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.サン / 分離。

 この決断で分かれることになっても良いと思っていた。

 空を飛びたい、なんて、子供の時分でさえ考えたことも無かった。

 あんな嘘臭い、色の抜けた空なんか。




   【 サ ン / 分離。 】




 夏休みになった。他の連中が帰省する中、僕だけは残って荷造りしていた。倉中も今はいない。父さんの葬儀から、僕は倉中と顔を合わせていないことに何と現在気が付いた。当たり前か。僕が避けていたんだ。僕が教官にお願いして、しばらく教員宿舎の教官の部屋にご厄介になっていたのだ。クラスにも復帰しなかった。どれだけ特別扱いか、僕の願いは通ってしまった。

 偏に僕が父を戦死と言う形で亡くしたからなのか、士官候補コース編入の試験を受けねばならなかったから個別指導になったせいか。どちらにせよ、倉中が僕に気を遣うことが在ったら僕は死にたくなると思うので、クラスの連中含め会わないで済む状況は有り難い限りだった。

 たとえ倉中がアレで出来た人間でも絶対は無いんだ。さすがの倉中だって動揺するだろう、僕の父親が亡くなっていたら。余計なことを考えたくない僕は試験勉強も捗って無事試験も合格。来学期から士官候補生の仲間入りと言う訳だ。必然的に寮も移ることになった。

 僕は机に置いて詰め込んでいたダンボールの重さを確かめて封をした。そこで体を反って筋を伸ばした。首も回す。ぐきぐき骨の音がする。携帯端末の時計を見ればやり始めてからすでに三時間以上経過していた。

 僕はしばし休憩を取ることにする。飲み物を買いに部屋を出た。出る間際、隅に鎮座している主に置いて行かれたシャックが目に入った。

 廊下を歩きながらアイツともお別れだな、なんて思った。倉中がいじっていると雑音が入ったときなんかやたら大きな音だったりして、しかも夜中にやるもんだから、何度「うるさいっ」と苦情入れたか。もうそんなことも無いな。倉中も良かったかもしれない。僕がいなくなることで、心置きなくいじりたい放題だ。僕は自販機を目指した。

 誰もいない廊下は耳が痛くなる程静かだった。完全に人払いされたとか有り得ないのにこの静けさは何だろうか。まるで。

 まるで、責め立てているようだ。僕は買ったばかりの缶を握り締めある場所を向かった。


「今日、風、強いな」

 屋上だった。僕の避難場所の一つだ。陽射しも強い。けど風が吹いている御蔭でマシだった。あの、涼しくてもひどく静謐に満たされた空間よりは。僕はベンチに座った。寮の屋上は校舎の屋上と違い普段日中は物干し竿が在って古い総合病院の屋上みたいだった。この時間帯、物好きがたまに洗濯物を干しているけれど、今日は物好きも普通に帰省しているのだろう。遮るものの無い、色褪せた空が広がっていた。僕はプルトップの缶の口を開け一口飲んだ。

 めずらしく茶でも珈琲でもなくジュースだった。果汁は三十パーセント。グレープだ。都香が好きな。嫌に甘い。炭酸は好きじゃないから避けたけども、失敗だったかな。ぼうっと、眺めていた。屋上から校舎と他の寮が見える────僕が移る士官候補生の寮も。

 士官候補コースは良家の子女も多いせいか少しだけ設備が良いのだそうだ。本当にほんの少しだけど。荷造りの前に資料を読まされた。

 寮の規則やらは同じだったけれど施設の内部とかそこだけ違い、ちょっと優遇されている感じ。寮部屋にキッチンこそ無いもののユニットバスでシャワーも在った。個室ってだけでもそうとう贅沢なのに。普通科、整備士専科もトイレは付いているがシャワーは学年ごとに共同だ。大浴場となると全寮だ。この辺りと小さな冷蔵庫が付いているとこはいっしょかな。ああ、あとクリーニングの日が決まっていないところは違うか。

 普通科とかは週に一回で他は自ら洗濯するのだ。あれだけ塵埃の舞う実戦授業が多いんだ、足りる訳が無い。洗濯室は男女別に関わらず就寝時間まで満員だ。普通科のほうがクリーニングをもっと増やせと思うけどなぁ。座業だらけの士官候補より汚れることが多いんだし。

 最も驚いたのは、士官候補コースは男女混合の寮だと言うこと。他科は当然男子棟女子棟と分かれている。良家子女や優等生は問題を起こさないから、表立っては。そう言う見込みで造ったのだろうが……果たして……そうか? エリート程道を踏み外すものじゃないだろうか。まぁこれまで不純異性交遊の醜聞は聞こえて来ないので巧くやっているのかもしれない。個室に付いているセキュリティも教員寮や重要管理室の次に徹底しているし。表立てにならない暴行沙汰やら普通科との対立ならよく聞くが。

 エリートの頭でっかちと奔放な現場主義の小競り合いなんかどこでも在るんだろう。軍部然り警察然り教育然り。互いが互いを侮っているからな。僕はグレープのジュースを飲み干そうとして、止められた。手を重ねられて。え、と横を見れば。

