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.ロク / 妥当。

 都香と離れようと、僕には平穏なんて来ないんだろう。




   【 ロ ク / 妥当。 】




 謹慎明け。学校に登校した僕を待っていたのは、よく知らない人たちからの祝福だった。

「何なんだ……」

 まず、靴箱の前で肩を叩かれた。振り返って目に入ったのは見知らぬ男子生徒。制服の袖のラインから上級生だと判別────が、僕の肩に手を置き笑顔で立っていた。

 事情を聞く前に「有難う! 鳴海くん!」と大音量で礼を述べられ、「困ったことが在って僕に出来ることが在ったら、是非頼ってくれたまえ!」とか捲くし立てられ立ち去られ。僕が呆然としていると再び肩を叩かれた。見れば、またも知らない顔の男子。今度はクラスが違うようだけど、袖のラインは同学年だった。

 僕が何か言う前に「有難う! 鳴海くん」デジャヴだった。

 こんなことが教室に着くまでに何度と無く起きたのだ。中には女子もいた。僕は怪訝な表情に固まった筋肉をほぐしつつ、教室の扉を開けた。

「お帰り! 鳴海くんっっっ!」

 僕は絶句していた。仕方ない。脳みそは初期化中だ。クラスの歓迎ムードに、僕は一歩引いた、と。

「お早う、香助」

「っあ、ああ、お早う、椎名……」

 背が誰かにぶつかった。椎名だった。見返りながら、挨拶されたので返す。謹慎中は会っていなかったせいか久々に見た。校舎教室と同様に懐かしくも無いけれど。

「さ、鳴海くん入って入ってっ」

 一人、女子が僕の腕を引く。馴れ馴れしいけど、邑久ではない。見ない顔でも無いので、まぁクラスの子だろうけども。けれど女子が絡めた腕はすぐ引き剥がされた。椎名に。

「はいはい。あんまり騒がしくしないほうが良い。香助は騒がしいのが嫌いだからね」

 言うなり、僕の腰に手を回して席へ連行する。席では、邑久が待っていた。

「お早う、人気者」

 にやにやしつつ僕に手を振る。僕も返して「何のこと? てかコレって……」当惑していることを隠さず問うた。邑久は「ああ、」事も無げに答えてくれた。

「何って……“悪の組織を倒した香助を、みんな歓迎している”んじゃない?」

「“悪の組織”?」

 邑久の説明に鸚鵡返しすると邑久は「そうよ、“悪の組織”」繰り返して頷いた。僕はますます困惑した。そこに椎名が助け舟を出した。

「香助が、アイツらを叩きのめしただろ?」

 椎名の科白にようやく僕は合点が行った。成程ね。

「みんな、アイツらに振り回されていたってことか」

 僕は僕が標的であったころのことしか知らないけれど、羽柴先輩や邑久の件も鑑みるに、もっと大なり小なり被害者がいてもおかしくはない。つまり、僕がアイツらを風紀と共に追い出したことで安寧を得た人間、その効果は僕が思うよりずっと在った、と言うことだろう。……で、「……」この大騒ぎね。そっと背後へ視線を巡らせると、クラスメートの上気した頬と熱に浮かされるような瞳にぶつかる。……僕は、嫌なものを思い出した。

“こーちゃんっ”

 都香。僕はひっそり溜め息を吐く。期待に満ちた眼。僕は、この眼が苦手だ。

 応えなくてはならない、そんな気がするから。

 程無くしてチャイムが鳴った。僕は席に着く。椎名も。邑久は元から座っていた。僕を横目で見て「お疲れぇ」と茶化すと前を向いた。

 チャイムと同時に佐東くんが教室に入って来た。いつも僕より早い彼にしてはめずらしいことだ。僕に気付いて会釈するので僕も手を軽く上げて応える。佐東くんは僕たちといることでめきめき成績順位を上げ、最近では僕や邑久や椎名なんかと話していても何も言われなくなった。チーム戦だけで成績が決まるものではないけど、個人成績は皆そこそこ出来て当たり前なので差異が生まれにくい。ゆえにチーム戦での成績が決め手になる。

 佐東くんは、個人の成績が悪くなかった。チーム戦に恵まれなかったから総合順位が落ちていただけ。チーム戦は作戦での功績が名前毎に数値化されるから、本当に佐東くんは僕が来るまで省かれていたんだろう。ちなみにこの数値化された功績とやらは、見ようと思えば誰でも見れる。

 佐東くんの思考は堅実で結構冷静で、初期に感じていた視野の広さは精度の高い人員配備も可能だった。僕に邑久に椎名も捨て置く事象を、佐東くんは然り気無く拾っていて、たまに使えないかと使い方の案といっしょに打診して来る。発想としては、悪くないし作戦との整合性もきちんと取って来る。地味めでおとなしい彼だが、デキる人物だ。どうして佐東くんが虐げられていたのか本意で不可思議だけれど、ここは邑久曰く“プライドの塊の掃き溜め”なのだ。自分が正しいと思い込んでいるところへ、捨て置いたはずのものを持って来た時点で聞く耳持たないんだろうな。柔軟性の無さもどうかと僕は考えるけどね。リサイクルって言葉を知らないんだろうね。

 チャイムから数分で櫻木教官が教室に入って来た。入るなり僕を捉え「鳴海、今日から復帰だな」にっと笑った。櫻木教官は教室外のお淑やかさとおっとり感が印象強くて、こう言う上官とした態度はギャップを感じていたけど、実際にこう言う軍人然としたほうが本性、と言うか。

“この莫迦者がぁーっ!”

