0023梅の頃
朝の空気は冷たいそれでも
それでも 村の山あいには 確かに春の気配があった
菫は 出勤前に少しだけ寄り道をした
観光梅林へ続く細い道
足元の土は固く 霜が残っている
梅の木々は まだ花を開いていない
けれど枝先には小さなつぼみが はっきりと見えた
菫はスマートフォンを取り出す
一枚だけ 写真を撮る
近づきすぎず 引きすぎず
梅林のつぼみです もうすぐ春です
それだけを描いて 投稿した
役場に着くと いつも通りの午前が始まる
電話 書類 来客
特別な事は何もない
…はずだった
「菫ちゃん」
昼前に窓口の職員が声をかけてくる
「梅林の方
車がちょっと多いみたいやで」
「え?」
外を見ると
見慣れない車が数台 山の方へ向かっている
昼過ぎには はっきりしてきた
観光客が ぽつぽつと来始めている
「早ない?」
「まだ咲いていないのに」
「SNS見たって言うてた」
菫は 思わず苦笑いした
「…私ですね」
私が地図を広げる
「駐車場 何台分でしたっけ」
「正式なのは…十数台です」
「今日は?」
「それ 超えてます」
困った空気
でも 誰も深刻な顔はしていない
「怒ってる人は?」
「いません 咲いたらまた来るわ って」
その言葉に 場が少し和む
午後 菫と私は 梅林の様子を見に行った
梅の木の間をゆっくり歩く人たち
カメラを構える人
ベンチに座ってお茶を飲む人
「まだやなあ」
「でも ええ空気やな」
そんな声が聞こえる
ただ 道の端には車が並び始めていた
「やっぱり 駐車がネックですね」
菫が言う
「はい」
私は頷く
「でも」
少し間を置いてから続けた
「来る前に困るより 来てから困る方が まだいいですね」
菫は梅の枝をみる
「…そうですね」
「それに」
「はい?」
「咲いたら来る って約束して帰ってます」
二人は 顔を見合わせて笑った
役場に戻ると
掲示板に手書きの紙を貼った
梅林をご利用の皆様へ
駐車スペースが限られています
ご協力をお願いします
完璧ではない
でも 今出来る事は やった
夕方 菫はスマートフォンを開く
投稿には いくつか返信がついていた
もうすぐですね
来週あたり 行きます
咲いたら教えてください
菫は小さく息を吐く
「…ちゃんと 届いている」
まだ咲いていない梅林
まだ足りない駐車場
でも
春は 確実に近づいていた
少しだけ困って
少しだけ嬉しい
そんな一日だった
その日 役場の前に一台の県の公用車が止まった
見慣れた色だが 村ではまだ少ない
「来ましたね」
菫が窓から外を見て言う
「予定とおりです」
私はファイルを一度だけ確認して立ち上がった
県の担当者は二人
派手さはなく 歩き方も早すぎない
「今日は 現地確認を」
名刺交換は簡単だった
「よろしくお願いします」
形式的な言葉だがその裏には
「ここから先に進めるかどうか」が
詰まっている
最初に向かったのは 旧小学校跡地だった
校庭は 今は広く静かだ
風が吹くと 草が一斉に揺れる
「ここが想定地ですね」
県の担当者が周囲を見渡す
「はい」
私は地図を開く
「現在はキャンプ場として使っています
電源 水回りは最低限あります」
「なるほど」
担当者は メモを取りながら歩く
「アクセスは バスのみですか?」
「はい 最終便は夕方です」
その説明に 担当者は顔を上げた
「それは住民説明会でもめませんでしたか」
菫が答える
「もめました でも 試験的に ということで」
「試験的」
担当者はその言葉を復唱した
「良いですね」
校舎の中に入る
廊下の床は少し軋む
「ここを 休憩スペースに」
「こちらは 情報掲示と直売を想定しています」
図面は まだ粗い
だが 嘘はない
「全部はやらない」
私は はっきり言った
「最初は 使えるところだけを 確実に」
担当者は頷いた
「無理をしない計画ですね」
次に向かったのは 温泉旅館の近く
川の流れが見える場所だ
「ホタルの時期は 人が来ます」
「夜間対応は?」
「宿泊前提にしています」
「警備は?」
「役場 旅館 消防団で連携予定です」
担当者は 川を見ながら言った
「この村 人を呼ぶ より
人を受け止める 話が多いですね」
菫は 一瞬考えてから答えた
「たぶん…それしか出来ないからです」
その言葉に
担当者は少し笑った
役場に戻り 簡単な振り返り
「今日のところは
大きな問題はありません」
その一言で
部屋の空気は少し緩む
「内示については 引き続き調整します」
確約ではない
だが否定でもない
車が見えなくなるまで
二人は外に立っていた
「どうでしたか」
菫が聞く
「見られましたね」
私は言う
「建物も 計画も 覚悟も」
菫は 静かに頷いた
評価は まだまだ先だ
でもこの村は今日
説明できる場所 になった
それだけで
十分な一日だった




