0001故郷の隣村
自治体職員「応募ゼロ」人手不足で行政維持に危機感
「地域の自立」に現実 少子化やインフラ老朽化への対策など
行政課題は多様で複雑さを増す一方 人手不足は止まらず
自治体が職員を募集しても応募が無いケースは珍しくない
バスのドアが閉まる音は
都合のそれよりずっと軽かった
バスは更に山道へ走り去る 風の音だけが残る
私は小さな肩掛け鞄と
宅配便で先に送った段ボール三つ分の生活を
思い浮かべながら 村役場前のバス停
其処にはコンビニも無く
バス停と観光案内版がぽつんと立っているだけだった
本当に戻ってきたんだな 故郷そのものではない
しかし稜線の形も空気の匂いも
子供の頃に遊びに来た記憶と殆変わらない隣村だった
「今日 引っ越しの方ですよね?」
背後から声がした
振り向くとクリップボードを抱えた女性が立っていた
役場の名札を下げ少し動きやすそうな服装をしている
「あ、はい。今日からこちらにお世話になる山中です」
「やっぱり ふるさと振興課の小川です
今日は住居の確認と鍵の説明を頼まれてて」
明るすぎず かといって事務的すぎもしない
人と人の間の距離を無意識に測れるタイプの声だった
「長旅お疲れ様でした 東京からですよね」
「ええ…まあ」
そう答えながら私は「東京」という言葉に
自分が少し距離を置いている事に気づいた
もう戻る場所ではなく離れてきた場所になっている
移住者用の住宅は役場から少し離れた高台にあった
元は職員用住宅だったらしい二階建ての建物で
外観は質素だが 手入れはされている
小川さんは鍵の束を指で揃えながら
玄関のカギを開け住宅の簡単な説明を始めた
「壁は薄いですけどその分静かです
夜は星はよく見えますよ
あと困った事があったら遠慮なく役場まで来てください
うち相談だけは多い課なので」
相談だけは多い課 その言葉に私は小さく息を吐いた
なるほど そういう町か鍵を受け取り玄関を開ける
まだ何もない部屋に 窓から午後の光が差し込んでいた
「明日から初出勤ですよね 緊張します?」
そう聞かれて私は少し考えた後 正直に答えた
「緊張というより…ちゃんと役に立てるかどうか」
小川さんは 少し笑った
「それうちの課に来る人 だいたい最初に言います」
その言葉を聞いた時 私はこの村での生活が
もう始まっているのだと実感した
東京での生活に特別な不満があったわけではない
ただ 毎日が少しづつ擦り切れていく感じがあった
何処へ行っても人は多いのに
自分は必要とされている実感が無かった
そんな時 故郷の隣村が「職員募集」の小さな記事を
出しているのを見つけた
地域振興 移住定住 相談窓口
正直に言えば 響きは良かったが 内容は曖昧だった
だからこそ 応募したのかもしれない
翌朝私はまだ新しい畳の匂いが残る部屋で目を覚ました
窓を開けると村役場の建物が見える
低い雲の下に静かに座っているのが見える
東京では朝は音から始まった
車のクラクション 電車の走行音 人の足音
ここでは鳥の声が先に来る
「静かだな…」
独り言は 誰にも聞かれずに消えた
役場まで徒歩十分ほどだった
通学中の小学生が挨拶をしてくる
返事をすると少し驚いた顔をされる 警戒された
よそ者が来たともうわかっているのだろう
役場の庁舎は思っていたより小さかった
二階建てで正面のガラス扉には「〇〇村役場」と
黒い文字が貼られている 剝がれかけた村章のステッカーが
そのままこの村の現状を説明しているようだった
本当に戻ってきたんだな
私は一度だけ深呼吸をしてから
正面玄関で立ち止まっていると背後から声をかけられた
「おはようございます 今日からですよね?」
振り返ると 昨日会った若い女性スタッフの小川さんが立っていた
「はい。今日からお世話になります」
「よかった。迷わずに来られました?」
その言い方に ここでは迷う人が多いのだと察した
「ふるさと振興課は二階です。正直に言うと
相談だけは多い課なので…」
「覚悟はしています」
彼女は少し笑った
「じゃ大丈夫ですね。覚悟してくる人 意外と少ないんですよ」
階段をのぼりながら思った
本当に自分は覚悟しているのだろうか
小川菫は彼の背中を見ながら思った
この町に残った理由を
いつか自分はちゃんと説明できるだろうか
答えのない問いを胸の奥にしまった
案内された部屋は「ふるさと振興課」と書かれた
小さなプレートがかかっていた
奥の席で 新聞を読んでいる男性が顔を上げた
「今日からだっけ ええと…ああ 君か東京から戻ってきた人
山中君だっけ?」
その言い方に悪意は無かった ただ事実をそのまま口にしただけ
という調子だった
長年の公務員の平坦さがある
中には机が3つ 壁際には古いパンフレットと
数年前の日付が入った統計資料
「私は課長 もうすぐ定年でね あとは…
ここはな なんでも来るから」
課長は苦笑いを浮かべて言った
「移住の相談もあれば 空き家の苦情もある
イベントをやれと言われることもあるし何も起きない日もある
派手な成果は無く失敗すると恨まれる場所だ」
「分かりました」
「分かる必要もない 困った事が有ったら相談しろ
どうせこの村の問題は一人じゃ決められない」
その言葉を聞いた瞬間少しだけ肩の力が抜けた
私は 机の上に置かれた名札を見つめた
「山中幸一」
其処に書かれた自分の名前が
少しだけ他人のもののように感じられた
ここは決断の場所ではない
だが 決断から逃げられない場所なのだ
この村は静かだった
人が減り 店が閉じ 若者が出て行ったあとに残る静けさ
そして自分は
その静けさの中で 何をすればいいのか
まだ 答えは無かった




