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今日はどうしよう

作者: 高良菜スー

私は記念日が好きだ

記念日というのは、いつも誰かと共に祝われるものであり、一人で祝われることはない。

交際記念日、結婚記念日、バレンタインデー、クリスマス。

前者二つは言わずもがな、双方を祝うものであり、後者二つは、街ぐるみで街全体の人間を祝っている。

だからこそ一人じゃない、と私も誰かと同様に愛されていると実感できる。

私を認めてくれる。そう思うのだ。


しかし、私は記念日の中で唯一嫌いな記念日がある。

それは、誕生日だ。


別に歳をとることが嫌いなわけではない。むしろ、歳をとることで前年の自分よりもいかに成長したかがわかるから好きだ。

そのようなことが嫌いなわけではない。


私は、この日を嬉しい日だとか幸せな日だとは思わない。

なぜなら、この日は一年の中で最も疎外感を実感する日だからだ。


誰からもラインが来ないわけではない。家族と数人の仲の良い友達が「おめでとう」と言ってくれる。正直嬉しい。

しかし、それより先はない。

私は、誰かから電子媒体の数バイトで形成されたメッセージが欲しいわけではない。

私は誰かに、家族にでも友達にでも良いから祝ってほしい、ちやほやされたい、私だけの会を開いて欲しい。

私は欲深いのだろうか、求めすぎだろうか。


私は家族に私の誕生会を開いて欲しい


誰からもラインが来ない人が聞いたら、欲張りだと思うだろう。そんなことはわかっている。

けれどこれは、あくまで差異の話なのだ。


私には5人の家族がいる。

父、母、兄、姉、私。

私は20代であるため、兄には家族がいて、姉は彼氏と同棲をしている。私は独身の実家暮らし。

そう、私は20代になっても誕生会を開いて欲しいと思っている。

正直、私は良い大人である、私の周りでも所帯を持つ同級生がちらほらと出てきている。

だから、私の悩みはだいぶ幼稚である。


けれど、私の時だけ誕生会を開かないのはなんでなの。


小さい頃は家族5人が小さいテーブルを囲って、パンダのケーキを前に私の誕生日を祝ってくれていた。

私はよく、膝立ちで蝋燭の火を消していたことを覚えている。あの時はとても嬉しかった。

しかし、私の記憶はその膝立ちのまま、止まっている。


具体的で確実な年齢で言えば、中学一年生の時から私の誕生会だけは開かれていない。


そう、だけ、である

これは文字通り、他の家族の誕生会は開かれていた。


別に家庭が崩壊していたわけではない、むしろ両親に愛されていた。

なぜ、私の誕生会だけ開いてくれないのだろう。


おそらくその理由は、「なんとなく」である。

本当にこれと言って私をいじめたいとか、祝いたくないとかそうゆう核心をつくような理由はない。

色々な小さな理由が積み重なって、偶然にも私の誕生会は開催しないのだ。


私の父は、みんなから嫌われている。

無愛想で寡黙で、極力会話を続けないようにするタイプであり、私は父と同じ家に住んでいるのにまともに話したことはない。姉も同様であるが、兄は少しだけ話せるようだ。

私の両親はとても仲が悪い。喧嘩をするような仲の悪さではなく、口を聞かないタイプの仲の悪さだ。

テーブルがあった時に基本的にお互いがお互いの隣の席には座らない。

そして、私たち子供もそうならないような場所取りをする。

兄は所帯持ちである。娘が二人いるのだが、その四人家族とうちの両親はとても仲がいい。とても面倒を見ているのだ。


このように、私の家族は父親を含めて家族だけで集まると、それなりに冷えた空気になるのだ。

そして、私たち家族の誕生日は以下である。

兄嫁、10月

父、7月

私、5月

母、姉、姪っ子2号、4月

兄、姪っ子1号、2月


私たち家族は基本的に、5人で祝うことはない。5人で祝うと、父親を中心に息が詰まりそうな空気になるからだ。

なので、私たち家族は条件を満たすことができれば、兄の家族と合併して誕生会を毎回開く。

今一度言う。5人の家族のうち私だけ誕生会が開かれないのだ。

それを前頭に先の表を見てみよう。


父は言わずもがな、この組織の王のような存在で、母親と仲が悪いといえど、組織のルール的に母親が誕生会を開いてくれる。

次に5月の私を飛ばして、母、姉を見てみよう。ここは同じ月に3人も祝う人がいるため、姪っ子2号の誕生日に3人同時に祝うことができる。

残るは兄だけであるが、兄は自らの所帯と私たち家族の両方に所属しているため、当たり前のように双方から祝われるのだ。


すると、見えてくる。

5月の私だけ、兄の家族を巻き込む理由がないのだ。


母と姉は姪っ子2号を巻き込む形で誕生会を開くことは容易だが、私だけ開く理由がないのだ。

無論、私たち5人で開くことはできない。

私がまだ膝立ちで蝋燭を消していた時は、流石に父に嫌悪感なんて抱いてないし、そんな風潮もなかったから

体現できていた。

しかし、家族間の好意の矢印がくっきりと浮かび上がる中学一年生くらいの頃には、兄は家を出て、自分の家族をみつけ始めていて、私の誕生日に家に帰ることはなかった。


私は私以外の家族の誕生日を毎回祝っている。

誰々、おめでとう、この料理美味しいね、と、拍手を交えて。

その光景を目の前にして、私はいつも思う。

なんで私の時だけ、、


その疎外感は私が誕生日を迎えた日に、私に大きくのしかかる。

毎年、どうせ開かれないとは思いつつ、薄い期待をしてしまっている自分がいる。

でも、その期待はいつも無駄で、喉のそこまで来ている「祝って欲しい」という言葉を無理やり飲み込み、私は今、この文章を打っている。


みんな、私は一体どうすればいい。


みんな、


私は今日を、どうすれば


今日はどうしよう。






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