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ふるさと振興課(仮)  作者: 堺大和
11/18

0011稲刈の頃

九月に入ると 村の空気ははっきりと変わった

朝晩が涼しくなり 稲穂は頭を垂れ 色づき始める

役場のふるさと振興課では 机の上に紙が増えた

「移住希望者向け稲刈り体験 十五名…」

菫が名簿を見ながら声を出す

「連休に合わせて 秋祭りも同時進行 

正直 余裕はないですね」

私は工程表を壁に貼り直していた

赤ペンで引かれた線が 日にちごとに交差している

「稲刈りは体験です

手伝いではないと 最初に伝えておかないと」

「期待しすぎる人 いますからね」

菫は 春の田植えを思い出していた

善意と現実が ずれる瞬間


午後 農家代表との打ち合わせが始まる

「刈り取りは午前中だけでええ 昼からは見せる程度で」 

「全部やらせると 事故が怖い」

言葉は穏やかだが 線引きははっきりしている

「農業体験じゃなくて 暮らし体験 ですから」

私がそうまとめると 年配の農家が頷いた

「それなら ええ」


一方 神社では秋祭りの準備が始まっていた

倉庫から出される太鼓

色褪せた提灯

「今年は人が多いから 動線決めとかないと」

菫は 祭りの会議資料を作りながら 溜息をつく

移住希望者

帰省客

観光客

全部が重なる連休

「無理して盛り上げなくていい」

私は言う

「出来る範囲でやってる村って 伝われば」

菫は一瞬 黙った後 頷いた

「はい その方が 住んだ後のギャップも少ないですし」

準備は地味だ

確認と 調整と お願いの連続

だが菫は思う


この時間こそが村の日常なのだと

祭りも 稲刈りも

特別なのは来る人で

支える側は いつも通りでなければならない

連休まで あと一週間

村は静かに忙しくなっていった


連休初日の朝 村の山々の間に 美しい雲海が広がっていた

白い雲がゆっくりと谷を満たし 田んぼと集落だけが

島のように浮かんで見える


その景色を 毎年のこととして受け止めている人もいれば

息を呑んで立ち止まる人もいる


午前六時

霧が少しづつ下がり 稲刈りの始まる田んぼから

湿った土と稲の匂いが立ち上る


役場の駐車場には既に何台か車が止まっていた

長靴を履いた移住希望者たちが 静かに集まってくる

「おはようございます」

菫が声をかけると 皆 少し緊張した顔で会釈を返した

写真で見た景色と 立っている地面の感触が

違う事に気づいている


「今日は無理しないでくださいね 体験なので」

私は最初にそれだけを伝える

田んぼの向こうでは 農家の人たちが黙々と準備をしていた

鎌が触れ合う乾いた音

刈り取り機のエンジンが一瞬だけ鳴り また止まる

「刈るのは この一列までです」

「足元 滑ります」

説明は簡潔だ

期待を煽らない代わりに境界線をはっきり引く


遠く神社の方から太鼓の音が一度 低く響いた

秋祭りが始まる合図だ

菫は雲が晴れていく空を見上げながら思う

この村は 朝の景色からもう 選ぶ人を試している

七時過ぎ 太陽が雲海を押し上げ 

黄金色の稲がはっきりと姿を現した

「綺麗ですね」

誰かが思わず口にする

菫は その言葉を否定しなかった

ただ 静かに続ける

「でも これが毎年です」

刈り取りが始まる

ぎこちない手つき

直ぐに伝わる 重さと暑さ


年配の農家が ぼそりと言った

「今日は写真だけ撮る人 おらんな」

それを聞いて 菫は胸の奥で ほんの少し息をついた

八時 休憩に入る

汗と泥にまみれた顔が並ぶ

「住めるかどうか 分からなくなりました」

参加者の一人が 笑い混じりに言った

「それでいいです」

菫は即答した

「分からなくなるのが 今日の目的なので」

