抵のことには平然としている。その鈴木先輩があんな声を出し、何かにぶつかる程急に動いたのだ。何事か、と思った。

「何を驚く。今日向かうと事前通告して置いただろう」

 仕切りから僕が半ば飛び出した瞬間、室内に響いた、硬質なアルトの声音。程良く低く、しかし柔らかい。女性教官たちが授業や必要時に作る厳しい音に似ていた。僕は声の主へ視線を巡らせた。

「ん? 何だ。もう一人いたのか」

 声は出入り口からしていた。そこには礼服姿の、二人の軍人が立っていた。手前、室内に足を踏み入れているのは女性。さっきから喋っていたのはこの人だろう。その背後に、控えるみたいにもう一人。そちらは男性だった。細面の、眼鏡を掛けた少々神経質そうな男性だ。僕は困惑していたけれど、鈴木先輩へ横目で目線を投げ「先輩、こちらは」と問うた。

 鈴木先輩は、目を見開いたまま後退るように身を引いた格好で立っていた。飛び上がった人の状態と言うヤツだ。僕に問われ、我に返った風に瞠った目を瞬きして体勢を整えた。そうして、一つ咳払いをすると「こちらはね」答えられるようになったらしい。

「陸軍航空隊の佐東二佐と鈴木三佐だ」

「陸軍の……」

 僕は鈴木先輩の返答に二人を見やる。構図から言って、佐東二佐と言うのは女性のほう、鈴木三佐と言うのは男性のほうだろう。先輩の紹介を受け佐東二佐がにっと、口紅を塗っているのか艶やかな赤い唇を吊り上げた。鈴木三佐は微動だにせずだ。僕は、形式上敬礼をして見せた。佐東二佐は「畏まらなくて良い」と朗らかに笑った。その笑顔を、人は“大輪の花が咲いたようだ”と表現するのかもしれない。眦の垂れた切れ長の瞳と同色の明るい茶の髪は、くるくるふわふわとしていて、縁取られる顔立ちは彫りが深く美しい。軍人より、女優と言われたほうが納得出来そうな、佐東二佐は華やかな女性だった。

「……こちらへどうぞ」

 二人をいつまでも立たせて置く訳にも当然行かないので、僕が二人をエスコートする。鈴木先輩が動かないためだ。って言うか、凄い嫌そう。良いのかな。生徒の代表たる生徒会長が軍の佐官にそんな態度して。

「航空隊、と言うことはパイロットですか」

 二人を応接セットのソファへ案内する。佐東二佐が腰を下ろしたところで訊いた。鈴木三佐は座らなかった。佐東二佐の座るソファの後ろに立っていた。僕の質問に気さくとは行かないまでも、普通に答えてくれた。

「昔はな。今は指揮官になるのでね」

 と言っても、部隊の指揮で司令官ではないのだが。佐東二佐が言う。この国に独立した空軍は存在しない。航空隊は陸海何れの軍に所属している。この人たちが所属しているのは陸軍だと言う。なら、久保田教官と知り合いかもな。僕は辞する報告をして珈琲を用意に向かう。窓辺に寄り掛かり、腕を組んでこっちを見ていた、どっかのモデルかよって鈴木先輩へ、擦れ違い様「お相手お願いしますよ」と忠言する。何て表情しているんですか、と言外に含めて。だって、この人たち先の口振りから先輩にアポ取って来てるってことでしょう? 先輩の、客じゃん。

 僕の言に渋々と言った体で窓から離れると応接セットのほうへ行った。僕は一つ、密かに嘆息を吐くと給湯スペースへ進んだ。

 取り敢えず、僕と鈴木先輩のカップを軽く濯いだ。勿体無いけど、もう冷めてしまっているものだ。仕方ない。濯いで、来客用のカップを取り先輩と珈琲を三つ淹れた。トレーに乗せて、運ぶ。

「……」

 うわぁ。仕切りを出て、僕は一瞬足を止めた。何コレ。

 にこにこ笑んでいる佐東二佐、以前変わらぬ鈴木三佐、仏頂面の鈴木先輩。三者三様で応接セットにいる。……踏み込みたくないなぁと僕は真剣に考えたけれど、珈琲が冷めてしまうのでそうは言っていられない。嫌だ逃げたい、近寄りたくない、と思いつつ僕は珈琲を持って応接セットへ向かった。

「どうぞ」

 鈴木先輩と佐東二佐の前のテーブルへ二つ珈琲を置き、鈴木三佐へトレーごと差し出した。最初「結構」と断られたが、はいそうですか、と言う訳にも行かず。僕が引っ込まずにいると、佐東二佐が振り返り「いただけ」と一言後押ししてくれたので、何とか戻さずに済んだ。

「……ふむ。珈琲マシンにしては良い豆を使っているな」

「これくらいしか楽しみも有りませんので」

 殺伐としている。僕は給湯スペースへ引っ込んだ。佐東二佐は「きみも良ければ」呼び止めようとしてくれたけど「鳴海くん、ちょっと流しに在る食器を洗って置いてくれないかな」鈴木先輩が遮ったのだ。助かった、と思ったのは言うまでも無い。