 本分と言うか。本物の武官だったんだな、と。実は謹慎期間自体は昨日まで。挨拶は昨日の内に済ませた。そのときは櫻木教官はおっとり淑女の櫻木教官だった。

“今回は、緊急だったし、事が事だったから仕様が無いけど。鳴海くん、もうやっちゃ駄目よ”

 八の字眉毛で諭された。うん。同じ人です。僕をぶん殴った人です。

「……ご迷惑をお掛け致しました。今後は謹んで勉学に励む所存です」

 昨日と同じことを、起立して宣し頭を下げた。角度にして四十五度。櫻木教官は「よろしい。座りなさい」と着席を促した。僕も素直に応じ、これでこの件は完全に収まった。表向きは。


 鈴木先輩から呼び出しが在ったのは、その日の放課後だった。

「失礼します」

「やぁ、鳴海くん」

 初めて足を踏み入れた生徒会室。鈴木先輩は、入り口と対角線で面している窓際からこちらへ笑い掛けた。僕も「こんにちは」と微かに笑んで見せた。

「呼んだのは他でも無いんだけど……鳴海くんに生徒会役員への加入をお願いしたくてね」

「お願い……ですか」

「拒否権は在るからね。選出はするけれど、強制ではないんだ」

 端正な顔立ちに苦笑を浮かべて、鈴木先輩は僕を生徒会室に置かれている応接セットに招く。僕が従って二人掛けのソファに座ると、鈴木先輩自ら珈琲を淹れてくれた。

「権限とか、在るでしょうに」

「無理強いすることが、権利だとでも?」

「まさか」

 珈琲をいただきながら和やかとも言い難い会話をしていると、ノックの音がした。鈴木先輩は「はい」と応答し僕に断りを入れるとドアへ向かった。……誰何をするものだと思っていたけれど、そう言う訳でも無いようだ。ふぅん。僕は一人黙考しつつ珈琲を啜った。

「失礼致します」

 来訪者は女生徒だった。制服姿から士官候補コースの生徒だろう。鈴木先輩は扉を開け「いらっしゃい」と出迎えた。

「お待たせして申し訳在りません。遅くなりました書類です」

「いえいえ。今日いただけるのはお聞きしていたので大丈夫ですよ。……はい、間違い無く」

 どうやら、端から女生徒の来訪は決まっていたらしい。だから、誰何しなかったのか。応接セットは扉に対して横向きだ。僕は奥のソファに腰掛けているのでその情景が丸見えだった。勿論、相手からも僕が見える。女生徒は僕に気が付き目線を上げた。目が合う。先客がいたことに驚いたのか、女生徒が僅かに瞠目した。僕は会釈した……が。

「……」

 挨拶を言語どころか動作さえせず、しかも顔を歪めた。顰めた、なんてレベルじゃない。嫌悪と言うものを、ここぞとばかりに出し切った顔面だ。……僕が、何をしたと。しばし無言の睨み合いが続いたあと、「では、失礼致します」女生徒のほうが一礼して去って行った。何なんだ。僕が憮然としていると鈴木先輩が盛大に噴き出した。何なんだっ。

「……だから、言ったでしょう? “女の子を泣かせちゃ駄目だよ”って」

 鈴木先輩の発言に、一瞬脳内を検索したが彼の女生徒に覚えは無い。断じて、無い。このところ、あの頭の飛んでいる連中に絡まれていて他に接触が在ったなら覚えている。ましてや女生徒だ。巻き込んだら面倒が必須の存在を忘れるはずが無い……のだけど。

 僕が「初対面です」と答えれば、「そうかな?」と面白がっているのを隠しもせず鈴木先輩が笑う。僕が目を細めて不機嫌を丸出しにしても、鈴木先輩はどこ吹く風だ。

「彼女、風紀委員なんだ。本当に知らない?」

 コレは風紀の報告書だよ。窓を背に室内を見渡すよう設置された机へ、渡された書類、報告書か、を置く。僕は鈴木先輩から齎された情報にふっと、例の件が頭を過った。

「もしかして……」

「阿佐前さんときみの件で、現場にいたはずなんだけど」

 やはり、と言うか。そうか、都香を立ち上がらせるため支えようと手を伸ばした女生徒。

“彼女を待っていたって?”

 あのときの彼女が、さっきの女生徒だったと。成程。僕は言ちた。成程。僕と都香のやり取りを見ていた訳だ……────で?

 そのことで、何で、彼女に敵視されなきゃならないんだ? アレはどう考えても、僕と都香の間のことで彼女に憤慨されなきゃならないことは無いはずだ。だって関係無いんだから。

 それとも何か? 彼女は都香の友人か何かか? 僕は知らないし、彼女は制服だったってことは士官候補、限り無く接点は少ない。なら、僕みたいに中途編入したのか? 彼女の制服の袖のラインは一つ上の学年だった。今期僕以外に中途編入者がいたなど聞いたことも無い。

 僕があらゆる想定をしていると鈴木先輩から解答が寄越された。

「阿佐前さん、現在も自室待機中だって知ってる?」

「都香が?」

 初耳だった。僕は謹慎中、様子見に来た教官の外接見していない。椎名や邑久、佐東くんでも来ていれば別かもしれないけれど。莫迦正直に話せば、苦笑いで肩を竦められた。

「今度のことに加えて、彼女はきみに会うために士官候補生のテリトリーに何度も入っていたからね。無用な刺激を与え続けたゆえに、大事になった、と」

「テリトリーって……」

 僕はわらってしまう。確かに、士官候補生と普通科生は些少いがみ合っているのかもしれないが、所詮学生だ。寮は隔離よろしく建物自体別々、関わることは余り無い。交わるとすれば校舎だけだが。

「たかが校舎の行き来で、ですか」

 僕は失笑してしまい口元を覆った。呆れる。だけれど、鈴木先輩は片眉を上げて。

「そりゃ、きみにしたらそうかもね。けれど、誰もが大したこと無いと捉えるとは、限らないんだよ」

 鈴木先輩曰く、此度のことは今朝一新したはずの僕の予想より、遥かに波及効果が在ったらしい。阿佐前都香と言う普通科のトップが、結局何事も無かったとしても、士官候補の不良に容易く捕まった。これだけでも、生徒たち、特に普通科の生徒は充分動揺したのだ。

「彼女は、自身の影響力を把握していなかったようだね」

「……そこは、反論在りませんよ」

 都香は、己の人気くらいは理解していたかもしれない。けど、多分それが如何程なのかまでは、わかっていなかった。

「……ふっ、どれだけ依存してたんだか……」

 半ば吐き棄てるみたいに僕は嗤いを洩らした。完璧に独り言だったが、僕の前のソファに落ち着いた鈴木先輩は困った顔で笑った。僕の標準装備は無表情無気力だけど、鈴木先輩のスタンダードは笑顔だ。どんな形でも。

「自己の価値観を肯定してくれるものを、人はいつだって心の拠り所にすると言うのは、鳴海くんだって熟知していると思うけど?」

 熟知、と言う単語の選抜の仕方に、鈴木先輩の心情がよく現れていると思う。敢えて触れないで「ええ、まぁ」と相槌を打った。

「で?」

「うん?」

「彼女も都香の信……いや、ファンなんですか?」

 思いっ切り『信者』と言おうとしたけれども、さすがに言い過ぎかと言い直した。僕の訂正を「今、『信者』って言おうとしただろ」突っ込み、鈴木先輩が彼女の紹介をしてくれる。