「都香」

 久方振りに見る都香の姿だった。長い髪を頭の上部に一つで結わえた作業着姿。僕は普段着だったけど、学校の規則で常時寝るとき以外は制服たる作業着の着用が決まっていた。と言っても、都香がそんな堅いことを言うことはずも無い。夏休みであるのと、むしろ僕に言われて来た立場なのでね、コイツは。都香は案の定、にこっと笑って「隣、良い?」とだけしか口にしなかった。僕は特に異論も無く勧めた。

「はい、コレあげる」

 都香が僕からグレープジュースの缶を取り上げると、僕へ手に持っていた別の缶を渡して来る。ストレートの紅茶だった。ありがとうと受け取る僕に都香は唇を尖らせた。

「良かった。紅茶にしといて。コレなら私も香助も飲めるもんね。ってか、香助、甘いの嫌いじゃん。なのに、何でコレ選ぶかなぁ」

「たまには良いかと思ったんだよ。在るだろ、そう言うの」

 僕はいただいた紅茶の缶を開けつつ反論した。都香は肩を竦めて「わかるけど。どうせなら好きな林檎とか、まだ飲めるオレンジにしなさいよー。グレープなんかいっちばん好きじゃないでしょー」と呆れたように返して来た。正論だったので僕は黙って紅茶を飲んだ。

「あ、半分は飲んだんだ。でも半分も残ってるのに、一気しようとしたの? 何その無謀。香助らしくないのー」

 はははっ。僕のさっきまで飲んでいた缶を揺らして都香が笑った。僕は都香から目線を外し問うた。

「で、何の話が在るんだ」

 都香が、偶然屋上に来たと僕は考えていない。紅茶も持参しているし、僕を見付けて後を付けて来たんだろう。だのに世間話をして来ている。遠回しの他愛ない話を多くするときは、悩んでいる証拠だと知っていた。核心に触れることを躊躇っているんだ。……さて。

 僕には二つ、可能性が浮かんでいた。一つは僕のコース編入についてだ。だけど、こっちは薄いと睨んでいる。なぜなら僕からお願いして教官たちには黙ってもらっている。ここは軍事の学校だ。秘することのたいせつさを教官自身わかっているし、駆け引きでも無い限り生徒の秘密を暴露するような人間はいない。久保田教官なんか無碍にしないため駆け引きさえ投げるだろう。命に関わるとか、余程重要でなければ。

 とすれば、残る一つ。勿論、あの話だろう。

「……香津おじさんが、亡くなったって、聞いた」

 都香には伝えていなかった。僕からは喋らなかった。おじさんも敢えて呼ばなかった。僕と都香は遠縁だけど親戚とするにはそこそこに遠いからだ。再従姉弟の子だもの。その前にも阿佐前と鳴海の間で婚姻者はいたけれども僕らに関係はないし。……とにかく、どう転んでも公式に呼ぶ必要性は無いと言うのが在った。だが一番は都香のショックが大きい気がしたんだ。殆ど家族同然と過ごして来たからこそ、つらいと。それに。

 都香には言えないだろう。おじさんの戦闘機の操縦士になりたい都香に、あの系統の戦闘機に殺されたんだ、などと。

「来なくて良かったよ、都香は」

「だけど、香津おじさんのお葬式だよっ? 私だって、ちょっとだけど血は繋がってるんだから、」

「僕は見たくなかったよ」

 僕は、決して感情を顕にしない。現状だって無表情だ。持って生まれた気性でも在ったけど何より、鳴海と言う人を支える生業の性分か、都香がいたからだろう。都香は阿佐前で、この辺を差し置いても真っ直ぐだ。良くも悪くもストレートに感情を出す。人間性と言う部分で魅力的だ。だけれどいつだって功を奏する訳も無い。これは隠すことも同義だけど。主以上に平常心でいなければならないのは従者だ。

 都香は過失を犯した人のような顔をした。僕は紅茶を呷った。

「ごめん、こうちゃんっ」

 都香は泣きそうにしている。怒っているのではないのだから、そんな表情をする必要は無い。僕が言えば首を横に振って否定する。「だって、……」これ以上言葉は続かない。都香は僕の性格を知っているからだろう。僕は他人に嘆かれるのは嫌いだ。高みの見物に思えてならないからだ。

「……別に。僕もちゃんと見てないし」

「え、」

「父さんの遺体」

 都香がひゅっと息を飲む音がした。ここで「ぐちゃぐちゃだから蓋が開かないよう釘で留められていたんだよ」とか「あまりに状態が酷過ぎて人型に覆うことも出来なかったんじゃない」とか言ったりしないが。

 損傷の激しい遺体は白い布で覆って、人型に形作り棺の蓋を取って対面可能にしているところも在るそうだ。棺に故人の愛用品を入れる人も多いから。ただ父さんは……ねぇ。

 俯いてしまった都香に僕は、ほら見ろ、と思った。聞いただけでこれなのに、見られるはず無いだろう、と心中で嘆息した。都香は喜怒哀楽が激しいんだから。さぁどうしたものかと僕が悩んでいると都香が「……ねぇ、」僕を呼んだ。「何」訊けば「こうちゃん」応答はしているが呼び方が幼少時のものから戻っていない。確実に引き摺っているな。