 鈴木先輩は僕の心情に感付いていたんだろう。元来鋭い彼のこと。その上で、僕に無いに等しい、むしろ無い食器洗いを命じたんだ。

 何なら、用事を言い付けて退室させてくれても良いんだけどな。そこまではしてくれなかったか。僕は、僕の食器しか無い流しで、可能な限り音を殺しながら建前的に洗って、己の珈琲を淹れた。静を心掛けたせいか、仕切りの向こう側が洩れ聞こえて来る。まぁ、目隠しするだけで、壁ですらない仕切りでは筒抜けと言って良かった。

「良い子じゃないか。補佐として、よく出来ている」

 僕の所作は、どうも佐東二佐のお眼鏡に適ったらしい。そこそこ機嫌の良さそうな、弾んだ調子を微かに孕んでいる。

「……。そうでしょう。僕としても非常に助かっていますよ」

 鈴木先輩は、佐東二佐との会話が心底嫌なのか、平常の飄々としたところが鳴りを潜めている。凄く硬い声質だ。

「巧いこと仕込んだんじゃないか?」

 佐東二佐はそう言う鈴木先輩のことなんて意にも介さず、あの赤い唇の端を上げ、容色に不敵な笑いを浮かべているのかもしれない。短時間の接触だが想像に難くない。

「残念ながら、素養でしょうね。入ったときから仕上がっていましたから。それに、彼は補佐だけじゃなく主導力が在ります。周りを動かす頭が在る。士官にするには素晴らしい人材ですよ」

「ほぅ。それは是非ともウチに欲しいなぁ」

「ご冗談を。彼は、あなたに使い潰されるには惜しい人物ですから、渡せません」

 片や談笑、片や会談。何この密談。黒いんだけど。話題の中心は自分の評価だと察しつつも、僕自体は実に凪いでいた。好き勝手言われるのは好きじゃない。でも口を挟めば藪蛇になるだろうし、まず口を挟むには向こうへ行って、この黒々しいに談話に参加しなければならなくなる。絶対御免被る。

 そこへ、ノックが鳴った。僕は反射的に動いたけれど間に合わず、と言うか室内の誰が開ける前に開いたのだ。僕は、あ、犠牲者増えたな、て、思っていた。これが思わぬ展開を生むとも知らず。

「あ、正美」

 佐東くんだったのか、と考えた僕は、ん、と詰まった。今、正美と名を呼んだ声の質が、鈴木先輩じゃなかったからだ。だいぶ前、生徒会入りする前。鈴木先輩が佐東くんを『正美』呼びしていたのを聞いている。更に、入ってから度々佐東くんを名前で呼び掛けては直すを鈴木先輩は繰り返していた。だので、鈴木先輩じゃないことに引っ掛かった。

 佐東くんを名前で呼んだのは、ここでは一番音階の高いだろう声。

「え、なぜあなたが?」

 鈴木先輩と言い佐東くんと言い、さっきから半上がりの発声をしている。まー、名前呼びされているんだから、余っ程親しい「あなた、なんて……そう、他人行儀に呼ばないでちょうだい、正美」……みたいですね。佐東二佐の声も心成しか僅かにやさし、く……ん? 『佐東』?

 佐東二佐は、佐東くんを名前で呼んだ。『佐東』。二人とも同じ『佐東』だ。……。や、でも。まさか。

「今日は公的でいらしているんでしょう? なら、間違った応対ではないはずですよ────母さん」

“母さん”。佐東くんは紛うこと無くこう言ったな。……マジかっ。佐東二佐が、佐東くんのお母さんっ? いや、予想はしていたけど、親戚って線も棄ててなかった訳で。え? お母さん?

 僕が混乱するのも無理は無い。だって。佐東くんは、悪くないけど派手とは両極端に在る顔立ちなのだ。加えて佐東二佐は控え目に見ても、華美だ。その二人が親子だと誰が気付くか。どちらかって言うなら、顔だけなら佐東くんより鈴木先輩のが酷似ってくらい似ているし、佐東くんは鈴木三佐に近……あれ?

「むぅ……つれないな。母は気に懸けていたんだぞ? 可愛い末息子が士官候補としてやって行けるか」

「有り難いことに楽しく生活させていただいてますよ。良い友人も出来ました」

 音声だけで佐東二佐と佐東くんの温度差が理解出来る。余り仲良くないのかな? 佐東くんのこんな、硬質な声は聞いたことが無い。短い付き合いだからかな。末息子……何か、嫌な予感が……。

「……その辺にしたらどうだ? 千尋も正美も、未だ手が掛かる子供じゃないんだ」

「だけど、あなた!」

 ……っぁああー……。僕は、カップを持たない片手で目元を覆い俯いた。初めて耳にした低い声は鈴木三佐だろう。これに甘えたような音程が被さる。“あなた”って、要するに『主人』だ。

 鈴木先輩の正美呼び。佐東二佐を母さんと言う佐東くん。佐東二佐は鈴木先輩にそっくりで。鈴木三佐を“あなた”、『主人』要は『夫』と呼ぶ佐東二佐。うん、つまり。

 四人は家族、ってことだ。

「……」

 マジかー……何それ超面倒臭い。僕は新たに淹れた珈琲を啜りながら落ち着くことにした。佐東くんが『佐東』と母親の姓を名乗っているのは、鈴木先輩と血縁だと容易に知られないためだろう。目立つ兄を持った経験則なのか。佐東二佐の場合、旧姓をそのまま使っているだけとして。……この家族かぁ……佐東くん、苦労したんだろうなぁ。

