Little love
大きくそびえる門がある。その扉は彼らの自由に開くことはない。思うように開かない、固く閉ざされた門の前に彼は立ち叫んだ。
「こっちだ、こっち!」
高い門を彼は越えることができず、門の隙間から手を差し出した。彼の存在に気づき、看守が大きな声を上げていた。
「立ち去れ、立ち去れ!」
看守が大声で叫ぶ中、彼は門にしがみついた。
「会いにきたよ」
彼は門の間に顔を押し込み、手を伸ばした。彼が手を伸ばした先に彼が愛する彼女がいた。彼がここを通ると、いつも彼女は寂しそうに外を見ている。彼は彼女に触れることができない。言葉を交わすこともできない。だから毎日、ここを通るたびに彼女に声をかけるのだ。彼は主人と一緒に毎日出かける。その道中、この場所を通るのだ。主人に咎められようと。彼はここで足を止める。主人が否と言っても、彼は彼女を愛しているから。
「待っていたわ。でも、あの子が怒っているわ」
彼女は看守のことを気にかけていた。
「あいつなんて、無視しておけよ」
彼は看守を嫌っていた。彼女のそばにいつも看守がいる。ここに彼女と一緒にいるのだ。
「それはできないわ。あの子とは家族だもの。あなたも行って。あなたの主人が待っているわ」
彼女は小さく涙を流し、そっと彼から距離をとった。
「待って、こっちに来て!」
彼は顔を門の間から押し込んだ。こちらとあちらでは大きな差がある。彼はこの中に入ることを許されない。彼は叫んだ。
「待って、待ってよ!」
それでも彼女の心に彼の言葉は響かない。彼は悲しく、門にしがみついた。しかし、彼女の歩みは止まらない。建物の中へと入ってしまうのだ。彼は叫んだ。その声は空に響き、誰にも届かない。彼の叫びに呼応するように、看守がけたたましい声を上げていた。
「お静かになさい」
老女が彼と看守をなだめた。老女はいつも静かに座っている。門の前で叫ぶ彼も、けたたましく騒ぐ看守をじっと見ているのだ。その老女が珍しく口を開いた。
「お静かになさい」
年の功とはあるもので、老女の言葉に看守も口を閉ざした。
「あなたも、毎日、毎日、ここを通るたびに騒ぐのはおやめなさい」
老女が彼に語りかけた。
「なぜ?俺は彼女が好きなんだ。この門さえなければ……」
彼は老女に話した。自分がどれほど彼女を愛してるか、彼女と一緒にいたいという気持ちを。
「あなたの気持ちも分かるけれど、あなたにも主人は……いえ、家族はいるでしょう。あなたの家族は何と言うのかしら?」
老女は彼に話した。
「私たちは自由でない存在。その気持ちも捨てなさい。――あの子はね、足が悪いのよ。そして役に立たないと見捨てられたところを、ここの屋敷に主人に拾われたの。あの子にはここの屋敷がすべて。あなたも同じでしょ。あなたも主人に仕える身。勝手に家族を持つことを許されない」
彼はどうしようもない気持ちに駆り立てられた。
「それでも、俺は彼女が好きなんだ。どうして、どうして彼女と一緒にいれないんだ。彼女が来てくれるのなら、俺は主人から離れたってかまわない」
老女は門の隙間から手を伸ばし、そっと彼の頬に触れた
「あなたは何も知らないの。あなたは子供のころから主人と一緒にいるから。あなたが何を言っても、あの子は行かないわ。だって、あの子は世界を知っているから。一人孤独に眠る夜を知っているから」
老女は微笑んだ。
「それが私たちの宿命よ。あなたが看守と呼ぶあの子もね、彼女のことが好きなのよ。だから、ここに近づく者をすべて排斥しようとする。あなたも同じでしょ。あなたも主人のために存在している。その命もすべて主人のため。彼女を愛するのなら、おとなしくここを通るだけにしておきなさい」
老女の手は温かく、彼はどうしようもない気持ちに駆られた。
「ほら、あなたの主人が待っているわ」
老女は先を指差した。老女指差した先では、彼の主人が待っている。彼を連れて行こうと、綱を強く引きいている。彼はそれに逆らい、必死に門にしがみついた。
「また、帰りに通るから。また!」
彼は叫んだ。その叫びは空に響いた。
ようやく足を進めた彼に、彼の主人はため息をついた。
「まったく、いつも、いつも」
そして主人は足を進め、彼も主人を追う。
「ほら、行くよ。ポチ」
彼が首輪につけられた綱の先にいる主人を見上げた。主人に飼われてから、主人は彼の家族だ。
――ワン
彼が何と言おうと、主人の耳には届かない。
「まったく、どれだけハナちゃんが好きなんだか……」
主人の悪態を聞きながら、彼は足を進める。主人と離れて、彼女と二人で生きていく。言葉にしてみたものの、それはとても難しいことだ。老女の言葉どおり。結局は彼も主人を捨てることができないのだ。