 都香は昂ると、僕の呼び方が『こうちゃん』になる。つまり、あの羽柴先輩を暴行していた不良団体のときはまだ頭は冷えていたってことだ。『香助』と呼んでいたからね。会話は続かず途切れた。都香が口火を切ったんだ。話したいことが在るんだろう。根気強く僕は待った。やがて都香が言った。

「こうちゃん、ごめんね」

 僕は耳を疑って、次いで都香を見た。都香は視線を落としたままだ。僕は何で謝られているんだ。皆目見当も付かない。父さんのことを僕に語らせたことか? 今までのやり取りで思い付くことはこれくらいか。……まさか。浮かんだが打ち消した。有り得ないだろうと、踏んだんだ。や、そうであってほしいと言う願望か。

 繁都おじさんの詫び言が脳裏で木霊する。おじさん、よもや都香洩らしていないだろうな。おじさんの造った戦闘機が殺したと言う思いは拭えない。そうとは考えていても、あの戦闘機自体は存在もゆるせないけれど、おじさんを直接も間接も恨んでいないんだ。

 だので、おじさんが自責の念に駆られても、困る。いっそ開き直ってほしいくらいだ。まぁ? 開き直るような人柄だったら朋香おばさんの夫にはなれない。父さんの親友にもなれないだろう。

「ごめん、こうちゃん」

 祈る人の如く、グレープジュースの缶を両手で握り下を睨んだまま繰り返される謝罪に僕はどうすべきかしばし黙考した。父さんの訃報すら葬儀のあとに告げる繁都おじさんが、殊更都香の負荷になることを言うだろうか。……無いな。あの人は、抱え込んで煩悶して、朋香おばさんに怒鳴られる口だ。じゃあ、何で都香は謝っているんだ。熟考の末、僕は都香の頭へ手を伸ばした。頭を垂れていることで晒されている後頭部「都香」そこへ手のひらを置いた。

「───」

 ぽんぽんと後ろ頭を叩いてやる。髪を上部に一つで纏めているから撫でるのは難しいのでこうなった。あとは横に揺するみたいな風に撫でた。

 都香が何に関して謝っているのか僕には当たりを付けることは出来なかった。が、都香がどんなときにどんな対処をするかは染み付いている。都香が落ち込んでいる場合、僕は幼いときよりこうしてやっていた。……朋香おばさんに対する父さんを笑えないくらいには、僕も都香を最大限甘やかしているのだろう。ただし。

「お前が気に病むことなんか何も無い」

 都香の体がぴくりと振れる。僕は連投した。「お前が、気に病むことは一つも無い」気休めにもならない、目隠しに過ぎないと、自覚していた。子供を無菌室に押し込むような、これは、目隠しだった。僕は熟知していた。

 鳴海の特性なのかもしれない。主に負担を背負い込ませまいとする。最善を考える。けれどこれは。

 鳴海香助(ぼく)の欠点だ。

 手放しに甘やかすなら、その分現実も突き付けなければいけない。囲い込んで目を覆うだけなんて。父さんは、朋香おばさんをそう言う扱い方はしない。

 僕は、未だ都香を甘やかしたままだ。羽柴先輩の件は、比じゃない。あんなモノ些事ですらない矮小な日々の苛立ちと分類しても良い。正念場と言うところで僕は、都香を甘やかすんだ。

 ……なんで、だろうな?

「だめだよ、こうちゃん」

 都香が僕を見た。濡れた眼にああ、泣いていたのかと僕は、感慨も無く目の前の事実だけ飲み込んだ。いや、零れてはいないから泣いてはいないのか。潤んでいた、が正しい。だめだよ、と都香は否と唱えた。都香は、正視しようとしていた。都香の中で都香が向き合わないといけない『何か』と。必死な都香を見詰めていた僕は無関係のところで唐突に、感付いた。

 都香の多謝が何であるのかはともかく、都香にとっては直視しなければならないことが在るのに、僕が邪魔している。

 僕は都香の『障害物』になってしまうんじゃないか。元来都香は朋香おばさんに似て聡い。おじさんもそうだ。

“こーちゃんもいっしょになろうね!”

 幼年期の約束。守ろうとはしていた。守ろうとはしていたけど、どうしても自己の行動に違和感が付き纏っていた。本来僕は細かいことが気になる人間だ。併せ持つ面倒臭さで放棄出来るだけで。ゆえにきっと人様にしたら僅かなものなのだろう。だけど、細やかでも異物感が在れば、人は気にするものじゃないだろうか。

“何で戦争なんかするんだろうな”

 僕は、……。

 都香の周りに集まるクラスメート。仕方無さそうに、それでも都香のサポートをする春川。

 都香のそばに僕がいなくて、何の支障が在る。僕が都香の隣にいなくなったのは、違和だけじゃない。都香の周辺が煩わしい、てのも在るけど。一番は都香の足を引っ張らないためだ。都香が僕に構わないで、僕は僕でやれるように。