 あー。コレ、どうしようかな。佐東くんは僕がいることに感付いているだろうか。いないかな? 困った。もし隠しているとしたら、僕にも知られたくないんじゃないだろうか。かと言って、佐東二佐、鈴木三佐が帰るとき、いるのに顔を出さないのはマズい。二人は軍部の佐官だ。いや、以前に、相手が誰だろうと僕は士官候補生なんだから、挨拶くらいきちんとしないと評価に関わる。

 っ、あー……。こうなるなら、無理矢理にでも外出すれば良かった。鈴木先輩と佐東二佐が話し込む前に。僕はタイミングを測ったが。

「……佐東くん」

「鳴海くんっ? 何で!」

「え、えぇと……珈琲を、どうぞ?」

 僕は出る機会を窺って推考していたけど、考えてみたら佐東くんの珈琲を淹れなくちゃいけないと気が付いた。佐東くんは、僕の在留を感知していないけれど、他の三人は当たり前に僕がいるとわかっている。仕切りじゃ佐東くんの入室に気付かなかった、なんて誤魔化せられない。そうなったら、出るしかないじゃないか!

「何で、鳴海くんが……」

「鳴海くんと執務中にこの人たちが来たんだよ。鳴海くんは悪くないからね」

「鳴海くんが悪くないのはわかっているよ。俺が疑問なのは、鳴海くんがいるのにどうして家族団欒をしてるのかってこと!」

 ああ、完全に取り乱している。だよねー。僕は佐東くんの前に珈琲を置いた。佐東くんは、二人掛けに座る佐東二佐を挟んで、鈴木先輩の向かいの一人掛けソファに座っていた。

「……ごめん」

「えっと……」

 佐東くんが途轍も無くすまなそうに謝って来るのだが、僕には何のことか判然としなくて、返事に迷った。すると、佐東くんが補足してくれる。

「何か、いろいろ、隠してたり、ごめん……」

「あっ、ああっ。……気にしてない。わかってたから」

 半分嘘だ。判明したのは今で。けどまぁ、佐東くんに僕の在室が発覚する前だからセーフってことで。さて。本来賢い佐東くんは早速疑いの眼だ。

「わかってた……」

「何となくはね」

 先輩とのあの余所余所しさが、敬遠していた家族に対してなら理解出来る。役員の数人、特に“仕様が無いな”とあきらめていた人たちには既知のことだったのかもしれない。

「鳴海くんには、隠せないか」

 どうにか、佐東くんは一人納得しているようだけど、それは早合点かもよ? と心中で忠告して置いた。そんな容易く、他人を信じるのは如何かなー? 素直なのは良いことだけど。

「正美。簡単に人の言うことを鵜呑みにするな」

 同じことを思ったのだろう。鈴木三佐からの苦言が寄越され、それに噛み付いたのは佐東二佐だった。「良いじゃないか。信頼しているってことだろう? 彼は優秀らしいし」……異議は在りますよ? 僕と二佐は出会って一時間は無いので。

「そうなんです。彼は普通科からの中途編入で、今までトップなんです」

「中途編入は一学期の入学、中期、末期の試験から難問だけ抽出して出してますから。このときから彼は首席なんですよ。シミュレーションでの成績も一位から落ちたことが在りません」

「それは……凄いな」

 佐東二佐が佐東くんたちから繰り出される賛辞に目を丸くした。何か、物凄い誤解が生まれそうだ。どうしよう。止めるか。僕が思索していると、救いは在らぬ方向から来た。

「二人とも、そう誉め称え過ぎるな。本人の慢心に繋がるぞ」

 良くない、と、厳しい眼光のまま仰有る鈴木三佐。有り難うございます。身が引き締まります。鈴木三佐とは、殆ど対角に僕は立っていた。鈴木三佐に渡したカップはテーブルの上、佐東二佐のものと並んで置かれ、ポーズも僕と対同然の後ろ手に組んで直立だ。この中では他人且つ僕が一等低い順位なので自然こうなる。だいたい、空いている席が佐東二佐の前方の二人掛けか隣だ。何、死亡フラグじゃんとしか言えない。

「そうか? 普通科ならばそもそも座学は二の次だろう? それなのに初っ端から首席、戦略シミュレーションも一位なら、誉められるべきことじゃないか?」

「しかも文武両道なんですよ!」

「ほぅ」

「……佐東くん。残念だけど、」

 そろそろ羞恥で死ねそうなので、割り込ませていただく。誉め殺しとか勘弁してほしい。第一。

「僕、戦績はさっぱりだったんだ。特に、」

 根本的に誤りが在る。

「飛行訓練のスコアはね」

 佐東くんの母君たる佐東二佐は航空隊の指揮官だ。その副官だろう鈴木三佐も。二人に一番評価されるはこの辺だろう。もっとも、飛行技術が無くても航空隊の指揮官にはなれるだろうが。

 航空隊の士官も基本指揮官。小隊長とか中隊長とか大隊長とか。ただし、士官候補で航空隊へ配属されるには、知識を得るため防衛大を出る必要が在る。高等学校の士官候補生が学ぶ座学は基礎だ。指示が出せる思考回路の開発が主だから。

 座学修得の上でようやくスキル取得へ移行出来る。二人はパイロットをしていたと言った。と言うことは、二人は一兵卒からの叩き上げか、士官候補を経て防衛大で航空学を学ぶか、高等学校の専攻科を出るか。普通科にもパイロットの授業は在る。だがあくまで基本操作だけだ。パイロットを目指すなら、専攻科を出るのが最も早く、次に普通科を卒業後一兵士として実技で経験を重ねること。だけども、専攻科を出るのは最上級に難しく、並大抵の努力ではまず無理だ。ちなみに久保田教官は叩き上げでパイロット志願をし、士官にまでなった口だ。

