天然少年のお話
俺は、入院していた。入院と言っても別に凶悪犯に刺されて重症とかでもなく、とんでもなく馬鹿な理由でこの病院に搬送されてしまった。
「た~くみ君。ちゃんと生きてるー?」
病室の扉が勢いよく開き、よく知った顔が覗いた。俺の顔を見て笑顔になると、扉をしめて小走りでこちらまでやってきた。
なんだか、むかつく。俺は体を起こした。
「……なぁ、隼人。」
「ん?なになに?」
「ちょっとさ、こう、手を顔にかざしてみて…。」
自分の右手を顔にかざし、手本を見せる。隼人は何も疑う素振りも見せずに右手を自分の顔にかざした。俺はいきおいよく、その右手を引っ叩いた。
「ぶっ?!」
いい音がした。ちょっとした八つ当たりだが、疑いもせず信用した隼人に、少しだけ罪悪感が湧いた。……ような気がした。
「いきなり何すんだよ、お前は!」
右手を顔から離して、隼人が言う。少しだけ悪いと思ったので、正直に答えよう。
「いーちゃんの真似。」
「はぁっ?」
意味がわからない、とでも言うように俺を見た。まぁ、俺は正直に言ったので、これ以上説明する義理も必要もなかった。
「それで、俺になんか用でもあんのー?」
すっかり話題が逸れてしまったので俺から聞いてみる。それでやっと話題が逸れていたことに気づいたらしく、隼人が「あぁ」と声を上げた。
「匠にお客さんだよ。俺が連れてきてやったんだから、感謝しろよ。じゃ、俺話し終わるまで廊下で待ってるからさ。」
そして、隼人が病室を出て行くのと入れ替わりに、これまたよく知った顔が病室に入ってきた。彼女は扉をしめるとゆっくりとこちらに歩を進めた。
「あの、匠君。怪我の具合はどう?」
やっとのことで紡ぎだした言葉、そんな感じだった。
「あぁ、大丈夫だって。気にしないでいいよ。」
笑顔で言う。彼女はそんな俺を見て少し安心したようだったが、それでもまだ気まずそうに言った。
「ごめんね。あたしのせいで……。」
「いいっていいって。あれは俺の不注意だし、柊さんの責任じゃないよ。」
ちなみに俺の怪我の理由は――学校の階段を下りながら、ちゃんと前を向かず柊さんと話していた。そこを階段を上ってきた下級生とぶつかった。勿論、ちゃんと前を向いてもいなかった俺は、階段を真っ逆さまに落ちた。床に強く打ちつけて足は折れましたと。思い出したらなんだかとても惨めな気分になった。
……もっとカルシウムを摂っておけば。いや、そういう問題じゃないか。
「だって、あたしが匠君に頼まなかったら――」
そう言って、俯いてしまった。俺としては柊さんが責任を感じる必要はないと思う。
まぁ、確かに教室まで運ぶものがあるから、と言って俺に頼んだのは彼女だけど、席も隣同士だし。日直の関係で教室にいたの俺だけだったし。あの場面はしょうがなかっただろう。
……結局、俺手伝ってないしさ。
「い、いやさ、本当大丈夫だって。入院だって大げさなもんだし、俺すっごい元気だからさ。ってかさ、教室に運ぶものがあるって言ってたけど――大丈夫だった?」
柊さんが顔を上げる。少し涙目になっていた。女の子を泣かす男は最低だ、と俺の親友が言っていたのを思い出した。
もしかして、俺って最低?
「うん。先生に手伝ってもらったから、大丈夫だったよ。」
それならよかった。柊さんが一人で運んだようなら、なんていうか、男として許せなかった。
「でも、よかった。匠君いつもどうり優しくて。あたし、匠君に嫌われちゃったらどうしようかと思った。」
そんなに俺は好かれてたのか。なんだか照れた感じだ。柊さんのことを見る。笑ってくれた。いつもあまり見せない笑顔がすごく綺麗だった。俺は、テレビで見た可愛いアイドルを思い出した。ずっと見ていたい気分になったが、すぐに笑顔は崩れ、顔を真っ赤にした。
「ご、ごめんねっ!じゃあまた来るから、じゃあねっ!」
「あ、あのさ」
柊さんが駆け出した。俺は最後に思ったことを正直に言った。
「柊さんって、笑うとすごく可愛いよね。学校とかで、もっと笑うといいよ。」
そう言って俺が笑うと、柊さんは真っ赤な顔をさらに真っ赤にして、病室を出て行った。……俺、何か変なこと言っただろうか?
まぁ、いいだろう。本でも読もうか。顔を横に向かせる。
「お前、俺のこと完璧に忘れてただろ?」
隼人の顔があった。いつの間に戻ってきたんだろう。
「お前の影が薄いのが悪いんだよっ!」
「どんな言い訳だよっ!」
一秒でつっこみが返ってきた。つまらない漫才だった。
「悪いが、話は全部聞かせてもらった。」
なんだか不気味な笑みをこちらに向かせてくる。よくわからない。
話を全部聞いていた、ということはコイツは俺と柊さんの会話が終わるまで、ずっと病室の扉に耳をくっつけて聞き耳を立てていたのだろうか。
想像してみたら、ただの変人だった。
「あ、そう。柊さんっていい子だもんな。」
「あー、やっぱそう思うよなー。って、なんだよそれ。」
べしっ、という効果音がつきそうな感じで、俺の頭は叩かれた。
「貴様、我に何をするかっ!」
「申し訳ありません皇帝閣下っ!ってだからなんでだよ。」
二回目だった。別に俺は叩かれるようなことは言っていない。
喜んで叩いた?ってことは
「このサドスティック野朗が!人を虐めて何が楽しい!お前の頭はどんな構造をしているんだ!」
「なんでそうなったんだよ!俺はお前の頭の構造を知りてぇよ!」
勘違いだった。
「だからさ、俺は、お前が柊さんのこと、好きなんじゃないかって言いたいんだよっ!」
意味不明だった。特に、柊さんのことを好きか好きじゃないかで見たことはない。いい子だとは思うけど、まぁ、とにかく。
「別に?」
隼人がため息をついた。呆れられたようだった。
「あー、まぁいいや。じゃあ俺も帰る。また来るわ。」
「あぁ、じゃあな。」
隼人が扉に手をかけたとき、軽く手を振った。そのまま出て行くと思ったら、一度だけ振り向いた。
「じゃあな、天然たらし君。」
言い返す間もなく、扉が閉められた。意味不明だった。
数日後、見舞いに来た隼人に最後の言葉の意味をたずねた。
その意味を理解して、俺はこの病室が個室で本当によかった、と神様に感謝した。