 これだけじゃ駄目だったんだ。

 もっと、離れなきゃ。

 こうして都香との座談は僕の決断への迷いを消し向かう背中を後押しした。


 結局、都香の謝意が何においてだったのか判然としないまま、僕らは別れた。別れるとき。

「じゃあね、香助」

 泣いた鴉がもう笑っていた。手を振り女子棟に帰る都香へ僕も軽く手を振り返し男子棟へ、自室へ戻った。そう言えば。

「都香は帰らないのか……?」

 訊くの忘れたな。都香は帰省しないのだろうか。いや、明日にも帰るのかもしれない。取り敢えず、僕は荷造りを終えようと、帰って早々僕はダンボールに手を伸ばした。


 夏休み、僕は寮の引っ越しに加え多量に出された宿題の片付けが在った。何でも、士官候補は学年問わず毎年大量の宿題を出し、新学期には一斉テストをやるのだそうだ。はぁー。普通科じゃ考えられないな。勉強主体のプログラム。僕には打って付けだけども。

 僕に至っては、宿題にプラス追い付くため自主勉強をしなければならなかった。僕にとって大層な差は無かったが久保田教官が物凄く心配していたのだ。自らが勧めたこととは言え教官の受け持ちクラスの僕が編入と在ってどこの心配性の親かと言う風に気に掛けていたのだ。……有り難いことだけど、この人、子供に鬱陶しがられるな。あれ。久保田教官て結婚してたっけ? してないよな?

 そうこうしている内に、僕の夏休みは終わりを告げたのだった。


「教官の櫻木(さくらぎ)です。よろしく」

 作業着で過ごして来た僕は着慣れない、儀礼用としても着用される制服を着て新学期を迎えていた。初めて足を踏み入れた士官候補コース、正式名称『士官候補教育学科』の職員室で、挨拶に訪れた僕が目を丸くしていると教官はふふっと微笑んだ。新しいクラス担当教官は思いの外若い教官だった。しかも女性だった。笑うといっそう幼い。

「驚いているようね、鳴海くん」

「はい。随分お若いと」

「まあ、有り難う。これでも三佐まで行ったのよ?」

 士官は高校卒業の場合は『准尉』から、大学卒業の場合は『三尉』から始まる。やや大卒の場合のほうが位が高卒に比べ低く設定されているのは理由が在る。大卒の場合のほうが現場で早くスキルアップするからだ。

 ただ、この大卒にも様々な状況で変わる。普通の大学を四年制で卒業するパターンなら妥当、しかし防衛専攻の大学なら別でこのケースなら『二尉』になることが多い。普通の大学も今では勿論国防に重きを置いているが防衛専攻の大学は名の通り軍事に先鋭化しているのだ。この防衛専攻を卒業した人間は普通大学卒業の人間より経験値を貯めていると見做される。櫻木教官が三佐まで行ったと言うことは最短コースの防衛専門を出ているのかもしれない。

「ちなみに、高卒よ」

 うわぁ、叩き上げだった。いや、兵士コースからすれば士官なんてキャリアだけど。士官においてキャリアの中にも叩き上げと言うのは存在する訳で。このほんわかした女性教官がそれだと言うのはなかなかに凄いものが在る。

「それは、凄いですね」

「でしょう? それも武官なの」

 わぁ。武官は現地で戦闘、実技を主とする軍人のことだ。技官は通信、医療、整備など技術的な分野に秀でている軍人のこと。自明として、武官に比べ技官のほうが知識人で戦闘的に劣る。軍医だった父さんや技術者の繁都おじさんは当然技官だ。この国は技術力が売りなので出向している軍人の要は、大半技官だろう。だがだからと言って武官がいない訳が無い。むしろ多い。普通科はこのまま行けば皆武官だ。

 専門学校のヤツらだって工場勤めだけど指導官以外は技官ではなく武官で、普通科より低い位になる程度の違いだ。専門学校でも軍用工場直属で銃器火器製造を担う工場は在るし訓練だってやっている。護衛としても重要だし、現地の非戦地と言え比較的危険な地帯での活動などは彼らがいなければやって行けない。彼らがいなければ軍は成り立たないのだ。技官武官兼任している軍人もいるくらいだし。

 この人が、武官、更に三佐……。士官候補生の教官をやる程、と言うことか。

「驚いた?」

「ええ、とても」

「その割には冷静ね。良いことよ」

 交渉も私たちの役割だからたいせつなことよ、と言う。その柔らかな笑顔の中の眼光に、間違い無くこの人は武官だな、と思った。


「────鳴海香助だ。皆しっかり覚えるように」

「鳴海香助です。中途編入では在りますが皆さんを煩わせることの無いように、努めさせていただきます」

 櫻木教官に連れられ踏み込んだ士官候補コースの教室。教官は初見の柔和さが鳴りを潜め、軍隊学校の教官らしく声を張り上げ僕を紹介した。続く僕も櫻木教官程声を出すつもりは無く大きめだけれど普段よりは、と言ったレベルだ。後ろまで聞こえれば良いだろう。

 ザワ付く教室は見渡す限りそこまで普通科と違いは無い。当たり前か。同い年の子供なんだ。せいぜい頭の出来の違いくらいだ。……ま、勉強が出来るくらいで“自分は特別”とか考えているようなヤツは士官候補コース普通科以前に頭悪いけど。

 じろじろ見るヤツも隣前後のヤツとひそひそ話し合うヤツも不躾に品定めしているに過ぎない。本当、変わらない。普通科の戦績ばかり気にしているヤツらと。内心呆れながらも外には出さないようにして室内を俯瞰していた。