 さて。僕はパイロットになる気はさらさら無い。ぶっちゃけ、指揮官としてもごめんだった。僕の笑顔をどう取ったか。佐東二佐は先程までの笑みを消し、ふむ、と頷いた。

「もしや、航空隊は嫌かい?」

「ええ、空間把握能力が無いので。指揮官としても致命的でしょう?」

 指揮官は管制官では無いけど、管制官程の認識は必要なのだ。でなければ管制官に指示が出せない。まぁ、今の時代、直に飛行機に乗ること自体そう無いと思うが。輸送機でさえ無人機の現代では。けれども、管制官も、なるための資格も現存しているのだ。

「確かに────真実ならな」

「……」

 僕は答えない。佐東二佐は悟っている。鈴木三佐も。いや、鈴木先輩も佐東くんもかな? 佐東くん、顔が引き攣っているものね?

 空間把握能力がまったく無い人間に、戦略シミュレートで成績一位をキープすることなんて出来る訳無いんだから。

「……。ふむ、ま、良いだろう」

 笑みを貼り付ける僕と目を細める佐東二佐。鈴木三佐の視線が鋭利なのは変わらないとして。数分間満たない睨み合いは、佐東二佐の一声で終わった。僕は佐東二佐の空のカップを取り上げて。

「お代わりは?」

「いや、結構。もう行く」

「左様でございますか」

 僕は一つ首肯して、カップの回収を始めた。

「……まったく。とんだ食わせ者を飼っているな、二人とも」

「鳴海くんは友達です!」

「僕は今後も部下に欲しいですね」

「兄さん!」

 呆れたように肩を竦めた佐東二佐へ否定する佐東くん。鈴木先輩は素っ恍けたみたいに佐東二佐の科白を肯定し、佐東くんに家族としての呼称で非難するように呼ばれた。鈴木三佐は相変わらず喋らない。僕は四人の話し声を背で聞きつつ、仕切りの向こうの流しへカップを置きに向かった。カップを置いて戻ると、丁度佐東二佐が腰を浮かせたところだった。

「では失礼するよ。騒がせたな」

 僕と目が合うと佐東二佐が声を掛けて来る。様式的なものだ。僕も「いえ、大してお構いも致しませんで」作法的に返した。

「いや。唐突に来たからな────鳴海くん」

「はい」

 ここで形式的なものから外れた。僕は応えた。

「航空隊に良い思い出は無いかもしれない。私たちのことも、微妙だろうと思う」

「……」

 僕は黙って佐東二佐の言辞を聞いていた。だって莫迦正直に「そうですね」なんて口に出来る訳無いじゃないか。なので、僕は黙然と聞き入る、この一択のみだった。僕は、佐東二佐の続きを待った。

「だが、─────これは、母親としての頼みなんだけど。これからも千尋や正美と仲良くしてやってね。理屈や、損得抜きで」

 硬い口調が殊の外柔らかくなった。華やかで、美女で、自信家っぽく感じる佐東二佐。女だてらに『二佐』なのだから女傑でも在るだろう。

 そんな人でも、母親なのだった。僕は。

「……僕のような人間が学校で損得を考えるなら、まず近付かない人ですので。佐東くんはともかく、千尋先輩は」

 後方で「鳴海くん、ひどい」とかした気がするけど、きっと空耳だな。僕の言いたいことは、切れ者だろう佐東二佐にはちゃんと伝わったらしく「それなら良かったわ」笑っていた。

 二人は息子たちにもそれぞれ言葉を交わすと「見送りは要らない」とその場で別れを告げ、退室して行った。

 こうして、二人が去って行ったあとの生徒会室では。

「……行ったな」

「……。行ったね」

「行きましたね」

「……っあー! 疲れた!」

 ダイブしそうな勢いで、鈴木先輩が二人掛けの、先刻佐東二佐が座っていたほうとは逆のソファへ全身で倒れ込んだ。佐東くんも、先では鈴木先輩が身を落ち着けていた一人掛けへ、沈めるように深く腰掛けて、両手で顔を覆っていた。僕は、二人の行動を見届けてから。

「珈琲、改めて淹れ直しましょう」

 進言したのだった。

 来客用を水に浸けて、三人分のカップだけ軽く洗い、珈琲を淹れながら、そう言えば、あの二人がなぜこの学校へ来たのか聞いていなかったな、と。

 何で、佐東二佐たちは来たのだろうか。驚く鈴木先輩へ佐東二佐は事前通告したと言っていた。佐東くんは公的で来ているはずだと話していた。と言うことは、二人の来訪は保護者ではなく軍人としての公務だったと言うことになる。二人は航空隊の指揮官だ。とすれば考え付くことは幾つか在る。たとえば、視察。

