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夕暮れ。
薄暗い廊下に一人たたずむ女。
石畳の床には夕陽に赤く照らされた赤い液体が至るところに滴っている。
血と肉。
血と肉。
血と肉。
血と肉。
血と肉。
血と肉。
血と肉。
血と肉。
血と肉。
……。
血と千切れた肉が無数にそして無造作に転がっていた。
女はトレンチコートを着ており、編み揚げのブーツを履いている。
手には革手袋。指先がカットされたフィンガーレス・グラブというやつだ。
背丈が180センチはあるだろうか、鍛え上げられた体をしている。
「何者だ」
アルバート・ノイマンは目の前の惨状を気にする様子もなく言った。
髪の毛をきちんとセットし、丸眼鏡を掛け、鼻が高く、耳がとがっており、中肉中背で伸長は185センチほど。理知的な雰囲気を漂わせているが、悪く言えば神経質。オレは優秀なんだぞという態度が立ち居振る舞いに表れている。
「学校で習わなかったか? 他人の家に勝手に上がりこむのは不法侵入だ」
にやり。アルバート・ノイマンの口元から異様に伸びた犬歯がのぞく。
「……」
女は答えない。
「それは積極的な否定の意味かね? それとも消極的な肯定の意味かね? どちらにせよ、私は忠実な下僕達を皆殺しにされて黙っているつもりはない」
「……」
やはり女は答えない。
「が、しかし一つチャンスをやろう。黙って警察に自首し、住居不法侵入および殺人の罪に問われるなら見逃してやろう。君は人としての生命をまっとうできる。私はいつもどおり平穏な日常に戻れる。これでも地元では名士として通っているのでね。どうかな、悪くない取引だと思うが?」
「一つだけ言う」
女はここでやっと口を開いた。
「組織に忠誠を誓い、組織に従属し、組織のために働くのなら命は保証してやる」
まるで相手の話など一言も聞いていないかのような態度だ。
「ふん」
アルバート・ノイマンは多少なりとも鼻白んだようだったが、すぐに気を取り直して言った。
「そうか、そうか、そうか、よく分かった、組織ね、うん。組織、組織、組織の手のものなのだな、君は。穢らわしくも汚らしい、下種の掃き溜め、誇りもなく、信念もなく、美学もなく、決して救われることも報われることもない煉獄の住人。………………………………邪神どもめ!」
アルバート・ノイマンは唐突に襲い掛かった。
人ならざる速度を以って。
人ならざる力を以って。
人ならざる牙を以って。
アルバート・ノイマンは一瞬にして移動した。瞬きする暇も与えずに女の目の前まで詰め寄る。
しかし、寸での所でアルバート・ノイマンの動きが止まる。
「……」
アルバート・ノイマンは立ち止まり、中空を凝視した。
緊張の色が見え隠れしている。
ふん。
と女が鼻を鳴らした。
糸。
血。
糸。血。糸。血。糸。血。糸……。
アルバート・ノイマンの眼に縦横無尽に走る極細の糸が映った。
糸にこびりついた血が真っ赤な西日と相まってカモフラージュ効果となっていたのだ。
わずかな反射による違和感、それに気づいたのは単純に運が良かったからだ。
このまま仕掛けていたら間違いなく絡め捕られていただろう。五体バラバラにされていたかもしれない。
ざくっ。
アルバート・ノイマンの腹に何かが突き立てられる。
腹の中で細胞が呻きをあげる。アルバート・ノイマンにとっては過去、幾千回、幾万回と体験してきた馴染みの感触だ。恐らく銀のナイフだろう。銀はアルバート・ノイマンのような存在には毒となる物質だった。ちょうど花粉症などのアレルギーにも似ている、細胞が銀に過剰反応を起こすのだ。
「ちっ」
アルバート・ノイマンは、B級アクション映画よろしく舌打ちし、飛びのいた。
ナイフは腹に突きたてられたままだが、女から眼を放さない。
女はゆっくりと立ち上がった。
人間とは思えない眼光がアルバート・ノイマンを襲う。
……こいつ何者だ?
