.ゴ / 決裂。
歯車が回り始めた、とか文学作品なら言うんだろう。
そんなもの、とっくの昔に回っていたと言うのに。
少なくともこの紛い物より作り物な空を眺めていたときには。
【 ゴ / 決裂。 】
あの集団を注意して、僕と邑久はなるべくあれから一人になるのを避けた。今にして思えば、邑久が常日頃椎名といながら二人の間に一切の甘いものが無かったのは、成績上位者で仲間意識が在っただけでなく二人が協力関係に在ったからに他ならず。それもまた生贄、邑久の彼氏役を探していたことから周知の事実だった訳だが。
「まったくさ。女の子の友達は離れて行くし良い迷惑よ」
「仕方ないよ。女の子に何か在ったら事だもの」
邑久が愚痴りたいのもわかる。邑久はあの集団に狙われたせいで女の友人が周辺にいなかったのだ。てっきり僕は女子には嫌われているのかと思った。椎名、モテそうだし。その椎名と四六時中いるのだから、やっかまれてもおかしくはないと。
実際は身の保障のため、女子と話が付いていた。教室でも極力女子といないのは、アイツらに目を付けられてお膳立てしろとか、無理強いされるのを防ぐため。頭の悪い輩しかいないようだし、何を仕出かすかわかったものじゃない。場合によっては脅すために……、なんてことも有り得る。
まぁ、成績とか体面を気にするところは士官候補生らしく在るようで、滅多なことはしないだろうが。コレしか無い、などと意味不明な思考回路はしていそうだから気を付けるに越したことは無いだろう。
「ああっ、ムカ付くううぅぅぅっ! 何で私や香助がこんなことしてんのよ! 何か悪いことしたっ?」
「……強いて挙げるなら目に止まったことかな」
「何それ! 知らないし!」
喚く邑久を横目に僕も知らないよ、と心の中で返した。僕はぶっちゃけ都香のためだけど。本意は無関係を貫きたかった。けど、あの無謀極まりない無策で突っ込む特攻気性が、碌な事態を招かないのを僕は身を以て知っている。多分、僕があそこで口を挟まなければ都香も羽柴先輩も最悪の結果になっていた。あの集団、紙のお勉強は出来るのかもしれない。腐っても士官候補なので。だがそれだけじゃ士官候補には到底なれない。悪知恵が働くのかもとも思うが、僕の予想は別に在る。
あの内、恐らく最低一人は政財界の一端に与する誰かの子供か、軍の幹部に親がいるのではないだろうか。僕が考えるに確率からして前者だろう。後者なら佐官以上でなければならない。学校の教官は佐官経験者が多いし言ってしまえばウチの父さんだって佐官だった。その程度のコネで……は、さすがに無いと思うんだよな。佐官は技官も大勢いるから意外に多いけれど、将官は武官しかなれないから案外に少なく、将官ともなると殆どが高齢だ。親の世代ともなると将官はいないと思う。……とても晩婚ならそうでもないのか……な? 羽柴先輩のお父さんのように。もっとも羽柴先輩のところはお兄さん二人いるしな。確かお父さん再婚だったんじゃなかったかな。
物思いに耽って僕が返事をしなくなったゆえか邑久も黙ってしまった。一頻り文句を喚き散らしていて気が済んだのも在るだろうか。頃合いを見計らったように昼食調達係の椎名と佐東くんが戻って来た。
「何ぶすくれているんだ、邑久」
「べっつにぃ。香助が私を放置するんだもん」
「……香助、面倒臭いのはわかるが、更に面倒になるんだからさ、ちょっとは相手してやってくれ」
「ちょっと! その言い草じゃ私がまるで構ってもらえなくて拗ねてる子供みたいじゃない!」
「何だ。自覚していないのか」
「むかーっ! ちょぉっとぉ! 香助ぇっ」
「佐東くん、買い物ありがとう」
加勢を請われてもね。椎名ごと二人をまるっとスルーして、僕の分を持ってくれている佐東くんへ礼を述べながら手を差し出す。苦笑しながら二人のやり取りを見ていた佐東くんは慣れてしまったのか「ううん、良いよ、はい」と袋を渡してくれる。佐東くんは最初こそ「無視して良いの」と言っていたけど、今じゃ敢えて触れなくなった。佐東くんは状況も読めて順応早くて本当に助かるよ。
「ごめんね」
「ううん。来なくて正解だったよ」
最後のほうは眉を顰めていた。何が在ったか僕は瞬時に悟る。「ああ、いたのか」僕が端的に問えば「うん」佐東くんも短く頷いた。
「ああ、そうだった。香助も邑久も行かなくて良かったぞ。まったく、蛇並だな」
椎名のこの調子だと、皆まで喋らないが何となく察する。椎名が絡まれたのだろう。椎名のことだ。クールで詰まらない堅物の振りしてさっくり躱して来たのだろうけれど。
「……マジウッザい。近頃静かだったと思ってたのに、何だってまた付き纏って来る訳」
邑久が苦虫を思いっ切り噛み潰した顔をする。ごめん、僕のせいだと思う、とは考え付いても言わない。このメンバーなら感付いているんだろうけど、絶対口にしないのは長所だよね。
「取り敢えず食べようか。アイツらの御蔭で無駄な時間食ったからな」
椎名の一言で各々座り昼食を取り始める。僕はサラダのパッケージを開けた。パンばかりじゃ栄養を摂れないからね、シーザーサラダを頼んでいた。ドレッシングを掛けていると邑久が弁当を食べつつ嘆息した。
「大丈夫か、邑久」
邑久としては、完全とは言えずとも最近は接触も無く平和だったため余計にストレスになるんだろう。邑久はゆるゆる首を振ってはいるが食欲は余り無さそうだ。一口二口運んでは間を空けている。
「……久方に行くか、斎藤さんのところ」
椎名が一つ呼吸を置いて提案した。緩慢だった邑久が即行反応し「嫌」拒絶した。漢字にして一文字、短いにも程が在るが、眉間を見るに山のような文句は全部皺に変換して言語からは追い出したに違いない。普段と比べ尋常じゃない数が刻まれている。
斎藤って、斎藤和刃って言う例の次期風紀委員長だよな。どうしてそこまで嫌がるんだろう。当初相談したのはその人なんだろうに。質の悪いヤツらと言え色恋沙汰で問題起こすなとでも言われたのだろうか。僕は首を傾げながらシーザーサラダを頬張る。今日パン要らなかったかも。シーザーサラダにはサイコロ状にカットされた、クルトンよりは焼いた食パンに近いパンが入っている。これだけでも充分食事として成り立ちそうだ。パンは残ったら、今日の夕飯にしよう。今夜も夕飯は持ち込みになるんだろうし。寮でアイツらには出くわしていないけど、僕も邑久も寮でさえ出歩くことはやめていた。
あの集団は、邑久の問題が表沙汰になること自体は望んでいないようだった。僕を邑久との橋渡しにするつもりや多少お気に召しているので可愛がってやろうくらいで気兼ねなんぞ無いだろうが、邑久の件は一度風紀から警告されたはずだから。
裏付けるように、学年入り混じって不特定多数の人目が多く付く寮では接触して来ようとしない。僕と邑久が自室から出ないようにしていると言っても男女混合の寮だ。押し掛けるなり待ち伏せするなり、逆にこっちのが狙い易そうだけど、一度として寮では接していない。この辺も相俟って学校では何が何でも接点を持とうとするんだろうけども。
不気味だ。あの集団は支離滅裂な頭してそうで全然読めない。いや、莫迦なことするんだろうとは思うが。予測を上回るのが莫迦なんで在って。頼むから対処し切れるところで止まってくれと祈る。油断は禁物だった。
「香助も、疲れてるみたいだな」
邑久と違い僕は休まず食べ続けていたけれど、どうも表情が暗かったようだ。僕は「まぁね」と苦く笑って置く。疲れていることは間違い無い。
「アイツら、ある日突然徴集されて兵役にならないかしら」邑久がぼやく。
「無理だね」気疲れで短文返しの僕。
「うん、それはちょっと」困り笑いの佐東くん。
「邑久、僕たちは士官候補だから、万一されたとしても前線には出ないよ」トドメの、椎名
「ああぁああー……」
邑久の無茶苦茶な発言を皆で順繰りに叩き落せば、邑久が頭を抱えた。僕たち子供は生徒学生である内に召集は基本無い。守られるべき将来国を担う次世代として免除だ。実現不可能だと言うに口から出てしまうのは邑久らしくないと言うか。余程堪えているのかもしれない。邑久は本来アクティブだ。だのに、籠もって抑え付けて、しかも己に非が無いと来れば滅入るものだろう。