 新しく、パイロットの候補として人材を見に来た、とか。

「……」

 都香のスコアは、他の戦績同様群を抜いている。適性の点で見れば逸材だろう。

「……、スコアだけ、ならね」

 都香の特攻気質が治らない限り、果たして適性が在るかどうか、甚だ疑問だな、と僕は思い、珈琲を淹れ終えたので、そこで推察を閉めた。

 あと。

「邑久は、二人を知っているのかな」

 仕切りを出る前、珈琲をトレーに乗せつつふと思い至った。鈴木先輩は、羽柴先輩のお姉さん、邑久のお母さんと知り合いだと聞いている。鈴木先輩は羽柴先輩と同年代だ。羽柴先輩が生まれる前に羽柴先輩のお姉さん、邑久のお母さんは邑久のお父さんの元へ家出していた。邑久のお父さんは、邑久が生まれる前に出征して人質になり亡くなっている。こう考えると、羽柴先輩は言及しなかったけれど、鈴木先輩自身がお姉さん夫婦と知人と言うより、先輩の両親である佐東二佐たちと知己だった、と言うほうがしっくり来る。てか、あのときは邑久のお父さんの人質って事実が強烈過ぎて、結局明確には聞けてないんだよね。どう言う関係性かってさ。

 古い知り合い、とは言っていたけど。

 次会ったら訊いてみるか、と僕は考え、切り換えて仕切りを出ると、新しい珈琲を二人に手渡した。


 僕が屋上へ行くと、邑久が立っていた。あの日、邑久に邑久の両親のこと、羽柴先輩とのことを聞いたときのように。

「お疲れー」

「どー……も、っと」

 邑久が僕へ缶珈琲を投げて来た。僕は難無くキャッチして邑久から「けっ、軽く受け止めちゃってー」理不尽な一言をいただく。気にも留めず僕は「待ってたの?」尋ねた。二人分在ると言うことは。僕の問いに邑久は「念のために二つ買ってただけよ。ここから自販機遠いでしょ」笑って更に自惚れー、と揶揄するように言った。

「涼しい顔しちゃってぇ」

 唇を尖らせる邑久。どこまでも気にしない僕が気に入らないらしい。いや、知らないし。柵のそば、邑久の隣まで行くと僕は缶を開けた。今日は珈琲飲みっ放しだなと思った。そこまで考えて、あ、と思い出した。

「邑久」

「なぁにぃー」

 邑久は口に缶の縁を噛んで銜えていた。空なのだろうけど、場所は屋上だ。うっかり柵の外に落としたら危ない。僕は邑久の口から取り上げる。ちゃんと持ってなさい、と叱ることも忘れない。

「香助、細かい」

「みんなが大雑把過ぎるの! ……ところでさ、」

 僕は確かに細かいだろうけども、断じて過ぎる程ではない。そう主張だけして、僕は本題に入った。

「ああ、知ってる。お父さんの部下の、友達だったんだって」

 割とあっさり、邑久は僕の質疑に回答した。へぇ、と僕が相槌を打つと「訊いて置いて、その気の無い返事は無くない?」頬を膨らませた。僕はぷすっと、礼儀的に刺して潰した。

「部下の友達って遠くない? 直接的に知り合いじゃないってこと?」

「直接的に知り合いだけど、経由はそうなんだって」

 何でも、お父さんの部下だった斎藤さんと、同期だったの。邑久はさらっと言ってのけたが、僕は、うーん? と首を傾げた。佐東二佐が佐東くんのお母さんだと露呈したときに似た感覚を味わったみたいな……?

「部下の“斎藤さん”ってさ、」

「そ。風紀の斎藤さんのお父さん」

 あー、やっぱりー? こう繋がっているのか。あーあー、成程ねぇ。僕が得心していると邑久が。

「だからね、」

「え、」

「私、あんまり斎藤さんを頼りたくないのよ」

 爆弾を落とした。や、佐東二佐たちの比じゃ無いけど。僕が固化するには充分だった。

「斎藤さんのお父さんは、私のお父さんが死んだことへ豪く自責の念に駆られているのよ。何て言うか、な……」

 邑久が語るには、斎藤さんのお父さんは邑久のお父さんの部下で、補給部隊ではお父さんの次に偉かったそうだ。ただ副官ではなかった。当時の部隊編成で、隊長のお父さんと副官の人はそれぞれ別の部隊を率いていて、この、邑久のお父さんが受け持っていた部隊の副隊長が、斎藤さんのお父さんだった。

 事件の日、斎藤さんのお父さんは非番だったらしい。護衛任務などは通常、万全を期して全員で対処するものだ。しかし、大きな商隊でなかったことと、距離もそう長くも無い半端なものだったためシフトに変更を加えず任務に当たった。

 これが行けなかった。テロリストに襲撃され、任務に当たった十数名は死亡、邑久のお父さんは捕縛され、そして─────。

「全員いたら、良かったかなんてわからないじゃない? 往々にして、見通し甘過ぎたのよ」

 辛辣だが、正論だった。前回聞いた際、情報が少なかったと言う話だった。判断材料にも乏しく、土地勘も無い任地で、確証も無いのに動くことが正しいはずが……。

「……そうなのかな?」

「え?」

「本当に、そうなのかな」

 僕は一つ、思い付いてしまった。もしも、僕だったらどうだろうか。

 情報も少なく、テロリスト潜伏の可能性も拭えない。武器は……。

「武器の使用許可、下りてなかったんじゃない?」

「っ、」

 思った通りだ。息を飲む邑久に、僕は己の予測が当たっていたことを確信した。依頼主の友軍は護衛任務の依頼をして置きながら、武器の使用許可を出していなかったんだ。友軍が聞いて呆れる。

