0009お盆の頃
夏休みに入った週末
温泉旅館の川床には 清流の音が絶えず流れていた
菫は一人 川に面した席に腰を下ろす
観光客は未だまばらで
この時間帯は村の人のほうが多い
女将が手書きのメニューを置いた
「今日はな
いちごの冷やし甘味と
シャインマスカットの冷静デザートがあるよ」
菫は思わず目を落としたまま止まる
どっちもこの村のものだ
春に話題になったいちご
最近 少しづつ評価が上がってきたシャインマスカット
いちごは甘くて分かりやすい
村の人にも 観光客にも受けがいい
シャインマスカットは
まだ「これから」の存在
値段も高く 出すのをためらう店もある
どっちを選ぶかで
何を応援しているか 分かっちゃう気がするな
菫は苦笑いした
「悩んでるねえ」
女将がからかうようにいう
「両方っていうのは…」
「今日はやめとき ちゃんと迷った方がええ」
その言い方…少しだけ真剣だった
菫は少し考えてから言った
「シャインマスカット お願いします」
女将は何も言わずに頷いた
運ばれてきた皿には
冷やされたマスカットと 透明のジュレ
一口食べて 菫の目は瞬いた
ちゃんと 美味しい
派手じゃない
でも確かに丁寧な味だった
川の流れを見ながら思う
この村も こんな感じなのかもしれない
直ぐに分かりやすく評価されなくても
ゆっくりと ちゃんと前に進んでいる
夕方 川床を離れる頃
水面に夕日が揺れていた
どっちが正解かは まだわからない
でも迷える場所にいるのは 悪くない
菫はそう思いながら橋を渡った
お盆に入ると 村の空気は少しだけ変わった
昼間の静けさはそのままだが
夕方になると見慣れない車が何台か 役場前や集会所近くに止まる
県外ナンバーも混じっている
菫はその変化を誰よりも早く感じ取っていた
「やっぱりこの時期は違いますね」
私は書類から目を上げずに頷いた
「人は戻るけど 生活までは戻らない 不思議なもんです」
休日の午後 菫は駅前…といってもバス停のある小さな広場で
都会から帰省した友人と再会した
高校時代の同級生 今は大阪で働いている
「久しぶり!相変わらず静かやなあ」
友人は笑いながら言ったが
その笑顔には少しだけ 見下ろす側 の余裕が混じっていた
菫はそれに気づきながら 気づかないふりをする
「まあね でも最近はちょっと忙しいよ
イベントとか 移住体験とか」
「へえ 役場ってそんなこともやるんや」
「やる というか …やらないと この村はなくなるから」
言葉にした瞬間 胸の奥が少し痛んだ
都会に出た友人には 重すぎる話かもしれないと
私は隣村にある実家へ
ほんの短い時間だけ顔を出していた
仏壇に線香をあげ 母と二言三言近況を話す
「今は役場で働いとるんやろ」
「うん まあ そんな感じ」
詳しくは話さない
自衛隊時代の事も
通販の巨大倉庫で働いていた事
夜勤の施設警備員だった事も
ここに戻ってきた理由も
実家の縁側に座ると 私は村と村の境目にある山の稜線を眺めていた
子供の頃と何も変わらない景色
自分の中だけが
少しだけ遠くへ行って 戻ってきた
バス停へ向かう途中 二人は川沿いの道を歩いていた
夕方の風が少し涼しくヒグラシが鳴き始めていた
「なあ…菫…」
友人が何気ない調子で言った
「この村ってさ…正直 住める?」
足がほんの一瞬だけ止まりそうになる
菫は歩幅を変えずに そのまま前を向いた
「どういう意味で?」
「仕事とかさ 買い物とか 将来とか
ほら 子供育てるとか考えたら」
責める口調ではない
むしろ心配してくれている という顔だった
「住めるよ」
少し間を置いて 菫は答えた
「便利じゃないし 選択肢も少ないけど
でも 全部がダメってわけじゃない」
友人は
「そっか」と言いながら
川面を覗き込む
「私はさ 正直無理やと思うわ
でも 菫がここで働いているのは…なんか凄いなって」
その言葉に 胸の奥が少しだけ温かくなる
同時に逃げ場を失った感覚もあった
「私もずっとここにいるかは分からないよ」
菫は 少しだけ本音を混ぜた
「でも今は
住めるかどうか分からない村を
考える場所 にする仕事をしてる」
友人は驚いたように菫をみて
それから笑った
「相変わらず 真面目やな」
バスが見えてきた
エンジン音がこの時間の終わりを告げている
友人が乗り込む寸前 振り返って言う
「また帰ってくるわ
その時 答え変わってるかもしれんしな」
菫は手を振りながら 小さく頷いた
答えはまだ途中
この村も 自分自身も
夕方 村に戻ると 菫が役場前に立っていた
友人を見送ったところらしい
「おかえりなさい」
「ただいま ですかね」
二人は並んで川の方へ少しだけ歩く
「友達 帰って来たんですか」
「はい 都会の話 沢山聞きました」
「楽しかった?」
菫は少し考えてから 首を横に振った
「楽しい だけじゃなかったです
私 ここに残っているんだなって改めて思いました」
私は何も言わなかった
ただ同じように「戻ってきた人間」として
その言葉の重さだけは分かっていた
遠くで迎え火の煙がゆらりと立ち上る
村は変わらず静かだ
だが人の心だけは それぞれの場所で揺れている
お盆はそんな揺れを
そっと浮かびあがらせる季節だった