奇声を発しのた打っていた邑久だったが、やがてもそもそ食事を再開した。僕たちのこの日の昼食は、こうして終わった。
事の始まりは、翌日廊下で起きた。大仰な言い回しだけど些かの的外れでないことは明言して置こう。
教室を移動するとき、まず足を止めたのは椎名だった。廊下の掲示板に貼り出されたお触れに目が留まったらしい。「椎名?」幾分先に行ってしまった僕も止まって呼ぶと「ああ、悪い」と答えるだけ一心に読んでいた訳ではないのだろう。
「どうしたの」
「もう、時期なんだと思って」
椎名の元まで足を戻せば椎名が指を差して自分が見ていた貼り紙を教えてくれる。貼り紙には『今期生徒会』の文字。内容は。
「“成績上位者から数名、二学年から選出する”……?」
「“尚、持ち上がり決定者は以下の通り”……思った通り鈴木先輩は残ったか」
「“鈴木先輩”って、噂の?」
「────へぇ。僕って噂の的なんだ?」
僕が椎名に尋ねたのと同時に聞き慣れぬ声が差し込まれた。僕と椎名は背後を見返る。僕は知らないが椎名は「鈴木副会長」と言った。男はにっこり微笑んでいた。この人が、鈴木千尋先輩、鈴木副会長、らしい。
柔らかそうな髪に少々垂れた眦が人懐っこそうな雰囲気を作っている。造作は整っていて肌も白く地毛か髪色も椎名より全然明るい茶色だ。全体的に色素が薄く白人の血でも入っていそうな優男。女子のよく言う王子様ってこう言う感じだろうか。……羽柴先輩と言い椎名と言いこの鈴木先輩と言い、ちょっと僕の周りの男共ってここのところ顔面偏差値の平均高くないか。倉中が恋しくなる。アイツも顔悪くないけど。
ああ、佐東くんはどうしていないのかな。教官に呼ばれ手伝いに連れて行かれた邑久の付き添いで先に行ってしまっているからだけど。いや、佐東くんも面立ちは悪くないよ。
僕の気後れを感じ取ったのか、にこっと笑顔で「きみが鳴海香助くん?」と問われる。僕は「あ、はい……え?」返答しながら怪訝な声を上げてしまった。だって、なぜ。
「何で僕が知っているか、って考えてる?」
揶揄するように笑う鈴木先輩。僕は改めて「ええ、なぜですか?」質問を投げた。疑問が先立って初対面の畏縮は消えた。鈴木先輩が噴き出す。僕が眉を上げると「ごめん」と謝るが何に対して謝罪しているのだろうか。僕が無表情でいると気を取り直すみたいに咳払いを一つして僕に向き直った。
「や、本当にごめんね。凄い子だなぁと思ったんだよ」
「はぁ」
「うわ、気の無い返事。いや、真面目にね。きみ凄いね。居心地悪そうにしてると思ったらすぐ態度変わるんだもん。驚いたよ」
急に堂々としてね。鈴木先輩は楽しそうだ。僕は何だそんなこと、と言った気分だった。
「別におかしくないでしょう。気になったら訊いて置かないと。相手もわざわざ話を振って来ているんですから。この場合は先輩ですね」
僕が浮き足立ったのはイレギュラーの登場のせいだ。予備知識は在っても初めて相対する人間。鈴木先輩の人柄も把握出来ていないし、そもそも顔の良いヤツは男も女も苦手なんだよね、僕。
鈴木先輩にも感じたことだけど物怖じしないで人と接するところとか、己の行動に迷いが生じないところとか自信が垣間見えるんだよね。都香もそうだけど。僕は探り探りしていると言うのにぽーんと懐に飛び込んでも傷付かないと思っているのだろうか。いいや、都香は当たってそうだけど先輩は違うな。傷付けられることになっても耐えられると思ってるんだ。過信じゃないのか。疑義も無いのだろう。
はっきり評せば遠慮が無い。躊躇もしない。空気でわかる。僕はこの空気が得意じゃない。
が、不得手であることを除けば然程障害でもない。僕は言いたいこと聞きたいことが在って適うなら進言することは出来る。今この場で僕は鈴木先輩に警戒してはいるけれども鈴木先輩は僕に耳を貸している。言わない謂われは無い。
鈴木先輩は笑みを深くして「良いねぇ、鳴海くん」と満足そうにしていた。
「どんな子だろって思ってたんだ。貼り紙貼りに来て位置確認も済んで、さぁ帰ろうとしたらきみたちが通り掛かってね。良かったよ話せて」
気付かなかったが、鈴木先輩は掲示板とは反対の壁に向いて道具を片付けていたらしい。僕たちは掲示板側の壁を注視していても反対側には無関心だった。ましてしゃがみ込んで作業している人に気を配りもしない。唐突に現れたと思ったが元からいたのか。
「そうなんですか。気が付きませんで」
「ううん。良いんだけど。成程ねぇ。うん。きみは度胸も在るし頭の回転も判断能力も在る訳だ。成績上位者としても生徒会役員にも向いているね」
「は、」
危うく聞き逃すところだった。今、何と? 僕が呆けた顔をすると椎名が「香助、阿呆面だぞ」と指摘され慌てて表情筋を引き締める。生徒会? 寝耳に水だ。鈴木先輩は喜色満面としてまさに立て板を流れる水の如く喋り出す。
「生徒会役員は成績上位者から数名選出する、って聞いたこと無い? 貼り紙にも在ると思うんだけど」
“成績上位者から数名、二学年から選出する”、貼り紙に在った文言だ。貼り紙の文字を指でなぞりながら説明を加えて行く。
「生徒会はこの軍事学校に置いては執行部も含めて『生徒会』と言う組織なんだ。士官候補コースの成績上位者から選ぶのは座業に慣れているから、だね。けれどね、真意は別なんだよ」
士官候補コースの中で選ばれる確固とした理由。実に単純なものだ。“士官候補、それも成績上位者は戦略にも長けた人材であり、後に人の上に立つ可能性が有る者で生徒会による学校運営はその手腕を試すのに最適ではないか”……要約するに、“将来人の上に立つんだろうから今の内に生徒会で慣れて置け”と。何とも余計なお世話だな。
椎名から成績上位者が選ばれることは予め聞いていた。でも自身が対象になるとは一ミリも考慮していなかった。だって、外にも成績優秀者はいる。僕は上位でトップだけども、優秀者ってこれだけで決まらないような。自分は無関係だとばかり考えていた。僕が正直に白状すれば鈴木先輩は大笑いしてくれた。
「トップなのに、自分無関係とか。無頓着だなぁ」
「ええ、よく考えてみれば候補には含まれますよね。迂闊でした」
僕はがんばることは嫌いじゃない。面倒だと投げてしまうのは煩わしいときのみだ。努力なんか主張する必要なんか無いでしょう。僕はこつこつ、邪魔されずやりたいんだ。
だがしかし。士官候補で上層部に食い込むなら成績は常に上位グループに入らなければならないし、そうしたら必然的に目立たざるを得ない。間抜けだったと言えば否定しようがないがコレはコレで好機か。
「先輩のお眼鏡には適いましたか?」
僕が艶然と映るよう心掛けて微笑めば、横に立つ椎名が僕を瞠視した。僕は椎名を捨て置きつつ先輩に注目していた。先輩も目を瞠ったけれど一回瞬きをして目を細めた。
「なかなかに、面白い子だと思ったよ」
「誉めてますか?」
「勿論」
ここでのことを目撃した人間は揃って談笑していると思うのだろう。実質攻防を繰り広げているのだけども。
「さて、無関係じゃない、鳴海くんも無関心じゃないとわかったところで、ちょっと聞きたいことが────」
「─────香助!」
鈴木先輩が何某か話題を振ろうとしたのと同時に、刷り込みに近い程聞き馴染んだ声が響いた。……何で。
移動中とは言え未だ士官候補コースの廊下に何でお前がいるんだ。
「都香……」
僕は一瞬呆然としながら声の発生源の名を口にして、我に返りつつも苦々しい気持ちになった。前述通りここは士官候補コースの校舎の廊下だ。交差するところは在れど、その辺り以外で遭遇することは無い。いがみ合っているゆえか軍事学校の生徒として境界と言うものに過敏なのか、お互いのテリトリーはまず踏み入ることはしない。ならば。
都香は何ゆえここにいるのかって話なんだが。
「普通科じゃないか。何でここにいるんだ」
