0003桜の頃
この村の桜は遅い
四月の半ばを過ぎてから山の稜線が
じわりと淡い色に染まり始める
「…来ましたね」
小川菫は窓の外を見て言った
来たのは桜だけではない
週末を前に役場の電話は鳴り止まなくなった
「駐車場は何処ですか」
「トイレは有りますか」
「屋台は出ますか」
「まだ咲いていますか」
ふるさと振興課の机の上には
即席で作った案内図と注意書きが積み重なっていた
「イベントと言っても」
上司はぼやいた
「ただの毎年咲く桜や」
だが山間部の桜は貴重だ 平地で散った後に咲く
それだけで人が集まる
問題は想定以上に集まった事だった
昼前には臨時駐車場が満車になった
路肩に止める車
狭い生活路に入り込む観光客
「山中さん苦情です」
「今度は何処だ?」
「集落の入り口が通れないって」
私は村役場の名前入りのジャンパーを羽織った
「現地見てきます」
軽トラックで現地に向かう途中
歩いている観光客に何度も頭を下げられた
「すみません トイレは…」
「この先の公民館 開けてあります」
即席の判断だった
だが、止めるより流すしかない
午後には 集落の古老が役場に来た
「昔はこんなに人は来なかった」
怒っているようで 少し誇らしそうでもあった
「嬉しいけどな」
そう前置きしてから
「生活があるんや」
菫が深くうなずいた
「すいません配慮が足りませんでした」
その声は仕事の声だった
私は分かった
彼女は謝る側に慣れ過ぎている
夕方役場の前で二人並んでいた
「都会なら警備会社呼んで
イベント会社が仕切って終わりですよね」
菫が続けて言った
「ここでは誰がやるんですかね
私たちですかね」
桜は静かに咲いている 見上げれば綺麗だが
足元はぐちゃぐちゃだ
「でも」
菫は続けた
「誰かが来てくれるのは やっぱり嬉しいです」
その言葉は彼女自身に言い聞かせているようでもあった
私は桜を見上げて言った
「人が来る村はまだ終わってません」
「そうですね」
夜役場に戻ると上司がカップ麺を差し出した
「初めての観光対応やな」
「はい」
「悪くなかったぞ」
それは評価だった
春は短い
桜は直ぐ散る
だがこの村は
咲いた後に残るものと
向き合わなければならなかった
桜が散った翌週ふるさと振興課では反省会が開かれた
反省会と言っても立派な資料が並ぶわけでも無い
コピーした来場者の推計
苦情の件数
そして各自のメモ
「例年の三倍です」
菫が数字を読み上げた
「車両トラブルが七件
生活道路への侵入が二十三件
苦情は…正確な数は把握できていません」
上司は腕を組んだまま 天井を見ている
「原因は分かっている」
地方局の番組表だった
「特集 組まれとるな」
「はい…知る人ぞ知る 遅咲きの桜 だそうです」
菫の声は少し硬かった
番組では
ドローンからの空撮映像で山全体を映し
「今が見頃」「アクセス良好」と繰り返したらしい
「アクセス良好って」
上司が鼻で笑う
「誰基準やねん」
私は黙って資料を見ていた
盛り上げた側は村の魅力を伝えただけだ
嘘は言っていない
だが
対応する人間は 村の側にしかいない
「放送局には何か言うんですか?」
菫は言った
「言わんよ」
上司は即答した
「言っても次の村が映るだけや」
それは現実だった
「じゃあ 来年はどうする」
上司は私たち二人に問うた
菫は少し考えながら言った
「最初から 来てほしくない人を
想定して動く必要があると思います」
その言い方に自分でも驚いたようだった
「どういう意味だ」
「悪気が無くても生活を壊す人はきます」
一瞬部屋が静まった
私は口を開いた
「来年は 見に来る桜 じゃなくて
歩いてみる桜 にした方がいいです」
二人がこちらを見る
「駐車場を減らしてシャトルを出す
歩けない人は…仕方ないですよね」
菫が目を見開いた
「それ苦情出ますよ」
「出ます」
「炎上しますよ」
「します!」
それでも私は続けた
「でも守れるものは守ります」
上司は 暫く黙ってから言った
「…盛り上げるのは誰でもできる
片付けるのは俺たちだけや」
会議が終わった後
菫は小さく言った
「都会のイベントなら成功って言われてますよね」
私は頷いた
「数字だけ見れば成功です でも ここでは違う」
菫は少し笑った
「私 最近思うんです」
「はい?」
「この村は静かじゃないと壊れますね」
その言葉は
私のこの村への理解に近づいていた
桜はもうない
だが盛り上がった後に残るものを
どう扱うかで
村の未来は決まる




