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第10話「響き合いの祠、市街戦の序曲」

 朝の鐘が三度鳴った。王都の空気は澄んでいるのに、胸の刻印は低く熱を含み、遠雷のように脈を打っている。

 “響き合い(レゾナンス)”を導入する初日。俺はレイナ、ミュナ、カイル、監察官イリス、それに祠を束ねる巫女頭たちと共に、東区の大祠へ向かった。石畳の路地沿いには、昨夜のうちに掛けられた新しい札——「二人で歌え 三人で運べ」の文字。屋台の親父が鼻歌を合わせ、パン屋の少年が太鼓を運び出す。


 大祠の拝殿には、王鈴が三つ並び、背後の梁には色の異なる布が垂れていた。赤は三拍、青は五拍、白は七拍。見た者がすぐに拍の区別をつけられるように、ミュナが考案した印だ。

 巫女頭の老女が俺たちを見ると、皺の奥の瞳を細めた。

「整律官どの、唄う準備はできておるよ。……ただ、怖いね。合唱は人を温めもするが、外された者には寒い」

「分かっています。だから今日から“輪に入り損ねた者を抱え直す拍”を、合唱の最後に置きます。——『受け皿の一拍』です」

 俺が答えると、老女はゆっくり頷き、王鈴の台座を一段低く下げた。

「ならば、始めなさい」


 拝殿の前庭に、初めての“響き合い”を試す市民が集まっていく。商人組合が先頭に立ち、荷車の押手、洗濯女、職人、子どもたち。カイルは勇者隊から選抜した十数名を連れ、列の端に着く。レイナは警備の配置を手短に指示し、イリスは帳面に印をつける。

 俺は鈴を上げ、深く息を吸った。

「——三拍、青布に合わせて」

 王鈴がひとつ、涼やかに鳴り、青い布が風に揺れた。

「いち・に・とまる」

 人々の肩が同時に落ちる。

「五拍、白布に合わせて」

「さん・し・みわたす」

 視線が周囲へ広がり、互いの顔を確かめあう。

「七拍、赤布に合わせて」

「ご・ろく・きめる、ななではこぶ」

 声が重なり、三つの布が一度に揺れる。——そこに俺は新しい一行を足した。

「はちで、うける」

 空白の一拍。列から半歩外れていた子が、おずおずと隣へ寄り、肩が輪に入る。老女が小さく息を吐いた。

「……よくできてるよ」


 “響き合い”は、始まりは素朴だった。だが輪が三つ四つと増えるほど、拍は街の風を変え始めた。

 荷車を押す二人が呼吸を合わせると、段差で車輪が跳ねず、荷がこぼれない。洗濯女たちが布を揺らすタイミングを揃えると、水の切れがよく、桶の水が半分で済む。子どもたちはお互いの足音を真似て走り回り、転ぶ子が減った。