「鳴海の席は(たちばな)の後ろに用意した。橘、橘椎名(しいな)! 立て!」

「……はい」

 教官の指示に一人の生徒が立ち上がった。真ん中縦列の最後尾手前。男子生徒だった。ノンフレーム眼鏡を掛けた、如何にも優等生と言った風情。温和な印象を齎す茶色の髪も切れ長の瞳と冷たそうなシャープな顔立ちが裏切っている。

「今立っているあの橘の後ろの空席が鳴海の席だ」

「わかりました」

 作戦中でもないのでここでは普通に“わかりました”と頷いて置く。作戦中にでもなれば“了解”か“イエス、マム”になるが。櫻木教官も橘とやらに“立て”って言ってたし。

 僕は教官に促されるまま席に向かう。初日くらい背筋は正して置くか。視線を上げっ放しなのは席の間を歩く僕をみんな見るからだ。見世物じゃないと言うよりか注目する程面白くも無いんだけど、と言うか。僕が着席するのと同時に橘も席に着く。橘は一瞬だけこっちへ首を巡らせ「よろしく」と言って来た。僕も「よろしく」と返す。すると隣から声がした。

「へぇ。この時期に編入とか大変ね。引き抜きなんて、マジで成績良いんだ」

 僕の左隣、五列中窓から二列目の最後は女生徒だった。明るい声は軽い調子で揶揄うみたいに喋って来る。都香と似た部類に見えた。都香の如く艶めいた黒髪は都香と違い肩までで毛先をくるっとカールさせ遊ばせている。成績重視のクラスだ。女生徒の外も気になっているのか聞き耳立てているのがはっきり感じ取れる。この中で初っ端から無視する訳にも行かず「そんなこと無いよ」とだけ返答した。素っ気無いのは仕様だ。早く打ち切りたいところを抑えて苦笑いを浮かべられただけでもマシだろう。

 女生徒は僕の微妙な対応に怪訝な顔をするでも気分を害するでもなく「うっそだぁ。だって教官たちが言ってたわよ? 私と椎名を抜いて学年トップだって」笑っていた。が、この女生徒の科白に周囲がよりざわめいた。何だ? 訝しがる僕に橘が上体ごと背後を見返り教えてくれた。

「僕とそこの邑久(おく)ひめかは入試トップだったんだ。中間も期末もね。編入試験は入試と中間、期末とを合わせて厳選した難問ばかりだから、この点数の平均で成績順位決められる訳。で、きみは僕とひめかの平均を抜いていきなり学年で実質一位ってこと」

「ああ、そうなんだ。まぁ補習もしたしね。今日でまた変わるんじゃないの? 休み明けのテストするんでしょ?」

 事も無げに僕が言い放ったら聞いていたクラスメートは全員ぽかんとした。隣の女生徒、邑久だけが。

「……っ、あっはははは! きみ、すっごいねぇ! 淡々としてるってゆーか、ちょっと肝座り過ぎって言うか!」

 もっとよろこびなよ! 大笑いだ。余りの哄笑にクラスの連中は呆然としている。当の僕は気にせず教科書を用意していた。今日は新学期初日だけど授業が在る。平常は基本午前から一般科目授業、午後から戦術カリキュラムだそうだ。今日は始業式のあとに通常授業が在るらしい。しばらくして教室のスピーカーからスイッチが入る音が洩れた。次に「士官候補コースの生徒の皆さんは講堂に集まってください」号令が流れた。

 士官候補コースは放送で呼ばれるのか……。普通科、整備士専科は人が直接伝達に来る。放送が流れて直後教室の生徒がぞろぞろ廊下に出て各々講堂へ向かう。普通科、整備士専科は整列させられるものだが……それも無いのか。士官候補コースは自主性を養うとかで根本的に連帯責任と言う概念が無いそうだ。普通科は何をするにも連帯だったけど。その分自己責任で罰則は一つ一つ重く、言い逃れは一切出来ないのだとか。

 僕がみんな行ってからで良いか、と移動の様子を傍観していると。

「行かないの? 懲罰されちゃわよ」

 席を立ち、僕の後背に来た邑久だった。僕は「最後だって良いだろう。開始時間前に入れば良いんだから」とぼやくように、机に肩肘を突いて出て行く群れを眺めた。この辺りで、同じように自分の席に座ったままの橘が「確かに。だがな、鳴海。最後の一人は遅刻と見做され懲罰対象になるんだ」得意げに、にやりと笑った。

 およそ表情を変えそうに無い橘の変容に些か瞠目したけれど、僕は言及はせず「……面倒だな」と言ちるに留めた。

「でしょう? ほら、早く行きましょう」

 邑久にほらほら、と追い立てられ渋々僕は立ち上がった。橘も邑久に背を押され立つ。教室から出て歩き出す僕の左に邑久、右に橘がやって来る。僕は溜め息を一つ吐いて。

「僕なんか放って行けば良いのに」

 僕が進言するとややオーバーなリアクションで邑久は「ええー。良いじゃないクラスメートなんだし」返し、橘はしれっと。

「鳴海。邑久に一度見初められると逃れられないぞ」

 そう言い切った。邑久が僕越しに「あー? 何言ってるのぉ? 椎名ぁ」と絡んで行くが橘は「ほら、面倒臭いだろう?」と言いのけた。


 あのとき、この邑久ひめかと橘椎名が今後僕の横を固める友人になるとは、僕はまったく及びも付かなかった。

 僕は二人に絡まれながら編入初日を終えた。

 講堂は士官候補コースの人間がイベントごとで使用するか、何らかの式典が行われるときぐらいしか使われない。学生も職員も多いことも在って、普通科整備士専科は始業式も体育館を分かれて使った。

