0014台風
台風が接近しているという知らせは
前日の昼には出ていた
進路は紀伊半島をかすめる予報
大きく逸れることはなさそうだが 雨と風は強くなる
夕方 役場では当直体制が組まれた
防災担当 土木 総務
泊まり込みを前提に布団と簡易ベットが運び込まれる
「山中さん 今日は残りで」
上司が短く言う
「はい」
私はそれ以上何も言わなかった
当然の判断だ
夜 役場の窓を打つ雨音が強くなる
風が建物を揺らすたび 古い蛍光灯がかすかに鳴った
地図と雨量計 防災無線の待機表示
電話は 思ったほど鳴らなかった
「昔は こういう夜の方が怖かったな」
誰かがぽつりと言った
「今は 雨量も風速も見えるから」
私はモニターから目を離さずに答えた
「でも見えるから待つしかないですね」
深夜 強風域に入る
役場の中では仮眠と待機を繰り返す
一方自宅待機となった菫は家の中でラジオをつけていた
雨戸を閉め 最低限の灯りだけを残す
携帯を見るが とくに連絡はない
それが一番いい知らせだ
役場は今頃忙しいのかな
そう思ってから
「何も起きないことが仕事なんだ」と
自分に言い聞かせる
明け方 風が急に弱まった
雨も いつの間にか細くなっている
「ピーク越えましたね」
誰かが言う
私は外の様子を確認してから 記録に一行書き加えた
特記事項無し
朝七時雲はまだ低いが 村は無事だった
倒木無し
河川の増水も警戒水位未満
診療所からも異常なしの連絡
「お疲れさまでした」
上司の一言で 泊まり込みは解散となる
外に出ると 濡れた道に朝の光が反射していた
村は 何時も通りの顔をしている
その頃 菫も家の外に出て 空を見上げていた
雲の切れ間から 薄い青がのぞいている
何もなくてよかった
それ以上でも それ以下でもない
台風は過ぎ去り
村の日常は何事も無かったように戻っていった
台風が去った翌朝
役場は何時もより少し遅い時間に動き出した
泊まり込みをした職員たちは順番に戻って来ている
給湯室には いつもより濃い珈琲の匂いが漂っていた
「結局 何もなかった」
紙コップを持った職員がいう
「雨は凄かったけどな 音だけは立派やった」
「屋根 飛ぶかと思ったわ」
笑いながら言うが 声はまだ少し低い
私は机に戻り 昨夜の記録を整理していた
被害報告は 既に「特記事項無し」でまとめられている
「何もなくてよかったですね」
菫がいう
「…はい」
私は頷く
「でも こういう時って よかった って言っていいのか
ちょっと迷いますね」
「分かります」
菫は椅子に腰かけながら答えた
「準備して 泊まり込んで
結果が 何も無し だと」
「無駄やった気がする」
別の職員が 冗談めかして言う
「でも それが仕事やろ」
年配の職員が 直ぐに返した
「何もなかったって報告を出す為に
何が起きるかもしれん夜を過ごす」
一瞬 静かになる
「台風来るたびに思うけどな」
その職員は続ける
「
評価されない仕事ほど 一番大事や」
誰かが小さく
「せやな」
と言った
私はその言葉をメモに書くでもなく
ただ心の中に留めた
「今日は通常業務戻します」
上司が声をかける
「昨日の分 無理せんでええから」
机に戻る音
キーボードの打鍵音
役場は もう何時もの顔だ
菫が小さく言う
「台風より 今日の相談の方が大変かも」
私は少しだけ笑った
「それ だいたいいつもですね」
窓の外では雲がゆっくり流れている
村は何事もなかったように 朝を続けていた
それでいいと私は思った