アルバート・ノイマンが内心思った時である。
「……るるいえ、ふたぐん」
低い唸るような声が女の口から漏れた。
……呪文?……いや、奴等の言語か……。
アルバート・ノイマンは直感した。
「ふんぐるい、むぐるぅなく、くとぅるう、るるいえ、ふたぐん」
女が更に続けると、その両腕から黒い炎のようなものが噴出する。
負の力場。
アルバート・ノイマンのような者が最も忌み嫌うエネルギー形態である。すぐに決着をつけなければならない。この力を食らう前に。
「むん」
アルバート・ノイマンは腹に刺さったナイフを引き抜いた。
「……」
女は驚いたように眼を見開いた。言葉が止まる。
「ひゅうッ!」
アルバート・ノイマンはナイフを投げつけた。
既に人間が反応できる速度ではない。
女はピクリともしなかった。反応しようとしてもできなかったし、そんなつもりは毛頭ないようだった。
ナイフは女の目前で何かに弾かれた。
ナイフが床へ転がった。
恐らく事前に何百もの極細の糸を張り巡らし、設置してあるに違いない。飛び道具への対策はしてあるということだ。
「む……」
アルバート・ノイマンが呻いた時には、指にちくりとした痛みを感じていた。ナイフを投げる間に極細の糸が忍び寄ってきていたのだ。糸の先には悪趣味極まりないことに鉤状の針がついていた。
……腐食。
アルバート・ノイマンは考えるより速く己の手首を握り潰した。
ぶちぶちぶち。
皮膚の裂ける嫌な音。ぼとりと手首が床へ落下する。
そこへ第二のナイフが襲う。
アルバート・ノイマンはそれを読んでいた。身をよじってかわす。
ナイフが空を切ったと見るや、女は返す刀でさらに切りつける。
アルバート・ノイマンは身を沈めてそれをかわした。
ゴッ。
女の足蹴りが顔面へ叩き込まれたが、靴にまでは銀の刃も負の力もないらしい。
アルバート・ノイマンは一歩退いて女を見据える。
女は動かず攻撃の機をうかがっている。
その顔には若干、焦りのような色が見えた。
「ふふふ……」
突然、アルバート・ノイマンは笑みを漏らした。
「………」
女は隙をうかがったまま。
「人間にしてはやる。邪神どもの恩恵を受けていたとしてもだ。大抵の一族の者ならやられていた、イチコロでな」
「……何が言いたい?」
「ふふふ、この私は違うのだよ。何が違うのか、聞きたそうな面だな?」
「………」
女はナイフを突き立てる隙をうかがっているが、攻撃する間が計れないらしい。わずかにナイフを握る手をゆすったのみだった。
「一般にはあまり知られていないことだが、実は我々にもレベルアップというものが存在する……」
「うるさい」
女の手が動く。
アルバート・ノイマンの左の頬がナイフで切り裂かれたが、彼は気にもとめない。
「つまり、私はこの間、レベルアップした」
「……」
「これがどういうことか分かるかね?」
「……」
女は再びナイフを振った。今度は喉を切り裂いた。鮮血が飛び散る。
「無駄だよ」
アルバート・ノイマンは、びくともしない。
「レベルアップには多少なりともスキルがつきものだが、今回のスキルは名づけていうなら、そうだな……、『先祖返り』とでもいうのかな」
「……?!」
驚く女の前で、アルバート・ノイマンの姿が不気味に変化する。
皮膚が緑に変色し、眼が大きく赤く変化し、唇が退化し、ぎざぎざの歯が無数に生え、失った手が生え、指先の爪が強靭な鉤爪になり、背中に大きな翼が生えた。一言で表すなら直立した爬虫類とでもいうのだろう。もちろん喉や腹の傷は跡形もなく消えている。
「……悪魔め」
「旧き神さ、ヤハウェに取り込まれる前のね」
アルバート・ノイマンは翼を振った。屋内に風が巻き起こる。床の血溜りにさざなみが起こる。
「く……」
女は呻いた。極細の糸の群れが風に飛ばされて床へ落ちた。
床の血にまみれると微妙に重心が変化し、操作が極端に難しくなる。
「また会おう」
アルバート・ノイマンは窓を割って外へ跳躍した。
このまま逃げるつもりだ。
「待て!」
女が叫びながら、窓の外をのぞいた時、アルバート・ノイマンは既に夕闇の空にまぎれていた。
それは、ただ『組織』と呼ばれていた。
いつ誕生したのか、誰が作ったのかは一切明らかでない。
人類が気づいたときには既に存在していた。