「彼女は古城(こじょう)あゆせ。学年はきみの一つ上。僕と、斎藤と同い年」

 やっぱり、一学年先輩だったのか。袖のラインで察していたことだけれど、人から確定されると、ああ、と頷く。僕のリアクションに鈴木先輩は「その顔だと当たりは付けていたのかな?」問う。……まぁ、……。

「袖のラインがたまたま見えましたから」

「たまたま、ね」

 物言いたげな鈴木先輩を放置し、僕は先程聞いた女生徒、古城さんの名前を頭の中で復唱した。

「ところで、先輩?」

「え?」

「アレが風紀で先輩の古城さん、だとして。何で殆んど接していない人から僕は敵視されているんですか?」

 そう。彼女がどうして僕を嫌っているのか。ああも嫌われているのだ。何かしら、僕と彼女の間に在ったと見て良いと思うのだけど。

「……さっき、阿佐前さんが自室待機中と言うのは話したね」

「ええ。聞きました」

 そうだ。古城さんのことを聞こうとして、なぜか都香の話になったのだ。鈴木先輩の口振りから、どうやらはぐらかした訳では無さそう。

「うん。その阿佐前さんのね、監視と言うか、監督を彼女が任されているんだ」

 都香は、僕に近付いたせいであの連中に拉致された。この解釈は何ら誤りの無い事実だ。僕に再三会いに来なければ、都香がアイツらに目を付けられることも無かった。否定はしない。そのことで都香の不用心を責め追及しているなら、風紀の女子が監視に就くことも在るだろう。だけど、だから、何だって僕が嫌われるんだ? 僕のせいだから、って言うならちょっと反発を覚える。

「まぁ、何。……そこでいろいろね」

 鈴木先輩は濁すけど、要は今の都香に同情しているとか感情移入しているとかって話? ……ふぅん?

 何も知らない赤の他人がねぇ?

「───。鳴海くん、顔が怖いよ?」

「……。そんなことも無いですよ?」

 僕は飛びっ切りの笑みを見せた。若干、鈴木先輩は引いたようだが「……障らぬ神に祟り無し……」遠い目をしても、はっきり言わないのだから取り合う謂れは無い。

 鈴木先輩へ加入如何はまた次回お答えしますと返し、その場はお開きとなった。


「鳴海」

 教室移動中、後方で呼ばれた。大きくはないが響き、高くはないが低くは決してない声。

「……春川?」

 振り向いた先、僕は正解を出す。僕から少し離れた廊下の角に、都香の親友、春川が立っていた。僕を名字で呼び捨てにするのは、斎藤さんか普通科の人間しか浮かばない。士官候補生は同じクラスも他クラスも、くん付けか親しい人間は下の名前で呼ぶ。

「久し振り」

「うん、久し振り」

 春川の元へ向かったら挨拶された。言われてみれば、春川とは一学期以来会っていない。一回屋上で見掛けたけど、こうして面と向かうのは久しい。

「何か在った?」

 ここは交差している箇所だけど、どちらと言えば未だ士官候補コースの棟だ。死角になるほうへ春川を誘導しながら尋ねた。都香と違い春川は慎重で、無闇な行動をすることは無い。必要で無ければ。

 つまり、僕との接触を春川は必要と見做した訳だ。都香の謹慎が解けていない、このデリケートな時期に。

「阿佐前のこと、聞いてる?」

「ああ、うん……」

 春川の問いに僕は曖昧な首肯をした。聞いたのは先日で、昨日の今日とまでは行かないけど、入手したばかりと言って差し支えない。裏付けも無く、本当に知っているのも、ささやかなものだ。

 強いて挙げるなら都香の監視役をしている古城さんが、僕を毛嫌いしているって話か。僕の反応に春川は少々考え込む仕草をして。

「古城先輩……会った?」

 春川は普通科より士官候補生が合っている気がする。僕の普通科時代より、都香を含む他の戦績上位者に比べ、春川は頭脳派で洞察力、判断能力がずば抜けていた。現時も変わらず鈍っていないんだろう。ピンポイントで、古城さんのことを突く辺り。

「うん、まぁ」

「そっか……ごめんね」

 唐突な春川の謝罪に僕はきょとんとしてしまった。古城さんから睨め付けられたとしても、春川に何の責任も無い。なぜ僕は春川に、謝られなければならないのか。

「何で、春川が」

 謝るの、と訊こうとして「けど、私は阿佐前の同室だから」遮られた。ん? と僕は首を傾げた。

 都香と春川が同室なのは既知のことだ。だけれど、そのことと古城さんについて春川が謝罪することは関係無いような? 僕の疑問を気取ったのか、春川が因果関係を教えてくれた。

「古城先輩は、阿佐前のこと凄い気遣っていて。阿佐前、物凄く落ち込んでいたの。阿佐前、今回のことはかなり応えたみたいで……」

 要約すると、都香が酷く消沈して、古城さんは励ましているけど立ち直らず、膠着状態に在る現状で、元凶と思しき僕へ矛先が向いたと。うん、……で?

「春川が悪いところは何も無いようだけど?」

 僕が率直な感想を述べると春川は首を横に振った。

「古城先輩は、今、常に阿佐前といるの。阿佐前の部屋、要は私のでもある部屋で。私がいるときも。私が、いるときにフォローするべきだったの」

 春川の口述を耳にしつつ、僕は状況を整理した。詰まるところ、春川はただ見ていただけで、沈む都香を浮上させようともしないで、古城さんが都香のことを気に病んで僕に負の感情を向けるのも止めなかった、と。まぁ、こう言いたいんだよね、きっと。