神社からは 祭り囃子がはっきりと聴こえてくる

雲海はすでに消え 村はいつもの一日へと動き始めていた


正午が近づくにつれて 村は一気に賑やかになった

神社の境内には露店が並び 太鼓と笛の音が重なり合う

朝の静けさが嘘のようだ


稲刈り体験を終えた参加者たちも 着替えを済ませて合流してくる

長靴姿から私服に戻ったことで 表情が少し緩んでいる

「思ったより人が多いですね」

菫が言う

「連休と 稲刈りと 祭り

全部重なればこうなります」

私は境内の人の流れを見ながら答えた

露店の前で立ち止まる人

日陰を探して移動する人

事前に決めた動線は 半分しか守られていない

「トイレ何処ですか?」

「バスは何時に出ますか?」

菫は次々に飛んでくる質問に応じながら

頭の中で予定を組み替えていく


境内の隅で 地元の年配者たちが集まっていた

「今年はようけ来とる」

「ええことやけど 落ち着かんわ」

その声は 決して怒りではない

ただ 慣れていないだけだ

露店の一つで 移住希望者が地元の人に声をかけている

「この祭り 毎年やっているんですか?」

「毎年や 人は年々へっとるけどな」

笑いながら どこか誇らしげだ

私はそのやり取りを少し離れた場所から見ていた

人と人が役場を介さず話している

今日 一番うまくいっている瞬間かもしれない


午後一時

暑さが増し 疲れが表に出始める

「ちょっと 休憩をいれましょう」

菫が声をかけ 簡易休憩所へ誘導する

水を飲み 木陰に座る

「朝は綺麗やったけど 昼は現実ですね」

参加者の一人が苦笑いする

「はい」

菫も笑う

「住むと こっちの時間の方が長いです」

太鼓の音が 一段と強く鳴る

神輿が動き出す合図だ


人波が揺れ 場内が一瞬ざわつく

だが 混乱にならない


誰がが支え 誰かが道を空ける

村はギリギリのところで 回っていた


菫は 汗を拭いながら思う

朝の雲海より

この昼の雑踏の方が

住むということに近いのかもしれないと


祭りの太鼓が止み 境内の灯りが一つ

また一つと消えていく

夜の村は ざわめきが嘘だったかのように静かだった


神社の裏手 簡易的に設けられた詰所に

地元の人たちが集まっている

冷えたお茶と 簡単な弁当

私と菫も 少し離れた位置に腰を下ろした

ここからは聞く役だ

「今日は よう頑張ったな」

最初に口を開いたのは 稲刈りを仕切っていた農家だ

「思ったより ちゃんとやっとった」

誰かが「うん」と短く頷く

「写真だけ撮って帰るんやないか思っとったけど」

「汗はかいとったな」

評価は 派手ではない

だが 否定もない

菫は 無意識に息を詰めていたことに気づき

そっと力を抜いた

「ただな」

少しの間を置いて別の年配者が続ける

「移住します 言われても 直ぐは無理や」

誰も反論しない

「仕事も 家も 覚悟も要る」

私が静かに口を挟む

「はい 今日は決めてもらおうとは 思っていません」

「それでええ」

年配者は はっきりと言った

「今日みたいに 迷って帰る方が あとが楽や」

菫は その言葉を胸の中で反芻した

春の田植えの時と 同じ評価だ

「菫ちゃん」

不意に名前を呼ばれる

「昼間 よう走っとったな」

「いえ…」

「若いもんが前に出るの 悪くない」

それだけで十分だった

外に出ると 夜風が涼しい

遠くで 虫の声が重なる

「半分成功 ですかね」

菫が小さく言う

「半分もあれば 上等です」

私はそう答えた

灯りの消えた神社を振り返りながら菫は思う

この村は 簡単に「いい」とは言わない

でも ダメなものも 

ちゃんとダメと言う

それなら ここで続ける意味はある

夜は静かに更けていった


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