 僕たちの国は表立ってどことも戦争していない。戦争色だけは色濃くしているけれど、他国を攻撃だけはしていなかった。されてもいない。なぜこの状況が成り立っているのか。

 それは、僕たちの国が最新鋭の技術と優良な人材の貸し出し、迅速な補給の対応を行っていることの他に、武器の使用を許可制にしているからだった。

 非常時、武器を取るには戦地で指揮を執っている他国軍への許可を取る必要が在った。銃、弾薬、武器となるものなら全部。戦闘機も含まれている。もしも急を要し、事後報告になった場合。下手をすれば正当防衛であっても、国際裁判に掛けられることも考えられると言う。

 端的に、無闇やたらと攻撃しないと公約している。威嚇射撃さえも、だ。この国は、こうやって本土と立場を守っているのだ。

「使用許可の無い状態の護衛は、武器を持っていても発砲すらゆるされない」

「……」

「“テロリストがいることに確たる証拠が無いから、そこまで許可は出来ない”」

「……っ」

「……言われていたんだね」

 大方、近隣住民を刺激するから許可は出せないってところか。俯く邑久の髪の隙間から覗く口元だけで、僕は正解を出したことを知る。僕は一つ溜め息を吐いて。

「だったら、お父さんは良い判断をしたのかもしれないよ」

 邑久の目線が僕を捉えた。僕はデスクワークで凝った首の後ろを揉みつつ邑久へ設問した。

「武器の使用許可も承認されず、テロリストが襲撃する可能性は五分五分。その様態で、一等避けるべきは何だと思う?」

 流し見た邑久は「何って……」答えを考えあぐねている風だった。僕は「ぶーっ」タイムアウトを告げる。

「ちょっ、」

「単純だよ。────“全滅”さ」

 そうだ。一番の最悪な事態は部隊が全滅することだ。テロリストが出るかもしれない、そう言った情報が在る、この程度で下手に動き回るのは得策じゃない。テロリストの規模も人員も精度も把握出来ていないのに全員を動員して犠牲がどれだけ出るんだ。邑久だって言っていたじゃないか。

“全員いたら、良かったかなんてわからないじゃない?”

 見通しが甘かったことは否めない。でも、もし自分が同じケースだったらどうだろう。友軍の補給をしていると言っても、友軍の助けが無くては動けない自軍のことを鑑みれば、不確定要素しかない任務依頼だって蹴ることは不可だ。だけども、むざむざ武器の使用もゆるされないような任務に全員で当たって、被害を拡大することも無い。

「現場のことなんて、錯綜しているだろう? だから実際の状況はわからないけど。僕だったら、少ない人員で二重に陣形を敷くよ。お父さんだってそうしたんじゃないかな。けど、……」

 駄目だった。地形にも依るだろうけれど、襲撃が成功したと言うことは、見晴らしは良くないはず。二重で可視化した部隊と不可視化した部隊を編成出来れば一番良いけれど……それも無理な場合も在るか。

 僕のは推測に過ぎない。邑久の説明を咀嚼して、推論を重ねただけ。邑久は考え込んでしまった。ただ。

「……っていうようなことをさ、」

「え?」

「斎藤さんにも言ってみたら良いじゃないかなって」

 斎藤さんのお父さんとやらは、自身が生き残ったことをとても悔いているのだろう。そう言う人間にはひたすら“良いんですよ”“あなただけでも生きててくれて良かった”なんて声を掛けたところで頷く訳が無いのだ。

 理論で攻めて、どうしようも無かったと客観的に認識させるしかないんだよね。邑久は側頭部を掻きながら。

「……。それ、効果在るの?」

「感情論同士をぶつけるより良いと思うけど?」

 作戦上、要らないとされたからシフトの変更も配置も無かったんだ、と根気良く聞かせ続ければ、少なくとも息子にまで及ぶ連鎖は止まると思う。って、言うかね。

「斎藤さんのことは斎藤さんが思い留まるしか無いんだよねぇ」

 けども。あの人ああ言う人だから。

「だからさっきの、全部ぶち撒けたあとに“そう言うことだから、私を勝手に可哀そうがらないで”って言えば、過剰な庇護はやめるよ」

 ああ言う人だからね。眉間に皺寄せて難しい表情で黙り込むけども、相手が望んでいないと自覚すればすぐ修正出来るんだよ。多分。僕が持論を説けば、邑久が「そんなモンかしら」唸っていた。腑に落ちないらしい。

「……まぁ、でも」

「何?」

「邑久が斎藤さんへの相談をやめた原因は判明したね」

 邑久が、椎名に斎藤さんのところへ行くか提案されたとき、間髪入れず“嫌”って即答した訳。

「相談して、やらかしたんでしょ、斎藤さん」

 あの集団が、寮では邑久に迫らなかった一因が斎藤さんではないかと僕は睨んだ。邑久は苦虫を潰した顔で「ぴんぽーん……」と呟いた。何とも、地の底を這うような低い正解音だ。

「何、“貴様らそこへ直れぇ”とか?」

 斎藤さんの時代劇染みた、芝居掛かった挙動を考えるに、“叩っ斬ってやる!”くらいはやってもらいたいものだけど、万一現実にやったら邑久の騒ぎは普通科まで届いていると思う。轟くレベルで。ところが。