「……春川、何か在った?」

 僕は春川の言い分を一通り聞き入り推考した。導き出されたのは、それだった。春川は「え、」と吃る。再来した質問に二の句が継げないようだ。

「だってさ。さっきから言ってると思うけど、古城さん云々は春川に関係無いじゃない? どうしてそこまで、春川が申し訳無さそうにするのか、訳がわからないよ」

 僕の素直な気持ちだ。本気でわからない。

「古城さんの悪感情なんてさ、どうもあの件から在ったらしいし、今更春川一人でどうこう出来たとかわからないし」

「でも、そもそも、私がもっと阿佐前をちゃんと止めて置けば、」

「あー、無理無理。都香だよ? 部屋まで同室なんでしょ? だったらわかっているでしょ」

 僕は片手を挙げて振った。都香がおとなしく、周囲の言葉に耳を傾ける性格をしていたら、特攻噛ますなんてしないだろう。

「……鳴海が言うことじゃない気がするけど」

 まぁ、春川の指摘はもっともだ。完全に“お前が言うな”だと思う。巻き添え食らわした本人が言うことではない。自認はしてるよ。口には出さないけどね。だが、僕と春川では“お前が言うな”の根本的な部分が違ったみたいだ。

「鳴海が、阿佐前を庇護して、甘やかしたんでしょ?」

 僕はちょっとだけ春川を瞠視した。次いで小さく噴く。無意識に笑って誤魔化そうとでもしたように。

「何で、」

 そう考えるのかと問おうとしたら春川は「みんな知っているわよ」と遮断した。瞬間「みんな?」訝しんだけど、ああ、都香が触れ回っているのかと判断しようとしたら「見ていればわかるよ」と寸断された。僕は一考するより先に「見ていれば?」訊き返していた。

「見ていれば、ね。────鳴海は予測していなかったのかもしれないけどね、私たちも莫迦じゃない。鳴海を見ていれば、阿佐前の盲信振りくらい悟れる」

「僕は、」

 普通科時代、戦績は良くなかった。盲信の要素など欠けらも無かったはずだ。僕が告げる前に春川はさらっと返答した。

「飛行技術ばかりはセンスね。けれど、問題は実技よ。格闘技なんか一番わかり易かった」

 真っ直ぐ、春川が僕を射貫いた。……やっぱ、春川、士官候補も向いているんじゃない?

「あと全体演習のとき、鳴海は指示出していたでしょ。然り気無く誘導する形で」

「指示なんか、」

「だから、巧いこと勝って、負けていた。ウチのクラスと当たるときは、絶対阿佐前が傷付かない形式で負けていた」

 諳んじるかの如く、春川がすらすら説くので僕は「……」唇を引き結んだ。

「阿佐前自体、気付いていたよ。鳴海が与える勝利に」

「……そう」

「ただ、鳴海が、」

「……、うん」

「……“勝たないでほしかった”ことには一ミリも感知してないでしょうけどね。阿佐前が負けるってことは、私や他の意見を聞いて動かないことだから」

 春川は、本当によく精察している。僕は、追い詰められる犯人みたいに、力無く笑った。

「……僕を、見ていた?」

「そうよ。私だけじゃない。みんな、鳴海を見ていた。あんなに完全無欠な中間を演じる、鳴海を、見ていたわ」

 僕は春川に感嘆をした。本当、よく観察して……違うか。

 先述春川は“私たち『も』”と表した。あそこで、都香を取り巻いていたヤツら。皆が、僕のやる気の無さを、ただやる気が無いと言うだけでなく羽柴先輩の如く手を弛めていると、見咎めていたのなら。

 考えてみれば当たり前だ。戦況を見極めるのは士官だけじゃない。現地で指揮するのは兵士自身だ。上官が愚かならば自衛するしかない。士官に必要なのは、成果を出せるプランを組み立てる先読みの精度。兵士に必要なのは、行動を見極める感度。

 戦地では敵を視る眼、味方を分ける眼は無ければ戦えない。戦場なら、死ぬ。

「そうか、そうだね」

「そうよ。莫迦にし過ぎだわ」

 春川の正論にわらうしか無かった。ああ、そうだね。その観点で、都香の取り巻きたちを思い返してみれば、彼らの真意にも気付こうものだ。

 自分たちが必死に都香に追い付こう追い抜こうと努力する傍らで、手を抜いて平然とする僕はゆるせなかっただろう。

「鳴海は、少し倉中に感謝すべきかもよ」

「倉中?」

 春川から聞くにはめずらしい名を繰り返す。春川は微笑んで、失礼だけど今まで見たこと無い程、やさしい顔で。

「倉中が、鳴海を庇っていたのよ。アイツ、戦績も単位も情報の外は駄目駄目だけど、世渡りは巧みだから」

 鳴海みたいな、得体が知れないタイプに奇襲掛ける阿呆も、いない訳じゃないんだから。指されて、僕は、僕が何の足しにもならないから捨て置かれたのではなく、周りに守られていたからなのだと初めて知った。

「阿佐前は考え無しにあんたの名前出してたけどね」

「そう、なんだ……」

「連絡」

「え、」

「て言うか、何でも良いから接してあげてよ。鳴海がいなくなってから心配してたの。だって言うのに、この騒ぎなんだから」

 春川は他意など無いだろうが、責められている気がして何だか端々が僕に刺さる。僕は視線を逃がしつつ返した。

「あー、うん……また反感買っちゃっていそうだから、会いには行きづらいけどねー……」

 まー会いづらいのには他にも在るんだけど。春川が「反感?」不思議そうな表情をした。いや、だってさ。

「戦績トップの都香を、戦績も残してない僕が助けたことで崩したからね」

 鈴木先輩が言っていた。“自己の価値観を肯定してくれるものを、人はいつだって心の拠り所にする”ってね。

 この場合の拠り所である都香を崩した僕は、仇敵だろう。

「……。中にはいるかもね」

「ですよねー……」

「でも、大半は鳴海が助けたこと自体は感謝するだろうけど」

「え、?」

「戦績上位者なら“鳴海が助けて当然だった”、その他でも“鳴海がやるしかなかった”」

 僕は呆然としながら、すんなり受け入れられている僕の言動に、まるで普通科の人間には最善だったかのような印象を受けて、春川からは同意を得た。

「だって、私の諌言も、他の忠告も聞かなかったもの。そうなったら、鳴海に頼るしかないから」

 だから、古城先輩のことは心苦しいのよ。春川はぼやいた。僕としては僕の蒔いた種なので気にしないように再度告げ、時間だったので春川が戻るのを見送ってから踵を返した。ら。