僕が黙考する間に椎名が都香に質す。僕を睨む都香。都香を『阿佐前』と名字で無く名前で読んだ僕。瞭然のことだけれど椎名は触れなかった。都香は椎名のほうへは見向きもせず、僕だけを睨み据えている。僕は平然と都香を見据え返す。唇を噛み締めて凄い顔。どこかで……僕の記憶の片隅に引っ掛かって、既視感は弾けた。
“こーちゃん……”
あのとき。久保田教官に出くわしたとき。僕が都香を怒鳴ったときに都香がした。泣くまいとしていたあの顔だ。……何だ、都香、お前変わってないなぁ。思い至って僕は拍子抜けして、呆れた。都香を前に溜め息を吐く。まったく仕方の無い。対して、都香は僕のこの所作が気に入らなかったらしい。かちんと来たのが有り有り出ている。
「香助、説明してくれない? どう言うことなの」
都香にしては僕相手によく話したほうだ。僕はけれども「何が?」ととぼけた。都香の奥歯がギリィッと鳴った。摺り減るぞ、歯。
「無視しないでもらいたいな。これだから普通科は」
椎名が都香を挑発するようなことを言い出した。わざとだろう。椎名は平時こんな人間ではない。普通科だろうが整備士専科だろうが個々の能力は認める。椎名が都香を嘲ることを言ったのは偏に僕から逸らすためだ。椎名は僕を庇おうとしていた。面白いけど、椎名は僕をどうしてか特別扱いしている。僕の無気力で在りながら肝が据わっていて行動力は在るところを椎名は評価していると言っていたっけ。
あんなヒエラルキーに頭を垂れる中じゃ、僕はまだまだ対等になれるからだろう。椎名は僕より優れていると思うけどね。
「────あなたに興味は在りません。上官ならばまだしも、あなたはただの士官候補。幹部になれるだろうと言うだけの人。学校では先輩ですらない、同学年の男子生徒に過ぎません」
僕は目を僅かに見開いた。都香は相変わらず椎名へ目線すらやらないで反論した。都香があそこまで理路整然と他人へ冷静に返していたことが在っただろうか。僕の記憶には無い。僕が知る都香は……「都香」やっぱり。
「僕がどうこうしようと、構わないだろう」
離れて、正解だったんだ。
「僕に、普通科は不向きだったんだ。事実、揮わなかっただろう? 僕の戦績は」
真実だ。僕の模擬戦績は良くて中の上、悪くて中の下だ。総合的に中の中。「もっとやる気出せ」と久保田教官や他の教官が檄を飛ばしたが僕はアレが精一杯だった。セーブが掛かっていたと言えばそうだけど、それはどこまで行っても言い訳だし、僕からすれば心的な作用でどうしようも無かった。
僕は追い打ちを掛ける。
「ここに来て誉められはしても叱られたことは無いよ。コレって、僕はこちらに向いているってことじゃないか」
僕が滔々と説くと都香は「違うでしょ!」上がる声が悲鳴に似ていた。僕は「違わないよ」と淡々と打ち消す。尚も都香は重ねた。
「違う! 香助はいつだって本気を出さなかった! 強いくせに! 頭が良いだけじゃないっ、私より実力も在った! 通ってた道場でだって勝てたこと一回も無いじゃない! ……どうして?」
椎名には平静としていた都香が感情的になる。ほら、見ろ。
「……都香───」
僕が都香を諌めようとしたときだった。
「うるさい」
この場にいなかった第三者の闖入。発言と共に僕の首に誰かの腕が巻き付く。「まったく。遅いからって様子見に来ればコレは何? 私のいないところで痴話喧嘩とか、どー言うこと? 香助」耳に息が掛かる距離。間違い無く、邑久だ。……佐東くんはどうした。
「痴話喧嘩って別に……。ってか邑久のが僕にはうるさいよ。耳元で喋らないでよ、くすぐったいし」
「えぇ? 良いじゃなーいっ。いつものことでしょう?」
邑久が唇を尖らせ不満を洩らす。確かに、邑久はスキンシップが過剰なところが在って僕や椎名に絡んでは首に腕を回したり腰に抱き着いたりする。他にも、近ごろは佐東くんの反応を面白がっていて佐東くんに頻繁に向かって行く。あの集団のせいで溜まっているだろうストレスを発散しているみたいだ。
確かに、邑久の言うことは嘘じゃない。嘘じゃない、が。
「香助」
都香の声音が地を這った。邑久の言葉は嘘じゃなかったけど、TPOくらいは弁えられたんじゃないかな。げんなりした気持ちを隠さず僕は邑久の首に絡む腕を外した。なるべく乱暴にならないように。女の子だしね。邑久はまぁ編入生の僕に良くしてくれているし。
やんわりと、しかし強引に振り解けば邑久が「あんっ、つれないのー」と宣った。誰だよ。当然スルーした。
「香助……とにかく話がしたいんだけど。二人で」
こめかみと口の端をヒク付かせ都香がかろうじてと言った体で言う。コレに僕が何か答える前に「何言ってんの?」邑久が叩き伏した。
「“二人で”? ゆるす訳無いでしょ? 何我が儘言ってんの?」
「あなたが決めることじゃ在りません。私は香助に話をしているんです」
「だーかーら、何言ってんのって。香助はねー、私のチームメイトなの。今日だってシミュレート戦が在るのよ? 香助はたいせつな戦力なの。あなたみたいな人にメンタル害されちゃ堪らないのよ」
膠着状態に入る都香と邑久。鬼気迫る二人を前に僕は面倒臭いと天を仰ぐ。椎名は顎に手を当て二人を観察しつつ何事か考えていた。と。
割り割くように、チャイムが、鳴った。
「邑久、行くよ。都香も。早く教室戻れよ。減点や厳罰対象になるぞ」
僕は「すみません。また後程」と鈴木先輩に陳謝すると、然り気無く邑久の二の腕を引き都香の脇を擦り抜けた。僕たちの進行方向に都香がいたんだよ。横を、表情を無にして通る。都香は俯いて、いつかの羽柴先輩を助けたときのように。悔しそうに。
「絶対、話し合いするからね、香助」
無駄な執念を燃やされて僕は内心嘆いていた。負けず嫌いの都香が、早々にあきらめてくれるはずなど無い。
蛇足だが、椎名と同じく僕たちを静観していた鈴木先輩は、僕たちが消えてから都香に「行っちゃったよ。きみも戻りなさい」と一声掛けて後にしたそうだ。後日僕を訪ねて来た際に聞いた。「女の子を泣かせちゃ駄目だよ」とも。都香が無関係の先輩の前で泣くはずも無いけれど僕は「肝に銘じて置きます」とだけ返答した。
僕からすれば、去り際の邑久と鈴木先輩のアイコンタクトに言及したいところだ。ただ例の連中絡みで風紀以外に名が挙がっていたことから助力を求めた者と応えた者なんて可能性も在ったけど、どうにもそれだけには見えなかった。微かな、表情とでも言うか、が。
二人の関係に構っていられる環境に無い僕は、どう収拾を着けるか頭を悩ませている最中で在った……のだが。
「きみが鳴海香助か」
次から次へと飽きもせずみんな乱入して来るな、と思った。
「はい、……あなたは?」
面持ちからして近ごろ多い冷やかしや野次馬では無さそうだけど。僕はやたら体格の良い、もう青年と称して差し支えの無い相手に一つ可能性を見付けて。
「ああ、すまない。自己紹介も無く不躾だったな、俺は────」
「斎藤和刃、さんですか?」
名乗る声を遮った僕の一声に、一度解かれた眉の根が再度寄った。ふむ。結構表に出る人だなぁ。強面で、制服の上からもわかる肢体に怖い印象を持たれる人だけど根は嘘が付けなそうだ。僕は警戒を再び解くため「邑久たちから常々お話を聴いていましたから」……敢えて椎名や佐東くんじゃなく邑久の名前を強調したのは被害者たる邑久がそばに置く程無害だと証明するためと、単に、「邑久から……?」椎名たちよりこの人には邑久の名前を出すのが有効だと思ったからだ。事実、邑久の名を聞いて斎藤さんは……否定されなかったから勝手に斎藤さん認定したけど良いよね? 強張った目元が少し緩んだ。
「ええ。風紀委員の斎藤さん、ですよね」
念を押しの意味を込めて一応また訊けば「ああ、如何にも俺が斎藤和刃だ」……如何にも、とか。何だか時代劇掛かった感じだな。ああ、やっぱりと僕は頷いて見せる。確証は無かったけれどそうだと確信してました。言わないけれど。
「知っているのなら話が早い。鳴海、聞きたいことが在る。少々申し訳無いが来てもらおう」
「……はい」
申し訳無いとか言いつつ伺ってはいる風だけど、体裁を取り繕っているだけで否やは聞かない。そんな態度だ。イエスかノーでなくイエスかはい、みたいな。これじゃ付いて行くしかないよねぇ?
