第一章:ゼロ秒の絶対者、地獄からの帰還
深い穴の底は、生温い魔力と血の匂いが混ざり合った、粘着質な闇だった。
黒崎悠人は、自分が死体ではないことだけを、強烈な痛みの奔流の中で理解した。左腕は折れ、肋骨の何本かは折れて肺に刺さっている感覚があった。
(……死ぬ、のか?)
いじめられ、見下されてきた人生の結末が、この冷たいダンジョンの土の中で獣の餌になることだという事実が、彼の胸に最後の、そして最も純粋な怒りを灯した。それは、過去の怯えや屈辱をすべて燃やし尽くす、漆黒の業火だった。
—— 意識を、魔力そのものとせよ。身体の枷を外し、イメージを、世界の定義とせよ。
脳裏に、あの「閲覧禁止図書」に書かれていた教義が閃光のように蘇る。そうだ。この体も、傷も、痛みも、すべては定義に過ぎない。
悠人は、激痛で乱れた呼吸を無理やり整えた。彼の体内のマナコアは、先ほど覚醒した際に解放された凄まじい魔力を、飢えた獣のように呑み込んでいた。
「復讐を、する」
その一念が、悠人の魔力の奔流を一つの強烈なイメージへと変えた。
—イメージ:『治癒』。
通常、治癒魔法は高度な術式であり、熟練の魔術師がリング認証の0.5秒をかけて、さらに数十秒の集中を要するものだ。だが、悠人には、それらが一切不要だった。
彼の純粋な意志が、その瞬間に術式そのものとなった。
『治癒』という明確なイメージが発動したその時、彼の体内を奔流が逆巻いた。体から骨が軋む音が響き、傷口が熱を持つ。折れた腕の骨が正しい位置に戻り、肺を圧迫していた肋骨が修復されていく。
0.0秒。
外部の触媒も、認証時間も、複雑な詠唱もなしに、Sランクの魔術師が全力で放つ治癒魔法が、悠人の肉体を即時修復した。完全にとは言えないまでも、動ける程度に身体の機能は回復した。体表に残った血の跡と泥だけが、つい今しがたまで彼が瀕死の状態にあったことを示している。
悠人は立ち上がった。全身に満ちる圧倒的な魔力と、それを自在に操れるようになった感覚。これは、ただの魔法ではない。世界が定めたルールを無視した、絶対的な力だった。
「光瀬ハヤト。鈴宮アオイ」
彼は、裏切った幼馴染たちの名前を、もはや愛憎ではなく、無機質な復讐のターゲットとして口にした。
(僕たちの未来が汚れる、だと? なら、お前たちの未来そのものを、地獄の業火で汚し尽くしてやる)
悠人は、ダンジョンの天井を見上げた。ハヤトたちがいる階層までは数十メートルの深さがある。普通の人間なら、這い上がることは不可能だ。
—イメージ:『重力操作』。
悠人は、自分の体を持ち上げるための術式を組む代わりに、周囲の空間そのものに干渉する、超広範囲のイメージを具現化した。
「重力、消去」
0.0秒。
彼の周囲数メートル四方の空間から、物理法則が根こそぎ剥ぎ取られた。悠人の体は、まるで宇宙空間にいるかのようにふわりと浮き上がる。彼は手のひらから微細な風の魔力を噴射し、まるでジェットのように自分の体を制御した。
普通の魔術師なら、魔力切れを起こすか、精神崩壊を起こすような広大な領域への干渉を、彼は呼吸をするように成し遂げた。
静寂の中、悠人は無重力でダンジョンの竪穴を昇っていく。その瞳には、すでに人間的な感情は宿っていなかった。彼の頭の中は、復讐のロードマップで埋め尽くされている。
(ハヤトは、次期Aランクパーティのエースとして、来週、都心で大々的にデビューする予定だったな。アオイは、そのマネージャーとして裏で権力者と手を組んでいる)
彼らは今、悠人を始末したことで、自分たちの輝かしい未来が確定したと信じ込んでいるだろう。
それが、間違いであると知るのに、そう時間はかからない。
悠人は、竪穴の最上部、ハヤトが放った光の魔法で崩壊した岩壁の隙間を通り抜けた。彼は、そのまま来た道を戻ることはしなかった。
—イメージ:『破砕』。
ダンジョンの構造体そのものに、破壊のイメージを叩き込む。
0.0秒。
轟音と共に、悠人の目の前の厚い岩壁が、まるで粘土細工のように粉々に砕け散った。彼は、ダンジョンの側壁に、新しい「出口」を、力ずくで開いたのだ。
崩落した岩と土煙の中から、一人の少年が這い出てきた。全身の制服は破れ、血と泥にまみれているが、その瞳は夜空の星よりも冷たく、そして強靭な光を放っていた。
黒崎悠人、14歳。
彼は、復讐を果たすため、常識という枷が外れた魔力を携え、人々の日常が広がる現代社会へと、帰還を果たした。
彼の復讐劇は、この瞬間に始まった。最初のターゲットは、もちろん、光瀬ハヤトと鈴宮アオイ、そして彼らを育んだ歪んだ魔法社会そのものだ。
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