0035正式採択通知
季節は盛夏
午後の役場は 静かな活気に満ちていた
窓から差す夏の光はまだ眩しく
机の上の図面や書類の影を濃く落としている
私は相談室のテーブルに並んだ
資料の山をひとつずつ確認していた
そこにあるのは
修正された設計図
工事仕様書
安全対策案
環境配慮計画
交通動線と駐車場案
使用材料一覧
「…いいな」
独り言が 空気に溶ける
隣には菫も座っていた
パソコン画面には
複数のPDFファイルとメモが開いている
「設計の方から
最終チェック依頼が来ました」
菫が小さな声で言う
「うん…ここは想定どおりだ」
私は 手元の図面をめくる
プロジェクトは
最初のプレゼン時とは違う形になっている
当初の大きな夢は
幾つかの現実的な制約の前で整理された
しかしその分
「実際に建つ場所」として
確かな根を下ろし始めていた
「今年度中の着工は…
まだ確定ではないけど」
菫が言葉を継ぐ
「予算は確保されつつあります」
「うん…補助金関係は最終段階やな」
私は
過去の仕事のことも思い出していた
計画書 仕様書 申請書 どれもこれも
矛盾と妥協の連続やった
だが
この道の計画は違う
これは
ただ作るもの じゃなく
村の未来と関わるもの だ
そこに気づいた途端
胸の奥がしっかりしてくる
画面を見れば
工事業者からの質問メールが届いていた
「基礎の排水処理予定について
現場条件を満たす確認をお願いします」
その一件に
設計の動きが明確な手応えを持っていることが見える
私は
少し笑ってから答えを書く
「現場優先で対応してくれ 最終承認は今日中に出す」
キーボードを打つ指先が
迷いなく進む
彼の肩には
計画を現実にする責任 が静かに乗っていた
数日後
午後の空は高く 秋の気配を少し含んでいた
役場の応接室に
私と上司の課長が座る
「山中君 電話だ」
課長が受話器を手渡す
画面の端の時計が
午後三時を少し回ったところ
私は受話器を取り
数秒の沈黙の後こう答える
「はい 山中です」
受話器の向こうの声は
落ち着いているが 確かな重みを持っていた
「…補助金
正式に満額採択が決定しました」
その一言が
ぎゅっと短く詰まっている
私の胸の中で
静かな衝撃が走る
「分かりました ありがとうございます」
そう言って受話器を置く
しばらく横にある市量を見つめた後
私はゆっくりと深呼吸する
課長が柔らかく言った
「やったな」
その一言は
大袈裟な祝辞ではない
ただ
今までの積み重ねを
ちゃんと認めた言葉だった
私は 机の引き出しから
最初に申請書を書いた頃のメモ帳を取り出す
表紙は擦れて
何度も開かれた跡がある
そして
静かに呟く
「これで…動ける」
彼の視線の先には
窓の外の青い空が広がっている
風も
秋の入り口の香りを運んでいた
正式採択
それは 始まりの認定 でもある
喜びはあっても
それを飛び跳ねるような派手さはない
ただ
彼の胸の奥で
明確な確信が灯る
これでほんまに工事まで行ける
そして 静かに
新たなページが開かれた
夕方の空気はもう夏とは少し違っていた
日差しはまだ強いが 空気の重さは秋の気配を含む
川床のテラス席では 最後の賑わいが続いていた
どのテーブルにも 冷たい飲み物と笑顔がある
菫は息を切らせて
川床に駆け込むようにやって来た
「遅れてすいませんー!」
駆け込んだ先には
いつもの女将さんがのんびりとお客さんに声をかけている
「菫ちゃん ほれ もう終わりやで」
女将さんは 涼しげに微笑んだ
「うう…今年の夏は全然休めなくて!
仕事 仕事 仕事で!」
菫は大袈裟に両手を広げて空を仰ぎ
女将さんの前にどっかり座る
「川床が最後の日に
やっと来れたんですよ~」
女将さんは笑いながら
菫の肩を軽く叩いた
「ほな まずはこれでも飲みぃ」
女将さんが差し出したのは
冷たい麦茶と氷の入った小さなグラス
「ありがとう
もう 夏が終わる頃にやっと一息ですよ」
菫はグラスを一気に少し飲む
ふーっと溜息が漏れる
「仕事は楽しいんですけど
休みが追いつかなくて…
もう 川床の音を聞きながら
ただ座ってるだけで幸せです!」
女子のように笑う菫を見て
女将さんも微笑む
「菫ちゃんは
休むタイミング見つめるのが
下手なんやから」
「えーそんなことないですよ~」
菫は照れくさそうに笑いながらも
目は既に川の流れに向いていた
流れる水の音
冷めたい風
遠くの蝉の声
「…こうしてただ居るだけでも
なんか贅沢ですよね」
「せやろ
村の夏は忙しいけど これが最後やで」
女将さんは優しく言う
「来年は…
ちゃんと最初から来たいです」
菫は力強く頷く
「まずは 今年最後の川床 をちゃんと味わうんやで」
女将さんがそう言って 二人で笑う
テーブル越しに
川のせせらぎが ひんやりした音をたてて流れていた