おとなしく斎藤さんに付いて歩く僕を廊下にいた皆が振り返る。注目の的だな。嫌だ嫌だ。僕は一人教室にいた。邑久と椎名は何かの用で呼び出されており佐東くんは別件で生徒会に呼び出されていた。佐東くんが生徒会? と不思議に思ったが詮索はしなかった。佐東くんは佐東くんの実情が在るんだろう。顔面が拒否を示していたし。
まぁ、鈴木先輩は軽薄そうに見えるけど決して控え目な生徒をいたぶるような人間には感じなかった。佐東くんも鈴木先輩に裏が在るようには見えなかった。他の役員は知らないが、大丈夫だろう。佐東くんが僕たちといることも、常態化して今じゃ誰もがどうのこうのと陰口を叩かないし。代わって僕と都香と邑久の噂話は洩れ聞こえて来るけれども階段を上り屋上のドアの前で止まった。
「ここで良いだろう。今日は風が強いからな。外よりこちらのほうが話をするには良い」
一回扉を開けて斎藤さんが言う。僕は同意した。風紀室でないのは僕の対面の慮ってくれたのか、遠いからか。……どっちもか。
「きみに来てもらったのは他でも無い。最近のきみの身辺についてだ……随分モテているじゃないか」
「成程。斎藤さんのところまで届いているってことは、そうとう噂になってますね」
一つ咳をした後の斎藤さんの科白は想定範囲だった。おくびにも出さないけど、謙遜もしない。こう言ったやり取りに置いて下手な否認や謙遜はプラスにはならない。
「ああ。風紀委員として忠告と事実確認しに来た」
「ざっくりあからさまに仰有いますね」
「事情聴取は可及的速やかに済ませたいのでな。何事も迅速なほうが良い」
「そうですね」
邑久の件は未だに片付いている気配は無いですけどね、と心中で毒付きながら。
「特に、邑久は……質の悪いヤツらに付き纏われているしな」
ああ、自覚は在ったようだ。何よりだね。斎藤さんは口惜しいみたい。苦味で男前が台無しには……ならなかった。何? 士官候補は容姿も審査基準なの? 倉中がここ最近僕の会った人たちを見たら「イケメン滅べばっきゃろー」とか言うに違いない。あ、アイツらがいたか。じゃあ一部除いて。
「斎藤さんには、どんな形態で届いていますか? それから教えてください」
「む? きみはアレが虚偽のことだと?」
「少なからず誇張はされているかな、と」
伝言ゲームは常に精確さに欠く。人伝ての噂は娯楽の一部だ。どうしたって面白おかしく会話を盛り上げるためにも語り手の主観や希望は入り交じってしまう。風紀委員が、精度の低い尾鰭背鰭に惑わされることは無いだろうと信じたいけど、邑久はともかく僕とは初対面であるからには、あらゆる要素を判断材料にしているはずだ。やがて「……ふむ。きみの言う通りだな。まず詳しい情報開示からすべきか」斎藤さんは納得したらしい。良かった。この辺りまでで斎藤さんの人柄と僕に対して悪意は無さそうだってことは理解出来た。
「俺が聞き及んでいるのは“鳴海香助と言う中途編入者を普通科のエース阿佐前都香と士官候補コースの成績上位常連者邑久ひめかが取り合っている”と言う辺りからだ」
「それで?」
「“鳴海香助は普通科時代ぱっとしない生徒だったが、士官候補コースに編入した初っ端からは成績上位に躍り出るなど頭角を現し、普通科のぱっとしない時代に鳴海を支えてくれたはずの阿佐前都香を棄て邑久ひめかに乗り換えた”」
「……前半は合ってますが後半は違いますね、大いに」
後半、都香に支えられた普通科時代で頭痛がした。え? 僕都香に支えられたこと無いけど? 第一その話だと僕と都香が付き合っていたみたいじゃない。恋愛の方面で。邑久とだって良い友人だ。性的接触は無い。一切無い。僕は釈明した。斎藤さんは「そうか……」と難しい顔をした。
「事実無根なのだな?」
「在る訳無いです。僕と都香は幼馴染みなだけです。それも高校からはクラスも違いますし、接点も大して無くなりました。……僕の父が亡くなったので、この関係で話したことも在りましたが……これだけです」
僕が供述すると、斎藤さんは変なところで引っ掛かった。
「お父上は、亡くなられたのか」
「はい」
「失礼だが……ご病気か?」
「戦死です。戦場で、技官で。医師でしたから現地派遣だったんです」
戦場での死だから戦死だが戦った訳では無い。むしろ無抵抗だった。医者だもの。武装して人を殺めようとする連中より現代では危険なんだ。武装した人は遠隔操作だから。医師は生身だ。補給部隊も。
「そうか……それはつらいことを訊いたな」
「……。いいえ」
妙に神妙で真摯な態度だ。僕、別にお涙ちょうだいしたい訳じゃないんだけどね? 僕は笑顔が薄ら笑いにならないよう気を引き締める。危ない危ない。
嘆くな。同情するな。憐れむな。僕の父さんの死を他人の娯楽にされては迷惑だ。他人事ゆえに、みんなそうしていられるんだ。脳裏に母さんが浮かぶ。葬儀での凛とした姿。夜、泣いていた姿。
腫れ物みたいに扱われるのも気に入らない。まるで犯罪者みたいだ。「すまない」って、何だよ。父さんは、人を助けていただけだろう? 誰に憐れまれるものでも無い。なのに。
僕たちを、かわいそう、なんて、一方的に決め付けるな。
「……」
「何か?」
「……いや」
地が出ていたか? ヤバいヤバい。何か言いたそうな斎藤さんは、何も言わなかった。ただ「風紀で噂のほうは対処して置く。きみも、しばし監視対象に置かせてもらう」とだけ。
風紀で噂の処置をするの? 情報操作でもするのかな。もしくは箝口令を敷くとか? 口封じして行ったら逆効果だと思うんだけど。
監視対象に置く、か。ま、保護の名目も在るんだろうから良いけれど。邑久に纏わり付く連中を鑑みればね。……さて。僕が不要な苦労を背負い込んでいる時分。
空気を読まないのが、都香だった。
「香助!」
「……また、あなたなの」
邑久が柳眉を顰めた。僕が何か口にする前に先制して、僕の前にも一歩出て都香から庇うように、都香を牽制するように。都香は都香で立ち塞がる邑久に剣呑な眼差しを向ける。僕は嘆息だ。ああ、もう……。ここでまた言い合いが始まるだろうと思うと頭痛の種以外の何物でもない。僕は目元を押さえる。この前風紀の斎藤さんが来たんだ。つまりこの場も監視されているかもしれない。都香は愚かじゃない。独断行動、単独特攻の常習犯では在るが。少なくとも士官候補コースの僕のクラスへ突っ込むことだけはしていない。士官候補コースに普通科が殴り込みとか大問題だものね。
今のところ僕が移動教室のときだけ狙って襲撃して来ている。そして邑久に阻まれているんだけれどね。
あきらめが悪いのは都香の良いところでも在り悪いところでも在る。粘り強さと言えば聞こえは良いが、要は意固地なのだ。頑なで、譲る気は無い。取捨選択が出来ないってことも無いのに、拘ってしまうと手放さない。我を通そうとする。こう言うところが、独断専行に繋がり勝機を逃し易くなるのに。
「私は、香助と話をしたいだけです」
ふん、と邑久が鼻を鳴らす。都香は怯みもしない。真っ向から邑久に挑んでいる。真剣勝負、一騎打ちを好む都香の流儀は、普通科のヤツらには陶酔されるのだろうけれど、僕からしたら、加えて邑久にとっても幼い。ただの捨て身と表裏一体だからだ。策の無いノーガードなんて戦争では犬死するだけ。
無謀の潔さなんて、犠牲を生むだけなんだよ、都香。
「……話なんか、無いよ」
僕は、冷めた目で都香を捉えた。ピントの合った都香はびくりと震えた。冷たい目なんて、僕は都香に向けたことは無い。怒鳴ったのは、十年前のあのときだけ。冷たくするのは。
「この前、話しただろう。僕は、普通科が合わなかったって。都香は“僕が強い”って言うけどさ。そもそも、お前の言う『強さ』って何だよ」
これ切りにさせてよ。『強さ』の定義は要所要所で異なる。ときには腕っ節だったり、ときには頭の回転だったり。都香が口にする『強さ』は判然としないものだ。幼児期の刷り込み、言わば子が親を無心に信じることに似た。
「そ、れは、……」
「強い強い、言われてもね。僕程度の人間はこの学校ならごろごろしているよ? たとえば、この間いた人、都香に声掛けたらしいね。あの人は鈴木先輩。副会長をしている。生徒会に属しつつ成績順位もキープしてるって言うなら僕より頭は良いんじゃない?」
いや、成績は知らないけど。次の在留が決まっているってことはそうなんだろう。あと風紀の斎藤さんか。あの人は士官候補コースに在籍していて風紀でも在るから武芸も凄いんだろう。
「僕程度の人間なんて、そこら辺にいるものなんだよ、都香。都香だってわかっているだろう? お前が戦績良いから周囲に集まってるじゃん。戦績上位者が」
「……」
「僕がアイツらから疎まれていたこと、知らない訳じゃないだろう?」
「そんなの、香助が本気出さないからっ……」
「いつも全力じゃなきゃいけないのかよ、僕は」
「えっ、」
僕の抗弁に都香が動揺した。予想外だった、とでも言うように。