「うぅん。私に言い寄っているヤツに“俺を越えてみせろ”って啖呵切ったのよ」

「え、それだけ?」

 僕は拍子抜けした。だって、邑久が嫌がるならもっとやらかしている気がしたのだ。なのに、それだけって。けれども、裏切るのが斎藤さんなのだった。

「それだけで終わる訳無いでしょう? 鬼気迫る斎藤さんにビビったソイツが逃げようとしたら、斎藤さん、“何だ逃げる気か! 勝負を前に逃げ出すとは何ごとだぁー!”って、士官候補コースの校舎中追い掛け回して。しばらく私が大変だったのよ」

 うっわぁ……。僕は引いた。身ごと引いた。邑久に肩を掴まれて引き戻されたけど。これは……。

「注目の的だったろうね」

「いい晒し者よ。ま、そのあとは? 壮太がヤツらの関心を逸らしてくれて、束の間平和だったけどね」

「羽柴先輩が?」

 つい聞き返す。“壮太”って、邑久から出るとしたら一人しかいないけど、少々意外だったのだ。

 普通科に、邑久の噂もアイツらの所業も流れて来なかった。倉中くらいは知っていただろうが、僕は何も聞いていない。倉中が横にいると、要らない情報まで入って来たものだけど。

 まして、羽柴先輩も絡んでいるのだ。どこかで耳にしていても良いものだけど……憶えは無いな。記憶を探る僕を余所に、邑久は不貞腐れたみたいに。

「斎藤さんが壮太に話しちゃったのよ。で、壮太も無視してくれたら良いのにわざと挑発するようなことしたみたい……」

 邑久は嫌そうに俯いた。だけど、僕には二人の気持ちがわかる気もした。僕は上手くやるけど、僕も、都香を庇うためなら、平気で似たことをやるだろうなぁと想像出来る。邑久には悪いけれど、あんな低俗極まりない集団が、自分にとってたいせつな子に手を伸ばしただけでも、我慢ならないと思う。

「みんな戦争のせいだぁー!」

 突然邑久が叫んだ。僕は唖然としたのだが、邑久は気にもしない。

「戦争が起きなければお父さんは死ななかったし、お母さんは私を抱えて苦労しなかったし、斎藤さんたちは病むことも無く、壮太だって私を殊更気遣う必要なかったし、」

 捲くし立てる邑久に僕もひっそり同意する。僕も思っていたことだ。父さんが死んだときに。と言っても、こう軽く宣っていないけど。年数の違いなんだろうか。

「まぁ、もうアイツらはいないから、良いんじゃない?」

 取り成すように僕は邑久を慰めるけど、邑久は収まりが付かないみたいだ。息荒く怒っている。そうして、突如静かになったと思ったら。

「────みんな、戦争のせいだ」

 零した。僕は喉を鳴らした。今までの、莫迦話めいた会話から、言ってしまえば他愛無いと感じる喚きから、程遠い声調で同じことを。いや、繋がりだけなら、合致しているような。

 暗い、昏い声だった。墨汁を白い紙に零した幻視をしそうな程。そして。

「戦争が起きなければお父さんは死ななかったし、お母さんは私を抱えて苦労しなかったし、斎藤さんたちは病むことも無く、壮太だって私を殊更気遣う必要なかったし」

 尚も、墨汁は滴って、染みを拡げて。

「知ってる? 香助。アイツらの中に、軍上層部の息子がいるの。おじいちゃんと同じ、将官だって。壮太みたいに、年老いてから出来た子らしいわよ?」

 ああ、そうなんだ。僕の予想では政治関係だと考えていたんだけどな。や、強ち完全外れってことも……けど、そんなことは今どうだって良い。

「邑久」

「戦争が起きなかったら、偉そうに威張れなかったでしょうに」

「邑久、」

「おじいちゃんだって、そう。本当、私には、弊害しか無いわよね!」

「邑久!」

 僕は邑久を呼んだ。邑久は僕を見た。普段快活に表情をころころ変える邑久の容貌は何も無かった。

「邑久……落ち着いて」

 僕が宥めると邑久は僕から顔を背けた。柵を背にしてずるずる座り込んで、膝を抱えた。僕も、邑久に合わせて座る。邑久は、僕を見ない。

「……中途半端なのよ」

「……」

「戦場に行くなら、どうして武器が使えないの? 犬死するだけじゃない」

「うん」

「強力な武器を幾ら造っても使えないなんて、どうかしてるわ! 使えたら、犠牲者なんか出なかったのに!」

「……そ、れはどうかなぁ」

 ここで初めて、僕が否と濁すと、邑久が食い付いた。僕を歪めた面立ちで睨んだ。

「無抵抗で死ぬことは無かった!」

「そうかもしれないけど、」

「同じ出征でも技術者は良いわよ。でも、補給部隊で出征する武官たちは、どうするのよ! 誰にも守ってもらえないのよっ? 技術者は良いわよ。少なからず守られて安全だもの────」

「技術者だって、良くないよ」

 僕の気を遣っていた声音が、無機質になったことに邑久の、力強く連続していた批判が閉じた。僕は連投した。

「僕の父さんはね、邑久。医師をしていたんだ」

「……」

「軍の徴兵が在って、軍医として、戦地に行ったんだ」

「……で?」

「死んだ。誤爆だった」

 邑久の嚥下する音がした。僕は構わず続けた。

「戦闘機を造ったのは、親戚のおじさんだったんだ」

 親戚と言うには遠い人だけれど。誤りではない。ともすれば、親戚より濃い関係だ。

「僕が生まれる前から家にいて、生まれてからこの十五年間、いた。家族も同然だった」

 都香の父親だと言うのは伏せて置く。別に言わなくて良いことだからね。

“すまないっ!”

