5.愛のカタチ
「それで何の相談スか?」
「え」
カフェに入ってすぐ、席に着くなり小鳥遊がそう切り出した。
道中は大した話もせず、もう少し様子を見てから切り出そうと考えていたのに、不意を打たれた気分だ。
「……何でそう思う?」
「顔に書いてあるっス。何年後輩やってると思ってるんスか?」
パンケーキとカフェオレを注文しつつ、小鳥遊が小さく苦笑してみせる。
そんなに顔に出やすいのだろうか、俺は。
「相談って言うか、えーっと……」
「唯さんのことっスか?」
「ま、まあ、そうだな」
どう切り出したものかと考えあぐねていると、小鳥遊から切り込んできた。
何だってこいつは、こんなに勘が働くのだろう。
「それについては、自分も聞きたいことがあったっス」
「ん?」
「先輩と唯さんって、本当に付き合ってるんスか?」
いきなり核心に踏み込んでくる後輩に、思わずぎくりと固まってしまう。
ここでどう答えるかで、小鳥遊にどこまで探りを入れられるかが変わってくるわけだが、正直に「唯の彼氏の為に付き合ってるふりをしてるんだ」などとは言えない。
だから俺は、ただ短く「ああ」と虚偽の言葉を吐いた。
「ふーん、そうなんスね。それで、相談は何なんスか?」
「最近の唯についてちょっと聞かせてほしくて」
「んーっと、そんな変わった様子はないっすね。昨日のことはびっくりしたっスけど」
『昨日のこと』とは、おそらく俺と唯が手を繋いで登校したアレの事だろう。
随分と噂になったので、小鳥遊の耳に入っていてもおかしくはない。
「その前はどうだ? 入学当初とか」
「あー、部活で一緒になったときは嬉しかったっスね。そう言えば、その時は彼氏ができたとかで浮かれてた気が──ん?」
小鳥遊の言葉に、小さく息をのむ。
それと同時に、後輩が首をひねった。
「先輩、いまちょっと気付いたんスけど……おかしくないっスか?」
指を折りながら、じとりと小鳥遊が俺を見る。
しくじったと思ったが、もう後の祭りだ。
「その時の唯さんの彼氏って先輩じゃないっスよね?」
「ああ。そう、なるな」
実は今も彼氏ではないなんてないと言い出せず、俺は湯気が立つコーヒーに口をつける。
「おかしいと思ったんスよ。いまさら先輩と唯さんが噂になるなんて。もしかして、相談って、その事っスか?」
「ああ、その元彼氏について知りたくてさ。小鳥遊、お前何か聞いてないか?」
「なんだ、そういうことだったんスね」
小鳥遊が眉尻を下げて、大きくため息を吐く。
「せっかく先輩がお茶に誘ってくれたのに、結局は唯さん関係じゃないっスか」
「なんか、すまんな……」
「いいんスよ。こうしてお茶できるだけで自分は嬉しいっス」
切り分けたパンケーキを口いっぱいに頬張りながら、小鳥遊が小さく唸る。
「その元カレさんについては、残念ながら知らないっス」
「それはわかってるんだが、部活のやつから紹介されたって聞いてさ……誰が紹介したかとか、わからないか?」
「ってことは先輩の誰かっスよね。唯さんと仲いい先輩って言ったら、佐倉先輩か加藤先輩じゃないっスかねぇ」
これは有力な情報だ。
高校に入って帰宅部になってしまった俺は、唯の部活に何人メンバーがいて、どんな繋がりになってるかなんてわからない。
それが女子ともなればなおさらだ。
「そもそも、なんで元カレさんについて知りたいんスか?」
「いや、ちょっと思うところがあって」
「相変わらずのごまかし下手っス」
するどいツッコミに、俺は思わずたじろぐ。
まさか、こうも簡単に看破されるとは予想外だった。
「で、なに隠してるんスか?」
「……おいおい、隠してることを暴こうとするもんじゃないぞ」
「隠したまま後輩を利用するほうが人でなしっス」