歴史の闇に隠れ、決して日のあたる場所に出ず、ただその目的は魔族を狩ること。
ひたすら魔族を狩り、狩って、狩って、狩って、狩って、狩りまくる。
人類に仇なすタカ派も、
共栄共存を望む穏健派も、
無関心な隠遁派も、
何もかにもすべて、のべつまくなし、一緒くたに、みそくそに、例外なく、差別なく、丸ごとすべてを消し去るかのごとく。
そのためだけに技術を磨き、経験を蓄積してきた。
魔族を狩るためだけに。
鉤裂千維がねぐらに戻った頃には、外は暗くなっていた。
車のクラクションが時折聞こえてくる。
シャワーを浴び、血と汗をさっぱり洗い落とした。
汚れた服、装備をパッキングしてカゴへ投げ込む。特殊処理を施した袋だ。後で処理班が回収に来るはずだ。
戦いの後、服についた相手の細胞が増殖したり、体内へ侵入したりといった例が過去に何度もあるので、戦闘後の必須事項となっている。
まっさらな服に着替え、今度は部屋中にスプレーをした。
ただの霧吹きだが、中身の水は反魔力処理を施してある。こうしたケアを怠ったために命を落とした同志は少なくない。
ベッドに腰掛けると、紙袋の中から栄養ドリンクの壜、ハンバーガー、シェイクを取り出す。事前に用意したものだった。
壜の中身はやはり反魔力処理を施した水。ビンの中身を飲み干し、今度はハンバーガーを頬張り瞬く間に平らげる。シェイクをすすると携帯電話の着信音が鳴った。
「はい」
受信ボタンを押して電話に出ると、
『オレだ。マックスだ』
野太い男の声がした。
「何の用?」
『かー、相変わらず冷てぇな、セン』
マックスと名乗る男は冗談っぽく言った。
当初は『私の名前はセンイだ』と何度も言い聞かせていたが、何度言っても直らないので、既に訂正すること自体を諦めている。
「その冷たさが心地いいんだろ、マゾ野郎」
『まあな』
マックスはあっさりとうなずく。冗談なのかマジなのか。
『それより、分かってんだろうな?』
「いつもの時間に、いつもの所で」
『オーケー』
電話は一方的に切れた。
千維は携帯をナイトテーブルに置いた。
新たに装備を整える。
トレンチコートを羽織ると、千維は部屋を出た。
「おお、こっちだ!」
店に入るとマックスがすぐに声を掛けてくる。
金髪。いかつい顔。筋肉質。
タンクトップにアーミーパンツという格好である。
「お前、飯は? 食った? あっそ」
マックスはうなずいてコーヒーを2杯頼み、
「ほらよ」
テーブルへ無造作にバッグをのせた。背中に背負えるタイプのバッグだ。
千維は「またかよ」という顔をした。
中に何が入っているのか。
考えただけで頭が痛くなる。
「トミーからのプレゼントだ、良かったな」
トミーとは組織の開発班に所属するメンバーの一人だ。一人怪しげな兵器開発にいそしんでおり、頻繁に現場へ新製品を持ち込んでくる。実戦でのデータが欲しいということだが、それに付き合わされる方はたまったもんじゃない。うまく設計どおりに作動すればよいが、そうでない場合は千維の命が危険にさらされる。
「説明書は中に入ってるそうだ」
「トミーのヤツ、今度あったらただじゃおかない」
「おーこわ」
マックスは軽く流した。
「ところで、討ち漏らしたんだってな」
「『先祖がえり』された」
「何だ、そりゃ??」
驚くマックスを見据えて千維は説明した。
「羽根が生えて空を飛ばれたよ。さすが現状最高位のヴァンパイア」
「……そんなの相手にできんのかよ」
「やり方次第だろ」
千維は「今度は網でもかぶせるさ」とうそぶく。
「ふん、上は不満を露にしてる。自分らは安全なところでのうのうとしてるクセによ」
マックスは忌々しく吐き捨て、コーヒーをすすった。
「次は仕留める」
「いや、上はお前だけでは戦力不足と判断した」
「……」
千維は黙ってコーヒーを一口すすった。
つまり戦力を補強する。即ち、チームを組ませる。
なるほど、上の考えそうなことだ。
千維は思った。
今回はそれを利用するべきかもしれない。もちろん一人でもやるが、二人以上なら仕掛けのバリエーションが増え、成功率は上がる。
「……つまり分け前が減るってことか」
「察しがいいな」
マックスはにやりとした。
「人選が終わりしだい派遣されてくる」
「頼むから、足手まといになる奴だけは選んでくれるなよ」
千維は冗談っぽく天を仰ぐ。