「お話、終わった? 香助」

 邑久が立っていた。先に行くよう言ったのに、待っていたようだ。椎名も佐東くんもいた。

「先に行ってくれて良かったのに」

「えー。早く終わるかもとか思ってさー。……アレ、阿佐前さんの親友の、春川さんよね」

 僕が合流するとそのまま揃って歩き出す。邑久が問うので僕は「うん」首を縦に振った。何しに来たのか訊かないところが邑久だ。しかし。

「でも、」

「ん?」

 何か引っ掛かったらしい。邑久が考え込むよう、頻りに首を捻っている。僕は「どうしたの?」尋ねた。

「んー……何かさー……。春川さん、太った?」

「え、」

「邑久……」

 身も蓋も無い邑久の発言に、詰まる僕と代わって静観していた椎名が突っ込んだ。呆れた、と言わんばかりの空気に居た堪れなくなったのか邑久は「ち、違うの!」弁明を始めた。

「何て言うか、あの子、しゅっとしてスレンダーで知的美人、て感じだったじゃない? ……なんだけど、今見たら……丸くなっていたって言うか……全体的に柔らかくなってたって言うか……」

 邑久にしては口籠もりつつ、どうにか己の靄々を言語化していた。椎名は「邑久、オブラートに“太った”って言い直しているだけだぞ」駄目押ししていたが、僕は邑久の所感を噛み砕いて先程の春川を思い起こしていた。

 僕は雰囲気の問題だと考えていた。僕への負い目とか、都香への心労だとか。僕も違和感は有ったけれど。言われてみれば、確かに僕の記憶の中で浚っても春川は、些か一学期時と比較して丸みを帯びていた気がする。本当に少々だけど。

 と、言うか。春川って、あんなに気にする質だっただろうか。もっとさっぱりしていたような。あれでは、情緒不安定みたいだ。そう言う人間だったのだろうか。僕が知らないだけで。親しくはないし。

「……」

 それに。

“倉中に感謝すべきかもよ”

“何でも良いから接してあげてよ”

 倉中のことを話すとき、とてもやさしい表情をしていた。二人が近しいなんて、僕は一切聞いていない。

「こう言う学校だし、ストレスかしら」

 邑久が腑に落ちないと零す。椎名も「缶詰だし、僕らに比べて自由度は少ないからな」と宥めすかすように付け足した。普通科は士官候補コースと違ってプライベートも微妙なものだ。有るかもしれない。

 僕も、このときは、邑久たちの結論に同調していた。僕たちはまだ一年だし、慣れないことも有るのだ。そこに自由も無い。精神的にも不安定かもしれない。心的負荷は、体調も崩す。体調を崩せば自然と体型だって変わる。

 まして、都香のことで、古城さんの件も含め多大に迷惑を掛けているのだ。僕の与り知らない期間で春川に変異が起きても何らおかしくはない。

 僕も、そう考えていた。




 ……もし。

 僕がもうちょっとここで思い止めて置けば。

 あのときの倉中に、何か、言えたのだろうか。




 あれから、僕は鈴木先輩に生徒会加入の旨を伝え、その二日後鈴木先輩は正式に生徒会長に就任して、今期生徒会の始動は更に一日あとだった。

 驚くことにと言うのか、あの二人らしいと言うのか、邑久と椎名は生徒会入りを蹴っていた。

 むしろ驚くべきは。

「鳴海くん、コレお願いします」

「うん、わかった。じゃあ、こっちお願い────佐東くん」

 何と、佐東くんが生徒会に入ったのだ。僕や邑久、椎名を抜いてもあと幾人か上位者はいたはずだけど、佐東くんが選ばれたらしい。ま、僕は佐東くんの能力は疑っていないし、以前本人にも話したように、佐東くんは副官にするならとても優秀なので。

「えっと。正……や、佐東くん」

 異論は、無い、んだけども。

「……。何でしょう。鈴木会長」

 この、殺伐とした空間だけはなぁ。何でこうも、この二人、ぎくしゃくしているんだろう。僕は佐東くんが生徒会へ加入して、前数度程佐東くんが生徒会に呼ばれたのは、僕のときみたいに誘われていたせいだと納得していたんだけど。

「……」

 違ったんだよなー、と思い知った。改めて僕の中でこの二人のぎごちなさに、一体何が在るんだと懐疑せざる得ない。だけれど、他の役員、特に持ち上がりの人たちは“ああ、またやってるな”と言外に滲ませるだけで、意にも介さなかった。円滑に仕事を回すだけだ。僕も倣ってそうしているけれど、僕の前が佐東くんの定位置なのだ。一年は僕と佐東くんの外にも人員は入ったが、僕と佐東くんは同級生なので自ずとセットになった。普通のことだ。どこにも不自然さは無い。……無いんだけど。

「……会長」

「あ、ありがとう正……佐東くん」

 毎日ではないにしろ、不自然極まりない二人のそばに置かれるのは、うんざりして来ているんだよね、って言う。

 こうして、二人に挟まれながらも執務に没入しようと、僕なりに最大限努力していたある日。僕は僕の担当していた仕事の関係で、一人生徒会室へ向かわねばならなかったのだが。

「ああ、いらっしゃい、鳴海くん」

 生徒会室にはいつもと狂い無く鈴木先輩がいて。

「───えっ?」

「やぁ、香助」

 いつもとは狂ってなぜか、羽柴先輩がいた。

「どうして羽柴先輩が……?」

 羽柴先輩と会うのは実に数箇月振りである。あの、どうしようも無く頭も悪く、傍迷惑の域を優に超える先輩方括弧笑いの、加害集団との要らぬファーストコンタクト時に会ったきりだ。

「ああ、鈴木に用が在ってね」

「お二人は、お知り合いなんですか?」

 僕が訝るのも無理は無いだろう。なぜなら二人は普通科と士官候補と科が違う。前述に違わず教室移動しか接点も無いのに何の、とここまで推測して即刻修正した。僕の把握している内で、接点は在る。

 それこそ、例の加害集団だ。それに。

“壮太は関係無い!”