「これだから出来るヤツは。いつも全力じゃなきゃいけないの? 僕は。冗談じゃないんだけど。僕は僕のペースでいちゃいけない訳?」
はっ、と僕の口から吐息と共に嘲笑が洩れる。都香はわかっていない。ああ、でも。
「都香のペースに合わせるのも、都香の周りに合わせるのも、うんざりなんだよ。僕は」
僕のせいかもしれない。都香が愕然としていた。僕は胸が痛む。僕がしたんだろうに。僕は鈍痛を振り払うように、振り切るように吐き捨てた。
「お前がお前のしたいようにするのと同じで、僕は自分のしたいことをするんだ。もうお前に合わせない」
普通ここまで言われたら「誰も頼んでない」とか激昂するだろう。僕だって思い上がったことを言っている自覚は在った。
「もう僕に構うなよ。僕は選んだんだから」
都香と違う道を───「……っき」────? 都香が何か零す。小さ過ぎて僕は聞き落とす。何? 僕が聞き返せば。
「嘘付き」
───。ああー、そっか。確かに。約束を違えた僕は都香からすれば嘘付きだ。罵られても仕方ないね。ふと、都香に罵られたのも初めてだな、と思った。僕は都香との約束は必ず守って来たんだ。守れない約束は無理だと端から断ってしなかった。約束を破った僕は紛うこと無く嘘付きだ。
「そうだね。僕は、嘘付きだ」
そう。嘘付きの僕は、自認している。なので。
「───」
傷付いた、なんて「……けどさ、」有り得ない。
「いつまでも幼いときの約束を守っていられる訳ないじゃない。あのときとは僕も都香もまったく違うでしょ?」
嘘付きになってしまっても、仕様が無いじゃない。叶えてやりたかったかと問われれば、僕は肯定したよ。あの飛行機が、あの戦闘機が父さんを殺さなければ。僕に人殺しの実感を感付かせなければ……いや。
最初から間違っていたんだ。戦争に関わる約束自体すべきじゃなかった。前例も僕たちは知っているくせに。……ねぇ、じいちゃん。
「いい加減成長しないと、さ」
「そんなことっ……言ってるんじゃないわ!」
都香が声を荒げる。僕は「五歳のときの約束じゃないの?」訊く。五歳のとき交わした約束じゃないのなら何の話だ。
「だって、香助のやりたいことじゃないでしょ? 香助、嘘付いてるよ。こんな、駒みたいに人を使ってゲームみたいに戦争する、こんなことが、香助のしたいことだったの? 違うでしょ?」
「……」
都香は、何を言っているんだ。言い募る都香を余所に、僕は思考を停止した。内容を噛み砕くのに必死で、処理が追い付いていないんだ。
僕のしたいこと? いったい何の話、僕が詰まって黙っていると僕たちの話の切れ目を待っていたのか邑久が非難を差し込んだ。
「……その言い草、まるで人が安全なところでのんびり指図だけしてるみたいじゃない。失礼しちゃうわね」
邑久の声質が俄かに硬化していた。僕は邑久へ視点を移す。邑久は。
「だいたい、あなた何なの? 自分が一番正しいような振る舞いしてさぁ」
怒っていた。愉快犯で己が感性に忠実な邑久は、だけども、いつだって冷静だった。苛立つことは在れど状況を観察し行動を見極める人間だった。だのに。
「第一さぁ。あんたに香助の何がわかってんのよ。編入したことさえあの日詰るまで知らなかったんでしょうが。わかった口の利き方するんじゃないわよ」
邑久は感情的になって、都香を責めた。邑久らしからぬ言動だ。おかしいと感じたのは椎名も同様で「邑久」と制止に入る。が、邑久はやめない。
「だってムカ付くじゃない。何なのこの子。何も知らないのよ。呑気にレクリエーションみたいな授業で一位だからって調子に乗っちゃってさ。あんたの単独でどれだけの人間が迷惑していると思ってるの? て言うか、あんたが気に入らないのは香助が自分から離れたことでしょ? 子供が駄々捏ねてるのと同じじゃない」
饒舌に都香を口撃する邑久。都香は「違うっ」と否定を叫んだ。邑久は冷淡に「違わないわ」と都香を突っ撥ねた。
「自分の視界に、香助がいることだけに満足してたのよ。香助を疎外する人間たちを放置していたのだって、それでも離れず自分に従う香助に悦に浸っていただけでしょう。はっ、“香助は強い”ですって? その香助を抱き込んで飼い殺していたくせに、よく言うわ」
辛辣な悪口雑言に都香は閉口して戦慄いている。上手く返せないらしい。都香は元来口より手が先に出る性分だ。取っ組み合いに発展していないだけマシなのか。沈着と分析しているように見えるだろうが実際は都香に僕のしたいことじゃないと言われた辺りから全然平常心を失っているんだ。鈍くなっているだけ。ただ、“都香を庇わないと”とか“助けないと”と言った考えだけは浮かんでいた。湧き上がるのに、動けなかった。
「その辺にしないか、ひめか」
邑久の口を閉ざさせたのは鈴木先輩だった。この人、どの辺からいたんだろう。突如滑り込んで来た鈴木先輩の柔らかな雰囲気は張り詰めた場を緩ませた。僕も、絞められたように感じた喉が酸素を取り込み始めた気がして些少噎せた。
「余り、虐めるのは感心しないよ」
「虐めてなんて、いないわ」
「壮太も、良い顔しないよ」
「……っ、壮太は関係無い!」
『壮太』……? 僕は昂って鈴木先輩に噛み付く邑久を見詰めた。二人はやはり親密みたいだ。『ひめか』。鈴木先輩が邑久の下の名前を呼ぶ程には。僕は都香に視線を走らせる。都香は青褪めていた。邑久に言われたことが効いているのだろう。僕は腕に爪を立てた。握り締めた拳の中も、爪が傷付けるかもしれない、と考えていたけれど止められなかった。
ここで僕が都香に手を差し伸べるのはアウトだ。ここで都香を見棄てられなければ都香は僕に依存するかもしれない。ひとりで、立てるのに。立てる強さが在るのに、僕が抱え込んでしまう。
邑久は都香が僕を抱え込んでいたと言ったが間違いだ。僕が都香を抱え込んでいたんだ。従者気質を盾にして甘える都香を存分に、いや、それ以上に甘やかしていた。椎名や邑久に毅然としていた都香が僕には駄々を捏ねる幼子のように喚く。他と僕でああも変わるのは僕が悪い。醒めた素振りで僕は、都香の甘えを全面的に許容していたんだ。当たり前の如く。
邑久の言葉に図星を突かれたのは都香より僕かもしれなかった。
「取り敢えず。各自授業が在るだろう。予鈴も鳴るし、戻りなさい。ひめか、きみもだ。勉強でもして頭を冷やしなさい」
きみも、と鈴木先輩が都香にも振ろうとしたとき「……実技なので、戻ります」都香は鈴木先輩にさっ、と頭を下げ走り去って行った。鈴木先輩は溜め息を吐いて苦笑いをした。
「あの子、真っ直ぐ過ぎるね。ひめかも、虐めちゃ可哀相だよ」
「何それ。私が悪い訳?」
「そうじゃないけど、さ。僕は喧嘩両成敗だとは思うけど、ひめかの過剰防衛も否めないと思っているよ」
「……何それ」
鈴木先輩に邑久は繰り返すだけで別れの挨拶も無しに僕の手を取ると「行こう」無言を貫いていた二人にも声を掛けながら歩き出す。
「正美」
鈴木先輩が誰かを呼んだ。“まさみ”って誰。僕が思うより早く佐東くんが「はい」返事した。佐東くんて“まさみ”だったのか。ああ。貼りだされたチーム戦の成績表で『佐東正美』ってなっていた気がする。気にしていなかったから忘れていた。佐東くんとしか呼ばなかったし。
「あとでちょっと……」
「畏まりました」
邑久と鈴木先輩の関係はぼんやりと察していたけれど、佐東くんと鈴木先輩は意外だった。派手め、成績上位者、生徒会役員の鈴木先輩と地味め、成績が普通、一般生徒の佐東くんに一見関連性は見当たらない。呼んだあと言いにくそうな鈴木先輩と硬質な声調で返した佐東くんは親しげとも言い難い。二人は、どんな間柄なのだろうか。皆目見当も付かなかった。
油断していた。禁物、と言い聞かせていたのに。
「よぉ、鳴海」
名前を呼ばれるのも、名字だって言うのに、吐き気って凄いレベルですよ、先輩方。僕は目を細めた。勿論笑みでのものじゃない。この人たちに悟られるはずも無いだろうけれど。
「どうも」
邑久がいないのが救いか。僕だけならどうにでも切り抜けられる。都香のことで多々心労の重なる日々を送ろうとも、そのせいで気が緩んでこうなっているんだとしても、この人たちを煙に巻くくらい出来るさ。
「なあ、お前さー、邑久ちゃんと付き合ってるのか?」
「はあ、有り得ませんねぇ」
間延びした口調を合わせつつ即答。無い無い。僕と邑久って無い。例の噂が先輩方の耳にも届いているのか。厄介な。僕は内々に面倒臭いと毒を吐く。僕は笑顔のフル装備なので先輩方は気付かない。
「だよなー。妙な噂が在ってよぉ」
ああ、察しは付いているよ、と内面では返しながら「ああ、そのようですね」表面では困ってるんですよと苦笑してアピール。ああ、本っ当に、面倒臭っ。
「どうなんだよ、実際」
「どうも何も。阿佐前さんは昔から知り合いで、今ちょっと仲違いしてまして……僕は話し合いは済んでいると思っているんですけど、阿佐前さんは納得していないようで。邑久は、そんな僕を庇ってくれているだけなんです」