「そのおじさんが、畳みに額を擦り付けて繰り返し謝罪する。なかなかにショッキングだと思わない?」

 思い返してみても、衝撃的な映像だ。や、現実のものだけど。僕は空笑いを発していた。からから、薄い笑い。

 頭上の、紫になり始めた空みたいに。

「……香助」

「技術者だって、こうだ」

「そうね……」

「強力な武器を生んだって、使いどころを間違えばこの有り様なんだ」

「……っ、でも! 使えないよりは良いわ!」

 邑久が絶叫にも近しい声で反論した。対して、僕は単調に返した。

「使えたから、僕の父さんは死んだんだよ?」

「だとしても! 使えなかったから、私のお父さんは死んだのよ!」

 使えていれば。使えなかったら。二つとも完全な、たらればだ。非生産的な議論でしかない。だけど。

「僕は過ぎた力なんか認めない」

 決して認められない。人を屈服させるための力なんか。見せしめに殺せる道具なんか。そもそも、こう言う力が在るから戦争をするんじゃないだろうか。邑久のお父さんだって、死んだんじゃないのか。

 僕の否定に、邑久は凄い形相で否定を重ねた。

「何言ってるの? 戦争しているから、力が必要な(いる)んじゃない! 抑止力も無く、生き残れると思っているのっ?」

 邑久は熱弁する。強力な武器を持っている国に、どうやって対抗するのかと。僕は冷えた態度で問う。対抗することはないのではないかと。加えて語る。言語は異なろうとも、対話は出来ると。何のための外交だと。邑久は鼻で嗤った。

「お父さんは、軍は、テロリストを説得しようとしたわ。けどね、平行線のまま交渉は決裂したのよ! テロリストは要求を呑めの一点張りで譲らなかった。対話? 聞く耳を持ち、譲歩出来る余地が在る両者でしか成り立たないわ、そんなもの!」

 テロリストを庇う気なんか一ミリも無いけれど、と邑久は前置きした。テロリスト、彼らも戦争で死にたくないから抵抗している者も大勢いる。中には利己的な者も多々いるだろう。けれども、邑久のお父さんを拉致したグループは国を追われた難民や戦争で飢えた貧困層から出来たもので、ゆえに、要望を曲げる余裕は無かった。

「考える隙も無いヤツらに、平和的解決が出来る訳無いでしょ! 

香助だって、」

「僕が、何」

「アイツら、排除するとき叩きのめしたじゃない」

「それは、」

 邑久の指摘に僕は詰まった。その通りだ。あのときの僕の行動は、誤っていない自信が在る。だけれども、過剰防衛でなかったかと言われれば……。

「阿佐前さんを助けるために、大人数を倒した訳でしょう? ほぼ全員昏倒させた。これは力の行使じゃないの?」

「僕は、」

「アイツらと話なんて出来ないって思ったから、実力行使したんでしょう?」

「……」

「ほら、見なさいよ。香助だって、本意ではわかっているんじゃない」

 邑久は正しい。僕は、単体で都香を守るために力で集団を抑え付けた。反撃不能にした。だけど。

「けど、僕は、」

 強い力に抗うために、より強い力を求めることを、肯定してしまえば、被害は拡大するだけだ。

 争いだって、終わらない。

「そうであっても、僕は、認められない」

 力は無いより在ったほうが良い。だとしたって、僕は力が肥大化することは容認出来ない。僕が搾り出した言葉に邑久は、顰めっ面でこう返答した。

「……あんた、いつか大事なものをなくすわよ」

 僕は黙して邑久の科白を聞いていた。“大事なもの”? とっくのとうに父さんを失っているのに?

 このときの僕は、邑久のこの発言がまさか予言になるなんて考えもせず、「そう言えば、佐東さんたち、どうして学校に来たのかしら」なんて、今更思い当たったような一言を聞き流していた。

 疲れたんだ。そう、疲れていた。

 思考停止するくらいに。

 屋上を無言で、だけども二人で降りた僕たちは、夕食のため部屋から出て来ていた椎名と寮で搗ち合った。

 僕と邑久の暗い顔に何某かを気取った椎名は「何だ、邑久にいじめられたのか?」と、当たらずも遠からずなことを言って茶化した。僕は苦笑さえ巧く出来る気がしなかったが、邑久が「……はぁあ? 私が香助にいじめられたんですぅ!」乗るので「最終的にやり込めたのは邑久じゃないか」反抗して置いた。

 椎名は椎名で「邑久の達者な口に、香助じゃ勝てないよな。よく頑張った」なんて僕を慰めてくれる。邑久はこの流れに「けぇーっ! これだから軍隊は!」悪態を付いて「着替えて来る」と部屋へ向かった。僕も、椎名に着替えて来ると告げて離れた。


 日常に戻った、と僕は浅はかにも思っていた。

 佐東二佐たち、この異物が入り込んで僕と邑久が常日頃しない口論をした。

 でも、椎名と合流して、戻ったのだと。

 戻ってなんかいないのに。むしろ、僕は渦動の只中にいたと言うのに。

 僕が自己の浅慮に嘖まれるのは、翌日のことになる。




“以下の者、特別派遣に任命す”



 


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