 邑久が呼び捨てにした“壮太”。

 羽柴先輩の下の名前は『壮太』だ。

「あー、うん。俺の親戚と、鈴木が古い知り合いなんだ」

「親戚、ですか」

 羽柴先輩から返って来たのは、思わぬ回答だった。親戚? 僕は瞬時に自分の中のデータベースを洗った。羽柴先輩の家は道場だ。僕も都香も通っていた。師範の父親と、父親と年の離れた母親、兄二人。親戚……と言うと、道場に通っていた人に何人かいた気はするけれど、みんな近所で見ていた顔だ。鈴木先輩は、僕の近所にはいなかった、はず……。僕が推察出来たのはこの辺までだ。羽柴先輩の親戚関係までは知らない。てか、ただのご近所さんで網羅していたら怖い。僕が白旗を揚げるのとほぼ同じに、羽柴先輩から新しい情報が降って来た。

「もしかして、香助は知らないのか……。俺、兄貴二人いるでしょう」

「ええ」

「その上に、姉さんもいるのよ。異母姉なんだけど」

 羽柴先輩のお父さんは再婚だ。前の奥さんは亡くなられている。新情報と言うより、既存情報の更新と補足だった。


 お姉さんは前妻のお子さんで、羽柴先輩が生まれる前に家を出た。

 家を出て、お姉さんは、とある男性の元に身を寄せていたらしい。男性は、羽柴先輩の、お父さんの部下だった。お父さんより若いと言え、年はやはりかなり離れていたそうだ。たとえるなら、僕と久保田教官程度には。

 だけども、二人は恋仲だった。や、お姉さんが、押し掛け女房になって押し切ったのか。

「親父は激怒したよ。信頼していた人だっただけにね」

 そりゃそうでしょうとも。あの頑固そうな寡黙な人が、息子の羽柴先輩に知れる程信頼を置いていたなら、そうとうな度合いだっただろうに。

「で。そのお姉さん夫婦と鈴木先輩はお知り合いなんですね」

 僕が言うと、羽柴先輩は唇に立てた人差し指を当てた。“まぁ、待て”と言うことらしい。いちいち気障ったらしい人だ。

「夫婦じゃなかったんだ」

「え?」

「夫婦になる前にね。亡くなったんだよ、その人。派遣先で、人質になってね」

「は───」

 ハテナを付けることさえ出来なかった。あまりの事情に言語野が緊急停止する。待ってほしいのは、僕だった。

「やっぱ、香助でもなるよね」

 羽柴先輩は微笑んでいる。僕は思考停止して呆然と羽柴先輩を見ていた。いやいやいや。おかしいでしょ? 笑えるとこなんか無いでしょう? と思えど。

 羽柴先輩が生まれる前の話だ。感慨なんか薄いかもしれない。僕だって、父さんが死ぬまで戦死なんて、他人事としていたんじゃないか? けど、会ったこと無いと言え身内、と言うか関係者じゃないか。羽柴先輩の特質なのか、もしくは、羽柴先輩が生まれてから十七年として、長い年月が経てばこうなるものなのか。

「人質、って……」

 僕が搾り出して訊き返せば、羽柴先輩は「ん? 人質は、人質だよ」あっけらかんと。

「俺が生まれる前の話さ。父さんは姉さんたちをゆるさなかった。ゆえに、その人は許可を得ようと、何度も何度も我が家に来たらしいよ。出征する直前まで。姉さんは半ばあきらめて、強引に籍を入れようとしたみたいだけど」

 そうしたら、良かったんじゃないかな? 羽柴先輩は続けて、だって、姉さんはその御蔭でシングルマザーだよ? 苦笑を浮かべた。お姉さんは、子供を身籠っていたんだ。そして、一人で産んだ。

「頑固親父に付き合わなきゃ、少なくとも姉さんは、要らぬ苦労しなかった」

 苦笑いの中に混じる嘲り。僕は奥歯を噛んだ。如何な返事も足らない。そう感じた。

「姉さんは、今もひとりで、一人娘を育てているよ」

“一人娘”このフレーズに僕は。

“壮太も、良い顔しないよ”

“壮太は────”

 ピンと来て「あの、それって、」口に出し掛けたが、「───そこは」羽柴先輩が切った。

「ひめか本人に訊きな」

 羽柴先輩は肩を竦めて、用事とやらは済んでいたのか士官候補の鈴木先輩と僕に形式だけの一礼をして、去って行った。

 僕に、靄っとしたものを残して。


“本人に訊け”。ま、正論では在るんだけども。

「壮太もお喋りね」

 仕事が終わって息を抜きに屋上へ行くと、邑久が立っていた。邑久も息抜きだったそうな。邑久はモテる。アイツらが、幸か不幸か自動的に壁になっていただけだ。

「羽柴先輩は言及しなかったよ」

 僕が“羽柴先輩に会った”と告げただけで、邑久は悟ったようだ。

「勘の良い香助には教えてるも同然でしょ」

 私と鈴木先輩との会話とか、鈴木先輩と壮太の間柄とか。お母さんのこととか。邑久は柵に寄り掛かって笑って並べた。確かに、僕が感付くには充分だった。

「そう言うことよ」

「そっか」

「うん。血の繋がった、正真正銘の親戚って訳」

 二人は叔父と姪。年は一つしか違わないけれど。

「父さんは、補給部隊に所属していたの。隊長で、村に物資を届ける商隊を護衛中、現地のテロリストに襲撃されて。そこで死んだ人もいたのに、運悪く生き延びてね」

 その後、人質として有効活用された、のか。僕は、黙って聴いていた。生き延びたことが、“運悪く”などと表現されることの、壮絶さを僕は知らないから。

「交渉は、難航して、結局決裂した」

 邑久の科白に呼応するみたいに、風が吹いた。僕は邑久の横へ行くと、邑久とは反対向きで柵を背に凭れ掛かった。天を仰いだ。相変わらず薄くて偽物めいた青だった。日暮れが近いせいか、グラデーションでは在ったけれど。

「もともと、テロリストがいたのは情報で入っていたの。けど、決定打は無かった。村の警護を無期限にする訳じゃない。限定的だから、ウチの国の軍で何とかしてくれって……確固とした材料も無いまま引き受けるなんて……」

 前方を見据えていた邑久が、俯いた。髪に隠れて、浮かんでいるだろう感情は窺えない。

「……ああ、だから……」

 僕はいつかの邑久を思い出した。佐東くんがまだ最下位で、僕たちとそこまで親しくなかった時分。トーナメント式でチーム戦をしたとき。制圧戦、と題されたあのシミュレートで僕が出した案は、奇しくも、邑久のお父さんが亡くなった状況を彷彿とさせたんだ。

「───」

 邑久が顔を上げた。無表情だった。無感動の瞳が再び前を見た。次に、ゆっくり、僕を捕捉し。

「無意識って、怖いわね」

 ニッと口角を上げて、一言だった。上の眉は。

「……。そうだね」

 八の字に、なっていた。間の双眸は、複雑な色をしていた。

「あーあ、私もまだまだね」

「そりゃあね。僕たちは子供だもの」

 大人になれば、何でも出来ると信じている程子供でもないけど、今よりマシだろうと思うくらいには僕たちは子供だ。邑久が一度僕へ目線を走らせると身を翻して僕と同じほうを向いて。