 それぞれの学科の人間はアクシデントでも無い限り接点は出来ない。寮だって各科別々だし。表向きは。……教科毎に教室移動在るじゃない。あれでごく稀に擦れ違ったりするが、そこで小競り合いが勃発するらしいが。

 とにもかくにも、こう言うことで僕は都香に遭遇することは無かった。都香に会ったのはだいぶ先だった。

“こーちゃんもいっしょになろうね!”

 あの日以来、約束を(たが)えたことも無ければ、都香の要望は、叶えられることは大抵叶えて来たから。付き合い切れないと、手を放すことも、考えても実行したことは無かった。

 だから、背を向けたのは、はじめてかも、しれない。


 編入して、半月が経った。僕は学期始めの学力テストも一位だったらしく、首位をキープしたままだった。同じクラスの連中も馴染んで来たらしく余所余所しさは取れてどこか馴れ馴れしくなった。

 編入の時点で日常の変化は劇的だったが、中でも著しかったのは僕の周りに必ず多数人がいるようになったことだ。普通科のときと真逆だった。普通科での都香みたいに、騒がしくなった。僕がトップで成績優秀ゆえだろうが、不意に僕はわらった。僕に話を振り続ける名もあやふやな彼がおかしいからではない。

 環境や重視される事柄は違えど、人は己が価値を見出したものに群がるものなのだと改めて認識したせいだ。

「僕はさ、思うんだよ! この国ならばっ、────」

「……そうだね」

「だろっ? でさー」

 意気揚々と語る彼は余程の軍国主義のようだ。逐一こちらを窺うので適当に相槌を打ってはみるが少々辟易していた。どうしたって僕がこんなことのために昼休みを割かねばならないのか。ここのところいつも僕はこう言う感じだ。以前の僕ならば少ない友人と二、三言葉を交わして共に過ごすか一人で人気の無い場所へ行き過ごすのに。

 いるのが彼だけじゃなく、彼の友人なのかどっちにせよ同類だろう輩もいて、周囲を固めていて逃亡のタイミングも計れない。くそ、ストレスが溜まる。

 話も一人興に乗っているのか一方的に喋り倒している彼と、彼の友人らしい人々に僕の苛々もピークへ達し掛けていたときだ。

「香助ぇ」

 邑久だった。初日から絡んで来た邑久は早い段階から僕を下の名前で呼んだ。その邑久は僕の周辺に群がって固まっているヤツらの間を割って入り僕の手を掴んだ。

「教官に頼まれちゃったの。お願い、来て」

 突然割り込んだ邑久に呆気に取られた軍国主義のヤツらは、けれど僕の次に成績上位の邑久に逆らえないようだった。渋い顔はするものの異を唱える声は上がらない。これを良いことに邑久はヤツらを空気みたいに扱う。僕は噴き出すのを堪えるので精一杯だった。どの場でもそうだけれど、とんだヒエラルキーだな。

「香助、行くぞ」

 邑久に連れられ、軍国主義の輪から抜け出せた僕へ教室の出入り口に立っていた椎名が言った。椎名も邑久同様僕を名前で呼んだ。椎名に至っては僕も名字の『橘』から下の『椎名』へ呼び方を変えた。邑久はそれに不満を訴えたけど僕も椎名も無視した。

 僕らの教室は校舎の端なのだけど、廊下を少し歩いてすぐに階段が在った。職員室とは逆方向だったが構わず僕らは上へ進んだ。無言で上がり続け屋上の入り口に辿り着く。三人揃って足を止め互いの顔を見合わせた。

「職員室に呼ばれたんじゃなかったっけ」と椎名。

「そうだったかしら? 私は“教官に呼ばれた”って行っただけだと思うけど」などと反論する邑久。

「てか、“教官”て誰さ」突っ込む僕。

「さぁ、誰だったかしら? ま、誰だって良いのよ。香助救出が私の使命だったの」

「使命って。大仰だな、邑久」

「椎名の言う通りだよ。まぁ、有り難う」

 素直に苦笑しつつ礼を述べれば二人して「香助が礼をしたわ」「レアだな」「レアね」とか囁き合っている。短い付き合いの癖に失礼な。僕は敢えて何も言わず屋上の扉を開けた。途端風が吹き込んで来る。邑久が髪を押さえた。

 ほっと息を衝く。制服のタイを指に引っ掛けて緩めた。相変わらず陽射しはキツいが、十月も序盤までは暑いものだ。今日は風が強い分マシと言うものだろう……。

「……」

 前も同じことを思ったな。寮の屋上で都香と話したときか。寮と言えば。

「そう言えばさー、香助何であんなとこに在る訳? 寮の部屋!」

 無意識に三人共柵に寄っていた。より風の在るほうを求めたのかもしれない。寄り掛かって早くも寮へ遊びに来ていた邑久が思い立ったのか疑問を呈する。椎名も邑久に連行されて来ていたため「ああ、確かに。結構奥に入っているよな香助の部屋」と同意した。