 イリスが横で王鈴を軽く鳴らし、帳面に短い線を増やしていく。

「過剰な“止まり”は……減っているわ。秤印はかしいんは浅く鳴らない。響き合いの“受け皿”が効いているのね」

「問題が一つあるなら?」

「“外れたまま”を選ぶ者よ。——それは尊重されるべき選択だけど、偽声がそこを狙う」

「分かってる。外れた輪の“外側”に、もう一輪、緩い輪を——」

 言いかけた時だった。王都の外方、工房区の方角から、嫌な低音が腹に触れた。

 エルネの竪琴ではない。もっと粗く、混ざり物の多い低周波。

 “黒笛くろぶえ”が動いた。


 使いの少年が駆け込む。

「整律官! 工房区の“響き合いの祠”が襲われてる! 王鈴が……偽の鈴にすり替えられてるかも!」

 俺は短く息を吸い、ミュナに目配せした。

「東区は老女に任せる。レイナ、カイル、イリス——工房区へ走る!」

 レイナの手が抜きざま剣の柄に触れ、カイルは隊をまとめる。イリスは帳面を閉じ、身のこなしを一段鋭くした。


 工房区は、鉄と油の匂いが濃い。槌音の拍がいつもは街の心臓だが、その日は違っていた。拍は乱れ、槌は空を叩き、火花だけが虚しく散っている。

 祠前には人だかり。王鈴の音は“ほぼ正しい”のに、どこか“遅い”。微かな濁りが、胸の奥で決め手を鈍らせる。

 祠の台座を見ると、王鈴の縁に不自然な金線が焼き付けられていた。

和声偽装フェイク・コーラスの刻印……!」

 イリスが低く唸る。

「昨日の港で見せた手口を、もう祠に」

「剥がす時間はない。——歌で炙る」

 俺は王鈴の前に立ち、短い旋律を置いた。基準音と偽装音を交互に舐め、濁りだけを浮かせる“秤歌”。

 ミュナが揺枝を王鈴の上に翳し、薄緑の光で浮いた濁りを掬い取る。レイナは群衆の周縁へ低い声をかけ、押し合いの拍を落とす。カイルの隊は周囲の路地を押さえ、逃げ道を断つ。

 偽装の金線が熱に耐えきれず剥がれ落ちた瞬間、背後の屋根から笛が鳴った。鋭い、掠れた高音。

 狙撃だ。


 レイナが一歩前へ出、剣を鳴らしてその音を“受け皿”へ落とす。

「散れ!」

 屋根の上で黒外套が踊る。二、三、四——数は多い。

 俺は鈴を鳴らさず、形だけの輪を屋根の角に置いた。飛び移ろうとする足が空を掴み、男の体が半拍遅れる。そこへカイルの投げた短槍が走り、瓦の上に突き刺さった。

 別の影が祠へ飛び降り、王鈴に手を伸ばす。

「——いち・に・とまる!」

 祠の前に集っていた工房の女たちが、息を合わせて声を撃った。合唱は刃になりにくい——だが、足を止めるには充分だ。男の指が空を掴み、ミュナの祈りがその手から力を奪う。

 数息の後、黒外套たちは屋根の向こうへ消えた。

 イリスが肩で息をする。額に汗はにじんでいるが、眼差しは澄んでいた。

「“響き合い”は、もう鎧ね。——危機の時ほど効く」


 王鈴が正しい音に戻ると、工房区の槌音も整っていった。

 だが、油断はできない。黒笛は逃げた。偽声の種は、きっと別の場所にも撒かれている。

 俺は祠の台座の裏に“秤印”をもう一つ刻み、老職人に短い説明をした。

「鈴が浅く鳴ったら、止まりを一拍減らして、合唱を二人から三人に増やす。——“受け皿”は最後に必ず」

「分かったよ、若いの」

 白い髭の下で老職人が笑い、槌を軽く鳴らした。「うちらの槌も、歌だ。合わせるよ」


 昼前までに、三つの祠で同じ手当てをした。

 そのたびに群衆は早く集まり、合唱は厚くなった。レイナは拍を剣の所作に落とし、イリスは秤印の読み方を巫女と祠守に叩き込む。カイルの隊は太鼓を担いで路地を巡り、子どもたちに決め歌と秤歌を教えた。

 ミュナは、外れた輪の“受け皿”にいつも最初に入った。迷いがちな老人や、手を繋ぎ損ねた子の隣に立ち、揺枝で呼吸を撫でる。その姿は、輪の中に芽吹きを置く小さな春だった。