「阿佐前さんにも、謝って置いて」

 苦そうに、微笑んだ。都香? 僕が邑久の意図に気付かないと、邑久が「ほら、あのとき」重ねた。

「“あのとき”?」

「廊下で、私、阿佐前さんに噛み付いたじゃない」

 ここまで言われれば僕も察しが付く。ああ、と頷いた。

“その言い草、まるで人が安全なところでのんびり指図だけしてるみたいじゃない。失礼しちゃうわね”

 あの、僕が制止出来ず鈴木先輩が場を収めたときの。何だ、そんなこと、と僕は思う。だって、あの当時はどうしようも無い某集団に付き纏われて僕も邑久も疲弊していた時期だ。そう言うときに、都香がしつこく食らい付いて来て、邑久からしたら鬱陶しいことこの上無かったに違いない。タイミングも悪かったし都香も悪かった。僕はこう考えているので、邑久にもそう伝える。が、邑久は承知しなかった。

「ううん。アレね、半分は八つ当たりなの。お父さん、士官だったから」

「───」

“こんな、駒みたいに人を使ってゲームみたいに戦争する、こんなことが、”

 タイミングの問題じゃないな。コレは。

「だとしたら、都香が悪いよ。僕に訴えていただけにしても、邑久のことを知らなかったにしても」

 知らず他人を傷付けることは、悪気の如何はともかく良いことではない。だので、謝らなくて良い、僕が言っても、邑久は合意せず「私が悪いのよ」と自嘲するように笑った。これ以上問答しても邑久は是とすることは無いだろう。僕のほうが「わかった、伝えとく」折れた。邑久は「ごめんね。私が直で言うべきなんだろうけど」暗に、都香が自分に会いたくないだろうと言う風なことを含意させて僕にも謝罪する。僕は首を横に振った。

「別に良いよ。ただ、確約は出来ないから」

 何せ、都香は未だに自室謹慎中の上、僕を嫌う古城さんの監視付きだ。僕が現段階で都香に会う確率は偶然を度外視しても低い。

「うん。会ったらで良いよ。忘れないでね」

 ぶっちゃけ、邑久のが会える気がするけれど黙秘する。僕は邑久に了承を示して、寮へ帰ろうと促した。気が付けば、日が山の向こうに沈み掛かっていた。もう夜だ。

 邑久はこれには素直に賛同して従った。僕たちは、一応誰もいないだろうと確認してから、屋上を出て扉に鍵を閉める。がちゃがちゃと鍵の掛かりを確かめて帰途に就いた。


 夜、あの夢を見た。拳を握る外套の青年、顔を覆う少女。寸分違わず、通常の二人だった。父さんが死んだとき、二人は父さんと母さんになった。けれども、その夜の夢が邑久の両親になることは無かった。僕が、邑久の両親を見たことが無いからだろう。面識は無く、写真すら目にしていないから、外貌がわからないんだ。

 クリプトムネジア現象だから。見聞きしたことを忘れ摩り替え錯覚する現象。僕が繰り返しじいちゃんに聞かされ、二人の写真を見せられていたから、何かの映画とかと混同して夢に見ているだけ。認識は在る。脳が記憶の整理をしている、ただの夢だ。

 なのに。

 どうして、僕はこんなにも憂慮しているのだろう。




 結果として僕は直近で都香に会うことは無かったが。

「倉中」

 校舎の裏手で、倉中に会うことには成功した。

「ぅお、香助! うわ、マジビビッたぁー」

 昼休み、僕は倉中に会いに行くことにした。春川に乞われたときはああ言ったものの、よく考えてみれば大勢の行き交う校舎にさえ踏み込まなければ良いだけの話だったからだ。僕はそこに到り、昔倉中が僕を昼に誘って、僕がたまに受けたとき連れ立って来ていた場所の幾つかを、当たってみることにした。

 二つ目くらいで倉中の友達と遭遇した。最初身構えた僕だったけど、あっちは一時停止しながらも合点が行ったみたいで「ああ、倉中だろ?」思い立ったらしく倉中の居場所を教えてくれたのだ。僕と見知った顔は無いはずだけど、倉中の友達だけ在って、一目でわかる士官候補生の僕に敵意も見せず接してくれた。良かった。僕に分が悪いのは明白なのだ。また謹慎だけは避けたい。つか、櫻木教官に一喝される。次は一発で済むだろうか。下手したら僕の責任問題になる。

 まぁ、最悪、昼に散策してたら絡まれましたって言い逃れする気は満々だけどもね!

 かくして、倉中は教えられた先にいた訳だけども……何て言うか、コイツ、変わった? 前に会ったのが夏休みに入る前、父さんの葬儀で帰省した日の朝だった。早朝で、コイツは寝ていた。ひょっとすると、起きていたのに僕に気を遣って、寝た振りしていた可能性も在るかもしれないが。

 で、僕の記憶に在る倉中と、現在目の前にいる倉中はどこか違う気がした。いや、倉中は倉中なんだ。……なんだけど。

「香助?」

 じっと黙視する僕に倉中が怪訝な声を出す。や、違和を感じているのは僕なんだけど。うーん。どう見ても倉中だ。アクションも見た目も紛うこと無く倉中だ。『何か』が引っ掛かってしっくり来ない僕は、だけど“何が”なのか形にならないゆえに倉中に何でも無いと答えるしか無かった。

「そっか? なら良いんだけどさぁ」

「ん、いや、ごめん」

「や、良ーけど。大丈夫か? 疲れてんじゃないのぉ? お勉強ばっかでさ」

 倉中が茶化すので「まあね」首を竦めて応じた。倉中の元まで行くと倉中が「ちょい待ち」持参していたと思しき新聞紙を、自らの隣に広げた。ここに座れ、と言うことらしい。校舎の裏手、中庭からは程良く離れたこの場所は、大きな岩とか校舎の土台部分かコンクリートの床とか在るけれど、外だから土足で汚れていた。倉名が座り新聞が敷かれたのは、丁度二人が腰掛けられそうな岩だった。倉中は実戦向きの作業着だけど僕は制服なので、倉中の配慮なのだろう。僕は腰を下ろしながらも、「気にしなくて良いのに」口にした。倉中は笑っていた。