 気付けば編入してから人は大勢僕に集っていたけれど、殊、この二人とは自然といることが多かった。成績上位者で在るせいか二人は他に垣間見える媚びが無く、またいがみ合うことも無いからだ。僕は気にもしていないけどたまにいるんだよな、勝手に敵視するヤツが。気兼ねが無いってことか。

「あー、僕も思った。奥まってるなーって。で、訊いてみたんだけど、そうしたら、“中途編入で部屋がここしか無かった。ここ以外だと学年跨ぐことになる”って言われたんだ」

「マジ? じゃあ仕方ないのかぁ」

「玄関口からも食堂からも洗濯室からも遠いよな、あそこ」

「まぁねぇ。でも学年跨ぐのはちょっとさー」

 僕の引っ越した寮部屋は建物の奥、まさに突き当たりに在った。まぁ突き当たりの分、設計上の問題でお隣とは階段を挟んでいるので、独立しているようなものだから気を遣わず済むと言うのは有り難いと言うか。士官候補の寮は前知識の通り個室な上ユニットバスで、ご飯さえどうにかすれば一日部屋で過ごせる仕様だし僕にとってはそこまで不便とは感じていなかった。

「面倒なのはご飯だけだし僕的には住み易いよ」

「ええ、さみしくない、あそこ。忘れられそうじゃん何か」

「僕は良いと思ったけどな。不便は不便だけど、隣がいないのは煩わしくなくて良い」

「だよね」

「えー。協調性無いわコイツら。そんなんだと独居老人になるぞぉ。あ、けど、多少騒がしくしてもOKってことよね」

 意気投合する僕と椎名を横目で引いて見ていた邑久が突如目を輝かせた。今度は僕たちが引く番だった。コイツ。

「うわぁ、邑久のヤツ、容赦無く香助の部屋溜まり場にする気だぞ」

「全力でお断りします」

「酷い! 全力って何よ!」

 喚く邑久の声に僕と椎名は耳を塞ぎ知らん振りした。その反応も癪に障ったらしく一人ブーイングする邑久を椎名は宥め、僕は椎名にあとを任せて何気無く凭れていた柵の向こうへ顔を向けた。校舎は柄杓の形状になっている。訓練場と言うか演習場でも在る校庭を背にする形でだ。

 上空から見下ろせばそう言う風に見える。柄杓の掬うところ、コの字に似た部分、上の横線が士官候補コース、縦線が整備士専科と一部の特別教科教室、下の横線が普通科だ。柄杓の持ち手に見える建物も教科教室だ。この建物に沿うように体育館が並列している。

 詰まるところ、普通科の校舎と向かい合わせに士官候補コースの校舎は建っていて。この屋上は普通科の屋上と直線状に在って。

 僕は。

「どうした、香助」

「───。……いや、何でも無い」

 目敏く、硬直した僕を認めて椎名が問う。僕は椎名に尋ねられて正気に戻り再び身を翻し背を凭れ掛けた。椎名が納得するはずも無く僕の凝視していた方向へ目を向けた。「ああ、」と声を上げて椎名が「何だ」と独り言ちた。

「何々。香助どうしたの?」

 僕と椎名のやり取りに邑久も不思議そうに首を傾げた。そうして椎名の目線を追う。椎名と酷似したアクションをした。

「なーんだ。普通科の子じゃない。あの子、有名よね」

 僕は邑久の発言にじっと邑久を注視してしまった。邑久は視点を変えず話し続けた。

「有名でしょ。戦績優秀でさ。だけどねぇ、レポート読むと、扱いづらいタイプだと思うんだよね。必ず特攻掛けてるでしょ。先手後手、使用弾薬数とか記録で見れば過程も想像付くのよね」

「猪突猛進みたいだからな。ちゃんと指揮に従えれば良いけど、救出作戦は向かなそうだ。仲間が捕まったら平静を保てるかどうか」

 すらすら暗記を諳んじるかのように分析を出す邑久と椎名。二人の平坦な口調で下される評価に僕は心の中で激しく同意した。そうなんだよな。アイツは、脇目も振らないから奇襲するのは得意だろうけどされるのは不得意だ。集中力は、称賛に値するけれど。「えーと、名前は……」記憶を探る邑久に黙っていた僕が口を挟んだ。

「都香。阿佐前都香」

「あー、そうそう、阿佐前さんね! で、何で香助は阿佐前さん見て固まってた訳ぇ?」

「クラスは違ったよな。まさか彼女か」

「違うよ」

 ニヤニヤする二人を脱力しつつも一蹴した。だって違うんだから仕様が無い。「じゃあ、隣の子?」と訊かれ、初めて春川がいることに気が付いた。重ねて「違うよ」答えた。春川は都香と並んで男子の人気が高い。活発な都香と異なるクールな春川。普通科では二分していると明言して良い。士官候補コースなら、邑久も人気が在りそうだが。