これ以上探られても鬱陶しいので適当に掻い摘んで説いてやる。先輩方はしたり顔で「成程な」頷いた。何をわかったつもりなのか知りたくも無いがさっさと確認出来たら帰れよ。若干口が悪いのは疲れているからだ。新生活、ただでさえ慣れないのに周囲から上位者と言うだけで“よいしょ”を受け、この人たちと都香に掻き回されて。
一人、寮の部屋で勉強しているときが休まるとか、僕は完璧に駄目になっている気がした。僕の苦労を微塵も感付いていない先輩方は絡む。まだ絡む。
「邑久ちゃんはやさしいからなぁ」
「そうですねぇ。友達思いですから」
これは本意だ。クラスに来たばかりの僕を、邑久は実によく面倒を見てくれる。トリッキーて言うのか愉快犯では在るけれど情に厚いヤツだとも思う。
「……なぁ、」
「何でしょう」
「俺たちが何とかしてやろうか」
「は?」
唐突な発言に僕は素っ頓狂な声を上げた。さすがに笑顔も崩れた。何言ってんの、と邑久や椎名、倉中になら言っていた程に。まぁ、この人たちなので声にはしませんけど。そもそも、何を? 僕が本心からわからないでいると「だからよー」先輩方の一人が焦れて説明し出した。
「阿佐前って女、俺たちで排除してやろうかってんだよ」
僕はわらってしまった。哄笑を上げたいくらいだ。
「……」
誰が、誰を、だって? 痙攣する喉を抑え込むのに成功したとき、ここまで自分の表に出ない性質が有り難かったことは無い。笑い出した僕はそのまま固めて笑顔に変えた。……本気か? さて、出方を考えねば、ね。
「いえ、先輩のお手を煩わせるのはとても申し訳無いので……」
「遠慮すんなって。そうすりゃ邑久ちゃんだって要らぬことしなくて良いしよー」
遠慮なんかしてないんだが。きっぱり言わなきゃわかんないのかなぁ。迷惑だって。言えるはずも無いけど。
「いえ、大丈夫ですよ。僕の問題ですから……対策は練っているので邑久ももう心配掛けず済むと思います」
半分嘘。対策は未だ浮かばない。でも、こうでも言わなければ引き下がらないだろう。「……。そうかぁ?」尚も食い下がろうとするので「はい」駄目押しした。渋々引いた先輩方だが気は抜けないな。
教官に呼ばれ職員室に向かう途中に搗ち合った僕は素直にその旨を伝えるとあっさり解放された。このまま全部解放してくれないかな。これで片付くならしているけどね。
「しっかし……」
やっと逃れた僕はそっとあの集団の後ろを横目で窺う。がやがやと横に広がって歩く姿に唾棄したい気分を抱いた。一つ、違和感もいっしょに抱えて。
あきらめて何事も無く過ぎれば良い、と思うのは如何せん非現実な話だったしく。鈴木さんの元に行っていた佐東くんが邑久、椎名と喋る僕を鬼気迫る形相で呼んだのは翌日の昼だ。
「な、鳴海くん!」
僕が士官候補になって、いや周辺も驚いた顔がいることからもしかして入学してからか、初めて彼は大声を出したのかもしれなかった。教室の出入り口で僕を叫ぶが如く呼ぶ佐東くんへ僕は座っていた椅子を半ば蹴倒すように立ち上がり駆け寄った。
「どうしたの?」
動作こそ荒々しくなったが精神は静かだった。声のボリュームを抑えつつ僕は佐東くんに問い掛けた。隣で椎名が水を差し出している。受け取る前に佐東くんは訴えて来た。
「阿佐前さんのっ、ことなんだけどっ……」
どこから走って来たのか息も絶え絶えに佐東くんが、からからだろう喉から押し出したのは都香の名字。────あ、の、莫迦! 何やらかしたんだ! 僕は心で罵声を挙げたけれど声は飲み込んで「アイツがどうしたの?」佐東くんを促した。佐東くんは渇くままでは続かないと思ったのか椎名からの水分補給を短く行うと「アイツらに連れて行かれた!」と潤った途端。
“アイツら”。僕には一つの集団しか浮かばない。都香を目の敵気味にしていた邑久さえ顔色を変えた。
「……連れて行かれたって?」
感情的になり掛ける頭を瞬間冷却させる。事実確認をしてからでも遅くはない、はずだ。逆に何の情報も無く飛び出すのは得策じゃない。
「ここへ戻る途中の階段で阿佐前さんと、あの人たちが喋っているのを見掛けたんだ。遠くて会話の内容は聞こえなかったけど、阿佐前さんは警戒している様子で……とても友好的な雰囲気じゃなかった」
「それで?」
「自信は無かったけど、それどころじゃないと思って声を掛けようとしたんだ、でも、一足早く話が着いてしまったらしくて、阿佐前さんはあの人たちとどこかへ……方向からして屋外へ出たんだと思う。他に人気が無い場所はあの先に無いし」
戻る途中の階段、生徒会室の位置、ここ、屋外。脳内で立体地図を作り出す。進行方向に在る教室や部屋、設備、使用頻度に対する人の出入り……。向かう場所は把握出来る。
「ったく、世話が焼ける!」
僕は走り出した。後ろから「香助!」と呼ぶ声がしたけども見返ることすらしなかった。
大勢がいて、騒いで、咎められない場所。佐東くんは“屋外ではないか”と言った。上なら屋上、ここも屋外だけど、佐東くんの口振りからこれは無い。階段を上がったなら上へ行ったと言うからね。この階に人気の無い場所なら視聴覚室も在るけれど……佐東くんの言った通り都香たちが行ったほうとは反対になる。佐東くんを信じて屋外として、しかし校内に戻るのに不都合の無い場所。
グラウンド、を挟んだ……。
「体育館裏か」
挟んだと言っても対角線上ではないので昇降口を出てしまえばそう遠くは無い。あの羽柴先輩に暴行していたところだ。僕は速度を上げ走る。全力疾走とか、どれくらい振りだよっ。
「────放しなさいよ!」
かくして、都香たちはいた。僕は疾走の勢いが余って前に躍り出そうになる。が、何とか殺し手前の物陰で止まった。身を隠し覗く。窺い見る様に、最初にヤツらと出くわした羽柴先輩の件再来、と言うか再現だな。まったくうれしくも有り難くも無いが。
ヤツらは、都香を羽交い絞めにして、囲うように立っていた。暴れる都香だが体格差が物を言っている。ウェイトじゃ負けるに決まっている。たとえ都香が万年戦績トップの実力者でも。百八十を超えた巨漢は見せ掛けの筋肉でも重量は在る。
囲うように、だけどもこちらには横向きだ。都香の歯噛みしている姿がよく見える。あーあー、歯軋りが聞こえそうだ。ここまで。
平静を装っているけど、僕は茶化したことでも考えなければ飛び込んでしまいそうだった。何の利益も生まないと知っていて。頭の悪い集団とは言え突撃するなど愚の骨頂。多勢に無勢、拘束された都香が頭数に入れるのは危険なので実質僕一人。援護は……待てる程悠長にしていられるのか不明。
都香さえ救出出来るなら正直、あの集団なんかどうでも良い。罰則を与えるより痛い目に見せてやるより僕の目下目的は都香の身の安全だ。火種なんて避けたい。さて。
「……」
どう切り込む。単純に話し掛ければ良いんだろうけども、どうしてここに来たのかと臨戦態勢になられたら厄介だ。と、思索している僕の耳に会議を始めたヤツらの声が聞こえた。
「お前よぉ、ちーっとばかしここ、悪過ぎじゃねぇの?」
集団の一人が都香に向かってこめかみを指で叩いて言った。都香はがっと前に身を乗り出したけど脇を背後から抑え付けられているのでそこで終わった。都香は莫迦じゃない。幼く愚かでは在るけれど。少なくともアイツらに莫迦にされるようなものではない。身内の贔屓目を抜いても。僕は黙って精察していた。腸なんてとっくにボイル済みだ。今更煮るものなんて無い。
「お前が鳴海に付き纏うせいで、鳴海のみならず邑久ちゃんが迷惑してるんだよ」
僕の存在を気取らず動静は進行して行く。息を殺す僕に感付いていないのは幸い、か。
「あんたたちに関係無いでしょ? 何なのよ! 放してよ!」
「だぁかぁらぁ、鳴海は俺らの後輩な訳ぇ。わかっか? お前のせいで迷惑被ってる後輩のぉ、俺らは手助けしてる訳よぉ? わかりますかー?」
「はっ、笑わせるわね。香助が私に困っていて、万一にあんたたちが香助の先輩でも、香助が頼む訳無いでしょ? あんたたちこそ頭激悪」
焦燥を黙殺し時機を窺う僕も額を押さえる。都香、挑発するな。頼むから。案の定「んだとぉ!」集団は殺気立つ。が、一人が割って入った。
「まーまー待てって。お前さー、鳴海好きなの?」
ところが入ったヤツがとんでも発言を噛まして来る。あー、コレ、駄目パターンだ。額を押さえていた手で目を覆った。「はぁ?」都香の不機嫌さが滲む声が上がる。
「だってよ、気になるじゃねぇの。鳴海が好きでストーカーしちゃってるのかって訊いてんだよ。わかるよー、その気持ち。俺もひめかちゃん好きでさぁ、早く素直になってほしいもん」