「なーに言ってんだかっ。昔とは違うんだからさー“上官殿”?」

 冗談めかす倉中へ思わず笑みが零れたけど「莫ぁ迦」一蹴する。……うん、いつもの、僕が知る平常の倉中だ。

 さっきの感覚が痞えて釈然としない僕だったが、取り敢えず頭の片隅に追いやって倉中と向き合う。

「まぁ、何て言うか、元気そうじゃん?」

 僕が切り出す前に倉中が口火を切った。僕も「そこそこ、元気だよ」返した。倉中は「なら、良かったよ」笑顔だった。

「同じ学校でも、学科が違うだけで気軽に会えないからさ。香助何にも言わず行っちゃったしー……これでも心配していた訳ですよ」

 倉中らしく軽い口調だが、本音なのだろう。僕は「悪かったよ」正直に倉中に謝った。春川の“心配してた”との言に嘘は無いだろう。倉中はそう言うヤツだ。軽口を叩いては、人を食ったような心象を受け易い倉中だけども、誠実ではない、と言うことはない。

 僕より遥かに性根は良く、密かに面倒見も良い。しかも押し付けがましくもない。ゆえに僕とやって来れた、僕も付き合って来れたのだ。そう。強いて例えるなら繁都おじさんに似ているような……。

“すまない!”

「……」

「どうした?」

 倉中に覗き込まれて、はっと我に返った僕は頭を微かに振り「いや、」と言葉を切った。僕の態度をどう取ったのか、倉中は「別に怒ってないぞ? 本当、心配だっただけでさ」と弁解して来る。倉中は悪くないのに。僕は「違うよ」と否定したけれども、とは言え僕が囚われていた理由を語りたくは無い。苦肉の末、僕は話題を逸らすことにした。

「そう言えばさー」

「何よ?」

「春川と仲良いとか?」

 僕が春川の名前を出した途端、倉中が、噴いた。飲んでいたジュースを。それはもう勢い良く。僕を気遣う余裕は在ったようで反対方向へ。僕は呆気に取られたけど「大丈夫か?」ハンカチを差し出した。軍人の、仮にも士官候補生だ、パリッとした洗濯済みのものを、勿論。……うん。

「何か、在ったの?」

 春川と。皆まで言わなくても、倉中に僕の言いたいことは伝わったみたいだ。何とも、入り混じった顔をしている。や、言えよ。言いたいことが在るならさ。

「……。……あー……っ」

 僕が待っていると唸って頭を抱えた。両手で頭を押さえたまま、岩の上で踵を載せて立てた膝頭に顔を埋め、呻いている。ちょっと気持ち悪い。僕は片方の太股に肘を突き、頬杖をしながら傍観していた。やがて。

「……見てんじゃねーよー」

 非力な眼差しが向けられる。小さな反抗だな、と僕は感慨に耽る。安心しろ。古城さんの敵意や春川の腹の底を探るような眼光より全然マシ。都香や邑久とは比較にもならないからしない。

「それで?」

「あ?」

「春川と、」

「中等部がいっしょ」

 畳み掛けようとした僕を遮って倉中が先制した。……へぇ。僕は目を細める。倉中は空に視点を定めてこちらを見ない。

「中等部、いっしょなだけで、ここまでのた打つんですか」

「幼馴染みってだけで、もんどり打ってたのは誰ですかぁ」

 眉と口の端がひくっとなった。僕のだ。くっそ、痛いとこ突きやがって。

「……。怒るなよ。いろいろ在るんだよ……」

 弱っている声で訴える。自身の人でなしなところに自覚が在る僕も、親しい友人のこう言うところへ突っ込んでぐりぐり漁る趣味は無い。第一、都香を引き合いに出されたら追及出来ない。友人だけ在って、僕の弱点もよくご存知である。

「中等部がいっしょなら、お前らだって幼馴染みじゃないの」

 現代の小中学校は統合されて義務教育育成学校となっている。ならば、初等部だって同じのはず。僕と都香は生まれる前からと言っても過言じゃないけど、育成学校時代の付き合いだって充分、幼馴染みの範疇に入るだろう。ところが、倉中は否認した。

「いんや。ウチの地方でかくてさー。だから、初等部も支部に分かれてたんよ」

 僕はああ、成程と思った。育成学校は、地域に密着しているものだ。振り分けられている地域によっては、土地が広かったり児童が多かったりでそうなっている場所も在ると、聞いたことが在る。倉中と春川のところもそう言った地方だったのだろう。

「へぇ。ウチは完全統合だったからなぁ」

「香助んとこは、割と都会じゃなかったっけ? だからでしょ」

「……え? ウチのド田舎の話聞く?」

 ウチは育成学校の道すがら田圃や畑が在った。この高等学校程じゃないとしても、山の中だ。市名だけ言えば「ああ、あの港町」とか言われたものだがはっきり言おう。小洒落た都会気取りなんて一部だけで、ここ、高等学校から帰るにしても半日掛かる訳ですよ。今じゃあ打ち落とされないために輸送機以外の飛行機飛ばせないから飛行機での行ったり来たりも不可能だし。国内なのに。

「何か、ごめん」

「国都に近いと思って“へぇ、都会なんだー”とか言われんのも、凄い嫌」

「本当にすみませんでした」

 下らない世間話をしている途中で、予鈴が鳴った。ヤバっ。現在地は普通科の校舎の裏手だ。僕の士官候補の校舎からだいぶ離れていた。僕は急いで立ち上がる。次いで、倉中も緩慢に腰を上げた。心成しか、安堵の息を吐いているようにも見えた。

「戻るよ」

「おー」

 気の抜けた応答をしている倉中を残し僕は歩き出した。と、足を止め背後を振り返った。倉中が手を上げて。

「またな、香助」

 微笑んで振っていた。僕の、倉中に感じた痼りが大きくなった気がした。




 どうして、僕はこのとき、どうでも良い雑談で終わらせてしまったのだろう。倉中にとっては良かった結末なのかもしれない。でも。

 都香を出されても、引かなかったら。友人だからと躊躇わず、もっと踏み込んでいたなら。もっと適当な対応が出来ていたら。─────たらればが意味を成さないことくらい、父さんのときに嫌って程知ったのに。

 僕はいつだってこうだ。

 いつだって、妥協した言行しかしないんだ。

 だから。

「ああ、またな」

 確証は何も無いと、僕は胸中の蟠りを飲んで、倉中と、わかれてしまったんだ。



 

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