第14話「影の都と第五天」
高殿の戦いから七日。
王都は一見落ち着きを取り戻したように見えた。だが夜になると、焦げ跡の黒が街路の端にまだ残り、人々の声もどこか揺れていた。火は消えても、心の奥に“燃え残り”が燻っている。
セレスティアは政庁の間で皆を集めた。
「黒笛の残党を追ったところ、王都の地下に“影の都”があると分かった。古い下水道と祭壇が繋がり、そこを根城にしている」
地図に描かれた地下迷宮は、まるで蜘蛛の巣だった。
「そして、第五天がそこに降りる準備をしている」
俺の胸の刻印が低く脈を打った。火の熱ではない。もっと重く、湿った響き。
「第五天は……誰だ」
イリスが札をめくりながら答えた。
「伝承では“水底の調停者”。影と流れを司る。——整えられすぎた秩序や、燃えすぎた熱を冷やす存在」
レイナは剣を見下ろし、眉を寄せた。
「つまり、私たちが積み上げた輪や秤を、すべて“流して”しまうってことね」
カイルは拳を握りしめ、低く言う。
「火より厄介だ。……熱なら叩けるが、水は形がない」
ミュナは揺枝を胸に抱き、震える声で呟いた。
「水は、芽を育てもするけど……根を腐らせもする。どちらにもなる」
セレスティアが皆を見渡す。
「第五天の使いは“調停”を謳い、輪と秤を呑み込むだろう。……あなたにしか対処できない、リオン」
地下へ降りる準備は一日かけて行われた。
祠の巫女たちが灯籠に秤印を仕込み、レイナは兵に短剣を配り、イリスは濁りを測る小札を数十枚用意した。カイルは太鼓を軽く叩き、響きが地下に届くよう練習する。
俺は鈴を手に取り、胸の刻印に触れた。
火を抱えた後の心臓は、まだ熱を残していた。そこへ水の影が流れ込んでくる。——火と水、相反するものが、胸の奥でせめぎ合っていた。
地下は冷たかった。湿気で石壁が濡れ、遠くで水滴が落ちる音が響く。
進むにつれ、鈴を鳴らさずとも“偽声”が囁いた。
《やめておけ》《秩序は苦しい》《火は怖い》《休め、眠れ》
人の心に寄り添う甘い言葉。拒絶しにくい、優しい刃。
「声に応えるな」
俺は短く言った。
「答える代わりに、息を吐け。止まって、見渡せ」
仲間が呼吸を合わせる。輪の呼吸が、偽声を押し返していく。
やがて大広間に辿り着いた。
黒い水の池があり、中央に祭壇が浮かんでいる。そこに、一人の男が立っていた。
水を纏った衣、顔は覆面で隠れていたが、瞳は青く深い。
『第五天の使い、“水鏡”のネレイオ。』
声は波のように柔らかく、だが重かった。
『歌も火も、所詮は揺らぎ。……水に流せば、争いも痛みも消える。君の秤も、輪も』
胸の刻印が熱と冷を同時に打つ。
火と水がぶつかり合い、内側から俺を裂こうとしていた。
セレスティアが一歩前に出る。
「秩序を流すだけなら、それは平穏ではなく“死”よ」
ネレイオは微笑む。
『死もまた調停。すべての声が静かになれば、誰も苦しまない』
レイナが剣を抜き、カイルが太鼓を叩き、ミュナが揺枝を掲げた。
だがネレイオの水の波が一度うねっただけで、全ての音が吸われていく。
火とは違う。燃え広がるのではなく、すべてを呑み込み、沈める。
俺は鈴を握りしめ、声を張った。
「選ばせる歌は、沈められない!」
鈴が鳴り、水面に波紋が広がる。
火で抱いた空白を、水でも置けるか——それが試されていた。
水鏡の戦いは、まだ始まったばかりだった。
沈める力と、選ばせる歌。
王都の未来は、この“影の都”の戦いにかかっていた。
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次回:第15話「沈む秤、浮かぶ輪」