0004田植えの頃
五月に入ると山の空気が湿り気を帯びた
朝の役場の駐車場には冬の間は見なかった軽トラックが並び
荷台には苗箱が積まれている
「もう田植えかあ…」
私は窓の外を眺めながら小さく呟いた
桜の季節が過ぎまだ二週間余りしか経っていない
反省会だ 報告書だと追われているうちに
季節はさっさと進んでいく
今年は例年と違う
移住希望者参加型の田植え体験イベントに
名前だけ見ればのどかだが実態はなかなか骨が折れる
「幸一さん 参加者が想定より多いです」
小川菫がタブレットを抱えたまま顔を上げた
その声は何時も通り落ち着いているが
目の奥にはわずかながら疲れが残っている
桜のイベントの後始末を
彼女がどれだけ引き受けてくれたか 私は知っている
「またか…」
「はい 放送を見た人が多かったみたいで
桜の町で田植えが出来るなら行ってみたいって」
菫は言いながら 少しだけ口元を引き結んだ
その表情をみて私は気づいた
菫はこのイベントを只の集客とは思っていない
当日
バス路線しかない町に朝から臨時便が何本も入った
リック姿の若い夫婦 子供連れ 単身の中年男性
「移住希望者」と言っても
一言では括り切れない人たちが集まっている
一方で田んぼの持ち主である地元農家たちは
複雑な顔をしている
「正直な話な…」
長靴を履いた年配の農家が私に小声で言った
「見世物みたいにされるのは ちょっと違うとおもうとる」
「…ですよね」
「田植えはな 祭りやない 生活や」
言葉は穏やかだが芯は硬い
私は頷くしかなかった
昼休憩の時 菫が参加者の一人に説明している場面を見かけた
「ここは機械が入れないので今も手植えなんです
効率は悪いですが その分 水の管理もしやすくて…」
その説明は丁寧で誇張はなかった
「凄いでしょう」も
「大変なんですよ」とも言わない
ただ 事実をそのまま伝えている
説明が終わり人が散った後 私は声をかけた
「菫さん 無理していない?」
一瞬 彼女は驚いたような顔をしたが
直ぐに小さく笑った
「正直言うと 一寸だけ」
「やっぱり」
「移住って 夢みたいなに語られるじゃないですか でも…」
菫は田んぼを見つけたまま 続けた
「ここで暮らすって 結局こういう毎日の積み重ねで
楽しいだけでなく合わない人も絶対にいる」
言葉が少しだけ低くなる
「それをちゃんと見せないまま人を呼ぶのは
私はあまり好きじゃないんです」
それは役場職員としては少し危うい本音だった
だが私は不思議と安心した
「同感です」
そう答えると
菫は驚いたようにこちらを見て
そして少し照れたように視線をそらした
泥に足を取られながら 参加者と地元民が
同じ田んぼに並ぶ
ぎこちない動き 笑い声 小さな溜息
この町は相変わらず不便だ
鉄道も無く バスも少ない
だからこそ 残る人も 来ようとする人も
覚悟がいる
私は腰を伸ばしながら思った
このイベントは成功か失敗かで言えば多分成功だ
でもそれ以上に 誰がこの町に残り 誰が去るか
静かに選別する場になるだろう
そしてそれでいいのかもしれない
田植え体験のイベントから三日後
役場の会議室には 長机を囲んで数人の地元農家が座っていた
湯呑茶碗から立つ湯気が妙に重たい空気を作ってる
「…正直なとこ どうやったんですか」
私は資料を閉じてから切り出した
率直すぎる問いだが こういう場所では回りくどいのは逆効果だ
最初に口を開いたのは渋い顔をしていた
年配のあの農家だ
「うーん…半分やな」
「半分ですか」
「悪くなかった部分と やっぱりアカン部分と」
そう前置きして ゆっくり続ける
「若い衆がな 思ったよりちゃんと話を聞いとった
写真だけ撮って帰るんちゃうか思っとったけど 違うた」
別の農家が頷きながら口を挟む
「あの女の子 菫ちゃんが説明しとったやろ
楽しいだけちゃいますって はっきり言うとった」
私は横に座る菫をちらりと見た
彼女は表情を変えずに ただ静かに聞いている
「正直 あれを聞いて帰った人もおるやろ」
「せやろな」
「それで ええ」
年配の農家は茶をすすってから言った
「覚悟の無い人間に 田んぼを預ける気はない」
その言葉は重かった
この町で土地を持つという事は単なる資産ではない
生活そのものであり 先祖から続く責任である
「ただな…」
一人腕組をしていた中堅の農家が少し言いにくそうに切り出す
「役場さんにいうのもなんやけど
あんまり移住押しが強くなるとしんどい」
「どういう意味でしょうか」
「来る人ばかり見て
今おる人間が置いてけぼりになる感じがするんや」
会議室が静まる
私はメモを取る手が止まった
「桜も田植えも 外向きはええ
でもその後のゴミ 交通 草刈り 全部こっちや」
それは苦情でなく 確認だった
ここで菫が静かに口を開いた
「…今回のイベント
移住してもらうため というより
暮らせるかどうかを知ってもらう為 のつもりでした」
一瞬農家たちは彼女を見る
「合わない人は きっと来ません
でも残る人は……」
少し間を置いて 続けた
「たぶん私たちの話をちゃんと聞いた人です」
年配の農家が ふっと笑った
「若いのに ようわかっておるな」
「昔はな 村に入るのは 就職やなくて結婚やって
言われたもんや」
その言葉に何人かが頷いた
会議が終わり際
年配の農家が私に向かって言った
「今回のイベント
成功か失敗かで言うなら」
少し考えてから はっきり言う
「成功しすぎなくてよかった」
私はその言葉を胸の中で反芻した
数は追わない
夢を売らない
生活を そのまま見せる
それがこの村のやりかたなのだ