「そういう奴を使い物になるよう仕込むのも仕事のうちだ」
「気楽に言ってくれるよ」
千維はコーヒーを飲もうとしてカップの中身が空になっていることに気づいた。
「もう一杯頼めよ、オレがおごっちゃる」
「サンクス」
千維は片手で敬礼のようなしぐさをして、ウェイトレスを呼び止め、日本語でエスプレッソを注文した。ちなみにマックスとの会話は英語である。
「おいおい、キスの一つくらいもらってもバチは当んねぇぜ」
「こういうとき日本語でなんていうか知ってるか?」
「なんて言うんだよ?」
『一昨日きやがれ!』
声はすぐそばから聞こえた。
千維もマックスも微動だにしなかった。
否。動けなかったといった方が適切である。
「どうかしたかね? 私の中では見た目、旧い知り合いがばったり会って旧交を温めているというシーンだと思っているんだが?」
「あー、ああ、アルバートさんじゃないですか、久しぶりですねぇ、手の具合はどうですか?」
千維がうそ臭い笑顔を作って握手を求めた。この場は話を合わせるしかない。むやみに戦えば無関係の人間が犠牲になるし、戦う準備は何一つしていない。
マックスは「ぐえっ」という顔をした。
「な、何ィ?」
「マックス、この方がアルバートさん、前に話したことがあるでしょ?」
「アルバート・ノイマンです。以後、お見知りおきを」
アルバート・ノイマンは慇懃にお辞儀してみせる。
「こ、こちらこそ、よろしく」
マックスは緊張こそしていたが、度を失うほどではないようである。用心深く相手を観察している。
「よろしかったら、一緒にコーヒーでもどうですか?」
千維は隣の席を勧めた。
「では、お言葉に甘えて」
アルバート・ノイマンは千維の横に腰掛ける。
背が高く、こざっぱりとした身なりをしている。知的で神経質そうな顔だ。
「あー、君。カプチーノを頼む。そう、思いっきり泡立ててくれよ」
アルバート・ノイマンは流暢な日本語でコーヒーを注文する。
「今日は何の用で、アルバートさん?」
ウェイトレスが去るのを見計らい、マックスは言った。
「もちろん昨日の続きよね、決着がまだだし。何時にしましょうか?」
千維は明るく言うが、眼が笑っていなかった。
「いやいや、勘違いされると困る」
アルバート・ノイマンは気障っぽく人差し指を振った。
「たった今、君達のボスに会って、仲直りしてきた」
「……」
そのまま鵜呑みにはできないが、戦う気がないというのは本当のようである。もちろん高位のヴァンパイアであるアルバートが二人を消そうと思ったらすぐにでも可能だ。
戦う準備のできていないハンターなどゴミに等しいのだ。それぐらい戦闘力にひらきがある。
「ちょっと上司と連絡をとってもいいですか?」
「どうぞ」
アルバート・ノイマンは頷く。
マックスはそそくさと玄関付近へ行った。携帯を取り出している。
「何が目的ですか?」
千維は恐る恐る聞いた。
魔族を狩ることが目的の組織が、その魔族と和睦を結ぶなど本末転倒もいいところだ。しかし、より大きな目的のためならその限りではないのかもしれない。歴史上、組織は何度か敵対しているはずの魔族と手を結んでいると聞く。
「まあ、慌てなさんな。おいおい分かることだ」
「ま、どうせろくな理由じゃないんでしょうけど」
やんわりとした不協和音が響き始めた時、マックスが席に戻ってきた。
「どうやら、本当らしい」
「じゃあ、獲物は不在になってしまったって訳だね」
千維は拍子抜けしてか、白けた表情を浮かべている。
「それから、セン。お前、アルバートさんと一緒に行動しろ」
「え?」
千維は驚いて椅子からずり落ちそうになる。
「何で? 何で、そんな命令でんだよ」
「知るか、命令は命令だ」
マックスは肩をすくめ、そしてポンと千維の肩を叩いた。
「良かったな、心強いパートナーができたじゃねーか」
「……えーッ?!!」
千維の頭の中で何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
「何が目的だ?」
千維は単刀直入に聞いた。
既にいつもの態度に戻っている。脅威は去っていないが、少なくとも今現在は脅威ではないことが分かったからだ。
「好奇心は猫を殺す」
アルバート・ノイマンは含み笑いをしてみせる。