窘めたつもりが、正論で論破されてしまった。
とはいえ、どう説明したものか。
俺という男はあまり嘘が得意な人間じゃないし、はぐらかそうにもこの通りだ。
「信じてくださいっス。自分、先輩の力になりたいんス!」
「……」
小鳥遊の真っすぐな目に、小さく唸る。
こうなってしまえば、迂闊に誤魔化してしまうのもまずい。
不信感を抱いたこの後輩は、きっと独自に俺と唯の歪な関係と嘘に行きついてしまう。
こいつ、意外と勘が良くて優秀だからな。
腹をくくった俺は、小さく深呼吸してから切り出した。
「実は──」
唯の提案とそれを承諾した俺。そして、〝カレ〟の話。
一連のことについて黙って聞いていた小鳥遊は、俺の話が終わると同時にぬるくなったカフェオレをぐいっと飲み干した。
「……はぁー……なんスか、それ」
「俺だって意味がわからないんだよ」
「いやいや、先輩も先輩っス。どうしてそんな話を受けちゃったんスか?」
「仕方ないだろ!? 唯の為にそれがベストだと思ったんだよ」
俺の返答に小鳥遊が、目つきをじとりと細める。
わかってるさ、俺が情けない男だなんてことは。
「とにかく、事情は分かったっス。自分も唯さんの彼氏と、それを紹介した先輩については探りを入れとくっス」
「……悪い。けど、頼む」
「任せてくださいっス。でも……」
何か言おうとして、小鳥遊が口をつぐむ。
思ったことは何でも口に出してしまうこの後輩にしては珍しいことだ。
「でも?」
「怒んないで聞いてもらえるッスか?」
「俺が一度でもお前に怒ったことがあったか?」
「ないっス」
小さくうなずいて、おずおずと小鳥遊が口を開く。
「その、彼氏さんが誰かわかったとして、先輩が別れさせようってのは、なんて言うか違うんじゃないっスかね」
「でも、唯が……」
「先輩。これは自分の──女の立場から言うんスけど、唯さんが好きな人のために何でもしてあげたいって気持ちはわからんでもないんスよ」
小鳥遊がどこか居心地悪そうに、されどはっきりとした口調で告げる。
気遣い上手な後輩が、言葉を選んで俺を傷つけないようにしてくれているのことはわかった。だが、やはりそれは受け入れがたい。
「だって、変じゃないか? こんな……」
「愛のカタチは人それぞれっス。少なくとも、唯さんは彼氏さんに付き合うって決めたんスよ」
水に落としたインクのように、小鳥遊の言葉が心に広がっていく。
そのインクは、俺が理解を避けようとしていた事実そのものだ。
「あわわ、泣かないでくださいっス」
泣いてなんかない、と返事をしようとして自分の頬に何かが伝うのを感じた。
それでようやく、俺は自分が泣いていることに気が付く。
「あ、ああ。すまん。ホントに情けないな」
「これ、使ってくださいっス」
差し出されたタオルハンカチを受け取り、目頭を押さえ隠す。
しばらくぶりに会った後輩の前でなんて様だ。
このように情けないから、唯を〝カレ〟とやらに掠め盗られたのだと思うと、なお涙があふれる。
「……何かわかったら、すぐに知らせるっスから」
「頼む。小鳥遊だけが頼りだ」
「っス。話、いつでも聞きますんで。落ち込まないでくださいっス」
小鳥遊の手がうつむく俺の髪に触れ、くしゃりと撫でる。
それがなんだかとても優しいものに思えて、心が落ち着いていくのを感じた。
「──それに、先輩には自分がいるっスから」
「なんだよ、それ」
「そのままの意味っス! 何も心配することないっス」
後輩に励まされて、俺は小さくうなずいて返す。
小鳥遊の言う通りだ。俺にはこんなにも頼りになる後輩がいる。
……必ず、唯を救えるはずだ。
そう気合を入れ直して、俺はすっかり冷えてしまったパンケーキを無理やり口に押し込んだ。