 二人と親しくなったと言っても都香との関係まで言う程では無いと判断していた。第一、いちいち告げる事情じゃないと考えている。

 距離が在る御蔭かこっちの騒々しさは伝わらない。都香が感付くことも無かった。が、いつこちらを向くとも限らない。僕は頑として振り返らないと脳内会議で決定した。

「可愛いのに、香助興味も無いの?」

 興味無いも、知り過ぎて今更知りたいと思いません。そこまで思いながら「無いよ」口では短く端的に即答した。長引かせたくない僕の心情と裏腹に関心の逸れない二人は掘り下げようとする。こんな井戸端如きに策を弄するとか嫌だしな。いや、交流だって攻防の一種では在るけどコレは絶対違うだろう。

「香助は、女の子に興味無いんだろう」

「え、まさかソッチ、」

「違うから」

 うんざりしながら僕が切って捨てると椎名が喉を鳴らしながら「邑久、僕のもそう言う意味じゃない」と否定した。編入当初冷徹そうなイメージを抱いたけど、実際にはかなりの笑い上戸だ。邑久とつるむだけ在ってそれなりに他人を揶揄するし冗談も言う。無口とも予想していたがあれも早々覆された。椎名は笑いを引っ込めようと口元を押さえている。全然収まる気配は無いけれど。

「香助は、諸々在って色恋どころじゃないって意味だよ。男に関しては興味が無い以上に手厳しいくらいだろう」

 見下しているんだろう? 僕は突拍子の無い椎名の指摘に「別に」嘯いた。否、嘘ではない。見下す程、相手に好感が持てないだけだ。元より集団は嫌いだ。僕のキャパシティの問題かもしれないけれども、群集と言うものはとかく囂しく息苦しい。好意を持てるなら、そばにいても疎まないけれど、個体の話だ。

「別に、見下しては無いよ。僕は自分がそんなに上等な人間だとは思っていないよ」

 たとえ成績上位だろうが学年トップだろうがテスト首位だろうが、こんなものは社会に出てしまえば無価値だ。世界に通用するのは学歴でも学校でもない。“何を成したか”だ。昔からそうだが戦争をしているこの世情じゃ特にだろう。

「香助って、無自覚なんだなぁ」

「何が」

 返して来たのは椎名じゃなく邑久だった。僕は怪訝な声を上げて邑久を見る。常の陽気な邑久は何処かへ消え失せて、面立ちは翳っていた。口角を上げてはいるが微塵も楽しそうでは無い。皮肉げに歪んでいるだけ。僕は邑久こそ僕を見下げているように思えた。

「だってさぁ。どう控え目に見たって線引きしてて、どう好意的に見ても周りの寄って来るヤツらを莫迦莫迦しいって考えてるんじゃないの? それって、充分下に見てるじゃない」

「……」

 僕は瞬きを数回した。邑久ひめかと言う人物を僕は過小評価していたのかもしれない。伊達に成績上位にはいない。そもそも、成績上位と言うのは単純に一般科目教科のテストで決めるのではない。重視されるは戦術カリキュラム。これの出来が一番響く。お勉強が出来るだけじゃ君臨出来ない、て訳。

 都香の分析もそうだ。編入前から事前承諾を取られるので知っていたが士官候補コースの戦術カリキュラムに普通科、つまり兵士コースの生徒の戦績データが参考資料として使われているのだ。模擬戦の戦績のみで個人のデータは名前が記されているくらい。都香くらい戦績が良いと名と同時に顔も知れ渡る。

 だがしかし、性格まではそう易々と流布されるものでも無い。邑久はデータに書かれた使用弾薬数、模擬戦の行われた地形、各生徒の配置と結果から推測して把握したのだ。憶測と一笑に伏せないのは僕自身が、邑久の精度を実感したからだ。都香のことをも知人でもないのによくご存知で。

 油断してはならない、か。

「……、莫迦莫迦しいとは思うよ。だけど、線引きしてるつもりも見下してるつもりも無いよ。壁作ったり見下す程、重きを置いていない」

 そう。僕は見下してない。だって、端から気に掛けていない。邪魔だ、鬱陶しいと感じることは在ろうが、小さいことだ。楯突きさえしなければ、どうだって良い。

「眼中に無いってことか」

 今まで成り行きを見守っていた椎名が口を挟んだ。僕は微笑した。

「ご名答」

 僕が言うと邑久は心底疲れた顔をして「うわ、性格悪」と舌を出した。僕は「お互い様」と言ってやった。一段落した瞬間、昼休みを終えるチャイムが鳴った。

「戻るぞ」

「うわ、早く行かなきゃ怒られちゃう」

 急かす椎名に大袈裟に慌てる振りをする邑久は変わり無い、僕が知る上で常態の二人だった。「まだ時間在るだろ」って僕が言えば「そう言うなら、香助遅刻したら香助が何か奢ってね」と邑久が宣い「次の授業の教官、モットーが“五分前行動”なんだ。必ず開始時間の五分前には来るぞ」椎名が要らぬ情報提供して来る。厳罰も在るぞ、なんて。僕は苦虫を潰したように顰め。

「もうちょっと早くに言いなよ」

「ほら、急ぐぞ」

 ドアを開け校舎内に戻った僕たちは椎名に押されるまま急ぎ足で階段を下りた。僕は気付いていなかった。

 僕たちが都香から注意を逸らして話し込んでいた最中都香が、こっちを見ていたことに。


 判明したのは、僕が都香に捕まえられたときだった。




 

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