「……」
千維は黙ったままアルバート・ノイマンを睨んでいる。今にも懐から銀のナイフを取り出して目の前の優男の心臓へ突き立てそうな勢いだ。
「冗談だ、今はその時期ではないとしか言えない。ま、そのうち分かるよ」
アルバート・ノイマンはコーヒーをすする。
二人はマックスが手配したビジネスホテルにチェックインしており、そのロビーに設置された自販機コーナーにたたずんでいた。
とりあえず上から指示が何もないので、ねぐらの確保を行った。
アルバート・ノイマンは睡眠の必要はないかもしれないが、千維はそうはいかない。
「食事は? アルバートさん?」
千維は皮肉っぽく「さん」付けするが、
「アルバートで構わない」
アルバート・ノイマンは、ち、ち、ち、と舌打ちした。
「じゃ、アルバート。食事の必要はあるか?」
千維は言い直した。
「必要ないよ」
「うら若き乙女の血はすすらない?」
「蒙昧な伝説を鵜呑みにした発言だな。我々は普通に食事するし、通常の生活において血を吸う必要はないよ」
「血が必要となるのは、どんな時なんだ?」
「肉体が大きく損傷した時だな……ああ、君との戦いで損傷した分は既に回復させている。安心しろ、一般人の血を吸ったりはしていない。血液を買い揃えてあるんだ」
「さすが名士」
「言っておくが我が一族は長年に渡って人と共存してきている。誰彼構わず殺したりはしない」
「それは私たちに対する皮肉?」
「そう聞こえたかな?」
「別に。その通りだしね」
千維はさっぱりとした態度で肩をすくめる。
「そうそう、ニンニクは平気なのか?」
そして、思いついたように聞いた。
「……」
アルバート・ノイマンは「おいおい頼むぜ、ベイビー」という顔をした。
二人はそれぞれの部屋に戻り、明日の打ち合わせを済ませた後、就寝となった。
既に11時を回っている。
千維はシャワーを浴び、ベッドに横になった。
当然のごとく何があってもすぐ戦えるよう、服を着ているし、装備も整えていた。
横たわるとすぐに意識がまどろみ始め、すぐに閉じてしまった。
夢。
何かを探している。
手が届かない。
憎悪。
嫌悪。
殺意。
全身の細胞がそれらの感情で満たされる。
失意。
失望。
絶望。
全身の細胞がそれらの感情で満たされる。
……。
千維は誰かの名前を呼んだ。
そいつはもうそこには居ない。
探す。
探し出して八つ裂きにしてやる。
粉々のバラバラのぐちゃぐちゃにして、足蹴にしてやる。
そして、そして、そして……。
そこで千維は眼が覚めた。
枕の下からナイフを取り出し、そいつの鼻先に突きつける。安全に目覚めた時以外のすべての状況下において反射的に行われる動作であった。
「おっと」
千維の傍らに立ち、彼女に向かって片手を突き出していたそいつは、大げさに驚いたような表情をした。
「何の用?」
「いや、うなされてたみたいだったんでな」
そいつ、アルバート・ノイマンは恐る恐る手を引っ込めた。
「……どこから入った?」
千維はナイフを突きつけたまま聞く。
「窓からだ。入り口には糸がバカみたいに張ってあったんでな。罠もあるし」
確かに窓が開いていたが、隙間は1センチもない。
「霧になって入ったとでも?」
「吸血鬼にとってはオーソドックスなスキルだよ」
アルバート・ノイマンは微笑んだ。
高位の吸血鬼は、自在に形態を変えられることが確認されている。狼、蝙蝠、霧などなど。
千維はナイフを外した。
脇のホルスターに収める。
ノースリーブの黒のタンクトップ姿で、ナイフを収めるホルスターをタフベルトで吊るしている。下は動きやすいコットンパンツ。
日本人離れしたグラマラスな肢体をしている。
「透視にアンロックも使えるってことだな、お茶は?」
千維はベッドから起き上がる。
のどの渇きを癒すため、ティーパックのお茶を煎れた。
「そこいらの吸血鬼とは年季が違う、いや、いらないよ」
「ところで、こんな夜中に何の用だ?」
千維は椅子に座ってお茶をすする。
「手短に言うと危険が迫ってる」
「危険?」
「もうすぐ襲撃がある」
「……予知能力もか……」
「信じる信じないは君次第だが、ここでは一般人に被害が出るだろうな」
アルバート・ノイマンの口調はいつになく真面目だった。
「オーケー、外に出よう」
千維はコートを取った。