頬を赤らめ訳知り顔を気取ってべらべらと。コイツが邑久に言い寄っているヤツか。そう言やこう言う顔だったような? 何の連帯感か知りたくもないけど判を押したように服装から髪型から同じなんだ、憶えてないよ。……“もん”とか使うな気持ち悪い。舌を出して、うぇっと吐き出す真似をする僕の心情と呼応したみたいに「“もん”とか付けないでよ気持ち悪い」都香が切って捨てた。こんなときだけシンクロすんなし。僕は心内だけどお前口に出しちゃうんだから。しかもお前、窮地に陥るんだからな? 理解しろよ。けれど僕の願いと裏腹に都香は罵詈讒謗を畳み掛ける。
「“ひめかちゃん”て邑久さんのこと? 何、邑久さんが好きなの? はー、邑久さんが好きとか身の程知らな過ぎじゃない? 私、邑久さんのこと好きじゃないけど、あの人が優秀で美人なのは認めてるのよね。香助の隣にいてもおかしくはないと思うけど、あんたじゃ役不足よ」
都香は口達者じゃない。前から主張している通り口より手だ。朋香おばさんに似て。だけどだからって弁が立たないと見解を出すのは誤りだ。頭痛を越えて胃痛に来た。煮え繰り返ったほやほやの腸に負担掛けるなよ。そうして僕としては不服な、都香としてはしてやったりな、狙い違わずの展開になる。
「……んだとぉてめぇ!」
「あーら。間違ってないでしょおう? 邑久さんだって香助が好いから香助にべーったりしてるんじゃない。“一目瞭然”って言葉を知らないの?」
青筋を立てるヤツの後方で他のヤツらが笑いを噛み殺している。認識は在るらしい。在るなら止めろよ。
都香が舌を出す。「このっ、」今にも殴り掛かりそうなソイツを「まぁ落ち着けって」宥めたのは僕に絡むときに率先して喋り掛けて来るヤツだった。コイツの一言で収めるってことはコイツがリーダー格なのか。羽柴先輩のときは明確にならなかったものなぁ。まぁ判明したゆえに何、と言うことは無い。
リーダー格だろうと雑魚の親玉ってだけだしどっちにしても。
「良いじゃねぇか。殴っても俺たちが厳罰に処されるだけだ。この女だって痛くても一時的なモンだろ?」
「あ、ああ、そうだな」
「“ご利用は計画的に”ってな」
何、その金融会社のキャッチフレーズ。この戦争時代にも金融会社はマネーゲームしているよ、うん、関係無いけども。一通り遊んでいた僕も意識だけは傾けていた。
「何する気よ」
進む謀議に怪しむ都香へヤツらはことも無げに告げた。
「言ったろ? 殴っても一時的なモンだって」
「だったらよ。お前が一生逆らえないようにしてやらなきゃな」
「何する気よ!」
都香が気色ばむ。ヤツらは嗤う。
「そうだよ。辱めてやらなきゃな」
下卑た嗤い声が大きく合わさって都香が藻掻く音がする。いったい何やらかす気だ? 僕は耳を澄ます。
「……でもよ、マジ大丈夫なのか? マズくね? 発覚したら経歴に傷が……」
若干気後れした異議が上がっている。異議を唱えていたのは都香を押さえているヤツだ。だけれど、他のヤツらは笑って。
「なぁに。別に強姦しようってんじゃねぇんだぜ? 俺らだってそこまで出来ねぇよ」
「そーそー。ちょーっとばかし、裸になってもらうだけだよ。おい、カメラ用意しろよ」
「───」
成程、ね。写真を撮って隷従させて操縦しようって腹か。僕は一旦隠れ壁を背に深呼吸をする。その間にも「ちょっと! 何考えてるのよ、犯罪でしょ!」都香の喚く声が響く。
「お前がおとなしく言うこと聞かないからだろー?」
「だよな。はは、頭悪いヤツにお仕置きは仕方ねぇよな」
「ひめかちゃんに感謝しろよー? お前の裸なんざ俺は興味無いからなっ」
「フザケないでよ! 教官にバレたらタダじゃ済まないわよ!」
「教官に何かバレる前に俺らがお前のヌードばら撒いてやるよ」
「……」
保身が先に立って強姦まではやる度胸は無いが、裸にするくらいなら何とか、と。そう言う訳か。─────はははは。僕も限界かもしれないな。深呼吸を止めた。ポケットから取り出して時計を見る。加勢は期待出来ない、か。足音を立てずに僕は、ヤツらと都香に近付いた。
足掻くみたいに暴れる都香。品などミリ単位も存在しないかのようなヤツらの嗤い顔。さてはて。ヤツらの手が都香の服に掛かる。
「何なさっているんですか、先輩」
僕の音量は大したものではなかったけれど、僕の登場にそこにいた全員が凍り付いた。都香は呆けてバタ付かせていた手足を止めていた。都香の服からヤツらの手は放れた。僕は辺りを見回し笑みを深めた。
「何を、なさって、いるんですか?」
僕が再度問うと間抜けな顔をしていた集団の、例のリーダー格が「お、おお、鳴海か」と口にした。辛うじて、と言った風だ。
「ええ、鳴海です。で、先輩方は何をなさっているんですか?」
質疑をリピートする。僕は訊いているんだけどな。頭悪いな。僕は然り気無く、羽交い絞めの都香と横並びに囲う間に入り込む。僕がいたところが舞台袖みたいに真横の位置で良かった。ヤツらは頭の悪い集団なりに僕の異変に気付いているのか、僕でも企みを知られるのはやばいと思ったのか。挙動不審だ。
「何って、」
「都香に喧嘩でも売られましたか?」
僕は笑顔のまま、方向違いのことを言った。都香が「なっ」と絶句する。まぁ、待ちなって。
「そ、そうなんだよ! 噛み付かれてさー」
それはお前たちが都香の身包み剥がそうとしたからだろ? 僕は腹の中でだけ反論をする。表層では「そうですか」頷いて見せて。僕の頷きにヤツらはほっとしたように「そうなんだよ」と気を緩ませている。余っ程、慌てふためいて余裕が無いらしい。僕が都香を『阿佐前』と名字で無く名前で呼んでいるのにも気が付かない。僕は重ね重ね質す。
「彼女は口より手が出ますからねぇ。大変だったでしょう、取り押さえるの」
「そうなんだよー。じゃじゃ馬ってーのは困るよなぁ」
へらりと笑って同意したのは邑久に言い寄るヤツ。僕が「邑久はおとなしいですからね」と言えばだらしない笑みを浮かべる。邑久はその分、口が凄いけれど、ね。
「そうですねぇ。大変だったんでしょうねぇ」
「ああ、本当困っちゃうよなぁ」
「俺らは、鳴海に付き纏わないよう言っただけなのにさぁ」
「あー、そうなんですねぇ」
「でも言うこと聞かなくてよー。この有様よ」
「成程ー」
僕が迎合していることで完全に緊張が緩んでいた。僕は「大変でしたね」尚も言い重ねる。
「わかってくれるか」
「いやぁ言ってもわからないヤツは本当骨が折れるぜー」
「ですねぇ……─────だから、服を剥いで裸の写真を撮ろうとしたんですか?」
「そうそう、そうすりゃさすがに言うこと聞かざる得ないしな」
「やっぱ弱味は形に残るものじゃないと────」
「おいっ!」
乗せられて口走ったヤツらを制したのは異議を唱えていたヤツだ。都香を押さえ付けている。制止したヤツ以外の連中がはっとする前に僕は都香に足払いを掛ける。
本当、真横で良かった。
「きゃっ」
足首を蹴られた都香が体勢を崩すと同時に都香のせいで前のめりになった、都香を捕まえていたヤツの無防備な頭に攻撃を仕掛ける。上段蹴りで側頭部、こめかみを狙って足の甲を蹴り込む。何が起きたか他の連中の頭が追い付かない内に二撃目に移る。軸足を変えて後ろ蹴りを噛ます。好い具合に顎先に入った。同じ要領で足を変え、身を翻しながら隣に並ぶヤツにも上段蹴りで踵を食らわす。体重が、武器になるのが自分たちだけだと思うなよ。このころになると状況を察して相手も構えるがあと二人だ。
「この───っ」
一人が向かって来て僕の胸倉へ手を伸ばす。
のだが。
「捕まえた」
口元が歪むのを止められない。僕は逆手に取って腕を捕まえ、背負い投げした。重いので、叩き付けるのが精一杯だ。僕は振り返ると最後の一人は。
「────どこへ行く」
逃げようとして、ようやく現れた風紀の斎藤さんに捕まって腕を捻り上げられていた。
「御用検めである! 全員動くな」
「……遅いご登場ですね」
斎藤さんの号令に僕は息を付いた。久々過ぎて、仕掛けるとき息を止めていたのがつらい。そうでも嫌味はやめない。斎藤さんは痛くも痒くも無いみたいでしれっと「授業が在るからな」と、共にいた風紀委員に捕らえたヤツを渡し嘯いた。
「風紀は授業免除在るでしょう。知っているんですよ」
あの、今倒れ伏して、斎藤さんの招集した風紀委員に起こされている集団に絡まれてから、僕は鈴木先輩と斎藤さんに関わって生徒会と風紀に付いて調べていた。在籍している人間から規則まで。風紀に至っては見張られると聞いたので尚更だ。このとき規則に、仕事が在る生徒会と風紀は授業免除が在ると記して在った。
「俺じゃないさ」
斎藤さんの目線を追うと女生徒が俯く都香のそばで膝を折って話し掛けている。ああ。
「彼女を待っていたって?」
風紀にも女生徒が少なからず在籍している。こう言った、女生徒がトラブルに巻き込まれた場合の対応要員として。僕は斎藤さんに尋ねた。
「僕、重い処分ですかね?」
単身と言え奇襲を仕掛けて反撃もゆるさず四人も昏倒させたのだ。程度は置いて処分が下るのは確実だろう。