 午後。王城に戻る前、短い水を取ろうと路地に入った瞬間、竪琴の弦が一本、空気を裂いた。

 ——エルネ。

 彼女は路地の突き当たり、蔦の絡む壁の陰にいた。黒髪は緩く結ばれ、白い指が竪琴を撫でる。笑みは薄く、影は濃い。

「合唱、うまくやっているわね。——楽しい?」

「楽しいよ。怖いけど、楽しい」

「そう。なら、次は“合唱の外”。あなたの歌が、外された者をどこまで抱えられるか、見せて」

 エルネは竪琴を低く鳴らした。優しい旋律。それは“寄り添い”の顔をして、選択の刃を甘く覆う。

「《そのままでいい》」

 言葉は蜜。だが、動きを凍らせる。

 俺は息を吸い、吐く。胸の刻印が拍を返す。

「“そのままでいい”を歌うことは、悪くない。——でも“いちど止まって見渡してから”にしよう」

 鈴を鳴らさず、形だけで輪と空白を置く。路地の窓から覗く老人が、かすかに肩を上下させ、深く息を吐いた。

 エルネは楽しげに目を細めた。

「あなた、本当に、人を信じるのね。疲れるわよ?」

「疲れたら、休む歌を持ってる」

「……そうだったわね」

 彼女は立ち上がり、竪琴を背に回した。

「じゃあ、序曲はここまで。市街戦へようこそ、整律官。——合唱は、舞台が大きいほど、崩しがいがあるの」

 影が擬態のように伸び、次の瞬間、彼女の気配は消えた。


 王城の評議室に戻ると、セレスティアが地図の上に赤い石を置いていた。

「黒笛は合唱の外を突く。工房区、港、市場——同時多発。……市街戦だ」

 将軍が兵の布陣を口早に述べ、宰相が物資と避難導線を引く。

 俺は深く息を吸い、地図に手を置いた。

「“響き合いの祠”を中継点にして、街路ごとに“輪”を繋ぐ。——『輪路わろ計画』」

 学匠院の長が眉を上げる。

「輪……路?」

「合唱の輪を街路で綴じ、太鼓と王鈴で拍を渡す網を作る。輪の外に出た者は、次の祠で“受け皿”に拾われる。路地から路地へ、輪が人を運ぶ」

 セレスティアの唇がわずかに上がる。

「いい名前。王都は今日から輪で歩く。——レイナ、現場指揮を。イリス、秤印の監視網を。カイル、太鼓と歌い手の散開を」

「了解!」

 声が重なる。評議は短く鋭くまとまり、全員が同時に立った。


 夕刻。“輪路計画”は動き始めた。

 東区の祠から王鈴が鳴り、その音は路地の太鼓が拾い、次の祠へ渡る。ひとつひとつは小さな輪。だが繋がれば、巨大な拍の動脈になる。

 黒笛はそこを狙ってきた。偽声の合唱が、輪と輪の間の“隙”に入り込む。呼吸の浅い者、疲れた者、外れていたい者——そこに偽声は甘い舌を伸ばした。

 ——“外される痛み”。

 エルネの言葉が脳裏を掠める。

 俺は祠の外れ、少し離れて輪を見ている青年に歩み寄った。服は塵だらけ、指先は油で黒い。

「入っても、入らなくてもいい。——ただ、これを」

 小さな布片に書いた歌を渡す。

「《はちでうける ひとりのうた》」

 輪に入らない者のための、個の拍。青年は一度だけ笑い、布片を胸に仕舞った。

「……ありがとう」


 夜。

 王都の輪は、灯火に合わせて小さくなり、しかし消えなかった。

 最初の市街戦は、剣よりも声の多い戦いになった。

 レイナの隊は要所で刃の乱れを受け、イリスの秤は偽装の濁りを上げ、カイルの太鼓は迷える足を拾い上げた。ミュナは祠から祠へ走り、外れた者の隣に“受け皿”を置き続けた。

 黒笛は執拗だった。偽声の笛は、時に子守歌の顔をし、時に哀歌の顔をし、時に戦歌の顔をして、輪の外を攫いに来た。だが、攫われた足は、次の祠で拾い直される。

 やがて、王都の上を吹く夜風が変わった。——拍を覚えた風。整った街の風。

 胸の刻印が、静かに、確かに脈を打つ。


 高殿の上で、セレスティアが少しだけ息を吐いた。

「序曲は終わった。これから本編ね」

「ええ。——でも、輪は回り始めた」

 俺の声に、王女は満足げに目を細め、そして真顔に戻る。

「エルネは必ず“舞台”を選ぶ。次は広場か、王路おうじか。……あなたの歌で、王都の夜を繋いで」

「繋ぐ。輪で、拍で、秤で——そして、条件で」

 俺は鈴を胸の前に置き、深く息を吸った。

 この街は、もうただ守られるだけの街ではない。

 歌って、測って、選ぶ街だ。


 遠くで、竪琴の弦が一本、挑発するように跳ねた。

 エルネは笑っている。

 いいだろう。

 歌で、鈴で、秤で、そして人で——受けて立つ。


――――

次回:第11話「王路の合唱、夜明けの決断」

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