「……対処の遅れた風紀にも、問題を起こしていたコイツらを野放しにしていた教官方にも責任は在る」
「彼らは?」
追い立てられたり起きなくて担がれたりして連行される集団を顎で杓って指しながら問う。斎藤さんは溜め息を吐いて「余罪は多々在るからな。立件して退学だろう」回答してくれた。……余罪ねぇ。
「暴行とか、茶飯事だった?」
「まぁな」
「濁しますね」
羽柴先輩の一件が初めてとは考えづらい。加えて、羽柴先輩は普通科だ。僕は当初、先輩とあの集団が同じクラスで因縁を付けられているものと予想していたけれど、集団は士官候補で、そうなると別の可能性が出て来る。……まぁ、“ここ”は現状、直接関係は無い。
「他はともかく今回の件は、教官も無視出来ませんものね」
「女生徒に手を出した。当然だな」
集団の、これまでの暴行は男子生徒が主な被害者だったんだろう。男子生徒同士の暴行くらいではこの学校は動かない。仮にも軍事学校だ。規律に厳しい割に荒事の一つや二つ己で解決出来なくてどうする、と言うことだ。勿論、全部一人でやれとは言わない。そのために自治を任せる風紀と言う組織が在るのだ。だけども、被害者が女生徒となれば話は別だ。
複数の男子生徒と一人の女子生徒。腕っ節の強い女子、格闘技を含む戦績で上位にいようと、服を脱がす以上の意図が無かろうと、この字面は体裁が悪過ぎる。
「ましてや、士官候補生が加害者じゃ、下手に甘い処分を下すと学校側の非難は免れませんし」
てか。
「狙っていたでしょう、コレ」
そう。この男は狙っていたのだろう。あの集団を、学校から叩き出す決定打を。でなければ傍観を決め込んでいた理由にはならない。
彼は、斎藤さんは僕を監視していたんだから。僕が、教室にいたときから、ずっと。
「そんなつもりは無かった……とは言わない」
「でしょうね」
短期間で僕が推測する斎藤さんの性格からして卑怯だと認知していただろう。僕は同情しない。僕は良いけれど。
「……」
都香を囮に使うなんてゆるせないから。僕たちが言葉を交わす間も都香は動かなかった。まさかショックだったのか、と眉を顰めたが、杞憂だった。腕を持ち支え立ち上がらせようとした女生徒を振り払っている。何アレ自暴自棄? 僕は後ろ頭を掻くと都香の元へ歩み寄った。
「都香」
僕が呼ぶと都香が反応した。僕は屈み都香を覗き込む。乱れた髪の下、都香は唇を噛んでいた。僕は嘆息を吐く。
「……これでわかっただろう、都香。お前の、無謀な行動がどれだけ危険か」
今回は相手が腰抜けの小物だったので良かったが、悪ければ貞操の危機に最悪、命の危機だ。僕が諭すように言えば都香は。
「……───何よ!」
急に立ち上がり僕を見下ろしながら吐き捨てる。“何よ”って、何? 僕も立つ。
「ほら見なさいよ! 香助、こんな簡単に伸しちゃったじゃない! 私は抵抗出来なかったのにっ」
「都香は油断していたからだろう」
「違うわよ! 私だって莫迦じゃないわ。ちゃんと気を張っていた。なのに、なのに……!」
臍を噬む、と言った感じに自身の失態を怒っている都香を僕は無表情で見据えた。都香は莫迦ではない。愚かだとは思うけど。
“気を張っていた”、この時点で過誤だと言うに。
「お前はさ、」
「……」
「結局誰かが補佐してくれているから、感付かないんだよな」
「……。どう言う、意味よ」
「まんまだよ。都香は、後始末をしてくれる人間がいるから、そうやって後先考えずいられたってこと」
都香が前だけ見ていられるのは、必ず誰かが後ろを守っているからだ。振り返らなくても、後背の敵は誰かが排斥してくれるから。それは僕だったり、今だと春川だったり、あるいは都香に付いている取り巻きだったり。誰かは都香の背を守っていた。比喩としても現実としても。
都香の人徳か、進んで都香のバックに付く人間は絶えない。ゆえに、都香は気付くことは無い。季節の変化に引っ掛かりを覚える人間がいないのと同じように。注視しないと変化に気付かないように。
都香の戦い方は、周りにちやほやされている分には欠点が表面化されないだけに、都香の外もわかっていないだろう。サポートしている春川は感じている節が見受けられたけれど。都香自体が強いことも相俟って。
「お前は、“みんなに助けられている”ってことだ。“何でも出来る”って、自惚れるなよ」
「そんなこと、思ってない!」
「意識してたらこうはならないんだから、“思ってはない”だろうな」
「……」
都香が下を向き閉口した。閉ざさざるを得ないだろう。都香にだって思い返せば心当たりは有るはずだ。
「……だから?」
「え?」
「だから、士官候補生になったの? 私が、頼ってばかりだから?」
違う、とは言えなかったが、そうだ、と言うのも違う気がする。都香が僕に対しては頼ってばかり、甘えてばかりなのは、僕に問題が在るからだ。都香を脇目も振らない性格にさせたのは、僕に責任が在る。僕が返答を躊躇っていると都香が顔を上げた。
「やりたいことを我慢してまで、私が嫌だった?」
僕はさっきまで考えていたことを放棄した。一度唇を引き結ぶと開いた。手を握り締めて。
「……“やりたいこと”って何だよ」
訳のわからないことを、都香が言うから。
「香助、」
「僕にやりたいことなんか無いよ! 身を以て知ってるだろう? 僕はお前のことで手一杯だったんだよ! お前が“いっしょにパイロットになろう”なんて言うから! 僕はそっちしか頭に無かったよ!」
“こーちゃんもいっしょになろうね!”
ずっと考えていた。わからなかった。あの日から、あの約束から僕はそれだけだったから。でも反発は在った。
“誰かが死ねば、誰かが泣くのに”
約束を守ろうとする僕と父さんの呟きで足を止める僕に板挟みされて動けなかったんだ。
この僕が、その他に“やりたいこと”なんか、見付かる訳も無い。
「だいたい、僕は、パイロットなんかなりたくないよ!」
人が死ぬんだ。父さんが体現してしまった。僕たちの操作一つで人が死ぬんだ。現況は直に戦闘へ参加していないこの国だって、いつ如何なるときにそうなるか。
このとき、パイロットじゃ守れない。むしろ命を奪うほうが遥かにパーセンテージが大きい。僕は嫌だ。
誰も守れない、父さんを殺した役割に就くのなんか。
「僕はもう嫌なんだよ、なりたくないんだ」
「パイロットは香津おじさんを殺したんだもんね」
「っ、何、」
「香津おじさんを殺したの、お父さんが造った戦闘機だって、聞いた。
お父さんに」
都香が静かに語った。唖然として、僕は十年振りに都香へ上げていた怒声を引っ込めた。────繁都おじさんめ! 理解に及んで僕は心の中で罵倒した。生まれたときからの付き合いで一等繁都おじさんを怨んだ。繁都おじさんは都香に話さないと思っていた。甘かった。おじさんは、都香の負担になるようなことをしないと考えていたのに。僕が繁都おじさんを罵る間も都香は喋るのをやめない。
「香助が、……こーちゃんが乗り気じゃないのも知ってたよ。こーちゃんはやさしくて、私を優先してくれて、身動き取れなくなってるって。わかってたの……ごめんなさい」
「都香、」
僕は都香を呼んだ。止めたくて。けど止まらない。
「わかってたけど、甘えてたの。こーちゃん、いつだって私に“嫌”って拒まないから。わかってた。嫌にもなるわよね?」
「都香……」
「ごめんなさい……ごめんなさい、だから、」
「都香────もうやめてくれ、都香」
懺悔染みた謝罪をする都香に僕は背を向け、都香が何某か言う前に拒絶した。やっと都香の謝罪が止む。不毛なやり取りだ。こんなの。
「斎藤さん、いつまで観賞しているつもりですか。行きますよ」
「鳴海、良いのか」
遠慮がちに斎藤さんが尋ねる。僕が「ええ」短く返事するとそれ以上何も言わず、斎藤さんは僕を風紀室へ連れて行った。その後僕は取調べされた。聴取の最中、報告を受けた櫻木教官や多分あの集団の担当教官だろう、他の教官が風紀室へ入室して来た。アイツらは医務室にいるらしい。脳震盪を起こしている者もいるからだそうだ。ざまぁ。都香とも別室だった。示し合わせないようにか都香が普通科だからか女生徒だからか判然としないが、まぁどうでも良い。
とにかく僕は櫻木教官に滅茶苦茶怒られた。あの、お淑やかとも評せそうな櫻木教官が本当に武官だったのだと知るには、充分過ぎたお叱りだった。……一発で済んで良かった。
僕は一週間の自室謹慎処分だった。四人医務室送りにしたにしては軽いけれど教官たちも手を焼いていたそうなので、教官たちの対応が遅れた分と相殺されたみたいだ。謹慎期間を終えて登校したときアイツらはさっぱり消えていた。
謹慎中は特筆すべき点は無いので割愛する。邑久が見舞いに来たくらいだろうか。あ、あと佐東くんに泣かれたとか。
そう。特筆すべき点は無い。
「……またか」
小さいころから度々、直近では父さんが死んだとき見ていた、あの夢を頻繁に見るようになった程度で。